「頌子内親王」の版間の差分
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2020年6月26日 (金) 23:24時点における版
頌子内親王 | |
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続柄 | 鳥羽天皇第七皇女 |
全名 | 頌子(しょうし/のぶこ) |
称号 | 五辻斎院 |
出生 |
天養2年3月13日(1145年4月6日) |
死去 |
承元2年9月18日(1208年10月29日)(享年64) |
父親 | 鳥羽天皇 |
母親 | 春日局(徳大寺実能女) |
役職 | 賀茂斎院 |
頌子内親王(しょうし(のぶこ)ないしんのう、天養2年3月13日[1](1145年4月6日) - 承元2年9月18日[2](1208年10月29日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の皇女、賀茂斎院である。鳥羽天皇の第7皇女。母は美福門院の女房・春日局(徳大寺実能の娘[* 1])。崇徳院、後白河院、近衛天皇は異母兄にあたる。春日姫宮、五辻斎院とも呼ばれた。
経歴
鳥羽院と春日局との間に生まれる。一条北辺五辻宮(京都市上京区)に住した。病没した僐子内親王に代り、承安元年(1171年)6月28日、甥にあたる高倉天皇の賀茂斎院に卜定[3]されるが、同年8月14日に病を理由に退下。安元元年(1175年)、父・鳥羽院の追善供養のため、母・春日局と共に願主となり、長日不断の談義所及び鳥羽院らの菩提を弔う所として、西行の奉行により高野山に蓮華乗院を創建。寿永元年(1182年)、後白河院と遊女の間に生まれた園城寺宮静恵阿闍梨を猶子とする[3]。元暦元年(1184年)出家。五辻斎院御所を坊門院範子内親王に譲って醍醐第に住していたが、建久9年(1198年)に焼亡した[4]。
逸話
歌人・西行は、頌子にとっては祖父・実能の家人であり、父・鳥羽院の北面武士でもあった。こうした縁もあり、鳥羽院追善を目的とした蓮華乗院の造営にあたっては、当時高野山に住していた西行が勧進を勤めている[* 2]。頌子は蓮華乗院の維持費用として、相続した紀伊国の南部庄[* 3]から水田10町を寄進している[* 4][* 5]。治承元年(1177年)には早くも蓮華乗院が東別所から壇上伽藍に移築され、金剛峰寺方と大伝法院方の争論を和解させるための談義の場として用いられた[5][* 6]。その後も頌子は、南部庄からの収入を蓮華乗院仏聖灯油及び談義僧供料に充てるなどして後援し、建久5年(1194年)には、約200町ある同庄全体を、隣接の相楽庄約30町と共に、蓮華乗院に寄進することを決めている[* 7]。
脚注
注釈
- ^ 養女とも。
- ^ 当初勧進にあたった大義房賢宗が没したため、西行が引き継いだとも言う。
- ^ 後三条天皇の第3皇子輔仁親王 → 娘 守子女王(伏見斎宮) → ・・・ → 春日局 → 娘 頌子 と相続された。『和歌山県地名大辞典』(角川書店、1985年)「みなべ 南部」を参照。
- ^ 前斎院庁下 南部御庄政所
可早寄進於高野山蓮華乗院当御庄内山内村田拾町事
右件御堂為故鳥羽院御菩提所令建立御也
仍以件村所当地利為被宛彼仏性燈油人供等令寄進者也
(以下略)(『前斎院庁下文』 承安五年六月二四日) - ^ 辻邦生『西行花伝』では、病弱な頌子の健康を願う母春日局の意志で寄進されたとする。
- ^ 母春日局から高野山に宛てた1177年(安元3年)6月22日付書状(高野山文書)で、「大本房の聖」(西行)が定めた通りに実行せよと要求している。
- ^ 『前斎院庁寄進状』(建久五年四月)。実際の寄進は頌子の没後に執行。
出典
参考文献
- 五味文彦 『大仏再建―中世民衆の熱狂』 (講談社選書メチエ) 1995年9月10日 講談社 ISBN 978-4062580564
- 辻邦生 『西行花伝』 1995年4月 新潮社 ISBN 978-4103142164