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:作詞は川上清吉、作曲は長岡敏夫による。歌詞は4番まである。歌詞に校名は登場しない。1番に「[[西周 (啓蒙家)|西周]]」、「[[森 |
:作詞は川上清吉、作曲は長岡敏夫による。歌詞は4番まである。歌詞に校名は登場しない。1番に「[[西周 (啓蒙家)|西周]]」、「[[森鷗外]]」が登場する。 |
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== 沿革 == |
== 沿革 == |
2020年6月18日 (木) 10:58時点における版
島根県立津和野高等学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 島根県 |
学区 |
全県学区 (全国募集あり) |
併合学校 |
島根県立津和野第一高等学校 島根県立津和野第二高等学校 |
設立年月日 | 1908年(明治41年)9月5日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 32131B |
所在地 | 〒699-5605 |
島根県鹿足郡津和野町後田ハ12-3 北緯34度27分40.2秒 東経131度46分9.37秒 / 北緯34.461167度 東経131.7692694度座標: 北緯34度27分40.2秒 東経131度46分9.37秒 / 北緯34.461167度 東経131.7692694度 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
島根県立津和野高等学校(しまねけんりつつわのこうとうがっこう, Shimane Prefectural Tsuwano High School)は、島根県鹿足郡津和野町に所在する公立の高等学校。略称「津高」(つこう)。
概要
- 歴史
- 1908年(明治41年)に開校した「鹿足郡立高等女学校」を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革の際に新制高等学校「島根県立津和野第二高等学校」(女子校)が発足した翌年、旧制中学校を前身とする「島根県立津和野第一高等学校」(男子校)と統合され、男女共学の「島根県立津和野高等学校」(現校名)となった。2013年(平成25年)に創立105周年を迎える。
- 教育目標
-
- 学業に情熱を傾け、真実を追求する態度を養う。
- 個性を生かし、自主自立の精神を養う。
- 健康に心掛け、明るく豊かな心と情操を育てる。
- 勤労に重んじ、博愛奉仕の精神を育てる。
- 学業尚び、独創的で視野の広い人間を育成する建学の精神を維持する。
沿革
- 前史
- 高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
- 1908年(明治41年)- 「養老館」の教育精神を継承し、藩校の跡地に「鹿足郡立高等女学校」が開校。
- 1922年(大正11年)4月1日 - 県立移管の上、「島根県立津和野高等女学校」と改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 本科卒業生を対象に補習科を設置。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 補習科を廃止し、その代わりに専攻科を設置。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
- 高等女学校の生徒募集を停止(1年生不在)。
- 新制中学校を併設し(名称:島根県立津和野高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず(1年生不在)、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 高等女学校3・4年生はそのまま高等女学校に在籍し、それぞれ4年生・専攻科生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
- 高等女学校が廃止され、新制高等学校「島根県立津和野第二高等学校」(女子校)が発足。
- 高等女学校専攻科修了者を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は新制高校に継承され(名称:島根県立津和野第二高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 高等女学校が廃止され、新制高等学校「島根県立津和野第二高等学校」(女子校)が発足。
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止(旧制4・5年から新制3年への修業年限の移行が完了)。
- 旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
- 1925年(大正14年)4月1日 - 「島根県立津和野中学校」(修業年限5年)が開校。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この年の入学生から修業年限が4年に短縮される。
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る(4年で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
- 旧制中学校の生徒募集を停止(1年生不在)。
- 新制中学校を併設し(名称:島根県立津和野中学校併設中学校、以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず(1年生不在)、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年生はそのまま旧制中学校に在籍し、それぞれ4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
- 旧制中学校が廃止され、新制高等学校「島根県立津和野第一高等学校」(男子校)が発足。
- 旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は新制高校に継承され(名称:島根県立津和野第一高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 旧制中学校が廃止され、新制高等学校「島根県立津和野第一高等学校」(男子校)が発足。
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止(旧制4・5年から新制3年への修業年限の移行が完了)。
- 新制高等学校(男女共学)
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 高校三原則に基づく島根県内公立高校の再編により、上記2校が統合され、男女共学の「島根県立津和野高等学校」(現校名)が発足。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 商業科を新設。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 家庭科を新設し、普通科・商業科・家庭科の3科を有する総合制高等学校となる。
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 定時制六日市分校を設置。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 定時制六日市分校を島根県立益田産業高等学校七日市分校(現・島根県立吉賀高等学校)に移管・統合。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 家庭科の募集を停止。
- 1965年(昭和40年)3月31日 - 家庭科を廃止。
- 1975年(昭和50年)- 新校舎が完成。
- 1979年(昭和54年)- 新寄宿舎「つわぶき寮」を開寮。
- 1990年(平成2年)8月 - 第72回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)に初出場。
- 1999年(平成11年)- 高校魅力アップ事業「津和野学'99」スタート
- 2003年(平成15年)4月1日 - 商業科の募集を停止。
- 2005年(平成17年)3月31日 - 商業科を廃止。
- 2008年(平成20年)9月 - 創立100周年記念式典を挙行。
部活動
- 運動部
- 文化部