「いつも2人で」の版間の差分
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* 編集 : マドレーヌ・ギュ/リチャード・マーデン |
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* タイトル・デザイン : [[モーリス・ビンダー]] |
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* オードリー・ヘプバーンの衣裳担当:[[パコ・ラバンヌ]]、[[マリー・クヮント]]他 |
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== エピソード == |
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2020年7月3日 (金) 06:11時点における版
いつも2人で | |
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Two for the Road | |
監督 | スタンリー・ドーネン |
脚本 | フレドリック・ラファエル |
製作 | スタンリー・ドーネン |
出演者 |
オードリー・ヘプバーン アルバート・フィニー ジャクリーン・ビセット |
音楽 | ヘンリー・マンシーニ |
撮影 | クリストファー・チャリス |
配給 | 20世紀フォックス |
公開 |
1967年4月27日 1967年7月15日[1] 1967年8月31日 |
上映時間 | 111分 |
製作国 |
アメリカ合衆国 イギリス ※資料により異なる |
言語 |
英語 フランス語 |
製作費 | $4,000,000 |
興行収入 | $3,500,000(北米配収、1968年1月) |
『いつも2人で』(いつもふたりで、Two for the Road)は、1967年の20世紀フォックス映画。 オードリー・ヘプバーンのキャリアにおける代表作の一つで、『パリの恋人』と『シャレード』でオードリーを演出したスタンリー・ドーネン監督と3度目のタッグを組んだ作品である。
あらすじ・解説
1954年から1966年の12年間の1組の夫婦の軌跡を、6つの時間軸を交錯させながら描いたロード・ムービー。オードリー・ヘプバーン演じるジョアンナの髪型と乗っている車で時代を見分ける。
監督のスタンリー・ドーネンは、「この作品は結婚の困難な一面を描いた作品だった。オードリー・ヘプバーンの作品は恋の喜びを描いたものがほとんどだが、これはその後の試練を描いている」と語っている[2]。
以下の6回の旅が順不同で交錯する。
1:1954年、出会ったばかりでヒッチハイクをしながら旅をする学生時代の2人。
- ジョアンナの髪型はロングヘアのおでこを見せたもの。前半はカチューシャ、後半は後ろで髪をくくっている。
2:結婚後2年で、夫マークの元の彼女のマンチェスター親子との5人での旅。ジョアンナは子供が欲しいと言っている。映画の前半のみ登場。
- ジョアンナは前髪を下ろしてトップを盛り上げた外ハネのロングヘア。
- 車は1957年製、黄色のフォード・カントリー・スクワイア。
3:何かの記念日でのやっと買った中古の車で2人だけの旅。最初に出てくるシーンのパスポートのスタンプで1959年とわかる。途中でジョアンナが子供ができたと報告する。旅の途中でパトロンとなるモーリスと知り合う。
4:ジョアンナは生まれたばかりの子供の世話で留守番、画面に出てこない。1人旅のマークは途中で浮気。次の旅は家族3人で行きたいと語ってトンネルを抜けると、5番目の旅に切り替わる。映画の真ん中でのみ登場。
- 車は1961年赤のトライアンフ・ヘラルド・コンバーチブル。浮気相手の青い車は、1959年ルノー・フロリード・カブリオレ(fr:Renault Floride)
5:生まれた子供も3才くらいに大きくなってきたので、親子3人での旅。夫婦の危機。途中でジョアンナが浮気。映画の後半のみ登場。
- ジョアンナの髪型はおでこを見せたショートのオカッパヘアの外ハネ。カチューシャをしている。
- 車は4回目と同じ。1961年赤のトライアンフ・ヘラルド・コンバーチブル。
6:1966年の現在。再度夫婦の危機。
映画のラストで、一瞬で全部の旅が時間軸順に登場する。
キャスト
※括弧内は日本語吹替(初回放送1975年11月14日『ゴールデン洋画劇場』)
- ジョアンナ・ウォレス(1936年7月11日生[3]): オードリー・ヘプバーン(池田昌子)
- マーク・ウォレス(1933年8月22日生[3]): アルバート・フィニー(前田昌明)
- ジャッキー : ジャクリーン・ビセット
- ハワード・マンチェスター:ウィリアム・ダニエルズ(羽佐間道夫)
- キャシー・マンチェスター:エレノア・ブロン(谷育子)
- パット:ジュディ・コーンウェル
- モーリス:クロード・ドーファン(千葉耕市)
- フランソワーズ:ナディア・グレイ(瀬能礼子)
スタッフ
- 原作:フレドリック・ラファエル(Frederic Raphael)「愛情の限界」
- 監督 : スタンリー・ドーネン
- 脚色 : フレドリック・ラファエル
- 製作 : スタンリー・ドーネン
- 音楽 : ヘンリー・マンシーニ
- 撮影 : クリストファー・チャリス
- 編集 : マドレーヌ・ギュ/リチャード・マーデン
- タイトル・デザイン : モーリス・ビンダー
- オードリー・ヘプバーンの衣裳担当:パコ・ラバンヌ、マリー・クヮント他
エピソード
・撮影は1966年4月から9月にかけて行われ、撮影中に37才の誕生日を迎えたヘプバーンが誕生日ケーキを前にした写真が残されている[4]。
・1966年に結婚12年で1960年生まれの子供が一人いる、という設定は撮影時のオードリー・ヘプバーンと全く同じだった。
・2013年春夏物のモスキーノのコレクションでは「いつも2人で」がイメージソースとなっている[5][6]。
音楽について
当初、ヘンリー・マンシーニは多忙で断ったが、オードリー・ヘプバーンがマンシーニに直接「お願いですから『いつも2人で』の音楽を担当してくださらないかしら。これは私が知る中でも最高の脚本で、すばらしくデリケートで、おかしくて、かつロマンティックなの。あなたが曲を作ってくださる以外には誰も思い浮かびません」と電報[7]を送ったと、ヘプバーンの死後にマンシーニ自身が述べている[8]。そして、マンシーニは快諾して作曲することになった。
また、来日時のマンシーニへのインタビューで、「最も好きな自作は?」と聞かれて「いつも2人で」と答えているほど、会心の出来だった[9]。
作品の評価
映画雑誌『スクリーン』で「ぼくの採点表」というコーナーを持っていた映画評論家双葉十三郎氏の評価は☆☆☆☆で80点(ダンゼン優秀)[10]。これはオードリー・ヘプバーン作品では『ローマの休日』の☆☆☆☆★(85点)[11]に次いで、『麗しのサブリナ』『パリの恋人』『昼下りの情事』[11]『シャレード』『マイ・フェア・レディ』『暗くなるまで待って』[10]と並ぶ高得点である。
チャールズ・ハイアムの著したヘプバーンの伝記では「オードリーの最高傑作」と書かれている。
村上春樹はこの作品を「私の一本の映画」という本で推している。
スティーブン・スピルバーグ監督は、スタンリー・ドーネン死去の際に声明を発表して、個人的なお気に入り映画として『シャレード』『悪いことしましョ!』『いつも2人で』を挙げている[12][13]。
賞歴
- 受賞
- 最優秀作品賞(ゴールデン・シーシェル):スタンリー・ドーネン
- ノミネート
- アカデミー脚本賞:フレデリック・ラファエル
- ノミネート
- 脚本賞:フレデリック・ラファエル
- ノミネート
- 長編映画監督賞:スタンリー・ドーネン
英国脚本家協会賞
- 受賞
- 最優秀オリジナル脚本賞:フレデリック・ラファエル
- 最優秀コメディ脚本賞:フレデリック・ラファエル
スペイン脚本家組合賞
- 受賞
- 最優秀外国映画賞:フレデリック・ラファエル
脚注
- ^ 南俊子. (1971年12月20日初版発行). 『シネアルバム5 オードリー・ヘプバーン』. 芳賀書店.
- ^ 日本コロムビアや20世紀フォックスからDVDが発売され、BS11でも放送された『想い出のオードリー・ヘプバーン』、ドーネン監督自身の言葉。
- ^ a b 3回目の旅の最初のシーンで出てくるパスポートに記されている
- ^ 映画の友11月臨時増刊「オードリイ・ヘップバーン全集」p59. 株式会社映画の友. (1966年)
- ^ “モスキーノ2013ssは、ビーハイヴとミニドレスで’60満開”. VOGUE JAPAN. 2012年9月25日閲覧。
- ^ “SPRING 2013 READY-TO-WEAR,Moschino”. VOGUE. SEPTEMBER 21, 2012閲覧。
- ^ 1977年雄鶏社発行の「カタログ オードリー・ヘプバーン」では電話をしたことになっている
- ^ マンシーニが編纂したCD『ムーン・リバー〜オードリー・ヘプバーン スクリーン・テーマ・ベスト』の解説より
- ^ 『ロードショー』. 集英社. (1975年9月号(7月発行))
- ^ a b 双葉十三郎 (1988年6月30日初版発行). 『ぼくの採点表2 1960年代』. トパーズ・プレス
- ^ a b 双葉十三郎 (1990年10月15日初版発行). 『ぼくの採点表1 1940/1950年代』. トパーズ・プレス
- ^ “スタンリー・ドーネン監督死去”. 映画.com. 2019年2月26日 12:30閲覧。
- ^ “スタンリー・ドーネン監督死去”. Yahoo!JAPANニュース. 2019年2月26日 12:30閲覧。