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==人物==
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フランス文学者の[[山田珠樹]]と、後に[[作家]]となる[[森茉莉]]の長男として[[東京]]に生まれる。母方の祖父は作家の[[森鴎外|森鷗外]]、祖母はその後妻の[[森志げ]]。曾祖父に[[大審院判事]]の[[荒木博臣]]がいる。その後両親が離婚。茉莉の最晩年、一緒に住もうとしていたとされるが、母との関係はいまだ明らかにされていない。
フランス文学者の[[山田珠樹]]と、後に[[作家]]となる[[森茉莉]]の長男として[[東京]]に生まれる。母方の祖父は作家の[[森外]]、祖母はその後妻の[[森志げ]]。曾祖父に[[大審院判事]]の[[荒木博臣]]がいる。その後両親が離婚。茉莉の最晩年、一緒に住もうとしていたとされるが、母との関係はいまだ明らかにされていない。


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[[成蹊高等学校 (旧制)|旧制成蹊高等学校]]卒業後、[[東京大学|東京帝国大学]]仏文科を[[1944年]][[9月]]に繰り上げ卒業。[[1946年]][[同志社大学]]勤務の後、[[1948年]]から[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]、[[東京大学大学院総合文化研究科・教養学部|東京大学教養学部]]勤務、[[1964年]][[東京大学大学院人文社会系研究科・文学部|東京大学文学部]]仏文科に配置換え、教授を務める。[[1981年]]定年退官、名誉教授、[[成城大学]]教授。[[1991年]]、退職。[[1993年]]死去。満72歳歿。
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==その他==
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[[高田文夫]]とは縁戚(高田の妻と山田の息子・礼於の妻が姉妹)。
[[高田文夫]]とは縁戚(高田の妻と山田の息子・礼於の妻が姉妹)。

2020年6月18日 (木) 10:51時点における版

山田 𣝣[1](やまだ じゃく、1920年11月3日[2] - 1993年6月21日)は、日本フランス文学者

人物

フランス文学者の山田珠樹と、後に作家となる森茉莉の長男として東京に生まれる。母方の祖父は作家の森鷗外、祖母はその後妻の森志げ。曾祖父に大審院判事荒木博臣がいる。その後両親が離婚。茉莉の最晩年、一緒に住もうとしていたとされるが、母との関係はいまだ明らかにされていない。

旧制成蹊高等学校卒業後、東京帝国大学仏文科を1944年9月に繰り上げ卒業。1946年同志社大学勤務の後、1948年から第一高等学校東京大学教養学部勤務、1964年東京大学文学部仏文科に配置換え、教授を務める。1981年定年退官、名誉教授、成城大学教授。1991年、退職。1993年死去。満72歳歿。

ギュスターヴ・フローベールが専門で、蓮實重彦の師としても知られ、「お前ら、感情教育を知ってるか。感情教育ってのは終わらねえんだ」と言ったとされる[3]

鹿島茂も“山田𣝣先生の授業はたいへんな名調子で、その声を聞き、顔を眺めているだけで気持ちがよかった。話の最後を「......なのであります」と終えるくせには大きな影響を受け、いまでも講義をしている知らず知らずのうちに「𣝣調」が出てくる”と書いている[4]

著書

  • フランス文学万華鏡 白水社, 1994

訳書

編著

その他

名前の「𣝣」は母方の祖父・森鷗外の命名によりフランス語の男性名 “ジャック”(Jacques)を写したものである[5]

高田文夫とは縁戚(高田の妻と山田の息子・礼於の妻が姉妹)。

脚注

  1. ^ 𣝣」/ 数値文字参照:[&#38960;]。「爵」の古体(「つめかんむり」ではなく「きかんむり」になっている)。
  2. ^ 『現代日本人名録』1987年
  3. ^ 蓮實『表層批評宣言』ちくま文庫の年譜。
  4. ^ 鹿島茂『クロワッサンとベレー帽-ふらんすモノ語り 』(中公文庫)「顔で決まった仏文専攻」。
  5. ^ 山田礼於が演出を手がけた『孫のナマエ〜鷗外パッパの命名騒動7日間』(NHK BSプレミアム2014年7月23日放送)というドラマで、孫の命名に関するエピソードが描かれた。ここで鷗外は「伯爵」などの「爵」ではなく、「」の「𣝣」から採ったとしている。