「内山美樹子」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m Bot作業依頼: Wikipedia:記事名の付け方#記事名に使用できる文字が緩和されたからの改名 - log |
m Bot作業依頼: Wikipedia:記事名の付け方#記事名に使用できる文字が緩和されたからの改名 - log |
||
2行目: | 2行目: | ||
==人物== |
==人物== |
||
[[実業之日本社]]で『[[少女の友]]』主筆だった内山基(1903年 - 1982年)<ref>[[早稲田大学#會津八一記念博物館|早稲田大学會津八一記念博物館]]の内山基コレクションは、美樹子と妹の美和子の寄贈による。[http://db2.littera.waseda.ac.jp/bijutsu/gaiyo.html 早稲田大学所蔵近代美術データベース 概要]</ref>、[[内田百閒 |
[[実業之日本社]]で『[[少女の友]]』主筆だった内山基(1903年 - 1982年)<ref>[[早稲田大学#會津八一記念博物館|早稲田大学會津八一記念博物館]]の内山基コレクションは、美樹子と妹の美和子の寄贈による。[http://db2.littera.waseda.ac.jp/bijutsu/gaiyo.html 早稲田大学所蔵近代美術データベース 概要]</ref>、[[内田百閒]]の娘で<ref>[[遠藤寛子 (作家)|遠藤寛子]]『『少女の友』とその時代—編集者の勇気 内山基』本の泉社、2004</ref>、同誌の編集者でもあった翻訳家の内山多美野(1913年 - 1988年)の長女として東京に生まれる。1962年、早大文学部演劇学卒業。1971年、同大学院博士課程単位取得満期退学。早大第一文学部教授、1989年、『浄瑠璃史の一八世紀』で早大[[文学博士]]号を取得。第22回[[河竹賞]]受賞。2010年、定年退任。 |
||
[[2019年]]春の叙勲で[[瑞宝中綬章]]を受章<ref>『官報』号外第14号、2019年(令和元年)5月21日</ref>。 |
[[2019年]]春の叙勲で[[瑞宝中綬章]]を受章<ref>『官報』号外第14号、2019年(令和元年)5月21日</ref>。 |
2020年6月17日 (水) 08:11時点における版
内山 美樹子(うちやま みきこ、1939年10月18日[1] - )は、日本の近世文学、特に18世紀浄瑠璃の研究者、早稲田大学名誉教授。
人物
実業之日本社で『少女の友』主筆だった内山基(1903年 - 1982年)[2]、内田百閒の娘で[3]、同誌の編集者でもあった翻訳家の内山多美野(1913年 - 1988年)の長女として東京に生まれる。1962年、早大文学部演劇学卒業。1971年、同大学院博士課程単位取得満期退学。早大第一文学部教授、1989年、『浄瑠璃史の一八世紀』で早大文学博士号を取得。第22回河竹賞受賞。2010年、定年退任。
近松門左衛門研究に偏りがちな浄瑠璃研究の世界で、近松以後の作家は近松よりも構成力に優れると評価し、近世浄瑠璃の全体像に迫ろうとしている。
著書
共編著
校訂
- 新日本古典文学大系『竹田出雲・並木宗輔浄瑠璃集』(角田一郎と校註、1991年)
- 同『近松半二江戸作者浄瑠璃集』(延広真治と校註、1996年)
- 杉山其日庵『浄瑠璃素人講釈』桜井弘共編(岩波文庫、2004年)
注
- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.303
- ^ 早稲田大学會津八一記念博物館の内山基コレクションは、美樹子と妹の美和子の寄贈による。早稲田大学所蔵近代美術データベース 概要
- ^ 遠藤寛子『『少女の友』とその時代—編集者の勇気 内山基』本の泉社、2004
- ^ 『官報』号外第14号、2019年(令和元年)5月21日