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開港当初の横浜港には、東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)が設置され、東西波止場はその形から「象の鼻」と呼ばれた。象の鼻は、現在の[[大さん橋]]の付け根部分にあたる。ここでの貿易は、[[生糸]]、[[茶]]、海産物が輸出され、絹織物、毛織物が輸入された。明治5年[[9月12日 (旧暦)|9月12日]]([[1872年]]10月14日)には、新橋(後の[[汐留駅 (国鉄)|汐留駅]]。現在は廃止)と横浜(現在の[[桜木町駅]])を繋ぐ[[日本の鉄道開業|日本初の官設鉄道が開通]]し、新橋・横浜それぞれの会場で盛大に開業式典が執り行われた。同年には、[[神奈川駅 (国鉄)|神奈川駅]](現在の[[横浜駅]]近傍)と[[鶴見駅]]も開設されている。当時、生糸貿易の主導権は外国商館にあった。そのため、横浜商人と呼ばれた日本人貿易商は、[[1873年]](明治6年)には生糸改会社を設立して競争力を高め、[[1881年]](明治14年)には[[生糸荷預所]]を設立して生糸貿易の主導権確立に努めた。また、横浜商人たちは、県営水道の設置(1887年(明治20年))、横浜共同電灯会社の設立(1890年(明治23年))、[[横浜市立大学|十全病院]]の設立(1891年(明治24年))、生糸検査所、商業会議所の設立(1895年(明治28年))など、都市基盤の整備と商業の発達に大きく寄与した。 |
開港当初の横浜港には、東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)が設置され、東西波止場はその形から「象の鼻」と呼ばれた。象の鼻は、現在の[[大さん橋]]の付け根部分にあたる。ここでの貿易は、[[生糸]]、[[茶]]、海産物が輸出され、絹織物、毛織物が輸入された。明治5年[[9月12日 (旧暦)|9月12日]]([[1872年]]10月14日)には、新橋(後の[[汐留駅 (国鉄)|汐留駅]]。現在は廃止)と横浜(現在の[[桜木町駅]])を繋ぐ[[日本の鉄道開業|日本初の官設鉄道が開通]]し、新橋・横浜それぞれの会場で盛大に開業式典が執り行われた。同年には、[[神奈川駅 (国鉄)|神奈川駅]](現在の[[横浜駅]]近傍)と[[鶴見駅]]も開設されている。当時、生糸貿易の主導権は外国商館にあった。そのため、横浜商人と呼ばれた日本人貿易商は、[[1873年]](明治6年)には生糸改会社を設立して競争力を高め、[[1881年]](明治14年)には[[生糸荷預所]]を設立して生糸貿易の主導権確立に努めた。また、横浜商人たちは、県営水道の設置(1887年(明治20年))、横浜共同電灯会社の設立(1890年(明治23年))、[[横浜市立大学|十全病院]]の設立(1891年(明治24年))、生糸検査所、商業会議所の設立(1895年(明治28年))など、都市基盤の整備と商業の発達に大きく寄与した。 |
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[[1909年]](明治42年)には開港50周年を迎え、この年の7月1日{{efn|従来、開港記念日は旧暦に合わせて6月2日としてきたが、このとき新暦に合わせて7月2日とした。しかし、1928年([[昭和]]3年)には6月2日に再変更され、現在に至っている。}}から3日間にわたって、横浜開港50年祭と銘打った数々の記念行事が催され、「全市は殆ど家族打連れて外出せしやの観あり」と伝えられた<ref>1909年(明治42年)7月4日付、『横浜貿易新報』。</ref>。できたばかりの新港埠頭で行われた式典では、[[森 |
[[1909年]](明治42年)には開港50周年を迎え、この年の7月1日{{efn|従来、開港記念日は旧暦に合わせて6月2日としてきたが、このとき新暦に合わせて7月2日とした。しかし、1928年([[昭和]]3年)には6月2日に再変更され、現在に至っている。}}から3日間にわたって、横浜開港50年祭と銘打った数々の記念行事が催され、「全市は殆ど家族打連れて外出せしやの観あり」と伝えられた<ref>1909年(明治42年)7月4日付、『横浜貿易新報』。</ref>。できたばかりの新港埠頭で行われた式典では、[[森鷗外]]の作詞による『[[横浜市歌]]』が、市内小学生の合唱によって初めて披露され、各国艦船は[[祝砲]]を放った。また、この時、市章の「浜菱」が制定され、市民の寄付による開港記念横浜会館(1917年([[大正]]6年)竣工。現・[[横浜市開港記念会館]]、ジャックの塔)の建設が計画されるなど、市制施行20周年と併せて盛大に祝われた。[[大正|大正時代]]に入ると、[[鶴見川]]河口の埋立が始まって[[京浜工業地帯]]が形成され始め、横浜港は工業港としての性格をも持ち始めることとなる。 |
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=== 震災と戦災、接収の時代 === |
=== 震災と戦災、接収の時代 === |
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; [[横浜市歌]] |
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: 作詞・森林太郎([[森 |
: 作詞・森林太郎([[森鷗外]])、作曲・[[南能衛]] |
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: [[1909年]](明治42年)に、開港50周年を記念して作られた。なお、各区の歌は区の記事を参照。 |
: [[1909年]](明治42年)に、開港50周年を記念して作られた。なお、各区の歌は区の記事を参照。 |
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; 横浜音頭 |
; 横浜音頭 |
2020年6月18日 (木) 10:44時点における版
よこはまし 横浜市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 神奈川県 | ||||
市町村コード | 14100-3 | ||||
法人番号 | 3000020141003 | ||||
面積 |
438.23km2 | ||||
総人口 |
3,771,063人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 8,605人/km2 | ||||
隣接自治体 | |||||
市の木 |
イチョウ、ケヤキ、サザンカ、 サンゴジュ、シイ、ツバキ | ||||
市の花 | バラ | ||||
市の歌 | 横浜市歌 | ||||
横浜市役所 | |||||
市長 | 山中竹春 | ||||
所在地 |
〒231-0017 神奈川県横浜市中区港町1丁目1番地 北緯35度26分38.3秒 東経139度38分17.7秒 / 北緯35.443972度 東経139.638250度座標: 北緯35度26分38.3秒 東経139度38分17.7秒 / 北緯35.443972度 東経139.638250度 | ||||
外部リンク | 横浜市 | ||||
ウィキプロジェクト |
横浜市(よみ:よこはまし,英:Yokohama City)は、神奈川県東部に位置する市。神奈川県の県庁所在地で、政令指定都市である。旧六大都市の1つ[1]にして、現代の横浜市は首都圏に属している。日本を代表する港湾都市であり、横浜港は東京港・名古屋港・大阪港・神戸港と共に貿易の一大拠点である[2]。また、観光地や居住地としても人気がある。食の名物は横浜家系ラーメン,崎陽軒の焼売,横浜中華街などがある。
現在の総人口は日本の市町村では最も多く、約377万人。神奈川県内の市町村では面積が最も広い。市域の過半は旧武蔵国で、南西部は旧相模国鎌倉郡(戸塚区、泉区、栄区、瀬谷区[3]の全域と港南区の一部)。東京都と比べて人通りは少なく、中心地以外は自然が溢れているため、環境にゆとりがあると言える。
特徴
首都圏内の港湾都市として発展を遂げた結果、多様性に恵まれた環境が形成されている。
異文化交流
幕末に開港された横浜港を擁する港湾都市であり、外国資本が積極的に当地に進出(詳しくは後述)。そのため近代日本において有数の外資獲得力を誇った。関東大震災後は政府による積極的な振興政策により、京浜工業地帯の中核都市となった。他国との交流で形成された横浜中華街や横浜赤レンガ倉庫などは観光地にもなっている。横須賀市にあるアメリカ軍基地の影響を受けたどぶ坂通りにも近い。外国資本の進出とともに港湾には外国の船舶が多数停泊し始め、豪華客船も寄港するようになった。1980年代からは自然環境に配慮しつつ横浜みなとみらい21のような先進的な街作りも行われ、景観の良さからドラマのロケ地に選ばれることも多くなっている。結果として、現代では首都圏的な先進性の中にも自然環境と異国情緒が残る、「オシャレで海が近い街」といったイメージを持たれている。[4][5]
居住区としての人気
横浜市は横浜ランドマークタワー,横浜みなとみらい21,横浜中華街,横浜赤レンガ倉庫等、Webサイトやテレビ番組でも頻繁に特集される日本有数の観光地が軒を連ね、大企業の本社が多数存在する商工業の拠点にして、同時に東京の衛星都市・ベッドタウンとしての性格も持つ[6]。市外の湘南海岸や三浦海岸にも1時間程度でアクセス可能など、マリンスポーツにも縁のある立地である。日本経済の中心地である東京都の隣にあり、自然環境と異国情緒に溢れており物件も安い事から、居住区としては常に人気上位にあり[7][8]、2018年から2020年に掛けて複数のアンケート調査結果で住みたい街ランキングの第1位に輝いている(生活ガイド.com,SUUMO,LIFULL等のアンケート調査結果)[9][10][11][12][13][14][15][16]。また、アンケート票数では2位と大差を付けている。
概要
横浜市は東京都心から南南西に約30kmから40km圏内にある、東京湾に面した神奈川県で最大の都市である。横浜市政の中心地は関内地区(中区の関内駅周辺)で、横浜市域の中央駅は横浜駅(西区)[注釈 2]、横浜市の商業地は横浜駅周辺地域(西区の北部一帯)であり、相鉄ジョイナス,横浜岡田屋モアーズ,マルイシティ横浜,横浜スカイビル,横浜ベイクォーターなどの大型商業施設が存在する。その中に、髙島屋やそごうなどの百貨店も存在する。横浜スカイビルにある横浜シティ・エア・ターミナル(YCAT)からは、成田国際空港や東京国際空港までバスで直行することも可能である。
横浜市では都市再開発が進められており、横浜市内の各地区の結び付きを強化する計画が進行中である。経済活動の中心地である横浜駅周辺地域は、横浜市政の中心地である関内地区から北北西に約3kmの所にあり、両地域間は事実上分断されており、横浜市政は両地区の中間に位置する横浜みなとみらい21地区(桜木町駅周辺)の開発を進めて、横浜都心の一体的発展を進めている。また、横浜都心臨海部(インナーハーバー[17])に位置する東神奈川臨海部周辺(東神奈川駅周辺および山内ふ頭周辺)地区[18]、横浜駅周辺地区、みなとみらい地区、関内、関外地区、山下ふ頭周辺地区では長期的な都市の再生計画が進行中で、これらの五地区を連節バスやLRT(次世代型路面電車システム)で結ぶ案も検討されている[19][20]。
横浜市域は比較的広大であり、横浜市政が指定する都心(ツインコア)は、横浜都心(関内・関外地区、横浜みなとみらい21 (MM21) 地区、横浜駅周辺地区[21])[22]と新横浜都心(城郷地区(小机駅周辺地区)、羽沢地区(羽沢横浜国大駅周辺地区)、新羽地区(新羽、北新横浜駅周辺地区)、新横浜地区(新横浜駅周辺地区))[23]である。また、主要な生活拠点(旧:副都心)としては、鶴見駅周辺、港北NT(港北ニュータウン)センター、二俣川、鶴ヶ峰駅周辺、戸塚駅周辺、上大岡駅周辺が指定されている[24][25]。港北NTセンターを除く各地区は、JR東海道線、横浜線、京急本線、相鉄本線の鉄道駅を中心として古くから発展してきた街である。港北NTセンターは、1965年に策定された横浜市六大事業の一つとして、当時の港北区(現在の中心は都筑区)に計画的に開発された街である。都心(ツインコア)と各主要な生活拠点(旧:副都心)間は、横浜市営地下鉄のブルーラインおよびグリーンライン(横浜環状鉄道)[26]、横浜環状道路を中核とした自動車専用道路によって[27]、計画的に結ばれる予定となっている。そのほかの郊外区は首都圏への人口集中によるスプロール化した市街地が散在しており、都市基盤整備が推進されている。多摩田園都市をはじめとした市内北西部は、東京都心のベッドタウンとして開発されたため、鉄道網も東京からの放射線が軸となり、東京都心への通勤通学するいわゆる「横浜都民」が多い(詳細は後述)。
横浜市域は、南に接する鎌倉に鎌倉幕府が置かれた鎌倉時代から本格的に開発され始めた。江戸時代には江戸幕府が置かれた江戸に近いため、幕府直轄地(天領)や旗本知行地が大部分を占め、藩は小規模な六浦藩(金沢区)のみが置かれた。また、大きな港を持たない鎌倉幕府の海の玄関口として六浦湊(金沢区六浦)が、江戸湾(東京湾)内海交通の要衝として神奈川湊(神奈川宿、神奈川区神奈川)が、早くから栄えた。江戸時代末期には、神奈川沖、小柴(旧、六浦湊外周部)で締結された日米修好通商条約により、「神奈川」を開港場にすることが定められた。実際には神奈川湊の対岸にある横浜村[注釈 3](現在の中区関内地区)に新たに港湾施設が建設され、短期間に国際港の体裁を整えた。安政6年6月2日(1859年7月1日)に開かれた横浜港は「金港」とも呼ばれ、生糸貿易港、商業港、旅客港として、また工業港として急速に発展。横浜を日本の代表的な国際港湾都市へと発展させる礎となった。
1889年4月1日に市制が施行され、横浜市となった[注釈 4]。市域の面積は、市制施行時には横浜港周辺の5.4 km² にすぎなかったが、6次にわたる拡張と埋立てにより437.71 km² (2020年)となっている。1927年の区制施行で市域は5区に分けられ、周辺町村の合併と区域の再編を経て、行政区の数は18区となっている。市制施行時の横浜市の人口は約12万人だったが、その後は東京都市圏の拡大とともに第二次世界大戦中の一時期を除いて増加の一途をたどり、現在では約376万人となった。これは日本の市では最も多く、人口集中地区人口も東京23区(東京特別区)に次ぐ。ただし人口密度は大阪市、川崎市などのほうが高い。1956年には政令指定都市に[30]、1988年には業務核都市[31]、2011年には環境未来都市と国際戦略総合特区に指定され[32]、2012年には横浜駅周辺地区などが特定都市再生緊急整備地域[33]に指定された。
地理
市域は神奈川県の東部にあたり、東経139度43分31秒(鶴見区扇島)から139度27分52秒(瀬谷区目黒町)、北緯35度35分33秒(青葉区美しが丘西)から35度18分44秒(金沢区六浦南)に位置する[34]。東は東京湾に面し、北は川崎市、西は大和市・藤沢市・東京都町田市、南は鎌倉市・逗子市・横須賀市に接する。市域の面積は神奈川県の約18%を占め、県内の市町村で最も広い。
地形
横浜市域の地形は、丘陵地、台地・段丘、低地、埋立地に分けられる。
面積の多くを丘陵地が占めている。丘陵地は、市域中央部よりやや西よりに分布し、市域を南北に縦断する。この丘陵地は保土ケ谷区・旭区などを流れる帷子川付近を境に、北側と南側で性質を異にする。北側の丘陵地は、多摩丘陵の南端に位置し、標高は60mから100mで北に向かって高くなっている。南側の丘陵地は、三浦半島に続く三浦丘陵の北端部を占め、標高は80mから160mで南に向かって高くなっている。南側の丘陵地の方が起伏も激しく、標高も高い。鎌倉市に山頂部を置く大平山をはじめとする通称「鎌倉アルプス」に続く峠部分が市内最高点(栄区上郷町、標高159.4m)であり、市内最高峰の大丸山(金沢区釜利谷町、標高156.8m)や円海山(磯子区峰町、標高153.3m)もこの南側の丘陵地に位置する。一方、北側の丘陵は最高峰が高尾山(緑区、100m)と然程高い山はない。もっとも、平均標高は高く、旭区が市内で最も高い。
台地・段丘は、丘陵地の東西にある。東側の台地は鶴見区の地名を取って下末吉台地と呼ばれ、標高は40mから60mで鶴見川付近まで続く。瀬谷区、泉区、戸塚区など西側の台地は、相模野台地の東端に当たり、標高は30mから70mで南に向かって低くなっている。本牧付近で台地が海に突き出し、その南側は根岸湾と呼ばれる。横浜駅周辺も幕末まで袖ヶ浦と呼ばれる入り江だった。
低地には、丘陵地や台地を刻む河川の谷底低地と沿岸部の海岸低地とがある。谷底低地は鶴見川に沿って広がり、平坦な三角州性低地を形成する。また、海岸部には埋立地が造成され、海岸線はほとんどが人工化されている。金沢区の小さな入り江平潟湾は、鎌倉幕府が江戸湾側の海の玄関口とした天然の良港であった。島としては金沢区の野島(扇島・八景島は人工島)があり、野島海岸が横浜で唯一の自然海浜となった。
- 河川
- 鶴見川、鳥山川、早渕川、砂田川
- 帷子川、今井川、中堀川
- 境川、柏尾川、いたち川、宇田川、和泉川
- 大岡川、堀割川、中村川
- 入江川、侍従川、富岡川、大川、滝の川
- 山
- 南部の港南区・磯子区・栄区・金沢区境付近の標高が高く、大丸山(標高156m)、円海山(標高153m)などがある。
気候
本州のほぼ中央、太平洋岸に位置し、ケッペンの気候区分では温帯の温暖湿潤気候に属する。気温の年較差は大きく、四季は明瞭。1日の寒暖の差は小さく、1年を通じて穏やかな気候である。横浜では、梅雨時と秋雨・台風の時期に降水量が多い。夏は名古屋以西の都市と比べると暑さが穏やかで、冬は晴れる日が多く、積雪は南岸低気圧によるもので年1-3回程度だが、積もるときには比較的まとまる(10cm以上)ことが多い。 一方、西部に位置する緑区の長津田地域や旭区の二俣川地域などは30cm以上の積雪となる事も少なくない。 横浜の平均気温はヒートアイランド現象により年々上昇傾向にあり、その傾向は特に冬の最低気温に顕著に現れる。 近年では氷点下まで冷え込むことも稀となっており、冬日は年に数日程度である。 一方で旭区や瀬谷区など横浜市西部は緑被率が高く、内陸部に位置することから市中心部と比較して気温は低い。特に冬季の最低気温では横浜気象台より5度程度低く、氷点下5度以下を記録することも多い。 中心部と比較して積雪も多い。 夏季は、鶴見区や港北区など北東部ほど平均気温が高くなる一方、緑地のまとまって存在する西部の旭区・緑区や、南部の栄区・港南区などの平均気温は低くなり、最大で2度程度の差が開く事もある。
横浜の年平均降水量は1688.6mmで、月平均降水量の最高は9月の233.8mm、最低は12月の54.8mm。年平均気温は15.8°Cで、月平均気温の最高は8月の26.7°C、最低は1月の5.9°C。年平均相対湿度は67%で、月平均相対湿度の最高は6、7月の78%、最低は1月の53%。年平均風速は3.5m/sで、最大は3月の3.9 m/s、最小は7、8月の3.2 m/s。6月から8月にかけて南西風が卓越する他は、北風が卓越する。年平均の合計日照時間は1964.4時間で、最多は8月の206.3時間、最少は9月の130.7時間。大気現象の年平均日数は、雪が9.7日、霧が8.0日、雷が12.6日となっている[35]。
横浜地方気象台の観測史上、最高気温は2013年8月11日および2016年8月9日の37.4°C、最低気温は1927年1月24日の−8.2°C。同じく、日降水量が最も多かったのは1958年9月26日の287.2mm、年降水量が最も多かったのは1941年の2535.2mm[36]。
横浜の初雪の平年値は1月7日で、初霜は12月10日、初氷は12月12日[37]。桜(ソメイヨシノ)の開花日の平年値は3月26日で、満開日は4月3日となっている[38]。
横浜市(横浜地方気象台)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 20.8 (69.4) |
24.8 (76.6) |
24.5 (76.1) |
28.7 (83.7) |
31.3 (88.3) |
36.1 (97) |
37.3 (99.1) |
37.4 (99.3) |
36.2 (97.2) |
32.4 (90.3) |
27.3 (81.1) |
24.5 (76.1) |
37.4 (99.3) |
平均最高気温 °C (°F) | 10.2 (50.4) |
10.8 (51.4) |
14.0 (57.2) |
18.9 (66) |
23.1 (73.6) |
25.5 (77.9) |
29.4 (84.9) |
31.0 (87.8) |
27.3 (81.1) |
22.0 (71.6) |
17.1 (62.8) |
12.5 (54.5) |
20.2 (68.4) |
日平均気温 °C (°F) | 6.1 (43) |
6.7 (44.1) |
9.7 (49.5) |
14.5 (58.1) |
18.8 (65.8) |
21.8 (71.2) |
25.6 (78.1) |
27.0 (80.6) |
23.7 (74.7) |
18.5 (65.3) |
13.4 (56.1) |
8.7 (47.7) |
16.2 (61.2) |
平均最低気温 °C (°F) | 2.7 (36.9) |
3.1 (37.6) |
6.0 (42.8) |
10.7 (51.3) |
15.5 (59.9) |
19.1 (66.4) |
22.9 (73.2) |
24.3 (75.7) |
21.0 (69.8) |
15.7 (60.3) |
10.1 (50.2) |
5.2 (41.4) |
13.0 (55.4) |
最低気温記録 °C (°F) | −8.2 (17.2) |
−6.8 (19.8) |
−4.6 (23.7) |
−0.5 (31.1) |
3.6 (38.5) |
9.2 (48.6) |
13.3 (55.9) |
15.5 (59.9) |
11.2 (52.2) |
2.2 (36) |
−2.4 (27.7) |
−5.6 (21.9) |
−8.2 (17.2) |
降水量 mm (inch) | 64.7 (2.547) |
64.7 (2.547) |
139.5 (5.492) |
143.1 (5.634) |
152.6 (6.008) |
188.8 (7.433) |
182.5 (7.185) |
139.0 (5.472) |
241.5 (9.508) |
240.4 (9.465) |
107.6 (4.236) |
66.4 (2.614) |
1,730.8 (68.142) |
降雪量 cm (inch) | 4 (1.6) |
4 (1.6) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
9 (3.5) |
平均降水日数 (≥0.5mm) | 5.7 | 6.3 | 11.0 | 10.7 | 11.1 | 13.5 | 12.0 | 8.8 | 12.7 | 12.1 | 8.6 | 6.2 | 118.8 |
平均降雪日数 (≥0cm) | 4.9 | 7.0 | 3.4 | 0.1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2.3 | 17.7 |
% 湿度 | 53 | 54 | 60 | 65 | 70 | 78 | 78 | 76 | 76 | 71 | 65 | 57 | 67 |
平均月間日照時間 | 192.7 | 167.2 | 168.8 | 181.2 | 187.4 | 135.9 | 170.9 | 206.4 | 141.2 | 137.3 | 151.1 | 178.1 | 2,018.3 |
出典:気象庁(平均値:1991年 - 2020年、極値:1896年 - 現在)[39][40] |
参考文献
- 『横浜市防災計画 震災対策編 YOKOHAMA2005』 横浜市防災会議・発行、横浜市安全管理局危機管理室・編集、2006年(平成18年)3月
歴史
現市域各地の前史
市域には、およそ25か所の後期旧石器時代の遺跡が発見されている。縄文時代の遺跡は、都筑区の花見山遺跡など数多く見られる。中期までの弥生時代遺跡は少なく、中期後半以降は、都筑区の大塚・歳勝土遺跡など、方形周溝墓を伴う環濠集落が現れる。古墳の出現は4世紀の中期以降とされ、青葉区の稲荷前古墳群などはこの時代の遺跡である。
市域の地名に関する文献上の初出は、『日本書紀』の安閑天皇元年(534年)の条とされる。武蔵国に住む豪族が、橘花(たちばな。橘樹郡)、倉樔(くらす。後に久良(くらき)郡、さらに久良岐郡)ほか4か所を屯倉として献上したと記される。7世紀後半までに市域には、武蔵国橘樹郡、久良岐郡、都筑郡、相模国鎌倉郡が置かれた。青葉区の長者原遺跡は、8世紀に成立した都筑郡衙跡とされる。なお、都筑郡の名が見える最古の記録は、『万葉集』である。延長5年(927年)には、都筑郡の杉山神社が、式内社とされた。この杉山神社には論社がいくつかあり、位置は確定されていない。
市域は奈良時代以降、人口も増えて生産力を高めた。平安時代には各所の開発も進み、坂東八平氏や武蔵七党など、関東武士の力が蓄えられた。市域には、平子氏、榛谷(はんがや、はりがや)氏、稲毛氏、綴党(つづきとう)などの武士団が勢力を張った。今に残る弘明寺、宝生寺など、平安時代以前の建立とされる寺院は、これら有力武士団の支援を受けていたものと考えられる。
市域は、鎌倉に鎌倉幕府が開設された12世紀から本格的に開発が始まった。鶴見川や柏尾川などの河川流域では農業が発達し、13世紀前半には、現在の新横浜周辺地域に当たる小机郷鳥山(港北区小机町・鳥山町)から、多摩川・鶴見川周辺地域が、幕府によって大規模に開発された。また、東京湾に面する六浦湊(金沢区六浦)が鎌倉の玄関口として文化・交易・産業の中心地となり、中国大陸(南宋)との貿易(日宋貿易)や内湾の交易によって栄え、武士や商人・職人・宗教者などが多く集まり賑わいを見せ、東海道に接して栄えた神奈川湊(神奈川区神奈川)とともに漁業と海運業の発達へと繋がっていった。
横浜の名の初出は、室町時代中期の嘉吉2年(1442年)の文献である。この年、平子氏の家臣と思われる市川季氏と比留間範数の両名が、石河宝金剛院(現、南区の宝生寺)に、横浜村の薬師堂免田畠を寄進する旨の文書が残されている。横浜村は武蔵国久良岐郡に属し、神奈川湊の対岸、現在では市政の中心街になっている関内地区(中区)にあたる地域にあった。
江戸幕府が置かれた17世紀以降は、東海道の宿場とされた神奈川宿、程ヶ谷宿(保土ヶ谷宿)、戸塚宿を中心に発展する。特に、神奈川湊を持つ神奈川宿が江戸湾(東京湾)内海交通の要衝の一つとして栄え、対する六浦湊は、歌川広重が金沢八景を浮世絵としたように、風光明媚な景勝地としての色合いを濃くしていった。なお、江戸時代末期までの横浜村は、前出2つの湊とは対照的に、戸数わずか100戸足らずの砂州上に形成された半農半漁の寒村であった。
神奈川開港と都市横浜の誕生・発展
横浜村の運命を一変させたのは、当時国交を持たなかったアメリカのマシュー・ペリー率いる黒船の来航であった。太平洋航路の拠点として、また、捕鯨の際の供給基地として日本の港を利用することを望んだアメリカ海軍の黒船一行は六浦藩小柴村沖(現在の金沢区八景島周辺)に無許可のまま2か月間投錨し、幕府の対応を待った後に横浜沖へと進み入り、その後幕府は横浜村に設営した応接所で外交交渉を行った。交渉の結果、嘉永7年/安政元年(1854年)に横浜村で日米和親条約が締結され、安政5年(1858年)には神奈川沖・小柴(現・八景島周辺)のポウハタン号上で日米修好通商条約が締結された。この通商条約に「神奈川」を開港するよう定めたことが、横浜の都市開発の発端となった。
幕府は、東海道に直結し、当時既に栄えていた神奈川湊を避け、外国人居留地を遠ざけるため、対岸の横浜村を「神奈川在横浜」と称して開港地とした。横浜村には、短期間で外国人居留地、深谷市在の笹井万太郎による波止場、運上所(税関)など国際港の体裁が整えられ、安政6年6月2日(1859年7月1日)に横浜港は開港した。横浜市では、6月2日を開港記念日としている[注釈 5]。しかし勅許は6年遅れた。文久/元治元年(1864年)には安政五カ国条約の相手国へ横浜鎖港談判使節団を派遣するも失敗。薩英戦争まで起こった。騒然とした世相にも関わらず、横浜にはジャーディン・マセソン(怡和洋行)、デント商会、そしてオリエンタル・バンクが進出してきた。慶応2年(1866年)には香港上海銀行も支店を出した。明治5年(1872年)にはドイツ銀行までやってきた。
横浜村は幕府が設置した運上所(税関)を境に、以南を外国人居留地(横浜居留地)、以北を日本人居住区とした。境界には関所が置かれ、関所から外国人居留地側を関内、以外を関外と呼んだ。外国人居留地には、イギリスやフランス、ドイツやアメリカを中心とした各国の外国商館が立ち並んだ。今に残る横浜中華街は、外国人居留地の中に形成された中国人商館を起源とする。一方、日本人居住地は横浜町と名付けて5区域に分割し、各区域に名主を置いて総年寄が町全体を統括、初代横浜総年寄には保土ヶ谷宿本陣家第10代当主の苅部清兵衛悦甫が就いた。明治6年、横浜町は第1区1番組に編入され、1874年(明治7年)6月14日大区小区制により第1大区1小区となり、1878年(明治11年)11月21日に郡区町村編制法に基づき、第1大区が横浜区となり、久良岐郡から分離して横浜区長が管轄することとされた。そして、1889年(明治22年)4月1日、市制が施行されると同時に横浜区は市となり、横浜市が誕生した。当時の市域面積は、横浜港周辺の5.4 km²。面積は狭いものの、市制施行当時、すでに戸数27,209戸、人口121,985人(1889年末時点)に達した。その後、関内地区は市政と商業の中心地として発展する。
開港当初の横浜港には、東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)が設置され、東西波止場はその形から「象の鼻」と呼ばれた。象の鼻は、現在の大さん橋の付け根部分にあたる。ここでの貿易は、生糸、茶、海産物が輸出され、絹織物、毛織物が輸入された。明治5年9月12日(1872年10月14日)には、新橋(後の汐留駅。現在は廃止)と横浜(現在の桜木町駅)を繋ぐ日本初の官設鉄道が開通し、新橋・横浜それぞれの会場で盛大に開業式典が執り行われた。同年には、神奈川駅(現在の横浜駅近傍)と鶴見駅も開設されている。当時、生糸貿易の主導権は外国商館にあった。そのため、横浜商人と呼ばれた日本人貿易商は、1873年(明治6年)には生糸改会社を設立して競争力を高め、1881年(明治14年)には生糸荷預所を設立して生糸貿易の主導権確立に努めた。また、横浜商人たちは、県営水道の設置(1887年(明治20年))、横浜共同電灯会社の設立(1890年(明治23年))、十全病院の設立(1891年(明治24年))、生糸検査所、商業会議所の設立(1895年(明治28年))など、都市基盤の整備と商業の発達に大きく寄与した。
1909年(明治42年)には開港50周年を迎え、この年の7月1日[注釈 6]から3日間にわたって、横浜開港50年祭と銘打った数々の記念行事が催され、「全市は殆ど家族打連れて外出せしやの観あり」と伝えられた[41]。できたばかりの新港埠頭で行われた式典では、森鷗外の作詞による『横浜市歌』が、市内小学生の合唱によって初めて披露され、各国艦船は祝砲を放った。また、この時、市章の「浜菱」が制定され、市民の寄付による開港記念横浜会館(1917年(大正6年)竣工。現・横浜市開港記念会館、ジャックの塔)の建設が計画されるなど、市制施行20周年と併せて盛大に祝われた。大正時代に入ると、鶴見川河口の埋立が始まって京浜工業地帯が形成され始め、横浜港は工業港としての性格をも持ち始めることとなる。
震災と戦災、接収の時代
1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災(大正関東地震)では、横浜港、関内を始め、市内全域で甚大な被害を受けた。東京より震源に近く、ほぼ直下型地震の直撃を受けた横浜市内は特に壊滅的な被害を受け[注釈 7]、各国領事館の建物は全て倒壊。山手(横浜)地区の洋館群も壊滅的被害を受け、港湾機能・対外貿易都市としての機能は完全にマヒした。その後、震災復興事業により、日本大通りの拡幅、山下公園の造成、横浜三塔に数えられる神奈川県庁舎(キングの塔)や横浜税関庁舎(クイーンの塔)の建設などが行われ、1929年(昭和4年)にはほぼ旧状に復した。
昭和時代に入り、1926年(昭和2年)4月に第3次市域拡張が行われ、同年10月には区制が施行されて、鶴見区、神奈川区、中区、保土ケ谷区、磯子区の5区が置かれた。以降も第6次まで続く市域拡張(1939年(昭和14年))と東京湾岸の埋立により市域は拡大し、市域面積は437.38 km²(2006年(平成18年))、行政区の数は18区となっている。1930年(昭和5年)前後には、現在山下公園に係留されている氷川丸など、豪華客船の就航が相次ぎ、横浜港は太平洋航路の乗船地として、客船黄金時代の一翼を担った。また、この頃の横浜港は、生糸貿易港から工業港へと変貌し、輸出、輸入とも、機械類・金属製品、鉄鋼の割合が高まった。この傾向は、第二次世界大戦中の軍需生産期、戦後の高度経済成長期を経て、より強まっていった。
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)5月29日の横浜大空襲では、磯子区から鶴見区に至る沿岸部が焼き尽くされ、中区、西区の中心市街地は壊滅した[注釈 8]Template:Ef。同年8月の終戦によりイギリス軍やアメリカ軍、ソビエト連邦軍を中心とした連合国軍が進駐し、横浜の中心市街地と横浜港は接収され、都市機能は麻痺した[注釈 9]。連合国軍は、横浜税関ビルに連合国軍最高司令官総司令部(GHQ、後に東京の第一生命ビルに移転)と太平洋陸軍総司令部(AFPAC)を置き、軍事拠点とした。空襲とそれに引き続く接収により、横浜の復興は大幅に遅れた。
1950年(昭和25年)、横浜国際港都建設法が制定され、復興に向けた取り組みが本格化する。1951年(昭和26年)には、サンフランシスコ講和条約が締結され日本の連合国による占領体制が終わり、新たに市長となった実業家で元貴族院議員の平沼亮三の下、接収解除に向けて動き始めた。また、この年には、横浜港の管理が国から市に移管された。条約が発効した翌1952年(昭和27年)以降、大さん橋や山下公園などが次々と接収解除された。1957年(昭和32年)には横浜国際港都建設総合基幹計画が決定され、今日に至るまでの都市計画の骨子となった。なお市域には475万m²余の在日米軍施設がある(2006年(平成18年)1月1日現在)[42]。
戦後の発展
1956年(昭和31年)9月1日、制度の開始とともに、政令指定都市に指定される。この頃から、相模鉄道を中心とした横浜駅西口の開発が始められた。1959年(昭和34年)に行われた開港100周年記念祭では、横浜公園平和野球場(現・横浜スタジアム)で、横浜出身の美空ひばりや草笛光子が3万人の観客を前に歌った。1964年(昭和39年)5月には根岸線(桜木町 - 磯子)が開通し、同年10月には東海道新幹線の開業に伴い、横浜線との交点に新横浜駅が開設された。横浜駅西口地下街が完成したのもこの年で、横浜駅西口は急速に発展し始めた。また、1960年代後半(昭和40年代)には中区の元町商店街が活況を呈し、元町ブランドで固めた山手の女子高生たちのファッションは、後に1970年代後半(昭和50年代)のハマトラ(横浜トラディショナル・ファッション)ブームへと繋がっていく。また、1966年(昭和41年)には東急田園都市線(溝の口駅-長津田駅)が開業し、今まで寒村であった市北部が東京のベッドタウンの多摩田園都市として発展し始めた。
1963年(昭和38年)、日本社会党の衆議院議員であった飛鳥田一雄が市長となり、「革新首長」のリーダー的存在となった。1965年(昭和40年)1月、飛鳥田市政下、横浜市六大事業と呼ばれる都市計画プロジェクトに着手した。これは、(1) 横浜みなとみらい21に代表される都心部強化、(2) 金沢地先埋立事業による中小企業の集約化、(3) 港北ニュータウンの建設によるスプロール現象の抑制と良質な住宅街の提供、(4) 横浜市営地下鉄である高速鉄道建設事業、(5) 高速道路建設事業、(6) 横浜ベイブリッジ建設の6事業からなり、都市基盤の整備と中枢管理機能の充実を図るものである。
まず、高速道路建設に取りかかり、1968年(昭和43年)には神奈川県道高速横浜羽田空港線(浅田 - 東神奈川)が開通する。1972年(昭和47年)には横浜市営地下鉄(上大岡駅 - 伊勢佐木長者町駅)が開通した。また、1979年には横浜横須賀道路(日野―朝比奈間が開通し、1981年には狩場―日野間を、1982年には朝比奈―逗子間と逗子―衣笠間を供用開始した。
1977年(昭和52年)には金沢地先埋立が完成し、1990年(平成2年)に大黒埠頭の埋立(第2期)が完成すると、横浜の東京湾沿岸における大規模埋立事業は一段落した。日本社会党委員長として国政に復帰した飛鳥田のあとを受けて、1978年(昭和53年)に市長となった細郷道一も、六大事業の推進に力を注いだ。1980年(昭和55年)には港北ニュータウンの入居が始まり、1985年(昭和60年)には人口が300万人を超えた。また、1978年(昭和53年)には横浜スタジアムが完成し、横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の本拠地となった。
1989年(平成元年)、市制100年と開港130年を記念して、横浜博覧会が開催された。同年には横浜ベイブリッジも開通し、1994年(平成6年)の鶴見つばさ橋開通と合わせて、首都高速湾岸線の整備・延伸が進んだ。1990年(平成2年)、急逝した細郷のあとを引き継いで市長となった高秀秀信は、六大事業の中心となる都心部強化、横浜駅周辺地区と関内地区の間を繋ぐ横浜みなとみらい21地区の整備を本格化させた。1993年(平成5年)には、みなとみらい21地区のシンボルとなる横浜ランドマークタワーが完成した。
高秀は、六大事業の継続に加え、港北ニュータウンや新横浜等における横浜市北部での新規事業を追加した。1999年(平成11年)よこはま動物園ズーラシアが開園し、1998年(平成10年)に完成した横浜国際総合競技場(現在の日産スタジアム)と横浜国際プールは高秀市政の象徴となった。2002年(平成14年)には、国際総合競技場で2002 FIFAワールドカップの決勝が行われ、国際プールではパンパシフィック水泳選手権が行われた。また、2002年(平成14年)には、横浜港大さん橋国際客船ターミナルの建替が完成した。横浜国際港都建設法に基く国際港都建設事業である横浜市内の都市計画道路は戦後進捗が遅れていたが、高秀市政期に事業化された区間も多く、一定の進歩が見られた。
2002年(平成14年)、高秀と争って新たに市長となった中田宏は財政改革、行政改革、医療と教育の民営化を軸にした政策を打ち出した。主な政策としては家庭廃棄物の分別収集、外郭団体の見直しや統廃合、公立病院や保育園の民営化、交通局や水道局の構造改革、新緑税導入、横浜都心の立地企業増加に向けた企業立地促進条例の制定、横浜港への客船寄港促進等を実施。2008年度(平成20年度)には、1961年度(昭和36年度)以来47年ぶりに、普通交付税の不交付団体となる等成果に現れた。また国際コンベンションも積極的に誘致し、2010年日本APECの開催を実現した。一方では都市計画道路整備の予算が減少し、事業速度の低下がみられた。
2009年(平成21年)、開港150周年・市制施行120周年を迎え、横浜市などが設立した財団法人横浜開港150周年協会が中心となって、様々な記念事業・祝祭イベントが行われた[43][44]。同年4月28日から9月27日まで横浜みなとみらい21新港地区で開国博Y150が始まり[45](7月4日から9月27日まで、ヒルサイドエリア(横浜動物の森公園)でも開催)、4月19日には横浜動物の森公園で第20回全国「みどりの愛護」の集いが開催された。5月31日には横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)国立大ホールにおいて、天皇皇后両陛下、内閣総理大臣など三権の長らを招いて、横浜開港150周年記念式典が挙行された[46]。このほか、開港150周年を記念したプロジェクトとして、「象の鼻」地区を中心とした広場や緑地の整備[47]、「開港150周年の森」づくり[48]、横浜マリンタワーの再整備[49]、横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校の開校[50] などが実施された。また、同年7月に任期途中で中田が市長職を辞任した。第45回衆議院議員総選挙と同じ同年8月30日に行われた市長選挙で、東京日産自動車販売代表取締役社長の林文子が新たな市長に選ばれた。
2010年(平成22年)11月13日から14日には、パシフィコ横浜が2010年日本APECの参加国首脳会議の会場になった[51]。2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では、ごく少数ではあるものの、地震動による建造物の全半壊、液状化現象による建物損壊がみられ、大規模な停電が発生し、少数の死傷者などの被害が発生した。また、福島第一原子力発電所事故により放出された放射性物質が市域にも降下したため、土壌の除染等の対応が採られた[52]。
2013年(平成25年)5月には、保育所待機児童数がゼロとなったことを発表した[53]。これは、「横浜方式」と呼ばれる一連の待機児童解消政策の成果とされる。
行政区域の変遷
- 市制施行時の町名
- 1889年(明治22年)に横浜区が市制を施行した時の138町の町名。駿河町、富士見町は2ヶ所に存在。
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- その後の変遷
- 「市政記録」(2007年版)、第1部市勢編より
年月日 | 事柄 | 面積 (km²) |
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1889年(明治22年)4月1日 | 市制施行 | 5.40 |
1901年(明治34年)4月1日 | 第1次市域拡張(橘樹郡神奈川町、久良岐郡戸太町・中村・本牧村・根岸村を編入) | 24.80 |
1911年(明治44年)4月1日 | 第2次市域拡張(橘樹郡子安村の一部(大字子安)、久良岐郡屏風浦村の一部(大字磯子、滝頭、岡)・同郡大岡川村の一部(大字堀ノ内、井土ケ谷、蒔田、弘明寺、下大岡)を編入) | 36.71 |
1927年(昭和2年)4月1日 | 第3次市域拡張(橘樹郡鶴見町・保土ケ谷町・旭村・大綱村・城郷村、久良岐郡屏風浦村・大岡川村・日下村、都筑郡西谷村を編入) | 133.88 |
同年10月1日 | 区制施行。鶴見区、神奈川区、中区、保土ケ谷区、磯子区の5区を置く。 | - |
1936年(昭和11年)10月1日 | 第4次市域拡張(久良岐郡金沢町・六浦荘村を磯子区に、鎌倉郡永野村を中区に編入) | 168.02 |
1937年(昭和12年)4月1日 | 第5次市域拡張(橘樹郡日吉村の一部(大字駒林、駒ケ橋、箕輪と矢上、南加瀬の各一部)を神奈川区に編入) | 173.18 |
1939年(昭和14年)4月1日 | 第6次市域拡張(都筑郡都岡村・二俣川村を保土ケ谷区に編入。同郡川和町・新治村・田奈村・中里村・山内村・川和町・中川村・新田村を編入し、港北区を新設。鎌倉郡戸塚町・中川村・川上村・豊田村・本郷村・中和田村・瀬谷村・大正村を編入し、戸塚区を新設)。鎌倉郡から戸塚区、都筑郡から(1代目)港北区を新設。 | 400.97 |
1943年(昭和18年)12月1日 | 中区から南区を分区新設。神奈川区の一部を中区に編入。 | - |
1944年(昭和19年)4月1日 | 中区から西区を分区新設。 | - |
1948年(昭和23年)5月15日 | 磯子区から金沢区を分区新設。 | - |
1956年(昭和31年)9月1日 | 政令指定都市に指定。 | - |
1969年(昭和44年)10月1日 | 南区を(新)南区と港南区に分割。戸塚区を(新)戸塚区と瀬谷区に分割。保土ケ谷区を(新)保土ケ谷区と旭区に分割。港北区(1代目)を港北区(2代目)と緑区(1代目)に分割。港北区の一部(上菅田町、新井町)を(新)保土ケ谷区に編入。 | 417.29 |
1986年(昭和61年)11月3日 | 戸塚区を(新)戸塚区と栄区と泉区に分割。 | 430.80 |
1994年(平成6年)11月6日 | 港北区(2代目)と緑区(1代目)を再編し、港北区(3代目)、緑区(2代目)、青葉区、都筑区を新設。 | 433.20 |
2008年(平成20年)4月1日 | - | 437.38[54] |
- 行政区制の沿革
人口
横浜市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
横浜市の人口は、1942年(昭和17年)に100万人を超え、戦時中は減少したものの、1951年(昭和26年)に再び100万人を超え、1968年(昭和43年)に200万人を超えて名古屋市を抜き、1978年(昭和53年)には大阪市を抜いて東京都区部に次ぐ大都市中第2位となり、1985年(昭和60年)には300万人を超えた[56]。現在は、3,771,063人(2024年10月1日現在)[57] と、全国の市で最も多くなっており、これは10番目に人口が多い都道府県である静岡県に匹敵する(都市人口順位、都道府県人口順位も参照)。市の人口が多い理由は、市域面積が大きいこと(横浜市の面積は、神奈川県の総面積の18.0%を占め、市人口第2位の大阪市の面積の約2倍、第3位の名古屋市の約1.5倍に上る)や、山地湖沼が少ないことなどが挙げられる。また、第二次世界大戦後に急速に人口が拡大した理由は、戦後復興に伴い京浜工業地帯や関内駅・横浜駅周辺など東京湾沿岸部の商工業が発展したことや、高度成長期以降に顕著となった東京一極集中により、地方から都市部への人口流入が進んだこと、市郊外の私鉄沿線に沿って宅地開発が進み、東京都区部のベッドタウンとしての性格も強く持つようになったことなどが挙げられる。特に、横浜都心に直接接続しない田園都市線沿線の開発は、横浜に住んで東京に通勤通学する、いわゆる横浜都民の増加をもたらした。平成27年度(2015年度)の国勢調査によれば、横浜市の昼夜間人口比率(常住人口(夜間人口)に対する昼間人口の比率)は91.7%となっている[58]。横浜市の昼夜間人口比率は長らく低落傾向を示していたが、1990年代初めに底を打って以降、ゆるやかな上昇傾向が続いている[59]。 なお、東京都特別区部への通勤率は横浜市平均で23.7%[60]で、最も高いのが青葉区の38.2%で最も少ないのが瀬谷区の12.9%となっている。
行政区別の人口が最も多いのは港北区の344,172人[注釈 10]で、以下、青葉区309,692人、鶴見区285,356人、戸塚区275,283人と続く。人口の最も少ない区は西区で98,532人、以下、栄区122,171人、瀬谷区124,560人、中区148,312人と続く。
市政
横浜市の財政状況は、2011年度(平成23年度)の決算によれば、歳入は1兆4,221億円、歳出は1兆3,956億円となっている[61]。地方公共団体の財政の健全化に関する法律(財政健全化法)に定める指標のうち、実質公債費比率は16.3%、将来負担比率は213.0%で、いずれも国の定める早期健全化基準等を下回っている。歳入決算の主な項目の構成比は、市税49.6%、国庫支出金15.5%、諸収入7.5%、市債9.1%、県税交付金3.7%[61]。市税収入は7,055億円で、西区、神奈川区、中区、鶴見区、港北区の5区からの税収が、市全体税収の約52.2%を占める[62]。また、歳出決算の主な項目(性質別)の構成比は、義務的経費が合計46.7%(扶助費17.7%、人件費15.2%、公債費13.8%)、普通建設事業費14.7%、物件費9.8%、補助費11.6%、貸付金8.6%、繰出金6.6%などとなっている[61]。経常収支比率は94.7%、財政力指数は1.00で、政令指定都市18市中、それぞれ第9位、第5位となっている[61]。
横浜市の当面の課題としては、幹線道路整備の遅れ(都市計画道路整備率は、平成21年3月31日現在、64.8%[63])による市内各拠点と郊外住宅地を結ぶ体系化の未達、低い昼夜間人口比率(平成17年国勢調査によれば、90.4[64])、市域の一体的な発展などがある。都市基盤整備や地域経済圏の確立が遅れた地域もあるため、市内の一体感に乏しいとも指摘されている。直面する課題に向けた政策推進力が求められている。
横浜市政は、神奈川県との二重行政解消のため、神奈川県の持つ権限や事務などを横浜市に移譲し、横浜市が神奈川県から独立して、より効率のよい市政運営を行うことができるよう、「横浜特別自治市」構想を掲げている[65]。なお、東京23区(東京特別区)のような特別区は設置せず、市および区の2層構造を基本とした現行の行政区(横浜18区)を単位に、住民自治の制度的強化を図る構想である。
市長
現職市長
- 副市長 -
平原 敏英 ()
- 副市長 -
小林 一美 ()
- 副市長 -
荒木田 百合 ()
- 2018年(平成30年)4月1日初選任。任期満了日は2022年(令和4年)3月31日。職務代理順序 第4順位。[69]
歴代市長
- 出典1 - (外部リンク)「市政記録2015年版」 第1部 市勢編、横浜のあゆみ p10 (PDF) ※初代から第31代の就任日まで。
市制が敷かれた1889年(明治22年)6月に就任した初代・増田知から2017年(平成29年)8月30日付で3期目に入った林文子まで、32代20人の市長がいる。2003年(平成15年)4月から助役を「副市長」と呼称していたが、2007年4月より正式名称となった[注釈 11]。
首長の代数(歴代)の数え方は何種類もあるが、本節では a, b を添える形で書き分けながら解説する。表示欄では「代a」「代b」という名で2種類を記載した。a は就任のあるたびにカウントする方式に基づく代数であり、b は同一人物による連続就任をカウントしない方式に基づく代数である。横浜市は a の方式を採っているが(他の例:八王子市、弘前市[1]、浜松市[2])、b の方式を採る自治体も多く(例:京都市[3]、大垣市[4])、a と b の違いを認識しないまま単純に比較すると誤解が生まれる。なお、返り咲きがあろうとも同一人物を1カウントとする方式もあるが、これを横浜市に当てはめた場合、b から1代(半井清)を引く。
代a | 代b | 肖像 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
官 選 市 長 | ||||||
1889年(明治22年)6月18日 | 1890年(明治23年)2月15日 | |||||
1890年(明治23年)3月3日 | 1896年(明治29年)3月2日 | |||||
1896年(明治29年)6月3日 | 1902年(明治35年)9月20日 | |||||
1903年(明治36年)1月9日 | 1906年(明治39年)5月2日 | |||||
1906年(明治39年)9月28日 | 1910年(明治43年)6月25日 | |||||
1910年(明治43年)9月10日 | 1913年(大正2年)11月13日 | |||||
1914年(大正3年)7月24日 | 1918年(大正7年)7月23日 | |||||
1918年(大正7年)8月26日 | 1922年(大正11年)5月27日 | |||||
1922年(大正11年)11月29日 | 1925年(大正14年)4月10日 | |||||
1925年(大正14年)5月7日 | 1931年(昭和6年)2月26日 | |||||
1931年(昭和6年)3月3日 | 1935年(昭和10年)7月18日 | |||||
1935年(昭和10年)8月3日 | 1941年(昭和16年)2月10日 | |||||
1941年(昭和16年)2月10日 | 1946年(昭和21年)11月30日 | |||||
公 選 市 長 | ||||||
1947年(昭和22年)4月9日 | 1951年(昭和26年)4月4日 | 横浜市初の公選市長として就任。 | ||||
1951年(昭和26年)4月25日 | 1955年(昭和30年)4月3日 | |||||
1955年(昭和30年)4月25日 | 1959年(昭和34年)2月13日 | 2期目4年満了を目前に死去。 | ||||
1959年(昭和34年)4月25日 | 1963年(昭和38年)4月22日 | 公選市長としては1期4年を満了。 | ||||
1963年(昭和38年)4月23日 | 1967年(昭和42年)4月22日 | 1期目4年を満了。 | ||||
1967年(昭和42年)4月23日 | 1971年(昭和46年)4月22日 | 2期目4年を満了。 | ||||
1971年(昭和46年)4月23日 | 1975年(昭和50年)4月22日 | 3期目4年を満了。 | ||||
1975年(昭和50年)4月22日 | 1978年(昭和53年)3月1日 | 4期目4年を満了せず。 | ||||
1978年(昭和53年)4月16日 | 1982年(昭和57年)4月15日 | 1期目4年を満了。 | ||||
1982年(昭和57年)4月16日 | 1986年(昭和61年)4月15日 | 2期目4年を満了。 | ||||
1986年(昭和61年)4月15日 | 1990年(平成2年)2月15日 | 1期目4年満了を目前に死去。 | ||||
1990年(平成2年)4月8日 | 1994年(平成6年)4月7日 | 1期目4年を満了。 | ||||
1994年(平成6年)4月8日 | 1998年(平成10年)4月7日 | 2期目4年を満了。 | ||||
1998年(平成10年)4月8日 | 2002年(平成14年)4月7日 | 3期目4年を満了。 | ||||
2002年(平成14年)4月8日 | 2006年(平成18年)4月7日 | 1期目4年を満了。 | ||||
2006年(平成18年)4月8日 | 2009年(平成21年)8月17日 | 2009年(平成21年)7月28日に辞表を提出し、8月17日に辞任した。 | ||||
2009年(平成21年)8月30日 | 2013年(平成25年)8月29日 | 2009年(平成21年)8月30日、63歳で初当選し[66]、当日就任。無所属(自由民主党推薦、公明党推薦)[66]。横浜初の女性首長、横浜市初の女性市長。1期目4年を満了。 | ||||
2013年(平成25年)8月30日 | 2017年(平成29年)8月29日 | 2013年(平成25年)8月25日、67歳で再選[66]。2期目4年を満了。 | ||||
2017年(平成29年)8月30日 | 2017年(平成29年)8月30日、71歳で3選を果たし[66]、同日再任。任期満了日は2021年(令和3年)8月29日。 |
横浜市長選挙
- 第19回
※当日有権者数:3,062,061[72]人 最終投票率:37.21%(前回比:+8.16pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
林文子 | 71 | 無所属 | 現 | 598,115票 | 53.13% | 推薦:自民、公明 |
長島一由 | 50 | 無所属 | 新 | 269,897票 | 23.98% | |
伊藤大貴 | 39 | 無所属 | 新 | 257,665票 | 22.89% |
- 第18回
※当日有権者数:2,966,136[73]人 最終投票率:29.05%(前回比:−39.71pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
林文子 | 67 | 無所属 | 現 | 694,360票 | 81.86% | 推薦:自民、民主、公明 |
柴田豊勝 | 66 | 無所属 | 新 | 134,644票 | 15.87% | 推薦:共産 |
矢野未来歩 | 38 | 無所属 | 新 | 19,259票 | 2.27% |
- 第17回
※当日有権者数:2,960,336[74]人 最終投票率:68.76%(前回比:+33.46pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
林文子 | 63 | 無所属 | 新 | 910,297票 | 45.85% | 推薦:民主 支持:国民新 |
中西健治 | 45 | 無所属 | 新 | 874,626票 | 44.06% | |
岡田政彦 | 43 | 日本共産党 | 新 | 200,283票 | 10.09% |
- 第16回
※当日有権者数:2,861,843[75]人 最終投票率:35.30%(前回比:−4.05pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
中田宏 | 41 | 無所属 | 現 | 834,815票 | 83.68% | 支持:公明 |
松川康夫 | 64 | 無所属 | 新 | 144,208票 | 14.46% | 推薦:共産 |
遠藤賢次郎 | 63 | 無所属 | 新 | 18,607票 | 1.87% |
- 第15回
※当日有権者数:2,750,044人 最終投票率:39.35%(前回比:+5.24pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
中田宏 | 37 | 無所属 | 新 | 447,998票 | 41.96% | |
高秀秀信 | 72 | 無所属 | 現 | 426,833票 | 39.97% | |
松川康夫 | 60 | 無所属 | 新 | 158,088票 | 14.81% | |
稲垣隆彦 | 28 | 無所属 | 新 | 34,855票 | 3.26% |
- 第14回
※当日有権者数:2,620,755人 最終投票率:34.11%(前回比:+1.74pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
高秀秀信 | 68 | 無所属 | 現 | 459,774票 | 52.48% | |
森卓爾 | 52 | 無所属 | 新 | 172,603票 | 19.70% | |
向田映子 | 51 | 無所属 | 新 | 165,882票 | 18.93% | |
仲本宏章 | 55 | 無所属 | 新 | 33,793票 | 3.86% | |
小杉秀紀 | 49 | 日本労働党 | 新 | 23,528票 | 2.69% | |
大山祐一 | 54 | 無所属 | 新 | 20,506票 | 2.34% |
- 第13回
※当日有権者数:2,511,846人 最終投票率:32.37%(前回比:-1.95pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
高秀秀信 | 64 | 無所属 | 現 | 422,481票 | 52.81% | |
野村たかし | 無所属 | 新 | 213,602票 | 26.70% | ||
伊豆利彦 | 無所属 | 新 | 163,951票 | 20.49% |
- 第12回
※当日有権者数:2,332,044人 最終投票率:34.32%(前回比:−2.48pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
高秀秀信 | 60 | 無所属 | 新 | 357,419票 | 45.07% | |
大久保英太郎 | 日本社会党 | 新 | 294,393票 | 37.12% | ||
黒川万千代 | 市民の市長をつくる会連絡会 | 新 | 66,837票 | 8.43% | ||
木内博 | 無所属 | 新 | 45,006票 | 5.67% | ||
佐藤哲善 | 無所属 | 新 | 29,451票 | 3.71% |
- 第11回
※当日有権者数:2,108,807人 最終投票率:36.80%(前回比:−2.96pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
細郷道一 | 70 | 無所属 | 現 | 567,213票 | 73.90% | |
黒川万千代 | 市民の市長をつくる会連絡会 | 新 | 178,800票 | 23.30% | ||
前田文弘 | 三選反対六党相乗体制打破市民会議 | 新 | 11,729票 | 1.53% | ||
高田がん | 55 | 無所属 | 新 | 9,759票 | 1.27% |
- 第10回
※当日有権者数:1,923,174人 最終投票率:39.76%(前回比:+3.68pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
細郷道一 | 66 | 無所属 | 現 | 528,375票 | 69.86% | |
井之川平等 | 市民の市長をつくる会 | 新 | 192,594票 | 25.47% | ||
小杉秀紀 | 日本労働党 | 新 | 17,894票 | 2.37% | ||
高橋満 | 無所属 | 新 | 8,199票 | 1.08% | ||
高田がん | 51 | 無所属 | 新 | 6,927票 | 0.92% | |
樽井誠之輔 | 無所属 | 新 | 2,292票 | 0.30% |
- 第9回
※当日有権者数:1,817,747人 最終投票率:36.08%(前回比:−-8.45pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
細郷道一 | 62 | 無所属 | 新 | 341,006票 | 52.68% | |
朝倉了 | 市民の市長をつくる会 | 新 | 269,325票 | 41.61% | ||
金子駿介 | 無所属 | 新 | 36,981票 | 5.71% |
- 第8回
※当日有権者数:1,735,147人 最終投票率:64.53%(前回比:−1.05pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
飛鳥田一雄 | 60 | 日本社会党 | 現 | 764,701票 | 69.52% | |
亀井善之 | 38 | 無所属 | 新 | 292,469票 | 26.59% | |
大友八郎 | 無所属 | 新 | 22,323票 | 2.03% | ||
岡田道文 | 無所属 | 新 | 20,495票 | 1.86% |
- 第7回
※当日有権者数:1,529,817人 最終投票率:63.48%(前回比:+0.13pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
飛鳥田一雄 | 56 | 日本社会党 | 現 | 663,543票 | 69.85% | |
川合武 | 55 | 無所属 | 新 | 280,113票 | 29.49% | |
樽井誠之輔 | 無所属 | 新 | 6,353票 | 0.67% |
- 第6回
※当日有権者数:1,219,073人 最終投票率:63.35%(前回比:&minus3.11pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
飛鳥田一雄 | 52 | 日本社会党 | 現 | 465,374票 | 62.02% | |
五神辰雄 | 無所属 | 新 | 253,013票 | 33.72% | ||
佐々木修二 | 日本共産党 | 新 | 31,920票 | 4.25% |
- 第5回
※当日有権者数:1,004,102人 最終投票率:66.46%(前回比:−1.60pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
飛鳥田一雄 | 48 | 日本社会党 | 新 | 279,964票 | 42.86% | |
半井清 | 75 | 無所属 | 現 | 267,188票 | 40.90% | |
田中省吾 | 自由民主党 | 新 | 106,094票 | 16.24% |
- 第4回
※当日有権者数:791,413人 最終投票率:68.06%(前回比:+4.61pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
半井清 | 71 | 自由民主党 | 新 | 288,425票 | 54.76% | |
石河京市 | 61 | 日本社会党 | 元 | 217,852票 | 41.36% | |
松尾彪五 | 無所属 | 新 | 20,444票 | 3.88% |
- 第3回
※当日有権者数:702,570人 最終投票率:63.45%(前回比:−11.11pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
平沼亮三 | 76 | 無所属 | 現 | 232,469票 | 53.44% | |
石河京市 | 57 | 日本社会党 | 元 | 192,156票 | 44.17% | |
久野恵司 | 無所属 | 新 | 10,425票 | 2.40% |
- 第2回
※当日有権者数:566,563人 最終投票率:74.56%(前回比:+19.28pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
平沼亮三 | 72 | 無所属 | 新 | 242,685票 | 60.12% | |
石河京市 | 53 | 日本社会党 | 現 | 161,014票 | 39.88% |
- 第1回
※当日有権者数:408,247人 最終投票率:55.28%(前回比:pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
石河京市 | 49 | 日本社会党 | 新 | 102,378票 | 50.97% | |
山崎次隆 | 無所属 | 新 | 98,487票 | 49.03% |
- 財政[76]
|
|
議会
横浜市では、市議会を「市会」と称している[77][注釈 13]。
- 議長と副議長
役職 | 氏名 | 期数 | 所属会派 |
---|---|---|---|
議長 | 梶村充 | 5期 | 自由民主党 |
副議長 | 加藤広人 | 6期 | 公明党 |
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国政・県政
国等の機関
横浜市に置かれる国、独立行政法人、特殊法人の機関は以下の通り[79]。横浜市に置かれる各省庁の地方支分部局のうち、関東地方(もしくはそれよりも広い地域)を統括するものは、国土交通省の関東地方整備局(港湾空港部)・関東運輸局、海上保安庁第三管区海上保安本部など、数少ない。それらの多くは中区山下町の横浜地方合同庁舎、もしくは中区北仲通の横浜第2合同庁舎(旧生糸検査所)に所在する。
国の行政機関 | |
---|---|
司法機関 | |
独立行政法人 | |
(太字は本部が所在)
|
|
特殊法人 | |
|
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県の機関
神奈川県庁、神奈川県警察本部、神奈川県立図書館など、多くの機関が所在する。
国会議員
- 衆議院[80]
- 小選挙区選出
選挙区 議員名 所属政党 神奈川1区(中区・磯子区・金沢区) 松本純 自由民主党 神奈川2区(西区・南区・港南区) 菅義偉 自由民主党 神奈川3区(鶴見区・神奈川区) 小此木八郎 自由民主党 神奈川4区(栄区・鎌倉市・逗子市・葉山町) 早稲田夕季 立憲民主党 神奈川5区(戸塚区・泉区・瀬谷区) 坂井学 自由民主党 神奈川6区(保土ケ谷区・旭区) 青柳陽一郎 立憲民主党 神奈川7区(港北区・都筑区) 鈴木馨祐 自由民主党 神奈川8区(緑区・青葉区) 江田憲司 無所属
- 比例代表選出(カッコ内は所属政党と重複立候補した小選挙区)
篠原豪(立憲民主党、神奈川1区) 山本朋広(自由民主党、神奈川4区) 串田誠一(日本維新の会、神奈川6区) 中谷一馬(立憲民主党、神奈川7区) 三谷英弘(自由民主党、神奈川8区)
県議会議員
- 定数:105名
- 任期:2019年(平成31年)4月30日 - 2023年(令和4年)4月29日[81]
選挙区 | 鶴見区 | 神奈川区 | 西区 | 中区 | 南区 | 港南区 | 保土ケ谷区 | 旭区 | 磯子区 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
定数 | 3 | 3 | 1 | 2 | 2 | 2 | 2 | 3 | 2 |
選挙区 | 金沢区 | 港北区 | 緑区 | 青葉区 | 都筑区 | 戸塚区 | 栄区 | 泉区 | 瀬谷区 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
定数 | 2 | 4 | 2 | 3 | 2 | 3 | 1 | 2 | 1 |
※2014年3月20日の本会議で、議員定数を現行の107から105に削減する条例改正案が賛成多数で可決された。これにより2015年選挙から青葉区選挙区は「4」から「3」となった[82]。
選挙区 | 氏名 | 会派名 | 党派名 |
---|---|---|---|
鶴見区 | 川崎修平 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 |
鈴木秀志 | 公明党神奈川県議会議員団 | 公明党 | |
爲谷義隆 | 立憲民主党・民権クラブ神奈川県議会議員団 | 立憲民主党 | |
神奈川区 | 梅沢裕之 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 |
中村武人 | 立憲民主党・民権クラブ神奈川県議会議員団 | 立憲民主党 | |
上野達也 | 日本共産党神奈川県議会議員団 | 日本共産党 | |
西区 | 加藤元弥 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 |
中区 | 作山友祐 | 立憲民主党・民権クラブ神奈川県議会議員団 | 立憲民主党 |
原聡祐 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 | |
南区 | 新堀史明 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 |
岸部都 | 立憲民主党・民権クラブ | 立憲民主党 | |
港南区 | 桐生 秀昭 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 |
浦道健一 | 立憲民主党・民権クラブ | 立憲民主党 | |
保土ケ谷区 | 高橋栄一郎 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 |
望月聖子 | 立憲民主党・民権クラブ | 立憲民主党 | |
旭区 | 須田幸平 | 立憲民主党・民権クラブ神奈川県議会議員団 | 立憲民主党 |
磯本桂太郎 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 | |
小野寺慎一郎 | 公明党神奈川県議会議員団 | 公明党 | |
磯子区 | 新井絹世 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 |
市川智志 | 立憲民主党・民権クラブ | 立憲民主党 | |
金沢区 | 大村悠 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 |
松崎淳 | 立憲民主党・民権クラブ | 立憲民主党 | |
港北区 | 嶋村公 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 |
菅原暉人 | 立憲民主党・民権クラブ | 立憲民主党 | |
武田翔 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 | |
大山奈々子 | 日本共産党神奈川県議会議員団 | 日本共産党 | |
緑区 | 柳下剛 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 |
古賀照基 | 立憲民主党・民権クラブ | 無所属 | |
青葉区 | 小島健一 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 |
赤野孝之 | 立憲民主党・民権クラブ | 無所属 | |
内田美保子 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 | |
都筑区 | 首藤天信 | 立憲民主党・民権クラブ | 立憲民主党 |
敷田博昭 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 | |
戸塚区 | 松田良昭 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 |
北井宏昭 | わが町 | 無所属 | |
曽我部久美子 | かながわ県民・民主フォーラム | 国民民主党 | |
栄区 | 楠梨恵子 | 県政会 | 無所属 |
泉区 | 田中信次 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 |
松本清 | 立憲民主党・民権クラブ | 立憲民主党 | |
瀬谷区 | 田村雄介 | 自由民主党神奈川県議会議員団 | 自由民主党 |
地域
東京、川崎から続く市域の沿岸部には、京浜工業地帯が広がる。埋立地を中心とした地域には、鉄鋼業や化学工業などの大規模工場や、火力発電所が多く、内陸部にかけた地域は、部品や食品などの中小規模事業所が多い。横浜駅へ鉄道路線を集中したため、商業の中心地は関内地区から横浜駅周辺へと移っている。そのため元々の中心地であった伊勢佐木町や関内の相対地位が低下しており、その中間に位置する「みなとみらい21(横浜ランドマークタワー他)」を整備することで都心の一体化を目指している。また、新幹線駅を持つ新横浜を始め、上大岡、戸塚、二俣川・鶴ヶ峰、鶴見、港北ニュータウンなど、副都心としての機能を持つ街の整備を図り、都市機能の集積や地域経済強化に注力している。東急田園都市線沿いの青葉区は横浜市街地よりも東京23区との繋がりが深い。
- NTT市外局番はほぼ全域が「045」(横浜MA)。ただし、青葉区奈良町のごく一部に「042」(相模原MA)、鶴見区尻手のごく一部に「044」(川崎MA)地域がある。
- 日本の音風景100選:横浜港新年を迎える船の汽笛
行政区
横浜市は現在、18区(行政区)で構成される。市役所本庁の所在地は中区。行政区の数としては、大阪市の24区に次ぐ。区名と主要な施設・観光地は以下の通り。
区名 | 設置年 | 人口 | 面積 | 人口密度 | 主なスポット | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 鶴見区 | 1927年 (昭和2年) |
297,180人 | 33.21km2 | 8,949人/km2 | |
2 | 神奈川区 | 1927年 (昭和2年) |
251,587人 | 23.73km2 | 10,602人/km2 | |
3 | 西区 | 1944年 (昭和19年) |
107,155人 | 7.03km2 | 15,243人/km2 |
|
4 | 中区 | 1927年 (昭和2年) |
153,008人 | 22.01km2 | 6,952人/km2 | |
5 | 南区 | 1943年 (昭和18年) |
199,485人 | 12.65km2 | 15,770人/km2 | |
6 | 保土ケ谷区 | 1927年 (昭和2年) |
205,360人 | 21.93km2 | 9,364人/km2 | |
7 | 磯子区 | 1927年 (昭和2年) |
164,598人 | 19.02km2 | 8,654人/km2 | |
8 | 金沢区 | 1948年 (昭和23年) |
193,897人 | 30.95km2 | 6,265人/km2 |
|
9 | 港北区 | 1939年 (昭和14年) |
365,316人 | 31.40km2 | 11,634人/km2 |
|
10 | 戸塚区 | 1939年 (昭和14年) |
282,458人 | 35.79km2 | 7,892人/km2 | |
11 | 港南区 | 1969年 (昭和44年) |
212,267人 | 19.90km2 | 10,667人/km2 | |
12 | 旭区 | 1969年 (昭和44年) |
240,825人 | 32.73km2 | 7,358人/km2 |
|
13 | 緑区 | 1969年 (昭和44年) |
182,809人 | 25.51km2 | 7,166人/km2 | |
14 | 瀬谷区 | 1969年 (昭和44年) |
121,127人 | 17.17km2 | 7,055人/km2 | |
15 | 栄区 | 1986年 (昭和61年) |
120,519人 | 18.52km2 | 6,508人/km2 | |
16 | 泉区 | 1986年 (昭和61年) |
150,418人 | 23.58km2 | 6,379人/km2 | |
17 | 青葉区 | 1994年 (平成6年) |
308,085人 | 35.22km2 | 8,747人/km2 | |
18 | 都筑区 | 1994年 (平成6年) |
214,969人 | 27.87km2 | 7,713人/km2 |
- 住所の表記
- 「保土ケ谷区」や「市ケ尾町」など、横浜市では公式の表記において大文字の『ケ』で記している。また、住所で『が』と表記される場合でも、駅名などでは小文字の『ヶ』が用いられる場合もある[注釈 14]。
- 「丁目」の数字においては漢数字と算用数字が併用されている。
インフラ整備の状況
- 下水道普及率:99.7%(平成17年度末)
隣接している自治体・行政区
観光
横浜市の観光入込客数は約4,253万人(延べ数、2008年(平成20年)[83])で、このうち日帰り客が87.9%を占めている。また、神奈川県の調べによる横浜・川崎地域の入込観光客数は5,598万2千人(延べ数、2008年(平成20年)[84])で、これは県全体の入込観光客数の32.7%を占めており、地域別では最も多い。
施設 | 金沢文庫 - 三溪園 - 山下公園 - 横浜中華街 - 横浜外国人墓地 - 横浜みなとみらい21 - 三井アウトレットパーク 横浜ベイサイド(旧横浜ベイサイドマリーナショップス&レストランツ)- 横浜ワールドポーターズ - 横浜赤レンガ倉庫 - 横浜マリンタワー - 大さん橋 - 伊勢山皇大神宮 - 横浜・八景島シーパラダイス | |
---|---|---|
祭り | 野毛大道芸 - みなと祭国際仮装行列 - 開港記念バザー - 横浜開港祭 - フランス映画祭 - 神奈川新聞花火大会 - みなと祭国際花火大会 - サマーナイトフェスティバル - ヨコハマカーニバル - お三の宮例大祭 - 三蹊園観月会 - JATA国際観光会議&世界旅行博 - ワールドフェスタ・ヨコハマ - 横浜オクトーバーフェスト - 横浜ジャズプロムナード - 横浜マラソン - 横浜トリエンナーレ- ヨコハマ・フットボール映画祭 | |
娯楽 | スポーツ | 横浜DeNAベイスターズ(プロ野球セントラル・リーグ)- 横浜F・マリノス(プロサッカーJリーグ1部)- 横浜FC(プロサッカーJリーグ1部)- 横浜スポーツ&カルチャークラブ(プロサッカーJリーグ3部)- 横浜ギガスピリッツ(バスケットボール、いすゞ自動車→横浜ギガキャッツ→横浜ギガスピリッツ)- 大日本プロレス(プロレス団体)- 横浜ビー・コルセアーズ(Bリーグ)- パンクラス(総合格闘技団体) - 横浜光ボクシングジム - 大橋ボクシングジム - 横浜GRITS(アジアリーグアイスホッケー) |
芸能[注釈 15] | 横浜 7th AVENUE | |
大規模な 娯楽施設 |
横浜アリーナ - 横浜国際総合競技場(日産スタジアム)- 横浜国際プール(ウォーターアリーナ)- 横浜スタジアム - 横浜・八景島シーパラダイス - よこはま動物園ズーラシア - 横浜みなとみらいスポーツパーク - よこはまコスモワールド |
経済
横浜市内総生産は2006年に12兆9,048億円に達した。市内都道府県と比較すると静岡県と広島県の間に位置する。OECD諸国と比較すると26位のハンガリーと27位のニュージーランドの間に位置する。概ね第一次産業が0.1%、第二次産業が21.7%、第三次産業が82.3%となっており、第一次産業の割合が低く、第二次産業、および第三次産業の割合が高い。他の政令指定都市との比較では、大阪市の約6割の規模であり、名古屋市とほぼ同じ。本社企業も別表の通り少なくないが、それでも大阪市に比べ大きく見劣りするのは、伝統的な差、東京の隣県に属すること、これに関連してブロック型の大企業(JR、NTT、電力、ガス、大手民放等)が不在であることなどが影響している。
- 内訳は、第一次産業が119億円 (0.1%)、第二次産業が2兆7473億円 (21.7%)、第三次産業が10兆4379億円 (82.3%) となっている。他の政令指定都市と比べ、第一次産業の額と第二次産業の建設業の割合、第三次産業の不動産業の割合が大きく、第三次産業の金融・保険業、卸売・小売業、サービス業の割合は小さいが、第三次産業は名古屋とほぼ同じ。
- 市民所得
- 横浜市の市民所得は11兆3077億円で、一人当たりでは320万6千円(2003年)。これは、国民所得を100とすると110.9となる。
- 市民所得のうち雇用者報酬は9兆5924億円で、市民所得に占める割合は84.8%。これはいずれも政令指定都市の中で第1位である。市民所得のうち企業所得は1兆5427億円で、市民所得に占める割合は13.6%。政令指定都市中第3位。
- また、市民所得全体のうち、市外からの所得は2兆4727億円となっている。これは、市内から市外へ通勤する人の数が、市外から市内へ通勤する人の数より多いことを示している。2000年の国勢調査によれば、移動人口は、東京都区部、川崎市に対する流出超過となっている。
- 市内総支出
- 市内総支出(=市内総生産)は12兆6814億円。他の政令指定都市との比較では、家計の最終消費支出が大きいことが挙げられ、その額は8兆7137億円と大阪市(5兆4206億円)の1.6倍の規模である。横浜市の民間住宅投資は7372億円で、政令指定都市中第1位。民間企業設備投資は1兆5810億円で、第1位大阪市(2兆7027億円)の約6割の規模。公共投資は5208億円で、名古屋市(5854億円)に次ぐ第2位。
- 労働力・就業者数等(平成17年国勢調査より[85])
- 横浜市の労働力率は62.0%となっている。これは全国平均 (61.5%) 並みで、政令指定市の中では第8位、首位の川崎市 (66.1%) より4.1ポイント少ない。
- また、完全失業者数は97,464人、完全失業率は5.3%となっている。これは政令指定市のうち、広島市 (5.0%)、静岡市 (5.1%) に次いで、3番目に低い。
- 戦後、第1次産業の就業者数、就業者割合は一貫して減っている。第2次産業の就業者数および就業者割合は高度経済成長期に拡大。その後は産業構造の転換により、数の上では増減したものの割合は減少している。第3次産業の就業者数は一貫して増加しており、就業者割合も1960年を除いて常に拡大している。2005年には就業者割合が74.8%に達した。
- 2005年の産業別就業者割合を全国平均と比較すると、農業(全国4.4、横浜0.5)と製造業(全国17.3、横浜13.6)が低く、情報通信業(全国2.6、横浜6.6)とサービス業(全国14.3、横浜17.9)の割合が高くなっている。
- 15歳以上人口 (A):3,063,487人
- 労働力人口 (B):1,834,323人
- 就業者総数:1,736,859人
- 第1次産業:8,935人 (0.5%)
- 第2次産業:378,582人 (21.8%)
- 第3次産業:1,299,538人 (74.8%)
- 完全失業者数 (C):97,464人
- 労働力率 (B/A):62.0%
- 完全失業率 (C/B):5.3%
- 就業者総数:1,736,859人
- 労働力人口 (B):1,834,323人
産業
- 商業
- 事業所数は2万8527(2004年6月1日現在、以下同じ)で、このうち卸売業は6523事業所、小売業は2万2004事業所となっている。従業者数は25万3026人で、うち卸売業は7万480人、小売業は18万2546人。年間商品販売額は9兆3105億円で、卸売業が5兆6889億円、小売業が3兆6216億円。小売業の売場面積は280万9693km2。
- サービス業
- サービス業の事業所数は、4万2566(平成16年サービス業基本調査、以下同じ)。従業者数は39万1346人で、うち常用雇用者数は32万249人。経費総額は4兆5300.75億円で、うち給与支出総額は1兆2464.65億円。設備投資額は1801.20億円。
- 工業
- 製造業に属する事業所数は、2800(平成22年工業統計調査、以下同じ)で、従業者数は10万203人。製造品出荷額等は4兆3807億円、付加価値額は1兆3965億円、有形固定資産投資総額は1178億円となっている。
- 製造品出荷額の業種別構成比では、石油1兆568億円 (24.1%) が最も多く、以下、一般機械6236億円 (14.2%)、輸送機械4998億円 (11.4%)、食料4635億円 (10.6%)、情報機器3593億円 (8.2%)、金属製品2411億円 (5.5%)、飲料1532億円 (3.5%)、電気機械1403億円 (3.2%)、非鉄1099億円 (2.5%)、化学1022億円 (2.3%)、その他14業種6310億円 (14.4%) と続く。
- 明治以降は捺染業が地場産業として発展した。横浜スカーフは、最盛期の1976年には世界の50%、日本国内の90%の生産量を占めた。
- 農業
- 都市化の中にありながら第一次産業である農業も近郊農業として確立し、盛んに行われている。横浜市内の農地面積は3,419ha と神奈川県内最大である。
- 横浜市独自の農業振興策として、市街化調整区域や生産緑地地区などの他に、農業専用地区という都市農業の確立と都市環境を守ることを目的とした地区が定められている。現在26地区、1011ha(うち田畑は613ha)が指定されており、横浜農業の中心として意欲的な農業経営が持続されている。
- 現在ではキャベツ・ホウレンソウ・コマツナ・ジャガイモなどをはじめ、「横浜ブランド農産物」の生産が意欲的に行われている。港北区綱島の桃「日月桃」や保土ケ谷区の「保土ヶ谷いも」など、かつては全国に知られた野菜産地も市内に存在する。
本社を置く主な企業
大手企業は横浜みなとみらい21に本社を設けている。
交通
航空
- 市内に空港はなく、東京都大田区の東京国際空港(羽田空港)もしくは千葉県成田市の成田国際空港(成田空港)が最寄りとなる。アクセス路線として横浜駅東口バスターミナルに隣接する横浜シティ・エア・ターミナル (YCAT) を中心に、市内の各主要駅から両空港へのリムジンバスが発着し、鉄道路線では京急が市内各駅と羽田空港第3ターミナル駅および羽田空港第1・第2ターミナル駅を結ぶ列車、JRが横浜駅と空港第2ビル駅および成田空港駅を結ぶ列車(成田エクスプレスなど)を運行している。
- なお、国際航空運送協会 (IATA) 都市コード YOK を持つ。
船舶
- 横浜港は、開港当初から昭和初期に至るまで、綿花などの原料・鉄類・機械の輸入と、生糸・綿糸・絹織物の輸出を主とし、特に生糸貿易港として発展した。その後、京浜工業地帯の発展に伴い、鉄鋼・機械類・油脂の輸入と、機械類・金属製品・鉄鋼の輸出を主とする工業港となる。現在では、本牧埠頭、大黒埠頭、南本牧埠頭の三つの複合型コンテナ埠頭群が整備され、コンテナ貨物取扱や倉庫物流における日本経済の拠点として重要な役割を担っている[86]。一方では、高島埠頭や、新港埠頭はその役割を終えて、みなとみらい地区として再整備され、新たな港湾機能の役割を担っている。また、山下埠頭もバルク貨物のコンテナ輸送移行に伴いその役割を終えつつあり、新山下地区再整備構想のなかで、新たな横浜都心の整備エリアとしての構想が出されている。横浜港は、日本有数の貿易港となり、東京港と併せて京浜港として指定特定重要港湾(スーパー中枢港湾)に指定されている[87]。また横浜港は、明治以来、海外渡航者の海路玄関口の一つとして、大さん橋や新港埠頭に多くの客船や移民船が出入りした。1960年代以降は外国航路が空路に替わり、国内フェリー航路の中心が東京港を中心に発展したことや、1970年代前半のオイルショックにより海運会社が貨客船による船客輸送を減少させたことから、客船ターミナルとしての役割は減衰し始めた。しかし1960年代後半から1990年代前半まで旧ソ連極東船舶公社がナホトカ定期航路を開設し維持したことが横浜港の海外渡航機能としての役割を維持した。また東海汽船により伊豆諸島への旅客港としての航路も維持している。
- 1990年代になると、日本国内でクルーズ客船による船旅が活発化し始め、クルーズ客船も大型化が著しくターミナルも老朽化したことから、2002年(平成14年)6月に大さん橋国際客船ターミナルが新装オープンした。また横浜市もクルーズ客船の寄港誘致に積極的に取り組んだ結果、横浜港への日本船籍のクルーズ客船の寄港回数は2003年度に国内1位になり、現在まで国内1位を続けている[注釈 16][88]。
- 一方乗降客数では、2007年から2008年現在、外国航路の定期路線が存在せず、国内航路は伊豆諸島への定期航路しかないため、国内主要旅客港との乗降客数の比較では、中国への定期客船航路を持つ大阪港や神戸港、国内フェリー航路を持つ東京港のより低い数値となっている。横浜港へのクルーズ客船寄港が大きな経済波及効果を伴うことと、クルーズ旅行そのものが、先進国の富裕層の指標ともなっており、中長期的に増加が見込まれることから、横浜市や横浜港にとってクルーズ客船寄港促進は、同じく経済波及効果の高いコンテナ船寄航促進と並び、重要な課題となっている。
- 横浜港遊覧
鉄道路線
|
|
- 横浜市営地下鉄(横浜市交通局)
- 横浜市営地下鉄ブルーライン(湘南台駅以外全線)
- 横浜市営地下鉄グリーンライン(全線)
- 横浜シーサイドライン
- 金沢シーサイドライン(全線)
- 備考
-
- 市内のJRの駅は、JRの特定都区市内制度の「横浜市内」駅として扱われる。(なお、「横浜市内」駅には川崎市内の一部JR駅も含む)
- 横浜駅は西区の中央駅でもあるが、横須賀線ホームの一部が神奈川区に跨る。
- 横須賀線および京浜東北線は運転系統上の名称であり、線路名称上は東海道本線に属する。そのため、線路名称上市内を通るJRの在来線は東海道本線・根岸線・横浜線・南武線・鶴見線の計5路線である。
- 京浜東北線と根岸線は常時相互直通運転。
- 横浜線の一部列車は東神奈川駅から根岸線に乗り入れる。
- 西隣の鎌倉市に所在する大船駅の東側一部が栄区に跨る。(上記「横浜市内」駅には含まれない)
- 弘明寺駅は京急と地下鉄の2つがあるが、距離が大きく離れているため、乗換駅ではない。
路線バス
各事業者の運行子会社は省略。
- 横浜市営バス - 旧市街地を中心に市域の約5割をカバー。一部路線を神奈中など民営に移管中。また、一部の運行業務を、横浜交通開発に委託している。(車両は、横浜市営バスのものを使用)
- 京浜急行バス - 金沢区・磯子区中心。京急グループ。
- 川崎鶴見臨港バス - 鶴見区中心。京急グループ。
- 東急バス - 港北区鶴見川以北・都筑区・青葉区中心。東急グループ。
- 江ノ電バス横浜 - 港南区笹下地区、磯子区西南部、戸塚区JR以東および栄区豊田地区中心。江ノ島電鉄の事業子会社、小田急グループ。
- 小田急バス - 青葉区の一部に乗り入れる形。小田急グループ。
- 神奈川中央交通 - 戸塚区・栄区・泉区・瀬谷区・港南区・旭区・緑区・青葉区のJR以南中心。小田急グループ。
- 相鉄バス - 相鉄沿線・中区・西区・神奈川区・戸塚区の一部。相鉄グループ。
- 大新東バス - 金沢区南部の分譲地限定。
- フジエクスプレス - 2007年4月1日より横浜市営バス134系統を全便移譲の上、一部運行経路を変更(桜木町駅〜中区本牧地区循環線)して運行を開始する。富士急行グループ。
- 川崎市バス - 久末団地線の高田町 - 久末団地間のみ横浜市に乗り入れ。
乗車方法は、走行地域や運行会社により異なる。市営バス・臨港バス・東急バス・小田急バス・フジエクスプレス・大新東バスは前乗り後降り先払いで、区間制の路線であっても整理券は使用せず、乗車時に行き先を乗務員に告げて所定の運賃を支払う。京急バス・相鉄バス・江ノ電バス・神奈中バスは前乗り後降りの路線と後乗り前降りの路線があるが、これは地域(均一制か区間制)によって異なる(後述)。なお、神奈中バスでは主として戸塚以西で前乗り前降りの路線も存在する。後乗り前降りと前乗り前降りの路線はいずれも後払いであり、整理券方式を採っている。
運賃は、均一制で設定されている地域と、区間制で設定されている地域がある。後者は主として金沢区・戸塚区・泉区・栄区・瀬谷区および旭区の大部分と緑区の一部であり、それ以外の地域は均一制となっている。
- 境界バス停
- 寬政・京町三丁目・池田一丁目・南幸町・末吉橋西詰・鷹野大橋・江川町・井田坂・蟹ヶ谷・道中坂下・すみれが丘公園・美しが丘三丁目・美しが丘西一丁目・保木・すすき野団地・すすき野二丁目・早野・三輪緑山二丁目
- (以上、川崎運賃との境界)
- 杉山神社前・長津田駅・公園前・若葉台西・大貫橋・緑警察署前・都岡辻・今宿・二俣川駅北口・万騎が原大池・環2今井・星川ランプ・富士見橋・さかえ橋・東戸塚駅東口・不動坂・戸塚駅東口・港南車庫入口・日野南中学校前・元大橋公園前・横浜栄高校前・市民の森入口・上の前・杉田・慶珊寺前・東柴町
- (以上、区間制運賃(武相運賃地区)との境界。これより内側が均一制運賃となる)
※川崎鶴見臨港バスの尻手駅前 - 末吉橋・江ヶ崎間および矢向駅前バス停は横浜市内にあるが川崎運賃となる。江ヶ崎・江ヶ崎八幡の両バス停は同じ臨港バスでも三角線は横浜運賃であるため運賃が混在する。
※川崎市バスの高田町 - 久末団地間は横浜運賃を採用していたが、2007年3月31日より川崎運賃に変更された。
道路
横浜市は「横浜国際港都建設法」により、日本の代表的な国際港都であるべきことが目的として掲げられている(法第1条)。そのため、国際港都にふさわしい都市計画として「横浜国際港都建設計画」を定めることになっており、その道路事業が「横浜国際港都建設計画道路事業」として計画されている。
しかし道路整備率は13大都市間で最低位である。戦後比較的早期に「横浜国際港都建設計画道路事業」として策定され、その後も都市計画法制定まで多数の計画路線が追加されたが、事業着手され全線完成した路線は少ない。直近でも「ゆめはま2010プラン」1994-2010や「横浜中期政策プラン」2002-2006、「中期計画」2007-2010等で横浜都心迄30分の交通体系整備を実現させる3環状10放射からなる主要計画があるが、全線完成したのは2路線に過ぎない。市内の都市計画道路の整備率は、2009年3月31日時点で計画延長688.93kmに対し、整備済446.37kmであり、整備率は64.8%である。
- 3環状
- 10放射
- 高速自動車国道:東名高速道路
- 横浜青葉IC - 横浜町田IC
- 高規格幹線道路:首都圏中央連絡自動車道
- 地域高規格道路
- 第三京浜道路(都筑IC - 港北IC - 羽沢IC - 保土ヶ谷IC)
- 国道1号横浜新道(保土ヶ谷IC - 常盤台IC - 峰岡IC - 星川IC - 藤塚IC - 新保土ヶ谷IC - 今井IC - 川上IC - 上矢部IC - 戸塚終点)
- 国道16号横浜新道(新保土ヶ谷IC - 狩場IC)
- 横浜横須賀道路本線(狩場IC - 別所IC - 日野IC - 港南台IC - 朝比奈IC)
- 横浜横須賀道路金沢支線(堀口能見台IC - 並木IC)
- 核都市広域幹線道路
- 保土ヶ谷バイパス(新保土ヶ谷IC - 新桜ヶ丘IC - 南本宿IC - 本村IC - 下川井IC - 上川井IC)
- 首都高速道路
- K1 神奈川1号横羽線(浅田出入口 - 汐入出入口 - 生麦出入口 - 守屋町出入口 - 子安出入口 - 東神奈川出入口 - 横浜駅東口出入口 - みなとみらい出入口 - 横浜公園出入口)
- K2 神奈川2号三ツ沢線(横浜駅西口出入口 - 三ツ沢出入口)
- K3 神奈川3号狩場線(新山下出入口 - 山下町出入口 - 石川町出入口 - 阪東橋出入口 - 花之木出入口 - 永田出入口)
- K5 神奈川5号大黒線
- B 湾岸線(大黒ふ頭出入口 - 本牧ふ頭出入口 - 三溪園出入口 - 磯子出入口 - 杉田出入口 - 幸浦出入口)
- 横浜藤沢線
- 環状2号線
- 横浜北部放射連絡道路
- 一般国道
- 国道1号(第二京浜、東海道)
- 国道15号(第一京浜、東海道)
- 国道16号(東京外環)
- 国道246号(厚木街道)
- 国道357号(東京湾岸道路)
- 主要地方道
- 神奈川県道2号東京丸子横浜線
- 神奈川県道6号東京大師横浜線
- 神奈川県道12号横浜上麻生線
- 神奈川県道13号横浜生田線
- 神奈川県道14号鶴見溝ノ口線
- 神奈川県道21号横浜鎌倉線
- 神奈川県道22号横浜伊勢原線
- 神奈川県道23号原宿六ツ浦線
- 神奈川県道30号戸塚茅ヶ崎線
- 神奈川県道40号横浜厚木線
- 神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線
- 環状2号線
- 環状4号線(一部)
- 横浜市主要地方道80号横浜駅根岸線
- 横浜市主要地方道81号藤棚伊勢佐木線
- 横浜市主要地方道82号山下本牧磯子線
- 横浜市主要地方道83号青木浅間線
- 横浜市主要地方道84号保土ヶ谷宮元線
- 横浜市主要地方道85号鶴見駅三ツ沢線
文化施設
- ホール・集会場
- 図書館
- 博物館
- 中区を中心に多数存在。
- 美術館
- 公民館
- 横浜市では「地区センター」、「コミュニティハウス」が相当する。各区に数箇所存在。
- スポーツ施設
- 横浜武道館
- スポーツセンター - すべての区に存在する。
教育
市域に設置されている幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、専修学校、および各種学校の数は、下表の通り(いずれも平成24年度神奈川県学校基本調査結果(速報)[90])。各種学校等の外国人学校は9校設置されている[91]。校名等は、各区の記事を参照のこと。
学校種 | 総数 | 国立 | 県立 | 市立 | 私立 |
---|---|---|---|---|---|
幼稚園 | 286 | - | - | - | 286 |
小学校 | 356 | 1 | - | 345 | 10 |
中学校 | 181 | 1 | - | 149 | 31 |
高等学校 | 91 | - | 46 | 9 | 36 |
中等教育学校 | 2 | - | - | - | 2 |
特別支援学校 | 22 | 1 | 7 | 12 | 2 |
専修学校 | 61 | - | 2 | - | 59 |
各種学校 | 11 | - | - | - | 11 |
大学・短期大学
大学は21校、短期大学は2校設置されている。高等専門学校は設置されていない[92]。校名一覧は下表の通り(太字は本部所在校)。
大学 | 国立 | |
---|---|---|
公立 | ||
私立 | ||
短期大学 | 私立 |
学校教育以外の教育施設
- 自動車学校
- 青葉自動車学校、神奈川ドライビングスクール、鎌倉自動車学校、鴨居自動車学校、KANTOモータースクール横浜西口校、菊名ドライビングスクール、京急上大岡自動車学校、コヤマドライビングスクール綱島、湘南平塚モータースクール、新鶴見ドライビングスクール、鶴ヶ峰自動車学校、日吉自動車学校、南横浜自動車学校、横浜自動車学校
- 神奈川労働局長登録教習機関
- 杉孝
- 登録小型船舶教習所
- 小型船舶免許センター
職業訓練
公共職業能力開発施設として、職業能力開発短期大学校が2校設置されている。
- 職業能力開発短期大学校
- 独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構立
- 県立
- 神奈川県立産業技術短期大学校
自治体間交流・国際交流
自治体間交流
山梨県道志村との交流
横浜市は山梨県南都留郡の道志村と友好・交流に関する協定を結んでいる[93]。横浜市が上水道用水を頼る道志川上流の道志村には、横浜市水道局の水源林がある[94]。
- 友好・交流に関する協定
- 横浜市と道志村の友好・交流に関する協定書(2004年(平成16年)6月22日調印)-「市民と村民が相互に活発な交流を進め、持続的な友好交流が行われるよう努める」ことなど、3項目に合意。
- 「横浜市民ふるさと村」に関する覚書(2004年(平成16年)6月22日調印)- 道志村を「横浜市民ふるさと村」とすることなど、3項目に合意。
再生可能エネルギーの活用
2019年2月6日には、再生可能エネルギーで発電した電力の供給を受けるための連携協定を東北地方12市町村を結んだ。地球温暖化抑制を目的としている[95]。
国際交流
姉妹都市など
横浜市は7都市と姉妹都市提携、1都市と友好都市提携し、7都市とパートナー都市提携している[96][97]。また、横浜港は3港と姉妹港提携、2港と友好港提携し、1港と貿易協力港提携している[98]。
- 姉妹都市
- サンディエゴ(アメリカ合衆国)- 1957年(昭和32年)10月29日提携
- リヨン(フランス共和国)- 1959年(昭和34年)提携
- ムンバイ(インド)- 1965年(昭和40年)6月26日提携
- オデッサ(ウクライナ)- 1965年(昭和40年)7月1日提携
- バンクーバー(カナダ)- 1965年(昭和40年)7月1日提携
- マニラ(フィリピン共和国)- 1965年(昭和40年)7月1日提携
- コンスタンツァ(ルーマニア)- 1977年(昭和52年)10月12日提携
- 友好都市
- パートナー都市
- ホーチミン市(ベトナム社会主義共和国)- 2007年(平成19年)10月23日提携
- 北京市(中華人民共和国)- 2006年(平成18年)5月17日提携
- 台北市(中華民国)- 2006年(平成18年)5月22日提携
- 釜山広域市(大韓民国)-2006年(平成18年)6月26日提携
- ハノイ市(ベトナム社会主義共和国)-2007年(平成19年)11月16日提携
- 仁川広域市(大韓民国)-2009年(平成21年)12月23日提携
- フランクフルト市(ドイツ)- 2011年(平成23年)9月27日提携
- 姉妹港
- オークランド港(アメリカ合衆国)- 1980年(昭和55年)5月2日姉妹港提携
- バンクーバー港(カナダ)- 1981年(昭和56年)5月15日姉妹港提携
- ハンブルク港(ドイツ)- 1992年(平成4年)10月27日姉妹港提携
- 友好港
- 貿易協力港
総領事館など
横浜市には、大韓民国が総領事館を置き、中華民国が台北駐日経済文化代表処を置いている他、5ヶ国が名誉領事館を置いている。1975年(昭和50年)前後までは、米国、英国、フランスなども横浜に総領事館を置いていた。
- 総領事館など
- 在横浜大韓民国総領事館(中区山手町)
- 台北駐日経済文化代表処横浜分処(中区日本大通り)
- 外国政府事務所
- 米国国務省日本語研修所(アメリカ合衆国)
- アセンダス日本代表事務所(政府系企業、シンガポール)
- テネシー州政府日本事務所(アメリカ合衆国)
- ミシシッピ州政府駐日代表事務所(アメリカ合衆国)
- フィリピン・インク(経済団体、フィリピン)
- ホーチミン市人民委員会サイゴン商業公社駐日事務所(ベトナム社会主義共和国)
- 名誉領事館
- 在横浜エルサルバドル共和国名誉総領事館(中区本町)
- 在横浜グアテマラ共和国名誉領事館(青葉区美しが丘)
- 在横浜ブルガリア共和国名誉領事館(神奈川区入江)
- 在横浜ベネズエラ・ボリバル共和国名誉領事館(中区山下町)
- 在横浜ルーマニア名誉領事館(中区本牧三之谷)
海外事務所
横浜市は、ドイツのフランクフルトと中華人民共和国の上海(公益財団法人横浜企業経営支援財団が運営)、インドのムンバイ、アメリカ合衆国のニューヨークに海外事務所を置いている。かつては、マレーシアのクアラルンプール(2003年(平成15年)6月末に閉鎖)、ロサンゼルス(2007年(平成19年)10月に設置、2010年(平成22年)3月末に閉鎖)にも海外事務所を置いていた。
- (公財)横浜企業経営支援財団上海事務所 - 1987年(昭和62年)10月開設
- 横浜市フランクフルト事務所 - 1997年(平成9年)6月開設
- 横浜市ムンバイ事務所 - 2015年(平成27年)11月開設
- 横浜市米州事務所(ニューヨーク) - 2018年(平成30年)11月開設
その他の連携協定
2011年(平成23年)4月26日、横浜市は国際的な生物多様性の取り組みを発展させることを目的として、国連大学高等研究所 (UNU-IAS) と生物多様性に関する連携協定を締結した[99]。
出身・関連著名人
横浜市を舞台とした作品
- 横浜市歌
- 作詞・森林太郎(森鷗外)、作曲・南能衛
- 1909年(明治42年)に、開港50周年を記念して作られた。なお、各区の歌は区の記事を参照。
- 横浜音頭
- 山野芋作(長谷川伸)による同名の小説がある。後に舞台化され1913年(大正3年)に横浜座で初演。
- いいね!横浜G30
- 作詞・駒井瞭、作曲・横山剣(クレイジーケンバンド)
- 2002年度から2010年度まで行われた、横浜市環境事業局(現在は資源循環局)「ヨコハマはG30」タイアップ曲。横浜市内では、この他3曲とともにごみ収集時に流される[101]。
- 使用当初は原曲のまま(歌詞付き)使用されていたが、その後電子音によるアレンジを使用している。
- 横浜が舞台の楽曲
- 横浜を歌ったご当地ソングは数多くある。1998年(平成10年)1月3日放送の「出没!アド街ック天国」で紹介された「全国名曲の街ベスト50」では、第1位は横浜(ブルー・ライト・ヨコハマ)だった。
- 横浜市磯子区岡村出身のゆずは横浜を舞台とした曲が多数ある。横浜アリーナ(港北区)、横浜文化体育館(中区)を聖地としている。2020年4月25日の開業が予定されているぴあアリーナMMではこけら落し公演をゆずが全国アリーナツアーの一環で行う予定。
主要な曲目については神奈川県のご当地ソング一覧#横浜を参照。
マスコット
横浜市には数多くのマスコットキャラクター(ゆるキャラ)が存在する。
イベントの キャラクター |
たねまる(横浜開港150周年)- toMtoM21(トムトム21、市政100周年横浜市泉区地域イベント)-ブルアちゃん(横浜博覧会)-ハマこい君(ヨコハマカーニバル) |
---|---|
行政機関の キャラクター |
はまりん(交通局)- はまピョン(水道局)- ハマサイ(行政運営調整局・横浜市債マスコット)- とつか再開発くん(都市整備局・戸塚駅西口再開発事業)- へら星人ミーオ(資源循環局「ヨコハマはG30」)- イーオ(資源循環局「横浜3R夢!」)[102]- クリーンバード(資源循環局のシンボルマーク)- ふや星人ゴミーオ(資源循環局・中事務所)- にこりん(コールセンター)- イコットちゃん(選挙管理委員会)- イコットJr.(選挙管理委員会)- だいちゃん(環境創造局)- はま菜ちゃん(環境創造局)- エコぽん(環境創造局)- ひだまりちゃん(こども青少年局)- すくすくん(こども青少年局)- ハマくん(消防局)- みんなのアース君(地球温暖化対策事業本部地球温暖化対策課) |
区での キャラクター |
ワッくん(鶴見区)- かめ太郎(神奈川区)- にしまろちゃん(西区)- スウィンギー(中区)- みなっち(南区)- こう・なん・くぅ(港南区)- かるがも隊(保土ケ谷区)- あさひくん(旭区)- てっくるちゃん(旭区・グリーンロードシンボルマーク)- いそっぴ(磯子区、磯子まつりマスコット)- ミズキー(港北区)- なしかちゃん(青葉区)- えら坊(青葉区選挙管理委員会)- ミドリン(緑区)- ウナシー(戸塚区)- ララ・ミミ・キキ(戸塚区・とつか緑と暮らそうキャンペーン)- せやまる・このは家族(瀬谷区)- いっずん(泉区)- タッチーくん(栄区、いたち川マスコット)- ぼたんちゃん(金沢区)- どぼくねこ(港北土木事務所)- あいちゃん(都筑区・地域福祉保健計画マスコット) |
その他 | いこあら(金沢区明るい選挙推進協議会)- ヨッチー(横浜市立大学)- キャプテンわん(横浜市スポーツ協会)- みどりちゃん(横浜市緑の協会.※ミドリ電化のミドリちゃんとは無関係) |
ナンバープレート
横浜市は、横浜ナンバー(神奈川運輸支局)を割り当てられている。
- 横浜ナンバー割り当て地域
- 横浜市・鎌倉市・逗子市・横須賀市・三浦市・三浦郡(葉山町)
脚注
注釈
- ^ 徽章は横浜港開港50周年を記念して、市民からの公募により制定(明治42年6月5日告示第44号)。「ハマ」の2文字が図案化されている。公式には、この意匠を「ハマ菱」という(「交通局徽章設定ノ件」(大正10年2月25日)、横浜市功労章に関する規則(昭和30年3月5日規則第7号)別図)
- ^ 関内地区の中区港町一丁目1番地には横浜市役所が、中区日本大通1番地には神奈川県庁がある。
- ^ 武蔵国久良岐郡に属する。「横浜」の名は、海から見たとき「横に長い浜」であることに由来するとされる[28]。櫻井澄夫や鏡味明克(横浜地名研究会会長)によれば、古語の「ヨコ」の用例から「長い浜」であることに由来し、大浜や長浜とほぼ同義であるという[29]。
- ^ 横浜村は、安政6年(1859年)に横浜町となり、1878年(明治11年)には郡区町村編制法の施行により横浜区になっていた。
- ^ 横浜市立学校の管理運営に関する規則(昭和59年教育委員会規則第4号)4条1項8号は、小中学校における休業日として「開港記念日 6月2日」と定めている。
- ^ 従来、開港記念日は旧暦に合わせて6月2日としてきたが、このとき新暦に合わせて7月2日とした。しかし、1928年(昭和3年)には6月2日に再変更され、現在に至っている。
- ^ 関東大震災による死者は2万人余で人口比にして東京の約2倍 (5.4%)、全壊家屋は6万戸。
- ^ 横浜大空襲による被害は、死者3,787人、重傷者1,554人、軽傷者10,837人、罹災者313,144人、罹災戸数79,350戸に及ぶ(「神奈川県下の空襲被害状況」 (PDF) 、『神奈川県警察史(中巻)』より、横浜市行政運営調整局総務部法制課)。
- ^ 横浜は連合国軍によって、港湾施設の90%、市街地の27%が接収された。接収された土地の面積は918万m2、建物は96万m2に上る。また、横浜の接収は、沖縄県を除く全国の接収土地面積の70%、接収建物の61%を占め、その6割は継続接収であった。
- ^ 以下、いずれも2015年(平成27年)10月1日現在。
- ^ 2007年(平成19年)4月の地方自治法改正により。
- ^ 会計間で相互にやりとりする重複部分を除いた純計。
- ^ 市議会を地方自治法規定外の通称である「市会」と称する慣習は、他の五大都市にも見られる。
- ^ 詳しい表記などは、「横浜市の町名一覧(平成18年11月1日現在)」(横浜市市民活力推進局区政支援部窓口サービス課、2007年1月5日更新)を参照。
- ^ 交通の便が良いため、コンサート、ライブ等は多数開催されている。横浜市出身の人物一覧で見られるように、輩出している芸能人は多いものの地元への定着性は低い。これは、地元密着のマスコミが少ないためであり、東京を除く関東広域圏共通の傾向でもある(詳しくはローカルタレントの項を参照)。
- ^ 2006年(1月〜12月)の日本船籍客船の寄港回数は、131回で4年連続国内1位。
出典
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- ^ “港湾別貿易額ランキング”. 国土交通省. 2020年2月19日閲覧。
- ^ 1980年(昭和55年)に緑区長津田町と旭区上川井町から一部を編入した、卸本町の一部を除く。
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- ^ 横浜市Q&Aよくある質問集
参考文献
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- 「図説・横浜の歴史」編集委員会 『図説〈横浜の歴史〉市政一〇〇周年 開港一三〇周年』 横浜市市民局市民情報室広報センター、1989年。
関連項目
- 企業・団体
- 歴史
- その他
- 一覧
- Category:横浜市
- 横浜市出身の人物一覧
- 横浜で始まる記事一覧
- 横浜市で始まる記事一覧
- 神奈川県のシンボル一覧
- 神奈川県のマスコットキャラクター一覧
- 神奈川県中学校一覧
- 神奈川県のご当地ソング一覧
- 神奈川県で始まる記事一覧
- 日本の地方公共団体一覧
- 日本の市町村の廃置分合
外部リンク
- 横浜市に関連する地理データ - オープンストリートマップ
- ウィキトラベルには、横浜市に関する旅行ガイドがあります。
- 公式ウェブサイト
- 横浜市広報課 (@yokohama_koho) - X(旧Twitter)
- 横浜市総務局危機管理室 (@yokohama_saigai) - X(旧Twitter)
- 横浜市 - DMOZ
- 地図 - Google マップ
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