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2020年6月26日 (金) 23:24時点における版
時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 天仁2年(1109年) |
死没 | 承安5年5月20日(1175年6月10日) |
官位 | 正四位上・大外記兼明経博士 |
主君 |
鳥羽天皇→崇徳天皇→近衛天皇→後白河天皇→二条天皇→六条天皇→高倉天皇 藤原忠実→頼長→近衛基実 |
氏族 | 中原氏師平流 |
父母 | 父:中原師遠、母:惟宗経定娘 |
兄弟 | 師元、師安、師清、師憲、相宴、安覚 |
子 |
師尚、平清貞、師秀、覚元、公元、 藤原尹明室、春日殿 養子:祐安 |
中原 師元(なかはら の もろもと)は、平安時代後期の貴族。大外記・中原師遠の三男。官位は正四位上・大外記兼明経博士。安楽坊遵西の祖父。
経歴
代々大外記を務める家柄に生まれる。元永2年(1119年)元服して音博士に任ぜられ、権少外記・少外記を経て、保安2年(1121年)には自身も大外記の官職に就いている[1]。天治2年(1125年)従五位下に叙爵[1]。以後、直講・助教などを兼任しながら大外記職を務め、保元2年(1157年)に掃部頭に任ぜられた際に一旦辞するが、永暦元年(1160年)に再度任じ、永万2年(1166年)まで勤め上げた。
こうした大外記としての豊かな経験から先例に明るく、大治3年(1128年)に家司として招かれた摂関家において、藤原忠実・頼長父子より厚い信頼を受け、その相談事に数多く与った。忠実との会話を師元が筆録した『中外抄』は、院政期の公家社会の様子を克明に伝える史料の一つである(同書の書名は中原の「中」と大外記の「外」から各々一字を取ったもの)。
保元元年(1156年)の保元の乱によって忠実が奈良の知足院に逼塞して後は、忠実の孫・基実の家司を務める傍ら、大炊頭や出羽守を歴任し、承安2年(1172年)には位階は正四位上に至った[1]。
著作として、『中外抄』のほか、日記『大外記中原師元記』、年中行事解説書『師元年中行事』、『雑外抄』などを残している。
系譜
脚注
参考文献
- 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年・・・系譜セクションの出典