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「蕉門十哲」の版間の差分

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* 緑亭川柳ほか編『俳人百家撰』博文館,1894
* 緑亭川柳ほか編『俳人百家撰』博文館,1894
* 森川許六編『風俗文選・和漢文操・鶉衣』有朋堂,1922
* 森川許六編『風俗文選・和漢文操・鶉衣』有朋堂,1922
* [[佐々醒雪]],[[谷小波]]『俳人逸話紀行集』[[博文館]],1915
* [[佐々醒雪]],[[谷小波]]『俳人逸話紀行集』[[博文館]],1915
* [[志田義秀]]『[http://uwazura.seesaa.net/image/sida_syomon10.pdf 岩波講座日本文学 蕉門十哲]』岩波書店,1932
* [[志田義秀]]『[http://uwazura.seesaa.net/image/sida_syomon10.pdf 岩波講座日本文学 蕉門十哲]』岩波書店,1932
* [[伊地知鉄男]]ほか編『俳諧大辞典』[[明治書院]],1957
* [[伊地知鉄男]]ほか編『俳諧大辞典』[[明治書院]],1957

2020年7月3日 (金) 06:11時点における版

蕉門十哲(しょうもんじってつ)は、松尾芭蕉の弟子の中で、特に優れた高弟10人を指す語。孔門十哲にならっていう[1][2]蕉門の十哲とも。

概要

森川許六の「師ノ説」(『風俗文選』所収)に「其道を継ぐ十哲の門人」[3]とあるのをはじめ、各務支考らもこれを説いているが、10人が誰に当たるかについては諸説ある[1][4]

なお、蕉門十哲を表す語としては、「蕉門十哲」のほか、釈迦十大弟子にならう「十大弟子」という語もある。この種の語の初見は、許六の「宝永元年記」の「去来誄」で、これに「猶生き残りたる十大弟子の中にも」とあるため、この種のものは、宝永元年以前、元禄末ころに発唱されていたのではないかと推測する見解がある[5]

一般的な蕉門十哲

一般には、竹内青々編『続俳家奇人談[6]』(天保3年(1832年))の与謝蕪村筆とされる賛画に描かれた、次の10名とされることが多い[1][2][4]。 このうち、其角、嵐雪、去来、丈草は,江戸期の諸書を通じて十哲に挙げられている[1][2]。許六、杉風が挙げられることも多い[4]

宝井其角(たからい きかく)
寛文元年(1661年) - 宝永4年(1707年) 蕉門第一の高弟。江戸座を開く。
服部嵐雪(はっとり らんせつ)
承応3年(1654年) - 宝永4年(1707年) 其角とならんで蕉門の双璧をなす。
向井去来(むかい きょらい)
慶安4年(1651年) - 宝永元年(1704年) 京都嵯峨野に別荘「落柿舎」を所有。芭蕉より野沢凡兆とともに「猿蓑」の編者に抜擢される。
内藤丈草(ないとう じょうそう)
寛文2年(1662年) - 宝永元年(1704年)
森川許六(もりかわ きょりく)
明暦2年(1656年) - 正徳5年(1715年) 晩年になって入門。画の名人で芭蕉に画を教える。
杉山杉風(すぎやま さんぷう)
正保4年(1647年) - 享保17年(1732年) 本名は杉山市兵衛。蕉門の代表的人物で芭蕉の経済的支援者。深川芭蕉庵の近くに庵があり、「採荼庵」(さいだあん、さいとあん)と云った。
各務支考(かがみ しこう)
寛文5年(1665年) - 享保16年(1731年
立花北枝(たちばな ほくし)
生年不詳 - 享保3年(1718年) 「奥の細道」の道中の芭蕉と出会い入門。
志太野坡(しだ やば)
寛文2年(1662年) - 元文5年(1740年) 芭蕉の遺書を代筆。
越智越人(おち えつじん)
明暦2年(1656年) - 没年不詳  尾張蕉門の門人。「更科紀行」の旅に同行。

その他の蕉門十哲

以下のような人選をしたものも見られる。

資料 其角 嵐雪 去来 丈草 許六 杉風 支考 北枝 野坡 越人 その他の門人
『俳諧独稽古』[7] 三上千那河合曾良、天野桃隣
『関清水物語』[8] 広瀬惟然服部土芳
『鮫洲抄』[9] 桃隣、斯波園女水田正秀
『俳人百家撰』[10] 曾良
『風俗文選通釈』[11] 山本荷兮菅沼曲水野沢凡兆、曾良

このほか松倉嵐蘭、槐本諷竹(之道)、江左尚白浜田洒堂(珍碩)、中川乙由が含められる場合もある[1][4]

出典

  1. ^ a b c d e 『総合芭蕉事典』153頁
  2. ^ a b c 『俳文学大辞典』417頁
  3. ^ 『風俗文選・和漢文操・鶉衣』87頁(『風俗文選』巻之四)
  4. ^ a b c d 『俳諧大辞典』335頁
  5. ^ 『蕉門十哲』7頁
  6. ^ 続俳家奇人談』(『俳人逸話紀行集』に収録)
  7. ^ 『蕉門十哲』5頁
  8. ^ 『蕉門十哲』5-6頁
  9. ^ 『鮫洲抄』「左右十哲肖像額 讃」の項
  10. ^ 『俳人百家撰』2丁裏-3丁表
  11. ^ 『蕉門十哲』6頁

参考文献