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新三役となった5月場所は、大関以上の相手には照ノ富士にしか勝てず1勝6敗だったが、関脇以下では逸ノ城以外全勝と強さを発揮して千秋楽の栃煌山戦で勝ち越しを決めた。 |
新三役となった5月場所は、大関以上の相手には照ノ富士にしか勝てず1勝6敗だったが、関脇以下では逸ノ城以外全勝と強さを発揮して千秋楽の栃煌山戦で勝ち越しを決めた。 |
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翌7月場所は東関脇に番付を更新、師匠の定年までに関脇昇進を果たす形となった。成績は序中盤では2[[不戦勝]](後述)に恵まれるなど健闘したが、終盤で負けが込み7勝7敗で迎えた千秋楽、同じく7勝7敗の大関・[[照ノ富士春雄|照ノ富士]]に敗れ7勝8敗<ref>この勝利により、照ノ富士は辛うじて[[角番|カド番]]を脱出した。</ref>で場所を終えた。小結で迎えた翌9月場所も6勝9敗と負け越し。4場所ぶりの平幕で迎えた翌11月場所では3日目に白鵬に敗れ、'''大相撲史上3人目となる通算1000勝目を献上'''してしまった。以降も著しい不調に陥り、自身初となる初日から10連敗、終盤に挽回したものの3勝12敗で場所を終えた。翌2017年1月場所は前頭9枚目と大きく番付を落として臨んだ。中盤に負けが込み、10日目終了時点で7敗と勝ち越しに後が無くなったが、そこから5連勝で8勝7敗と勝ち越した。翌3月場所は場所前に右膝前十字靱帯断裂・右膝外側半月板損傷の大けがを負い当場所を全休する見込みだったが、全休すると十両落ちが必至となる番付だった関係上、6日目から強行出場。膝の踏ん張りが全く効かない状態で苦しんだが、3勝を挙げ十両落ちを回避した。しかし翌5月場所も、9日まで6勝3敗と好調の状態から終盤で負けが込み、最終的に7勝8敗と負け越し、31場所連続で務めた幕内からの陥落が決定した。東十両筆頭で迎えた翌7月場所は、初日から8連勝中であった[[朝乃山]]と9日目に対戦してがっぷりの右四つで土を付け幕内常連の力士としての力量を見せつけ、以降も白星を重ね11日目に早くも勝ち越し、翌9月場所の幕内復帰を確定させた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2017/07/17/kiji/20170717s0005000212000c.html 朝乃山に初めて土 魁聖と真っ向勝負も「重かったです」] Sponichi Annex 2017年7月17日 16:11</ref>。10勝4敗で迎えた千秋楽に勝てば[[豊山亮太|豊山]]・朝乃山・[[大奄美元規|大奄美]]と4人で優勝決定戦を戦うことができたが、[[竜電剛至|竜電]]に敗れてしまった。西前頭13枚目に帰り咲いた翌9月場所は4場所ぶりの幕内での勝ち越しとなる9勝を挙げ、復調をアピールした。以降も勝ち越しを続け、2018年3月場所は東前頭6枚目まで番付を戻し、場所前には変幻自在な取り口の弟弟子・[[旭大星託也|旭大星]]らと充実した稽古で落ちた力を取り戻さんとしていた。その3月場所は初日から好調で、8連勝で中日勝ち越し。翌日も勝利し新入幕の2011年5月技量審査場所以来<ref>[http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20180319-OHT1T50205.html 魁聖、新入幕以来の9連勝!「控えめに10連勝を狙います」] スポーツ報知 2018.3.19 17:22</ref>となる9連勝としたが、[[逸ノ城駿|逸ノ城]]に敗れて連勝がストップ。しかし翌11日目は[[貴景勝光信|貴景勝]]の休場により不戦勝で、幸運な形で二桁となる10勝目を記録。12日目は[[遠藤聖大|遠藤]]に敗れ2敗目。13日目は番付面よりも優勝争いを重視した審判部の判断で、横綱・[[鶴竜力三郎|鶴竜]]が対戦予定だった関脇・[[御嶽海久司|御嶽海]]<ref>御嶽海は当場所12日目終了時点で5勝7敗と不調であった。</ref>を外して魁聖を対戦させる、いわゆる「割崩し」を経験<ref>[http://www.sanspo.com/sports/news/20180322/sum18032221270018-n1.html 予定外の鶴竜-魁聖を編成…審判部、優勝争いを重視/春場所] sanspo.com 2018.3.22 21:27</ref>したが、結果は鶴竜に[[叩き込み]]で敗れ連敗となり、優勝は逃した。しかし残り2日は連勝し、自己最多勝の12勝3敗(大関・[[ |
翌7月場所は東関脇に番付を更新、師匠の定年までに関脇昇進を果たす形となった。成績は序中盤では2[[不戦勝]](後述)に恵まれるなど健闘したが、終盤で負けが込み7勝7敗で迎えた千秋楽、同じく7勝7敗の大関・[[照ノ富士春雄|照ノ富士]]に敗れ7勝8敗<ref>この勝利により、照ノ富士は辛うじて[[角番|カド番]]を脱出した。</ref>で場所を終えた。小結で迎えた翌9月場所も6勝9敗と負け越し。4場所ぶりの平幕で迎えた翌11月場所では3日目に白鵬に敗れ、'''大相撲史上3人目となる通算1000勝目を献上'''してしまった。以降も著しい不調に陥り、自身初となる初日から10連敗、終盤に挽回したものの3勝12敗で場所を終えた。翌2017年1月場所は前頭9枚目と大きく番付を落として臨んだ。中盤に負けが込み、10日目終了時点で7敗と勝ち越しに後が無くなったが、そこから5連勝で8勝7敗と勝ち越した。翌3月場所は場所前に右膝前十字靱帯断裂・右膝外側半月板損傷の大けがを負い当場所を全休する見込みだったが、全休すると十両落ちが必至となる番付だった関係上、6日目から強行出場。膝の踏ん張りが全く効かない状態で苦しんだが、3勝を挙げ十両落ちを回避した。しかし翌5月場所も、9日まで6勝3敗と好調の状態から終盤で負けが込み、最終的に7勝8敗と負け越し、31場所連続で務めた幕内からの陥落が決定した。東十両筆頭で迎えた翌7月場所は、初日から8連勝中であった[[朝乃山]]と9日目に対戦してがっぷりの右四つで土を付け幕内常連の力士としての力量を見せつけ、以降も白星を重ね11日目に早くも勝ち越し、翌9月場所の幕内復帰を確定させた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2017/07/17/kiji/20170717s0005000212000c.html 朝乃山に初めて土 魁聖と真っ向勝負も「重かったです」] Sponichi Annex 2017年7月17日 16:11</ref>。10勝4敗で迎えた千秋楽に勝てば[[豊山亮太|豊山]]・朝乃山・[[大奄美元規|大奄美]]と4人で優勝決定戦を戦うことができたが、[[竜電剛至|竜電]]に敗れてしまった。西前頭13枚目に帰り咲いた翌9月場所は4場所ぶりの幕内での勝ち越しとなる9勝を挙げ、復調をアピールした。以降も勝ち越しを続け、2018年3月場所は東前頭6枚目まで番付を戻し、場所前には変幻自在な取り口の弟弟子・[[旭大星託也|旭大星]]らと充実した稽古で落ちた力を取り戻さんとしていた。その3月場所は初日から好調で、8連勝で中日勝ち越し。翌日も勝利し新入幕の2011年5月技量審査場所以来<ref>[http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20180319-OHT1T50205.html 魁聖、新入幕以来の9連勝!「控えめに10連勝を狙います」] スポーツ報知 2018.3.19 17:22</ref>となる9連勝としたが、[[逸ノ城駿|逸ノ城]]に敗れて連勝がストップ。しかし翌11日目は[[貴景勝光信|貴景勝]]の休場により不戦勝で、幸運な形で二桁となる10勝目を記録。12日目は[[遠藤聖大|遠藤]]に敗れ2敗目。13日目は番付面よりも優勝争いを重視した審判部の判断で、横綱・[[鶴竜力三郎|鶴竜]]が対戦予定だった関脇・[[御嶽海久司|御嶽海]]<ref>御嶽海は当場所12日目終了時点で5勝7敗と不調であった。</ref>を外して魁聖を対戦させる、いわゆる「割崩し」を経験<ref>[http://www.sanspo.com/sports/news/20180322/sum18032221270018-n1.html 予定外の鶴竜-魁聖を編成…審判部、優勝争いを重視/春場所] sanspo.com 2018.3.22 21:27</ref>したが、結果は鶴竜に[[叩き込み]]で敗れ連敗となり、優勝は逃した。しかし残り2日は連勝し、自己最多勝の12勝3敗(大関・[[髙安晃|高安]]と並ぶ優勝次点)で28場所ぶり3回目の敢闘賞を獲得。一方で、先述の鶴竜に敗れたことで後述の不名誉な記録も樹立してしまった<ref name=":0">[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201803240000285.html 魁聖「何かがある」歴代1位不名誉な横綱戦30連敗] 日刊スポーツ 2018.3.24 10:12</ref>。続く5月場所は三役から落ちる星の力士が1人しかないかった影響で三役返り咲きを逃し、僅か4枚半上昇の西前頭筆頭に甘んじた。その場所では関脇以上に全敗と壁に跳ね返され、10日目に負け越しを決定させ、最終的に6勝9敗。東前頭4枚目となった7月場所は、大関・高安を破るなどで9勝6敗の成績。2場所ぶりに西の筆頭に返り咲いた9月場所は、初日に大関・豪栄道を破るなど幸先の良いスタートとなったが、2日目からの横綱戦を3連敗。4日目は稀勢の里と58秒8の大相撲を演じた<ref>『相撲』2018年10月号 p.27</ref>が、寄り切られて黒星。大関以上からの星は結局豪栄道戦の1番に留まった。それでも平幕以下の力士相手には全て勝ち、11日目には大関獲りがかかっていた関脇・御嶽海を破るなど安定感を発揮して8勝7敗と勝ち越した。千秋楽に魁聖は帰り三役の可能性について「とりあえず期待はしない。期待して上がらなかったらがっかりしちゃう」<ref>[https://www.sanspo.com/sports/news/20180923/sum18092320090015-n1.html 稀勢破り12勝の豪栄道「相手の良さ消して勝った。それだけ」] sanspo.com 2018.9.23 20:09</ref>と、前述した新三役の前場所(2016年3月場所)千秋楽とほぼ同じ趣旨のコメントを残したが、翌11月場所は西小結となり、13場所ぶりに三役に復帰した。2019年3月6日、友綱部屋の大阪稽古場に出稽古に来た白鵬との稽古で元々痛みがあった首を悪化させた<ref>[https://www.sanspo.com/sports/news/20190306/sum19030616460006-n1.html 魁聖、首に不安 白鵬との相撲で悪化させる] SANSPO.COM 2019.3.6 16:46(産経新聞社、2019年3月8日閲覧)</ref>。2場所の十両暮らしを経て西前頭16枚目で再入幕となった2020年1月場所は、成績自体は千秋楽に8勝7敗の勝ち越しに留まったが、この場所14勝1敗で幕内最高優勝を成し遂げた[[徳勝龍誠|徳勝龍]]に唯一土を付けたため、「1人だけ勝ったのに(三賞で授与される盾のジェスチャーをしながら)何かなかった?」と三賞をおねだりしていた<ref>[https://www.sanspo.com/sports/news/20200126/sum20012621060022-n1.html 御嶽海、正代に敗れ2場所連続負け越し「優勝争いする人は違いますね」] SANSPO.COM 2020.1.26 21:06(産経新聞社、2020年1月27日閲覧)</ref>。 |
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== 取り口・評価 == |
== 取り口・評価 == |
2020年6月23日 (火) 01:10時点における版
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場所入りする魁聖 | ||||
基礎情報 | ||||
四股名 | 魁聖 一郎 | |||
本名 |
菅野 リカルド 旧名=リカルド・スガノRicardo Sugano | |||
愛称 | リカちゃん | |||
生年月日 | 1986年12月18日(37歳) | |||
出身 |
ブラジル サンパウロ州サンパウロ | |||
身長 | 195cm | |||
体重 | 201kg | |||
BMI | 53.65 | |||
所属部屋 | 友綱部屋 | |||
得意技 | 右四つ、寄り | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 東前頭10枚目 | |||
最高位 | 東関脇 | |||
生涯戦歴 | 515勝490敗19休(81場所) | |||
幕内戦歴 | 346勝385敗19休(50場所) | |||
優勝 | 十両優勝1回 | |||
賞 | 敢闘賞3回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 2006年9月場所 | |||
入幕 | 2011年5月技量審査場所 | |||
趣味 | ゲーム | |||
備考 | ||||
2020年4月27日現在 |
魁聖 一郎(かいせい いちろう、1986年12月18日 - )は、ブラジル・サンパウロ出身で友綱部屋所属の現役大相撲力士。日系ブラジル人3世で2014年に日本に帰化[1]。本名は菅野 リカルド。旧名リカルド(ヒカルド)・スガノ。身長195cm、体重204kg、血液型はO型。得意手は右四つ、寄り。最高位は東関脇(2016年7月場所)。いわゆる「花のロクイチ組」の1人[2]。趣味はゲーム。好物は焼肉とコーラ。
経歴
ブラジル在住時代
日系ブラジル人3世である。ブラジル出身であるが幼少期からサッカーは好きでなく中継も見なかった[3]。幼少期には父に無理やりサッカーをやらされて練習が終わると泣きながら家に帰ることがあったという[4]。16歳の頃に父親の知り合いで、子息が相撲をやっていた人に「体が大きいからやらないか」と誘われたのが直接のきっかけであり魁皇に憧れて相撲を始め[5]、全ブラジル相撲選手権大会・無差別級で優勝した経験を持つ、アマチュア時代は本人曰く「相撲は力だけで勝てた。今は間違ってもそんなこと思わないですけど、ブラジルのアマチュア時代はそうだった」こともあり、相撲にのめり込んでいったという[6]。とはいえ当時は相撲の稽古は週1度から2度程度であったといい、角界入り後に稽古量の違いを痛感したことを話している[7]。2006年7月に来日し、元十両・若東の黒田吉信から紹介された友綱部屋に入門した。四股名は友綱部屋伝統の「魁」と、キリストを意味する「聖」を組み合わせて「魁聖」となり、下の名前の「一郎」は祖父の名前から付けた。
入門から関取昇進まで
2006年9月場所に前相撲に出場し2勝2敗で初土俵。身長194cmの大柄な体を武器に、序ノ口と序二段でそれぞれ6勝1敗の好成績を挙げていずれも1場所で通過し、2007年3月場所に三段目へと昇進する。三段目では最初の2場所は好成績を挙げたものの、その後3場所連続して負け越してしまった。しかし、2008年1月場所では6勝1敗、翌3月場所では5勝2敗と連続して好成績を挙げ、同年5月場所において幕下へ昇進した。
幕下昇進後は2場所連続して勝ち越したものの、2008年9月場所から3場所連続して負け越してしまい、2009年3月場所では再び三段目へ陥落してしまった。1場所で幕下へ復帰した後、西幕下46枚目の位置で迎えた同年9月場所では7戦全勝の成績を挙げて優勝決定戦に進出した。優勝決定戦では臥牙丸に敗れて幕下優勝はならなかったものの、その後は幕下上位に顔を出すようになり、2010年5月場所において東幕下2枚目の位置で5勝2敗と勝ち越しを決め、翌7月場所に新十両へ昇進した。これによって10代友綱が育てた2人目の関取が誕生したことになる。
関取昇進後
2010年11月場所では11勝4敗の成績を挙げて優勝決定戦に進出し、4人による優勝決定戦を制して初の十両優勝を果たした。続く2011年1月場所でも東十両筆頭で8勝7敗と勝ち越しを決め、翌5月技量審査場所において新入幕を果たした。その5月技量審査場所では、1980年11月場所の佐田の海以来31年ぶりとなる新入幕での初日からの9連勝を記録して[8]、最終的には10勝5敗の好成績を挙げて、自身初となる敢闘賞を受賞した。この場所を優勝した白鵬の優勝パレードでは旗手を務めた。その後は幕内で4場所連続して負け越してしまい、2012年3月場所には十両へ陥落したものの、その3月場所で10勝5敗の好成績を挙げて、翌5月場所において再入幕を果たした。同年7月場所では10日目まで1敗を守り、西前頭8枚目の位置ながら急遽大関との対戦が組まれたこともあり終盤に失速したものの、11勝4敗の好成績を挙げて2回目の敢闘賞を受賞した[9]。翌9月場所では最高位の西前頭筆頭へ昇進し、三役昇進も見えたが、4場所連続に負け越して幕内下位まで落ちた。
東前頭12枚目で迎えた2013年7月場所では初日から5連勝。10日目まで1敗を守り、一時に優勝争いにも参加したが、11日目からやや失速し、11勝4敗の成績を残しながらも敢闘賞受賞にはならなかった。続く9月場所、その次の11月場所は連続して7勝8敗の負け越しを喫したものの、2014年1月場所は12日目に7敗となって後がない状況から千秋楽まで3連勝して3場所ぶりの勝ち越しを果たす。翌3月場所は3枚半上昇となる東前頭3枚目の地位を与えられ、9日目に負け越しが確定した[10]ものの千秋楽まで食い下がって6勝9敗とした。2015年5月場所は12日目終了時点まで白鵬とトップを並走して優勝争いを盛り上げ、10勝5敗と好調を示すも三賞獲得はならなかった[11]。
西前頭7枚目で迎えた2016年3月場所は、11日目に勝ち越しを決めた後も白星を伸ばし、11勝4敗の好成績で終えた。千秋楽後、新三役の可能性について「三役なれるんかな。そんなに期待したら、上がれなかった時にショックが大きい」[12]と一抹の不安を口にしていたが、翌5月場所で無事新三役(東小結)に昇進。友綱部屋としては、現師匠が1989年5月に部屋を継承してからは1994年夏場所の魁皇以来2人目となる新三役で、ブラジル出身力士としては初の三役となった[13]。初土俵から10年近く掛かっての三役について、昇進の記者会見に同席した師匠は「入門当時(の期待度)からすれば三役に上がるペースとしては遅いかな。相撲に取り組む姿勢でスローな部分があるから仕方ないけど、とにかくノンビリしているのが、スローになった」[14]と歯がゆさを口にする一方で、「まだまだ上を狙える」[15]と奮起を促していた。
新三役場所以後
新三役となった5月場所は、大関以上の相手には照ノ富士にしか勝てず1勝6敗だったが、関脇以下では逸ノ城以外全勝と強さを発揮して千秋楽の栃煌山戦で勝ち越しを決めた。
翌7月場所は東関脇に番付を更新、師匠の定年までに関脇昇進を果たす形となった。成績は序中盤では2不戦勝(後述)に恵まれるなど健闘したが、終盤で負けが込み7勝7敗で迎えた千秋楽、同じく7勝7敗の大関・照ノ富士に敗れ7勝8敗[16]で場所を終えた。小結で迎えた翌9月場所も6勝9敗と負け越し。4場所ぶりの平幕で迎えた翌11月場所では3日目に白鵬に敗れ、大相撲史上3人目となる通算1000勝目を献上してしまった。以降も著しい不調に陥り、自身初となる初日から10連敗、終盤に挽回したものの3勝12敗で場所を終えた。翌2017年1月場所は前頭9枚目と大きく番付を落として臨んだ。中盤に負けが込み、10日目終了時点で7敗と勝ち越しに後が無くなったが、そこから5連勝で8勝7敗と勝ち越した。翌3月場所は場所前に右膝前十字靱帯断裂・右膝外側半月板損傷の大けがを負い当場所を全休する見込みだったが、全休すると十両落ちが必至となる番付だった関係上、6日目から強行出場。膝の踏ん張りが全く効かない状態で苦しんだが、3勝を挙げ十両落ちを回避した。しかし翌5月場所も、9日まで6勝3敗と好調の状態から終盤で負けが込み、最終的に7勝8敗と負け越し、31場所連続で務めた幕内からの陥落が決定した。東十両筆頭で迎えた翌7月場所は、初日から8連勝中であった朝乃山と9日目に対戦してがっぷりの右四つで土を付け幕内常連の力士としての力量を見せつけ、以降も白星を重ね11日目に早くも勝ち越し、翌9月場所の幕内復帰を確定させた[17]。10勝4敗で迎えた千秋楽に勝てば豊山・朝乃山・大奄美と4人で優勝決定戦を戦うことができたが、竜電に敗れてしまった。西前頭13枚目に帰り咲いた翌9月場所は4場所ぶりの幕内での勝ち越しとなる9勝を挙げ、復調をアピールした。以降も勝ち越しを続け、2018年3月場所は東前頭6枚目まで番付を戻し、場所前には変幻自在な取り口の弟弟子・旭大星らと充実した稽古で落ちた力を取り戻さんとしていた。その3月場所は初日から好調で、8連勝で中日勝ち越し。翌日も勝利し新入幕の2011年5月技量審査場所以来[18]となる9連勝としたが、逸ノ城に敗れて連勝がストップ。しかし翌11日目は貴景勝の休場により不戦勝で、幸運な形で二桁となる10勝目を記録。12日目は遠藤に敗れ2敗目。13日目は番付面よりも優勝争いを重視した審判部の判断で、横綱・鶴竜が対戦予定だった関脇・御嶽海[19]を外して魁聖を対戦させる、いわゆる「割崩し」を経験[20]したが、結果は鶴竜に叩き込みで敗れ連敗となり、優勝は逃した。しかし残り2日は連勝し、自己最多勝の12勝3敗(大関・高安と並ぶ優勝次点)で28場所ぶり3回目の敢闘賞を獲得。一方で、先述の鶴竜に敗れたことで後述の不名誉な記録も樹立してしまった[21]。続く5月場所は三役から落ちる星の力士が1人しかないかった影響で三役返り咲きを逃し、僅か4枚半上昇の西前頭筆頭に甘んじた。その場所では関脇以上に全敗と壁に跳ね返され、10日目に負け越しを決定させ、最終的に6勝9敗。東前頭4枚目となった7月場所は、大関・高安を破るなどで9勝6敗の成績。2場所ぶりに西の筆頭に返り咲いた9月場所は、初日に大関・豪栄道を破るなど幸先の良いスタートとなったが、2日目からの横綱戦を3連敗。4日目は稀勢の里と58秒8の大相撲を演じた[22]が、寄り切られて黒星。大関以上からの星は結局豪栄道戦の1番に留まった。それでも平幕以下の力士相手には全て勝ち、11日目には大関獲りがかかっていた関脇・御嶽海を破るなど安定感を発揮して8勝7敗と勝ち越した。千秋楽に魁聖は帰り三役の可能性について「とりあえず期待はしない。期待して上がらなかったらがっかりしちゃう」[23]と、前述した新三役の前場所(2016年3月場所)千秋楽とほぼ同じ趣旨のコメントを残したが、翌11月場所は西小結となり、13場所ぶりに三役に復帰した。2019年3月6日、友綱部屋の大阪稽古場に出稽古に来た白鵬との稽古で元々痛みがあった首を悪化させた[24]。2場所の十両暮らしを経て西前頭16枚目で再入幕となった2020年1月場所は、成績自体は千秋楽に8勝7敗の勝ち越しに留まったが、この場所14勝1敗で幕内最高優勝を成し遂げた徳勝龍に唯一土を付けたため、「1人だけ勝ったのに(三賞で授与される盾のジェスチャーをしながら)何かなかった?」と三賞をおねだりしていた[25]。
取り口・評価
- 基本的に体格を活かした四つ相撲を取り口としており、碧山や栃ノ心といった自身を上回る怪力の力士や松鳳山や栃煌山のように投げや引き技のあるもろ差し力士を不得手とする一方で、玉鷲や豊響のような押し一辺倒の力士や勢のようなまともに受ける相四つの力士を得意とする傾向がある。
- 持病に腰痛があり、調子の悪い場所では粘り無く土俵を割る相撲も目立つ。
- 元テレビ朝日アナウンサーの銅谷志朗は2014年11月場所前の座談会で「右四つ左上手を取った際の圧力にはものすごいものがある」と評した。
- 一方で元文化放送アナウンサーの坂信一郎は「もっと闘志を前面に出した相撲を取れば」と精神面の弱点を挙げていた。
- 元日本テレビアナウンサーの原和夫は「腰が下りないから前に出ても結局覆いかぶさるような体勢になって、逆転技を食いやすくなる」と腰高を指摘した[26]。
- 阿武松は新関脇をつかんだ頃の相撲に関して「前は懐が深くても足がぐらぐらしていましたが、少し安定してきました」と高評価した[27]。
- 鳴戸は2016年11月場所前の座談会で「腰の重さはどっしりしていて大関クラスですよ。ただ、動きが遅いので上位陣の左右の動きについていけない」と語り、同席していた西岩も「どうも上位陣に勝つイメージが沸かない。相撲もまともだし、横綱、大関にとってはやりやすいと思いますよ」とコメントした[28]。
- 動きの遅さから猪突猛進型ではないにもかかわらず変化に弱く、2016年に年5回変化を受けて1勝4敗はその年の幕内力士の中で3番目に多く変化で負けた記録である[29]。
- 2019年の週刊誌のインタビューでは、投げを打つと寧ろ膝に負担がかかり過ぎるので、相撲において前に出る以外の余計なことはしなくてよいと指導されていたことを明かしている[30]。
- 小兵は苦手であり廻しを取ろうとすると叩きを食うので押しや突っ張りを活かし、離れて相撲を取る。
- 十両に上がった頃は沢山の観客の前で緊張したが、2019年3月のインタビューでは立合いで考えないように心掛けているという[31]。
人物
- 好物はコーラで、毎日3本飲んでいるという[32]。
- 趣味はゲームで「幕内一のゲーム好き」を公言する程である[3][33]。
- 先代師匠の影響で喫煙者となった[34]。
- 寒さが苦手であり、暖かい時期が好きである[35]。
- 上述の通りサッカーには無関心を示し、地元開催となった2014 FIFAワールドカップの大会中に母国が準決勝に進出したにもかかわらず「結果くらいは気になるけど、あまり関心がない」と発言し話題になった[36]。
- いわゆる霊感を信じる傾向があり、絶不調とされた2016年11月場所で10連敗を喫した際には「気持ちには元気あるんだけど体が動かない。体が…たぶん何か憑いてますね」と、祈禱のポーズを見せた[37]。この祈祷を試みて以降復調し、11日目に御嶽海に初白星、14日目に錦木に勝利し2勝目、千秋楽も栃煌山に勝利し3勝まで積み重ねた。
- 使用している化粧回しの1つには、コルコバードのキリスト像が描かれている[38]。
エピソード
入門前~新弟子時代
- ブラジル在住時代より祖母が日本食を振る舞っていたこともあって入門時には既に納豆以外ならば部屋のちゃんこを全て問題なく食すことができたという[6]。
- 反面、敬語や先輩への接し方などの礼儀については、相当に苦労したという。それでも、訪日前に不安だった差別などはなく、「実際は皆優しく接してくれました。日本人は冷たくてあまりしゃべらないと聞いていましたが、それは違うとすぐに気付きました」と後年振り返っている[6]。
- 新弟子時代にはホームシックになったこともあったが、友綱部屋では携帯電話やスマートフォンを新弟子が持つことは許されず、少ない小遣いでテレホンカードを買い、度数の残りを気にしながらブラジルに連絡していた[39]。
- 番付表や日本の土産物を実家へ送るだけでも1万円程かかる上に、送った荷物が現地で盗まれて実家に届かなかったなど、親孝行したいという思いとは裏腹に苦労した[39]。
- 2006年9月場所初土俵の同期生は魁聖の他に2名いたが、いずれも前相撲を欠場したり、初土俵直後に長期休場をしたりしたまま引退したため、実質的には彼1人である。
旭天鵬との関係
- 来日間もないころから旭天鵬を尊敬しており、取的時代に「綺麗な力士だ」と思って一緒に写真を撮ってもらって以来交友を持つようになった[40]。
- その旭天鵬とは、2012年4月25日に2代大島が停年を迎え、大島部屋力士が友綱部屋に移籍したことによって、同部屋の兄弟弟子になった。
- 2017年5月場所後には師匠の停年に伴い、当時引退して3代大島を襲名していた旭天鵬が11代友綱となり友綱部屋を継承したことから、旭天鵬と師弟となった。
- 旭天鵬が大島部屋に所属していた時期に2回対戦し、2011年7月場所中日は押し出しで勝ち、2011年9月場所7日目は寄り切りで敗れた。
マスコミへのコメント
- 2016年の夏巡業中、日刊スポーツの絵日記に使う絵として、東京タワーをサラッと描いた。その意図を聞くと「早く、東京へ帰りたい。ホームシックです」と苦笑いで答えた。「ただ、所属する友綱部屋は墨田区業平にあり、すぐそばには新たなシンボル、スカイツリーがそびえたっています。描くなら、そっちだったのでは?」と記者に突っ込まれると「いや、スカイツリーは毎日見てるんで。東京タワーには上ったことないんですよ。1度、行ってみたいという気持ちもこめて描きました」と返した[41]。
- 関脇昇進の際の記者会見では「入門したときはブラジル人の最高は十両。俺もとりあえず十両になることが目標だった。それが幕内の、三役に上がれるとは思わなかった」と語った。更に大関を期待する声がある事に関しては、会見に同席した師匠は番付がここまで上がって既に満足しているようで、「この上は…。もういいです。師匠と(最高位で)肩を並べたくらいで、それ以上になるとテングになる。本人のためにもその方がいい」と語り、居合わせた報道陣の笑いを誘っていた[42]。
- 故郷ブラジルで行われた2016年リオデジャネイロオリンピックに興味を示していなかった魁聖であったが、ゲーム好きであるため「閉会式の、安倍総理のマリオを生で見たかった…。マリオ良かったですね」と話していた[43]。
- 白鵬に通算1000勝目を献上した2016年11月場所で自身初となる中日負け越しを喫した際は、「全然駄目ですね。来場所、頑張る。もう冬眠します。」と弱気なコメントを残した[44]。
- 2017年夏巡業の取材では、最近ハマっているのが、立ち食いスタイルで有名な「いきなり!ステーキ」に行くことと答えている。「部屋の近くのお店は、少ないけど座れる場所があるんです。あそこはお肉を炭で焼く。炭の味が肉につくのが最高。神です。シュラスコと同じなんです」とその味を称えていた。魁聖が好きなのは霜降り肉ではなく赤身のステーキであり、魁聖は「ブラジルではもともと、脂がない肉を食べていたから」と答えていた[45]。
- 同時期、日刊スポーツの力士が絵日記を書く企画では、大好物のコーラを片手に肉にかぶりつくドラゴンボールの孫悟空を描いた。因みに魁聖はブラジルに住んでいた子供のころからドラゴンボールのアニメが大好きだった[45]。
- 父が時差のある故郷で朝早くからテレビの生放送を見て応援している事に触れ、2018年3月場所6日目のインタビューでは「番付が上がれば朝ゆっくりになる。もう一度三役に戻りたい」と父への気遣いの意味も込めて復活を夢見る[46]コメントを発した。
取組関連
- 上述の通り不調に喘いだ2016年11月場所は3日目に白鵬と対戦して敗れ、大相撲史上3人目となる通算1000勝目を献上した力士として歴史に名前を残してしまうことになった。
- 2019年3月場所終了時点で横綱戦は37戦全敗、横綱戦未勝利の記録としては闘牙を抜いて単独ワースト1位の連敗記録を更新中である[21][47]。
- 2020年3月場所は2019新型コロナウイルス対策として力水は柄杓に口を付けず形だけ行うことになっていたが、12日目には間違って力水を口に入れてしまい、このことは同日に8勝目を挙げて勝ち越しを確定させた直後に明かした[48]。
不戦勝関連
- 不戦勝が非常に多い幸運な力士で、通算獲得数は2019年9月場所現在で11個(十両2個を含む)で歴代では2位、現役では2位[49]。
- 2016年7月場所では初日に大砂嵐が、7日目に琴奨菊が、それぞれ休場したことにより、2014年1月場所(琴奨菊)以来史上21例目となる「1場所での2不戦勝」を記録し「いつもいい子にしているから運がいい。明日から頑張らないといけない」とコメントした[50]。
- 上述の「2不戦勝」を獲得したにも関わらず負け越してしまった2016年7月場所の千秋楽後には「不戦勝が2度もあったのにもったいない。取組より、これより三役で緊張した」と述べていた[51]。
- 2017年11月場所から2018年3月場所までに3場所連続の不戦勝を記録[52]。
- 2018年3月場所で貴景勝の休場により不戦勝を獲得した際は「昨日で全部パワー使って筋肉痛だったんで」「みんな、オレの時に休んでくれて優しいね」「いつもいい子にしているから、相撲の神様に好かれている」と笑いながらコメントした[52][53]。
合い口
いずれも2020年1月場所終了現在。
- 横綱・白鵬には13戦全敗。いずれも白鵬が横綱昇進後の対戦である。
- 横綱・鶴竜には15戦全敗。初顔(2011年5月場所)は鶴竜が小結在位中、2度目から5度目の対戦は鶴竜が大関在位中の対戦であった。
- 元大関・豪栄道には5勝15敗。うち豪栄道が大関昇進後は4勝9敗。その他にも2010年9月場所に十両での対戦(豪栄道勝ち)があった。
- 元大関・高安には5勝12敗。その他にも2007年9月場所に三段目での対戦(魁聖勝ち)、2011年1月場所に十両での対戦(高安勝ち)があった。直近の勝利は2018年7月場所で、決まり手は小手投げ。
- 元大関・栃ノ心には7勝12敗。栃ノ心の大関昇進後は3敗。
- 元大関・琴奨菊には2勝(うち不戦勝1)11敗。うち琴奨菊が大関在位中は1不戦勝9敗。
- 元大関・照ノ富士には3勝8敗。うち照ノ富士が大関在位中は1勝4敗。
- 大関・貴景勝には3勝3敗(うち1勝は不戦勝)。貴景勝の大関在位中は対戦なし。直近の勝利は2018年7月場所で決まり手は押し出し。
- 大関・朝乃山には3勝2敗。朝乃山の大関在位中は対戦なし。
- 元横綱・日馬富士には16戦全敗。当初3戦は日馬富士が大関在位中の対戦であった。
- 元横綱・稀勢の里には12戦全敗。11度目までは稀勢の里が大関在位中、12度目は稀勢の里が横綱在位中の対戦である。
- 元大関・雅山には2勝3敗。いずれも雅山が大関陥落後の対戦であった。
- 最高位が関脇以下の力士との幕内での対戦成績は以下の通りである。
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
関脇 | ||||||||||||
碧山 | 6(1) | 12 | 朝赤龍 | 1 | 3 | 安美錦 | 8(1) | 9 | 阿覧 | 2 | 4 | |
勢 | 16 | 8 | 逸ノ城 | 3 | 9 | 隠岐の海 | 9 | 7 | 旭天鵬 | 1 | 1 | |
琴勇輝 | 4(1) | 4 | 正代 | 9 | 1(1) | 宝富士 | 10 | 11 | 豪風 | 7 | 7 | |
玉鷲 | 9 | 10 | 栃煌山 | 6 | 13 | 栃乃洋 | 1 | 0 | 豊ノ島 | 2 | 6 | |
御嶽海 | 7 | 1 | 妙義龍 | 7 | 10(1) | 嘉風 | 13 | 4 | 若の里 | 4 | 1 | |
小結 | ||||||||||||
遠藤 | 7(1) | 9 | 阿武咲 | 2 | 3(1) | 臥牙丸 | 7 | 6 | 常幸龍 | 0 | 2 | |
松鳳山 | 7 | 9 | 大栄翔 | 5 | 2 | 高見盛 | 1 | 0 | 千代鳳 | 1 | 3 | |
千代大龍 | 11 | 4 | 時天空 | 7 | 4 | 豊真将 | 3 | 2 | 北勝富士 | 2 | 3 | |
竜電 | 1 | 4 | 若荒雄 | 0 | 3 | |||||||
前頭 | ||||||||||||
明瀬山 | 1 | 0 | 東龍 | 1 | 1 | 阿炎 | 2 | 3 | 阿夢露 | 2 | 1 | |
荒鷲 | 5 | 2 | 石浦 | 1 | 1 | 宇良 | 0 | 1 | 炎鵬 | 0 | 1 | |
大砂嵐 | 5(1) | 0 | 鏡桜 | 1 | 1 | 輝 | 3 | 3 | 北太樹 | 3 | 3 | |
皇風 | 1 | 0 | 木村山 | 2 | 0 | 旭秀鵬 | 1 | 0 | 霧馬山 | 0 | 1 | |
琴恵光 | 1 | 1 | 磋牙司 | 1 | 2 | 佐田の海 | 6 | 4 | 佐田の富士 | 8 | 4 | |
志摩ノ海 | 0 | 1 | 翔天狼 | 5 | 3 | 蒼国来 | 2 | 2 | 大喜鵬 | 1 | 0 | |
大翔丸 | 5 | 2 | 大道 | 5 | 1 | 貴ノ岩 | 3 | 2 | 隆の勝 | 0 | 1 | |
隆の山 | 1 | 2 | 玉飛鳥 | 1 | 0 | 千代翔馬 | 2 | 2 | 千代ノ皇 | 1 | 0 | |
千代の国 | 6 | 3 | 千代丸 | 3 | 3 | 剣武 | 1 | 0 | 照強 | 1 | 1 | |
天鎧鵬 | 2 | 0 | 德勝龍 | 7 | 2 | 土佐豊 | 0 | 1 | 栃乃若 | 6 | 3 | |
友風 | 1 | 0 | 豊響 | 9 | 5 | 鳰の湖 | 0 | 1 | 錦木 | 3 | 6 | |
富士東 | 5 | 3 | 誉富士 | 2 | 2 | 舛乃山 | 5(1) | 2 | 矢後 | 2 | 0 | |
豊山 | 2 | 2 | 芳東 | 1 | 0 |
- ※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2020年1月場所終了現在、現役力士。
テレビ出演
- 2011年7月3日にはフジテレビ系列で『ザ・ノンフィクション・魁聖の初心〜大相撲へのメッセージ〜』という、魁聖を来日から5年間取材して制作されたドキュメント番組が放送された。
- 2014年6月8日にはテレビ東京系列『日曜ビッグバラエティ・ニッポンだよおっかさん』という番組で、母親と妹がブラジルから来日して魁聖と再会し、東京ディズニーランドを案内したり、本場所を観戦したりする場面が放送された。
主な成績
2020年3月場所終了現在
通算成績
- 通算成績:515勝490敗19休(81場所)
- 幕内成績:346勝385敗19休(50場所)
各段優勝
- 十両優勝:1回(2010年11月場所)
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
---|---|---|---|---|---|---|
2006年 (平成18年) |
x | x | x | x | (前相撲) | 西序ノ口35枚目 6–1 |
2007年 (平成19年) |
西序二段66枚目 6–1 |
西三段目96枚目 4–3 |
西三段目75枚目 6–1 |
西三段目18枚目 2–5 |
西三段目42枚目 3–4 |
西三段目56枚目 3–4 |
2008年 (平成20年) |
東三段目69枚目 6–1 |
西三段目14枚目 5–2 |
西幕下52枚目 5–2 |
西幕下35枚目 4–3 |
西幕下29枚目 2–5 |
東幕下50枚目 3–4 |
2009年 (平成21年) |
西幕下60枚目 3–4 |
東三段目15枚目 5–2 |
西幕下52枚目 5–2 |
東幕下31枚目 2–5 |
西幕下46枚目 7–0 |
西幕下6枚目 3–4 |
2010年 (平成22年) |
東幕下10枚目 5–2 |
西幕下5枚目 5–2 |
西幕下2枚目 5–2 |
東十両12枚目 8–7 |
東十両4枚目 7–8 |
東十両6枚目 優勝 11–4 |
2011年 (平成23年) |
東十両筆頭 8–7 |
八百長問題 により中止 |
西前頭16枚目 10–5 敢 |
東前頭5枚目 6–9 |
東前頭8枚目 4–11 |
東前頭14枚目 6–9 |
2012年 (平成24年) |
東前頭16枚目 5–10 |
西十両4枚目 10–5 |
東前頭12枚目 9–6 |
西前頭8枚目 11–4 敢 |
西前頭筆頭 7–8 |
西前頭2枚目 7–8 |
2013年 (平成25年) |
西前頭3枚目 6–9 |
西前頭5枚目 3–12 |
東前頭14枚目 8–7 |
東前頭12枚目 11–4 |
西前頭4枚目 7–8 |
西前頭5枚目 7–8 |
2014年 (平成26年) |
西前頭6枚目 8–7 |
東前頭3枚目 6–9 |
東前頭6枚目 8–7 |
東前頭3枚目 5–10 |
西前頭6枚目 8–7 |
東前頭4枚目 7–8 |
2015年 (平成27年) |
東前頭5枚目 7–8 |
西前頭6枚目 5–10 |
東前頭11枚目 10–5 |
西前頭3枚目 6–9 |
西前頭5枚目 6–9 |
東前頭7枚目 9–6 |
2016年 (平成28年) |
西前頭3枚目 5–10 |
西前頭7枚目 11–4 |
東小結 8–7 |
東関脇 7–8 |
東小結 6–9 |
東前頭2枚目 3–12 |
2017年 (平成29年) |
東前頭9枚目 8–7 |
東前頭8枚目 3–7–5[54] |
西前頭15枚目 7–8 |
東十両筆頭 10–5 |
西前頭13枚目 9–6 |
東前頭10枚目 8–7 |
2018年 (平成30年) |
西前頭8枚目 8–7 |
東前頭6枚目 12–3 敢 |
西前頭筆頭 6–9 |
東前頭4枚目 9–6 |
西前頭筆頭 8–7 |
西小結 3–9–3[55] |
2019年 (平成31年 /令和元年) |
東前頭8枚目 10–5 |
東前頭筆頭 3–12 |
東前頭8枚目 3–5–7[56] |
西前頭15枚目 1–10–4[57] |
東十両8枚目 9–6 |
東十両5枚目 11–4[58] |
2020年 (令和2年) |
西前頭16枚目 8–7 |
東前頭14枚目 8–7 |
新型コロナウイルス 拡大により中止 |
東前頭10枚目 – |
x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
脚注
- ^ 官報 平成26年11月20日
- ^ 大空出版『相撲ファン』vol.06 p68-71
- ^ a b Sports Graphiv Number PLUS April 2017(文藝春秋、2017年4月10日)p94
- ^ 魁聖がトークショー 中日スポーツ 2014年6月17日
- ^ 読売新聞2011年5月12日紙面
- ^ a b c 奮闘するブラジル人力士㊤ 長身生かして活躍する魁聖 サンパウロ新聞 14/02/24 (14:50)
- ^ 相撲は巨体が有利とは限らない…土俵で炸裂する小兵の知恵(1/3ページ) SmartFLASH 2019.03.22 06:00(週刊FLASH2019年4月2日号、2019年12月23日閲覧)
- ^ “魁聖 31年ぶり快挙!新入幕で初日から9連勝”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年5月17日) 2013年7月20日閲覧。
- ^ “魁聖 コーラの力で11勝!敢闘賞つかんだ”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年7月23日) 2013年7月20日閲覧。
- ^ 北の湖理事長の星勘定ピタリ予想「1敗が目安」 朝日新聞DIGITAL 2014年3月16日23時28分
- この場所の8日目、日馬富士に敗れた際には「まだ顔じゃない。先が見えない。東京に戻ってゲーム機を買いたい」と趣味に関連付けた弱音を吐いていた。
- ^ 『相撲』2015年6月号10頁には「敢闘賞受賞でも良かったのでは?」という内容の記事が掲載されている。
- ^ 「めっちゃうれしい」 三賞初受賞の琴勇輝、満面の笑み 朝日新聞デジタル 2016年3月27日21時54分
- ^ 琴勇輝、勢が新関脇、魁聖は新小結 夏場所新番付 日刊スポーツ 2016年4月25日6時16分
- ^ 魁聖が初三役“もっと怒れ”も温厚「ありのままで」 日刊スポーツ 2016年4月25日16時38分
- ^ 魁聖、初土俵から10年で三役昇進「発表されるまでひやひやしていた」/夏場所 sanspo.com 2016年4月25日 18:11
- ^ この勝利により、照ノ富士は辛うじてカド番を脱出した。
- ^ 朝乃山に初めて土 魁聖と真っ向勝負も「重かったです」 Sponichi Annex 2017年7月17日 16:11
- ^ 魁聖、新入幕以来の9連勝!「控えめに10連勝を狙います」 スポーツ報知 2018.3.19 17:22
- ^ 御嶽海は当場所12日目終了時点で5勝7敗と不調であった。
- ^ 予定外の鶴竜-魁聖を編成…審判部、優勝争いを重視/春場所 sanspo.com 2018.3.22 21:27
- ^ a b 魁聖「何かがある」歴代1位不名誉な横綱戦30連敗 日刊スポーツ 2018.3.24 10:12
- ^ 『相撲』2018年10月号 p.27
- ^ 稀勢破り12勝の豪栄道「相手の良さ消して勝った。それだけ」 sanspo.com 2018.9.23 20:09
- ^ 魁聖、首に不安 白鵬との相撲で悪化させる SANSPO.COM 2019.3.6 16:46(産経新聞社、2019年3月8日閲覧)
- ^ 御嶽海、正代に敗れ2場所連続負け越し「優勝争いする人は違いますね」 SANSPO.COM 2020.1.26 21:06(産経新聞社、2020年1月27日閲覧)
- ^ 『大相撲ジャーナル』2014年12月号61頁
- ^ 『大相撲ジャーナル』2016年9月号18ページ
- ^ 『大相撲ジャーナル』2016年9月号63ページ
- ^ データで見る相撲界の「逃げるは恥だが役に立つ」 日刊スポーツ 2016年12月16日0時0分
- ^ 週刊FLASH 2019年4月2日号
- ^ 相撲は巨体が有利とは限らない…土俵で炸裂する小兵の知恵(2/3ページ) SmartFLASH 2019.03.22 06:00(週刊FLASH2019年4月2日号、2019年12月23日閲覧)
- ^ これに関する興味深いエピソードとして2013年12月11日の体脂肪測定の話題がある。その日の測定では幕内力士1位となる38.9%を記録した。この結果に報道陣から「コーラ断ちできるの?」と問われると、「ん〜無理だ。」と魁聖は笑顔で答えて両国国技館内の相撲診療所を後にした。
- 魁聖が碧山に体脂肪で黒星「そうなの…」日刊スポーツ 12月11日(水)23時32分配信
- ^ ゲーマー魁聖、マリオと交流「夢のよう」 nikkansports.com 2014年4月27日17時28分
- 千葉・幕張メッセでのインターネット動画サイトと連動したイベント「ニコニコ超会議3」の一企画として開催された行われた2014年4月27日の大相撲巡業では「本当に楽しい巡業。ダース・ベイダーやいろいろなキャラクターに会えて夢のような世界。相撲をやっていて良かった」と喜んでいた。
- ^ 詳細は魁輝薫秀の項を参照
- ^ 『相撲』2018年3月号 p.54
- ^ 【名古屋場所】ブラジル出身・魁聖、W杯は「あまり関心ない」 2014年7月6日18時55分 スポーツ報知
- ^ 魁聖「体が…何か憑いてますね」 10連敗で祈りポーズ
- ^ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号 p.59
- ^ a b 。『相撲』2016年9月号92ページから93ページ
- ^ 『大相撲ジャーナル』2014年2月号63頁
- ^ 夏の絵日記2016 8月10日 魁聖 日刊スポーツ(日刊スポーツ新聞社)(2017年8月23日閲覧)
- ^ 「めっちゃうれしい」 新関脇・魁聖、師匠越えの大関昇進へ「もう一つ、上にいきたい」 スポーツ報知 2016年6月27日18時37分
- ^ 魁聖故郷の五輪興味なしも「安倍マリオ」見たかった 日刊スポーツ(日刊スポーツ新聞社)2016年8月24日18時3分(2017年8月23日閲覧)
- ^ 8連敗で負け越しの魁聖「来場所頑張る。もう冬眠します」 sanspo.com 2016.11.20 19:21
- ^ a b 夏の絵日記2017 8月8日 魁聖「ブラジル時代からドラゴンボール」 日刊スポーツ(日刊スポーツ新聞社)(2017年8月23日閲覧)
- ^ 194センチ魁聖、巨体操り6連勝 毎日新聞2018年3月16日 21時16分(毎日新聞社、2018年4月10日閲覧)
- ^ 大空出版『相撲ファン』vol.06 p51
- ^ 荒磯親方、魁聖の「力水」告白に苦笑「噂通りの…」/春場所 SANSPO.COM 2020.3.19 19:37(2020年3月21日閲覧)
- ^ 現役最多は1位の玉鷲、魁聖は2位の出羽錦の11個とタイ記録、栃乃洋、魁皇は10個で3位。引退の他の3人は全幕内で幕内在位数は出羽錦77場所、栃乃洋81場所、魁皇107場所であり、魁聖は十両の7場所を含めても55場所で11個の2位タイになった
- ^ 【白星黒星】 魁聖「いつもいい子にしているから運がいい」sanspo.com 2016年7月16日 19時26分
- ^ 【白星黒星】 豪栄道「悔いの残る場所」 sanspo.com 2016年7月24日 19時57分
- ^ a b 3場所連続ゲットの離れ業、不戦勝に愛された力士 日刊スポーツ 2018年3月23日 10:00
- ^ 魁聖 3場所連続の不戦勝「筋肉痛だった」、貴重な休養に笑み スポニチアネックス 2018.3.22 07:00
- ^ 右膝前十字靱帯断裂・右膝外側半月板損傷のため初日から休場、6日目から出場
- ^ 左腓腹筋内側の肉離れのため初日から休場、3日目から出場、14日目から再休場
- ^ 右上腕二頭筋腱断裂のため8日目から休場
- ^ 右上腕二頭筋断裂のため11日目から休場
- ^ 東龍・勢・霧馬山と優勝決定戦