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「ドニエプル川」の版間の差分

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北ロシアの標高220mの[[ヴァルダイ丘陵|ヴァルダイの丘]]に源流を発し、[[東ヨーロッパ平原]]を南へ流れて、最終的には[[黒海]]に流れ込んでいる。川は、115kmの長さに渡って、[[ベラルーシ]]とウクライナの国境になっている。下流の約800km部分には、巨大[[ダム]]によるダム湖が連続している。
北ロシアの標高220mの[[ヴァルダイ丘陵|ヴァルダイの丘]]に源流を発し、[[東ヨーロッパ平原]]を南へ流れて、最終的には[[黒海]]に流れ込んでいる。川は、115kmの長さに渡って、[[ベラルーシ]]とウクライナの国境になっている。下流の約800km部分には、巨大[[ダム]]によるダム湖が連続している。


ドニエプル川流域([[ドニプロ・ウクライナ]])では古代よりさまざまな民族が生活の拠点を築いてきた。北欧・東欧からルーシを経て東ローマ帝国に向かう「[[ヴァリャーグからギリシへの道]]」の一部ともなってきた。[[中世]]には[[キエフ大公国|キエフ・ルーシ]]の都、現代ではウクライナの首都[[キエフ]]もこの流域に位置している。ドニエプル川は、現代のキエフの町を北から南へ縦断して流れている。
ドニエプル川流域([[ドニプロ・ウクライナ]])では古代よりさまざまな民族が生活の拠点を築いてきた。北欧・東欧からルーシを経て東ローマ帝国に向かう「[[ヴァリャーグからギリシへの道]]」の一部ともなってきた。[[中世]]には[[キエフ大公国|キエフ・ルーシ]]の都、現代ではウクライナの首都[[キエフ]]もこの流域に位置している。ドニエプル川は、現代のキエフの町を北から南へ縦断して流れている。


ドニエプル川流域ではその後[[ウクライナ・コサック]]が栄え、[[ヘーチマン国家]]が形成された。
ドニエプル川流域ではその後[[ウクライナ・コサック]]が栄え、[[ヘーチマン国家]]が形成された。

2020年6月26日 (金) 23:11時点における版

ドニエプル川
ウクライナの首都キエフを流れるドニエプル川
延長 2,290 km
平均流量 1,670 m3/s
流域面積 516,300 km2
水源 アクセニア・モーフ沼、ヴァルダイ丘陵南部 (北緯55度52分 東経33度41分 / 北緯55.867度 東経33.683度 / 55.867; 33.683)
水源の標高 220 m
河口・合流先 ドニプロ・ブーフ潟黒海 (北緯46度33分 東経32度20分 / 北緯46.550度 東経32.333度 / 46.550; 32.333)
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ドニエプル川の流域。
ドニエプル川。

ドニエプル川(ドニエプルがわ、ウクライナ語: Дніпроドニプローベラルーシ語: Дняпроドニャプローロシア語: Днепрドニェープル)は、ロシアから始まって、ベラルーシを経てウクライナに流れ黒海に注ぐである。総延長は、2285km。

日本語表記は、他にドネプル川[1]ドニェプル川ドニェープル川などのバリエーションが見られる。ウクライナ語名やベラルーシ語名に沿って表記されることは少ない。

概要

北ロシアの標高220mのヴァルダイの丘に源流を発し、東ヨーロッパ平原を南へ流れて、最終的には黒海に流れ込んでいる。川は、115kmの長さに渡って、ベラルーシとウクライナの国境になっている。下流の約800km部分には、巨大ダムによるダム湖が連続している。

ドニエプル川流域(ドニプロ・ウクライナ)では古代よりさまざまな民族が生活の拠点を築いてきた。北欧・東欧からルーシを経て東ローマ帝国に向かう「ヴァリャーグからギリシアへの道」の一部ともなってきた。中世にはキエフ・ルーシの都、現代ではウクライナの首都キエフもこの流域に位置している。ドニエプル川は、現代のキエフの町を北から南へ縦断して流れている。

ドニエプル川流域ではその後ウクライナ・コサックが栄え、ヘーチマン国家が形成された。

ドニプロという川の名はサルマタイの言葉で「はるか遠くの川」を意味する。反対にドニエストル川は彼らの言葉で「近くの川」の意味である。

ドニエプル川沿いの都市・町(川の上流より)

ロシア

ベラルーシ

ウクライナ

支流

下流より記載(括弧内は合流地点)

脚注

  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年2月17日閲覧。

外部リンク