「明生力」の版間の差分
新入幕場所を追加 タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
m Bot作業依頼: 髙安晃への記事名変更に伴う変更 - log |
||
38行目: | 38行目: | ||
時は[[大相撲八百長問題]]などの不祥事に揺れた頃であり、[[新弟子検査]]を受けても初土俵を踏むはずの本場所が中止になっている<ref>{{Cite news |title=大相撲の新弟子検査 明月院ら36人が合格 |newspaper=スポニチアネックス |date=2011-03-14 |url=http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/03/14/kiji/K20110314000427070.html |accessdate=2016-09-27}}</ref>頃であったが、[[立浪部屋]]に入門し、[[2011年]]5月技量審査場所で初土俵を踏んだ。入門したばかりの頃、不祥事を受けて引退した猛虎浪から学び、本人も十両昇進時に「あの人の口癖は『我慢』でした。稽古も我慢できる人が強くなる。我慢すれば見えてくるものもありました」と振り返っている。<ref name="sinzyuryo">[http://www.nikkansports.com/battle/column/sumo/news/1717270.html 新十両・明生の胸に刻まれた日馬富士の言葉] 日刊スポーツ 2016年9月30日0時24分 </ref>同期生には[[千代大龍秀政|千代大龍]]、[[照ノ富士春雄|照ノ富士]]、[[常幸龍貴之|常幸龍]]ら高校・大学を卒業した同期生も多い中で[[前相撲]]は2連勝の一番出世を決める。その後も三段目初昇格の場所こそ負け越したが、入門から2年足らずで[[2013年]]1月場所では早々と[[幕下]]昇進を決める順調な出世となった。しかし腰のヘルニアを患い幕下に定着することはできず、1年半ほどは三段目との往復をしばらく続けた。ヘルニアを理由に引退しようとも思っていたが、父からは「そんなもんか。好きにしろ! やめたら家には戻ってくるなよ!」と突き放され、心が折れそうになった時は「気持ちが弱いんだ!」と叱責された<ref name="sinzyuryo"/>。その後健康な肉体を取り戻し、独学で食事法やプロテインの摂取法を学んだ結果として体重も増える<ref>[[ベースボール・マガジン社]]刊 『[[相撲 (雑誌)|相撲]]』 2013年10月号(秋場所総決算号) 91頁</ref>と[[2014年]]5月場所に三段目で6勝1敗の大勝ちをしたのを最後に幕下へ定着すると、同年11月場所では幕下15枚目以内の番付も経験した。この頃には「10代で関取」を目標として掲げていたが、20歳を迎える[[2015年]]7月場所を幕下で負け越し、目標は達成できなかった。それでも親孝行をすることをモチベーションに<ref>[[ベースボール・マガジン社]]刊 『[[相撲 (雑誌)|相撲]]』 2016年6月号(夏場所総決算号) 90頁</ref>[[2016年]]は3月場所から連続で勝ち越した。同年8月の夏巡業には一門の総帥である[[貴乃花光司|貴乃花]]巡業部長の付け人として帯同し、部屋には1人もいない関取衆とも稽古を積んだ<ref>[[ベースボール・マガジン社]]刊 『[[相撲 (雑誌)|相撲]]』 2016年9月号(秋場所展望号) 78頁</ref>。直後の9月場所は東幕下3枚目の地位で迎え、最後の相撲となる14日目の十両・[[朝弁慶大吉|朝弁慶]]戦に勝って4勝3敗の勝ち越しを決め、場所後の番付編成会議で翌11月場所の新十両昇進が決定した<ref>{{Cite news |title=小柳ら3人が新十両に 再十両は山口と竜電 |newspaper=SANSPO.COM |date=2016-09-28 |url=http://www.sanspo.com/sports/news/20160928/sum16092810120002-n1.html |accessdate=2016-09-28}}</ref>。新十両昇進会見では、何度か出稽古に行った先である[[伊勢ヶ濱部屋]]で、行くたびに[[日馬富士公平|日馬富士]]から声をかけられたことについて語っており、「チャンスは誰にでもある。ただ何回もやって来るものじゃない。次に、いつ来るかも分からない。来たチャンスを自分でつかみなさい」と言われたことが関取昇進につながったという<ref name="sinzyuryo"/>。その新十両の場所は、五分まで持ち直すことはあったものの一度も白星先行とすることはできずに、十両の壁に跳ね返されて5勝10敗の大敗に終わった。2017年1月場所は1番相撲から2連敗し、3勝3敗で迎えた7番相撲を勝って4勝3敗。3月場所は1番相撲から5連勝で関取復帰を決めるが、残りを2連敗して5勝2敗。帰り十両の5月場所は9勝6敗と、関取の地位で初めて勝ち越した。同年10月5日に行われた秋巡業八千代場所では申し合いを16番行った<ref>『大相撲ジャーナル』2017年12月号p2</ref>。11月場所は東十両4枚目の地位で7勝8敗と負け越すも、翌2018年1月場所は半枚下降にとどまる西十両4枚目で8勝7敗と勝ち越し、巡業でも積極的に土俵に立った甲斐あって成果を残した。 |
時は[[大相撲八百長問題]]などの不祥事に揺れた頃であり、[[新弟子検査]]を受けても初土俵を踏むはずの本場所が中止になっている<ref>{{Cite news |title=大相撲の新弟子検査 明月院ら36人が合格 |newspaper=スポニチアネックス |date=2011-03-14 |url=http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/03/14/kiji/K20110314000427070.html |accessdate=2016-09-27}}</ref>頃であったが、[[立浪部屋]]に入門し、[[2011年]]5月技量審査場所で初土俵を踏んだ。入門したばかりの頃、不祥事を受けて引退した猛虎浪から学び、本人も十両昇進時に「あの人の口癖は『我慢』でした。稽古も我慢できる人が強くなる。我慢すれば見えてくるものもありました」と振り返っている。<ref name="sinzyuryo">[http://www.nikkansports.com/battle/column/sumo/news/1717270.html 新十両・明生の胸に刻まれた日馬富士の言葉] 日刊スポーツ 2016年9月30日0時24分 </ref>同期生には[[千代大龍秀政|千代大龍]]、[[照ノ富士春雄|照ノ富士]]、[[常幸龍貴之|常幸龍]]ら高校・大学を卒業した同期生も多い中で[[前相撲]]は2連勝の一番出世を決める。その後も三段目初昇格の場所こそ負け越したが、入門から2年足らずで[[2013年]]1月場所では早々と[[幕下]]昇進を決める順調な出世となった。しかし腰のヘルニアを患い幕下に定着することはできず、1年半ほどは三段目との往復をしばらく続けた。ヘルニアを理由に引退しようとも思っていたが、父からは「そんなもんか。好きにしろ! やめたら家には戻ってくるなよ!」と突き放され、心が折れそうになった時は「気持ちが弱いんだ!」と叱責された<ref name="sinzyuryo"/>。その後健康な肉体を取り戻し、独学で食事法やプロテインの摂取法を学んだ結果として体重も増える<ref>[[ベースボール・マガジン社]]刊 『[[相撲 (雑誌)|相撲]]』 2013年10月号(秋場所総決算号) 91頁</ref>と[[2014年]]5月場所に三段目で6勝1敗の大勝ちをしたのを最後に幕下へ定着すると、同年11月場所では幕下15枚目以内の番付も経験した。この頃には「10代で関取」を目標として掲げていたが、20歳を迎える[[2015年]]7月場所を幕下で負け越し、目標は達成できなかった。それでも親孝行をすることをモチベーションに<ref>[[ベースボール・マガジン社]]刊 『[[相撲 (雑誌)|相撲]]』 2016年6月号(夏場所総決算号) 90頁</ref>[[2016年]]は3月場所から連続で勝ち越した。同年8月の夏巡業には一門の総帥である[[貴乃花光司|貴乃花]]巡業部長の付け人として帯同し、部屋には1人もいない関取衆とも稽古を積んだ<ref>[[ベースボール・マガジン社]]刊 『[[相撲 (雑誌)|相撲]]』 2016年9月号(秋場所展望号) 78頁</ref>。直後の9月場所は東幕下3枚目の地位で迎え、最後の相撲となる14日目の十両・[[朝弁慶大吉|朝弁慶]]戦に勝って4勝3敗の勝ち越しを決め、場所後の番付編成会議で翌11月場所の新十両昇進が決定した<ref>{{Cite news |title=小柳ら3人が新十両に 再十両は山口と竜電 |newspaper=SANSPO.COM |date=2016-09-28 |url=http://www.sanspo.com/sports/news/20160928/sum16092810120002-n1.html |accessdate=2016-09-28}}</ref>。新十両昇進会見では、何度か出稽古に行った先である[[伊勢ヶ濱部屋]]で、行くたびに[[日馬富士公平|日馬富士]]から声をかけられたことについて語っており、「チャンスは誰にでもある。ただ何回もやって来るものじゃない。次に、いつ来るかも分からない。来たチャンスを自分でつかみなさい」と言われたことが関取昇進につながったという<ref name="sinzyuryo"/>。その新十両の場所は、五分まで持ち直すことはあったものの一度も白星先行とすることはできずに、十両の壁に跳ね返されて5勝10敗の大敗に終わった。2017年1月場所は1番相撲から2連敗し、3勝3敗で迎えた7番相撲を勝って4勝3敗。3月場所は1番相撲から5連勝で関取復帰を決めるが、残りを2連敗して5勝2敗。帰り十両の5月場所は9勝6敗と、関取の地位で初めて勝ち越した。同年10月5日に行われた秋巡業八千代場所では申し合いを16番行った<ref>『大相撲ジャーナル』2017年12月号p2</ref>。11月場所は東十両4枚目の地位で7勝8敗と負け越すも、翌2018年1月場所は半枚下降にとどまる西十両4枚目で8勝7敗と勝ち越し、巡業でも積極的に土俵に立った甲斐あって成果を残した。 |
||
2018年7月場所で新入幕を果たすも6勝9敗の負け越しに終わり、十両へ転落した。11月場所で2度目の入幕を果たし、この場所は13日目に勝ち越しを確定させ、9勝6敗。続く2019年1月場所は千秋楽に勝利して8勝7敗の勝ち越し、自身初の幕内での連続勝ち越しを果たした。3月場所は自己最高位の西前頭11枚目。序盤は2勝4敗と負けが込んだが、そこから6連勝で一気に勝ち越しを決めた。13日目はこの場所2敗と好調だった元大関・[[琴奨菊和弘|琴奨菊]]を上手出し投げで転がし、7日目から7連勝で9勝目を挙げたが、そこからは実力者の[[碧山亘右|碧山]]、[[遠藤聖大|遠藤]]になすすべなく連敗し、9勝6敗でこの場所を終えた。またしても自己最高位を更新した夏場所は西前頭7枚目。苦戦も予想された。実際、初日から3連敗するなど序盤は負けが込んだが、2勝4敗で迎えた7日目から5連勝で勝ち越しにリーチをかける。給金相撲の12日目の相手はこの場所関脇に転落し、ここまで9勝を挙げてあと一つ勝てば規定により大関に復帰できる[[栃ノ心剛史|栃ノ心]]優位と思われたが、低い立ち合いから左を差して一気に走り、寄り切る快勝で自身5場所連続の勝ち越しを決めて「いっぱい稽古をつけて幕内に引き上げてくれたのが栃ノ心関。今日はそれを全部出せた」と満足そうだった。この場所はこれ以降も白星を重ね、10勝5敗と幕内では自身初めての二桁勝利を達成した。7月場所は自己最高位をまたまた更新し、東前頭4枚目と上位とも対戦する番付となったが、初日から6連敗を喫するなど不調で、4勝11敗と跳ね返された。この場所9日目には結びの一番で横綱・[[鶴竜力三郎|鶴竜]]に挑んだが、左四つに組み止められて敗れた。西前頭10枚目に番付を下げた秋場所は序盤から好調であり、9日目に琴奨菊をすくい投げで破って勝ち越しを決め、優勝争いでもトップに躍り出た。しかし、翌日以降は3連敗を喫するなどやや失速し、千秋楽、この場所殊勲賞を獲得した[[朝乃山英樹|朝乃山]]をもろ差しから寄り切って快勝し、10勝目を挙げたが、三賞受賞は見送られた。それでも、この場所の相撲は好角家から高評価を得た。続く11月場所は自己最高位を西前頭2枚目に更新。この場所は初日に大関から陥落した栃ノ心を鮮やかな下手捻りで転がし、2日目も小結の遠藤に勝利。3日目は大関取りの[[御嶽海久司|御嶽海]]に敗れたが、4日目は勝利し、5日目は大関・[[ |
2018年7月場所で新入幕を果たすも6勝9敗の負け越しに終わり、十両へ転落した。11月場所で2度目の入幕を果たし、この場所は13日目に勝ち越しを確定させ、9勝6敗。続く2019年1月場所は千秋楽に勝利して8勝7敗の勝ち越し、自身初の幕内での連続勝ち越しを果たした。3月場所は自己最高位の西前頭11枚目。序盤は2勝4敗と負けが込んだが、そこから6連勝で一気に勝ち越しを決めた。13日目はこの場所2敗と好調だった元大関・[[琴奨菊和弘|琴奨菊]]を上手出し投げで転がし、7日目から7連勝で9勝目を挙げたが、そこからは実力者の[[碧山亘右|碧山]]、[[遠藤聖大|遠藤]]になすすべなく連敗し、9勝6敗でこの場所を終えた。またしても自己最高位を更新した夏場所は西前頭7枚目。苦戦も予想された。実際、初日から3連敗するなど序盤は負けが込んだが、2勝4敗で迎えた7日目から5連勝で勝ち越しにリーチをかける。給金相撲の12日目の相手はこの場所関脇に転落し、ここまで9勝を挙げてあと一つ勝てば規定により大関に復帰できる[[栃ノ心剛史|栃ノ心]]優位と思われたが、低い立ち合いから左を差して一気に走り、寄り切る快勝で自身5場所連続の勝ち越しを決めて「いっぱい稽古をつけて幕内に引き上げてくれたのが栃ノ心関。今日はそれを全部出せた」と満足そうだった。この場所はこれ以降も白星を重ね、10勝5敗と幕内では自身初めての二桁勝利を達成した。7月場所は自己最高位をまたまた更新し、東前頭4枚目と上位とも対戦する番付となったが、初日から6連敗を喫するなど不調で、4勝11敗と跳ね返された。この場所9日目には結びの一番で横綱・[[鶴竜力三郎|鶴竜]]に挑んだが、左四つに組み止められて敗れた。西前頭10枚目に番付を下げた秋場所は序盤から好調であり、9日目に琴奨菊をすくい投げで破って勝ち越しを決め、優勝争いでもトップに躍り出た。しかし、翌日以降は3連敗を喫するなどやや失速し、千秋楽、この場所殊勲賞を獲得した[[朝乃山英樹|朝乃山]]をもろ差しから寄り切って快勝し、10勝目を挙げたが、三賞受賞は見送られた。それでも、この場所の相撲は好角家から高評価を得た。続く11月場所は自己最高位を西前頭2枚目に更新。この場所は初日に大関から陥落した栃ノ心を鮮やかな下手捻りで転がし、2日目も小結の遠藤に勝利。3日目は大関取りの[[御嶽海久司|御嶽海]]に敗れたが、4日目は勝利し、5日目は大関・[[髙安晃|高安]]の突っ張りを必死にしのぎ、最後は腕捻りで転がして自身初の大関戦勝利を挙げた。しかし、翌日の横綱・[[白鵬翔|白鵬]]戦に敗れるとそこから4連敗するなど負けが込み、結局は13日目に負け越しが決まり、6勝9敗だった。千秋楽の取組後、本人は「悔しいです。今は、それしか出てこないです」と悔しさをあらわにしていた。12月28日の部屋での稽古で左上腕部と肘の筋肉を部分断裂。2020年1月3日の時点では、1月場所の出場に関して「大丈夫。まあ出るつもりでやってます」と断言を避けた<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202001030000506.html 明生が昨年末に左腕筋肉を部分断裂 初場所は前向き] 日刊スポーツ 2020年1月3日18時8分(2020年1月5日閲覧)</ref>。しかし、1月場所は7日目で1勝6敗と怪我の影響で成績不振となり、中日に日本相撲協会に「左上腕二頭筋部分断裂で加療中。本日より1月場所の休場を要する」との診断書を提出して休場した。師匠の立浪は「痛み、炎症がある。本人ができる限りやりたいと言っていた。それを尊重したかったが、昨日の一番でこれ以上は無理と判断した」と説明<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202001190000189.html 明生が左上腕二頭筋部分断裂で休場 親方「無理」] 日刊スポーツ 2020年1月19日14時10分(2020年1月20日閲覧)</ref>。 |
||
== 取り口 == |
== 取り口 == |
2020年6月23日 (火) 01:15時点における版
| ||||
---|---|---|---|---|
基礎情報 | ||||
四股名 | 明生 力 | |||
本名 | 川畑 明生 | |||
生年月日 | 1995年7月24日(29歳) | |||
出身 | 鹿児島県大島郡瀬戸内町 | |||
身長 | 180cm | |||
体重 | 149kg | |||
BMI | 45.99 | |||
所属部屋 | 立浪部屋 | |||
得意技 | 左四つ、寄り | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 東十両筆頭 | |||
最高位 | 西前頭2枚目 | |||
生涯戦歴 | 282勝234敗7休(54場所) | |||
幕内戦歴 | 70勝73敗7休(10場所) | |||
データ | ||||
初土俵 | 2011年5月技量審査場所 | |||
入幕 | 2018年7月場所 | |||
趣味 | 音楽鑑賞 | |||
備考 | ||||
2020年4月27日現在 |
明生 力(めいせい ちから、1995年7月24日 - )は、鹿児島県大島郡瀬戸内町出身で、立浪部屋所属の現役大相撲力士。本名は川畑 明生(かわばた めいせい)。身長180cm、体重149kg、血液型はO型。最高位は西前頭2枚目(2019年11月場所)。好物は鶏飯。嫌いなものはトマト、果物[1]。お気に入りのリラックス方法はガム[2]。
来歴
相撲が盛んな土地で相撲好きの父親の下に生まれた川畑少年は、5歳の時に地元の相撲道場に通い始めた。しかし、瀬戸内町立篠川小学校に入学したばかりの1年生の頃に道場は活動停止となり、一旦は相撲を離れることになった[3]。しかし、2年生の終わりから隣町の相撲道場(古仁屋相撲クラブ)へ移籍して相撲の稽古を再開すると相撲漬けの日々を送るようになった。家族や周囲の人間の存在を励みに稽古を重ねて3年生の頃には力士を志すようになり、6年次の全日本小学生相撲優勝大会では優勝の実績を持っている[4]。しかし、瀬戸内町立篠川中学校在学中は全国大会出場経験はあっても[5]タイトル獲得などの実績が無かったことで、プロでは通用しないかもしれない不安を抱え高校進学を検討したこともあったが、父親に一喝されて大相撲入りの決意を固めた[3]。
時は大相撲八百長問題などの不祥事に揺れた頃であり、新弟子検査を受けても初土俵を踏むはずの本場所が中止になっている[6]頃であったが、立浪部屋に入門し、2011年5月技量審査場所で初土俵を踏んだ。入門したばかりの頃、不祥事を受けて引退した猛虎浪から学び、本人も十両昇進時に「あの人の口癖は『我慢』でした。稽古も我慢できる人が強くなる。我慢すれば見えてくるものもありました」と振り返っている。[7]同期生には千代大龍、照ノ富士、常幸龍ら高校・大学を卒業した同期生も多い中で前相撲は2連勝の一番出世を決める。その後も三段目初昇格の場所こそ負け越したが、入門から2年足らずで2013年1月場所では早々と幕下昇進を決める順調な出世となった。しかし腰のヘルニアを患い幕下に定着することはできず、1年半ほどは三段目との往復をしばらく続けた。ヘルニアを理由に引退しようとも思っていたが、父からは「そんなもんか。好きにしろ! やめたら家には戻ってくるなよ!」と突き放され、心が折れそうになった時は「気持ちが弱いんだ!」と叱責された[7]。その後健康な肉体を取り戻し、独学で食事法やプロテインの摂取法を学んだ結果として体重も増える[8]と2014年5月場所に三段目で6勝1敗の大勝ちをしたのを最後に幕下へ定着すると、同年11月場所では幕下15枚目以内の番付も経験した。この頃には「10代で関取」を目標として掲げていたが、20歳を迎える2015年7月場所を幕下で負け越し、目標は達成できなかった。それでも親孝行をすることをモチベーションに[9]2016年は3月場所から連続で勝ち越した。同年8月の夏巡業には一門の総帥である貴乃花巡業部長の付け人として帯同し、部屋には1人もいない関取衆とも稽古を積んだ[10]。直後の9月場所は東幕下3枚目の地位で迎え、最後の相撲となる14日目の十両・朝弁慶戦に勝って4勝3敗の勝ち越しを決め、場所後の番付編成会議で翌11月場所の新十両昇進が決定した[11]。新十両昇進会見では、何度か出稽古に行った先である伊勢ヶ濱部屋で、行くたびに日馬富士から声をかけられたことについて語っており、「チャンスは誰にでもある。ただ何回もやって来るものじゃない。次に、いつ来るかも分からない。来たチャンスを自分でつかみなさい」と言われたことが関取昇進につながったという[7]。その新十両の場所は、五分まで持ち直すことはあったものの一度も白星先行とすることはできずに、十両の壁に跳ね返されて5勝10敗の大敗に終わった。2017年1月場所は1番相撲から2連敗し、3勝3敗で迎えた7番相撲を勝って4勝3敗。3月場所は1番相撲から5連勝で関取復帰を決めるが、残りを2連敗して5勝2敗。帰り十両の5月場所は9勝6敗と、関取の地位で初めて勝ち越した。同年10月5日に行われた秋巡業八千代場所では申し合いを16番行った[12]。11月場所は東十両4枚目の地位で7勝8敗と負け越すも、翌2018年1月場所は半枚下降にとどまる西十両4枚目で8勝7敗と勝ち越し、巡業でも積極的に土俵に立った甲斐あって成果を残した。
2018年7月場所で新入幕を果たすも6勝9敗の負け越しに終わり、十両へ転落した。11月場所で2度目の入幕を果たし、この場所は13日目に勝ち越しを確定させ、9勝6敗。続く2019年1月場所は千秋楽に勝利して8勝7敗の勝ち越し、自身初の幕内での連続勝ち越しを果たした。3月場所は自己最高位の西前頭11枚目。序盤は2勝4敗と負けが込んだが、そこから6連勝で一気に勝ち越しを決めた。13日目はこの場所2敗と好調だった元大関・琴奨菊を上手出し投げで転がし、7日目から7連勝で9勝目を挙げたが、そこからは実力者の碧山、遠藤になすすべなく連敗し、9勝6敗でこの場所を終えた。またしても自己最高位を更新した夏場所は西前頭7枚目。苦戦も予想された。実際、初日から3連敗するなど序盤は負けが込んだが、2勝4敗で迎えた7日目から5連勝で勝ち越しにリーチをかける。給金相撲の12日目の相手はこの場所関脇に転落し、ここまで9勝を挙げてあと一つ勝てば規定により大関に復帰できる栃ノ心優位と思われたが、低い立ち合いから左を差して一気に走り、寄り切る快勝で自身5場所連続の勝ち越しを決めて「いっぱい稽古をつけて幕内に引き上げてくれたのが栃ノ心関。今日はそれを全部出せた」と満足そうだった。この場所はこれ以降も白星を重ね、10勝5敗と幕内では自身初めての二桁勝利を達成した。7月場所は自己最高位をまたまた更新し、東前頭4枚目と上位とも対戦する番付となったが、初日から6連敗を喫するなど不調で、4勝11敗と跳ね返された。この場所9日目には結びの一番で横綱・鶴竜に挑んだが、左四つに組み止められて敗れた。西前頭10枚目に番付を下げた秋場所は序盤から好調であり、9日目に琴奨菊をすくい投げで破って勝ち越しを決め、優勝争いでもトップに躍り出た。しかし、翌日以降は3連敗を喫するなどやや失速し、千秋楽、この場所殊勲賞を獲得した朝乃山をもろ差しから寄り切って快勝し、10勝目を挙げたが、三賞受賞は見送られた。それでも、この場所の相撲は好角家から高評価を得た。続く11月場所は自己最高位を西前頭2枚目に更新。この場所は初日に大関から陥落した栃ノ心を鮮やかな下手捻りで転がし、2日目も小結の遠藤に勝利。3日目は大関取りの御嶽海に敗れたが、4日目は勝利し、5日目は大関・高安の突っ張りを必死にしのぎ、最後は腕捻りで転がして自身初の大関戦勝利を挙げた。しかし、翌日の横綱・白鵬戦に敗れるとそこから4連敗するなど負けが込み、結局は13日目に負け越しが決まり、6勝9敗だった。千秋楽の取組後、本人は「悔しいです。今は、それしか出てこないです」と悔しさをあらわにしていた。12月28日の部屋での稽古で左上腕部と肘の筋肉を部分断裂。2020年1月3日の時点では、1月場所の出場に関して「大丈夫。まあ出るつもりでやってます」と断言を避けた[13]。しかし、1月場所は7日目で1勝6敗と怪我の影響で成績不振となり、中日に日本相撲協会に「左上腕二頭筋部分断裂で加療中。本日より1月場所の休場を要する」との診断書を提出して休場した。師匠の立浪は「痛み、炎症がある。本人ができる限りやりたいと言っていた。それを尊重したかったが、昨日の一番でこれ以上は無理と判断した」と説明[14]。
取り口
得意技は左四つ・寄り。新十両昇進時の報道によると、スピードと腰の重さを活かした取り口を磨いていたという[15]。上手からも下手からも投げを打てる面もあるが、抱えたり掬ったりすることは少ない。
2019年9月場所11日目の石浦戦で見せたような腹を出して差しながらの右のおっつけは荒磯(元横綱・稀勢の里)から「基本の相撲ではないが稽古した人間にしか分からない相撲」と評された[16]。
四つ相撲の取り手だがツラ相撲の傾向があり、2019年1月場所などは初日から2連敗、3日目から6連勝、9日目から5連敗、14日目から残りを2連勝と、白星か黒星が必ず連続していた。
立合いでは相手に先に手を付かせてから自分が手を付く。相手が横綱でもそれは変わらず、2019年11月場所6日目の白鵬戦でも白鵬に先に手を付かせた。これに関して18代藤島は「上位とやるときは若い明生が先に仕切って待つのがふつう。礼儀として、わきまえてもらいたい」と批判した[17]。
主な成績
2020年3月場所終了現在
通算成績
- 通算成績:282勝234敗7休(54場所)
- 幕内成績:70勝73敗7休(10場所)
- 十両成績:73勝62敗(9場所)
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
---|---|---|---|---|---|---|
2011年 (平成23年) |
x | 八百長問題 により中止 |
(前相撲) | 西序ノ口2枚目 4–3 |
東序二段73枚目 5–2 |
東序二段31枚目 5–2 |
2012年 (平成24年) |
西三段目96枚目 2–5 |
東序二段31枚目 6–1 |
西三段目67枚目 5–2 |
西三段目35枚目 4–3 |
西三段目20枚目 4–3 |
東三段目10枚目 4–3 |
2013年 (平成25年) |
西幕下59枚目 4–3 |
東幕下51枚目 3–4 |
東三段目9枚目 4–3 |
西幕下59枚目 3–4 |
西三段目11枚目 4–3 |
西幕下60枚目 3–4 |
2014年 (平成26年) |
東三段目8枚目 4–3 |
西幕下58枚目 3–4 |
東三段目14枚目 6–1 |
東幕下37枚目 6–1 |
東幕下16枚目 4–3 |
西幕下13枚目 3–4 |
2015年 (平成27年) |
西幕下18枚目 5–2 |
東幕下11枚目 4–3 |
西幕下8枚目 4–3 |
東幕下7枚目 2–5 |
西幕下19枚目 5–2 |
東幕下9枚目 3–4 |
2016年 (平成28年) |
西幕下17枚目 3–4 |
西幕下23枚目 5–2 |
西幕下12枚目 5–2 |
東幕下5枚目 4–3 |
東幕下3枚目 4–3 |
西十両14枚目 5–10 |
2017年 (平成29年) |
東幕下6枚目 4–3 |
西幕下3枚目 5–2 |
東十両14枚目 9–6 |
西十両11枚目 9–6 |
西十両8枚目 9–6 |
東十両4枚目 7–8 |
2018年 (平成30年) |
西十両4枚目 8–7 |
東十両3枚目 7–8 |
東十両4枚目 10–5 |
西前頭16枚目 6–9 |
東十両2枚目 9–6 |
西前頭15枚目 9–6 |
2019年 (平成31年 /令和元年) |
西前頭12枚目 8–7 |
西前頭11枚目 9–6 |
西前頭7枚目 10–5 |
東前頭4枚目 4–11 |
西前頭10枚目 10–5 |
西前頭2枚目 6–9 |
2020年 (令和2年) |
東前頭5枚目 1–7–7[18] |
東前頭17枚目 7–8 |
新型コロナウイルス 拡大により中止 |
東十両筆頭 – |
x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
- 明生 力(めいせい ちから)2011年5月技量審査場所 -
主なメディア出演
TV出演
- 密着!すもう部屋物語〜第四幕〜(2019年1月10日、BS日テレ)
脚注
- ^ 『相撲』38ページ
- ^ 場所の行き帰りは常にガムを噛んでおり、本人は「ガム依存症」と自嘲している。
- 『相撲』2018年10月号 p.64
- ^ a b ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年8月号(名古屋場所総決算号) 83頁
- ^ 平成19年の試合記録・結果 公益財団法人 日本相撲連盟
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年8月号(名古屋場所総決算号) 91頁
- ^ “大相撲の新弟子検査 明月院ら36人が合格”. スポニチアネックス. (2011年3月14日) 2016年9月27日閲覧。
- ^ a b c 新十両・明生の胸に刻まれた日馬富士の言葉 日刊スポーツ 2016年9月30日0時24分
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2013年10月号(秋場所総決算号) 91頁
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年6月号(夏場所総決算号) 90頁
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年9月号(秋場所展望号) 78頁
- ^ “小柳ら3人が新十両に 再十両は山口と竜電”. SANSPO.COM. (2016年9月28日) 2016年9月28日閲覧。
- ^ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p2
- ^ 明生が昨年末に左腕筋肉を部分断裂 初場所は前向き 日刊スポーツ 2020年1月3日18時8分(2020年1月5日閲覧)
- ^ 明生が左上腕二頭筋部分断裂で休場 親方「無理」 日刊スポーツ 2020年1月19日14時10分(2020年1月20日閲覧)
- ^ 明生、ヘルニアに苦しむも父の一喝で奮起「甘えていた」 デイリースポーツ online 2018.06.26.(デイリースポーツ、2019年3月22日閲覧)
- ^ 【荒磯親方 真眼】明生、稽古した人間にしか分からない相撲 日刊スポーツ 2019年9月19日 08:30(2019年9月20日閲覧)
- ^ 横綱戦…明生には礼儀をわきまえてもらいたかった SANSPO.COM 2019.11.16 05:00(2020年2月18日閲覧)
- ^ 左上腕二頭筋部分断裂のため中日から休場
関連項目
外部リンク
- 明生 力 - 日本相撲協会