コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「文芸倶楽部」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m 外部リンクの修正 http:// -> {{Wayback}} (.cool.ne.jp/) (Botによる編集)
Cewbot (会話 | 投稿記録)
46行目: 46行目:
* [[森下雨村]]:1927年から。1931年退社。
* [[森下雨村]]:1927年から。1931年退社。


前から博文館は、[[尾崎紅葉]]・[[広津柳浪]]・[[石橋思案]]・[[川上眉山]]・[[江見水蔭]]・[[大橋乙羽]]・[[谷小波]]・[[徳田秋声]]・[[泉鏡花]]・[[武内桂舟]]らの硯友社と親しく、リーダーの紅葉の斡旋で、柳浪は博文館の元社員、小波は社員、水蔭と桂舟は準社員。そして乙羽は館主[[大橋佐平]]の婿だった。従って、先ず彼らが[[小説]]などを書いていた。[[泉鏡花]]はこの雑誌から世に出た。
前から博文館は、[[尾崎紅葉]]・[[広津柳浪]]・[[石橋思案]]・[[川上眉山]]・[[江見水蔭]]・[[大橋乙羽]]・[[谷小波]]・[[徳田秋声]]・[[泉鏡花]]・[[武内桂舟]]らの硯友社と親しく、リーダーの紅葉の斡旋で、柳浪は博文館の元社員、小波は社員、水蔭と桂舟は準社員。そして乙羽は館主[[大橋佐平]]の婿だった。従って、先ず彼らが[[小説]]などを書いていた。[[泉鏡花]]はこの雑誌から世に出た。


その後、[[幸田露伴]]・[[田山花袋]]・[[国木田独歩]]・[[樋口一葉]]らも小説を書いた。一葉は、[[文学界 (明治)|文学界]]に連載した『たけくらべ』を、この雑誌に一括掲載して、文名を確かにした。
その後、[[幸田露伴]]・[[田山花袋]]・[[国木田独歩]]・[[樋口一葉]]らも小説を書いた。一葉は、[[文学界 (明治)|文学界]]に連載した『たけくらべ』を、この雑誌に一括掲載して、文名を確かにした。

2020年7月3日 (金) 06:19時点における版

文芸倶楽部
創刊号の表紙
水野年方
ジャンル 文芸雑誌
刊行頻度 月刊
発売国 日本の旗 日本
言語 日本語
出版社 博文館
編集長 宮沢春文・三宅青軒・田村松魚・
石橋思案・森暁紅・森下雨村
刊行期間 1895年1月 - 1933年1月
発行部数 30,000部(1897年頃三宅青軒[1].調べ)
テンプレートを表示

文芸倶楽部(ぶんげいくらぶ)は、1895年明治28年)1月から1933年昭和8年)1月まで、博文館が出版した文芸雑誌純文学誌として出発したが、大正期以降、大衆化した。

歴史

博文館の既刊の、『世界文庫』『明治文庫』『逸話文庫』『文芸共進会』『春夏秋冬』が統合して、この雑誌になった。

博文館はこのとき、『日本商業雑誌』『日本大家論集』『日本農業雑誌』『日本之法律』『婦女雑誌』を『太陽』誌に、『日本之少年』『幼年雑誌』『学生筆戦場』『少年文学』『幼年玉手箱』を『少年世界』誌にまとめた。『太陽』が総合雑誌、『文芸倶楽部』が文芸雑誌、『少年世界』が少年雑誌という3本立てだった。

創刊時は、菊判、約240ページ。硯友社系の小説と豪華な挿画とを『売り』にした。

歴代の編集者は次。

  • 宮沢春文:1895年1月から1897年8月まで。
  • 三宅青軒:1897年9月から1902年11月まで。
  • 田村松魚:1901年1月から1902年11月まで。
  • 石橋思案:1902年12月から1916年9月まで。
  • 森暁紅:1923年 - 1924年頃。
  • 森下雨村:1927年から。1931年退社。

前から博文館は、尾崎紅葉広津柳浪石橋思案川上眉山江見水蔭大橋乙羽巖谷小波徳田秋声泉鏡花武内桂舟らの硯友社と親しく、リーダーの紅葉の斡旋で、柳浪は博文館の元社員、小波は社員、水蔭と桂舟は準社員。そして乙羽は館主大橋佐平の婿だった。従って、先ず彼らが小説などを書いていた。泉鏡花はこの雑誌から世に出た。

その後、幸田露伴田山花袋国木田独歩樋口一葉らも小説を書いた。一葉は、文学界に連載した『たけくらべ』を、この雑誌に一括掲載して、文名を確かにした。

挿画は、日清戦争の報道で網目銅板写真の技術を磨き、また、梶田半古武内桂舟水野年方富岡永洗尾形月耕鏑木清方らの木版画で誌面を飾り、芸者や役者の肖像で目を引いた。

第2次新小説と、文芸雑誌の横綱を張っていたが、1903年(明治36年)秋に尾崎紅葉が没し、硯友社は解散した。島崎藤村の『破戒』(1906年)や田山花袋の『蒲団』(1907年)など、自然主義文学が台頭して、第2次『早稲田文学』や中央公論が勢いつき、『文芸倶楽部』は大衆化へと路線を変えた。

1907年(明治40年)頃から、講談や落語を載せるようになり、大正期に入って大衆向け娯楽雑誌の色彩を濃くした。岡本綺堂の『半七捕物帳』を1918年1月から1926年12月まで連載した。1927年(昭和2年)、森下雨村の編集になってからは、松本泰小酒井不木・森下雨村・延原謙保篠龍緒甲賀三郎江戸川乱歩大下宇陀児濱尾四郎水谷準らの探偵小説も載せた。

掲載文芸作品(抄)

  • 川上眉山:『大さかづき』(1895.1)。『絃声』(1897.10)。『凡人界』(1903.10)。『澪標』(1905.6)。
  • 泉鏡花:『夜行巡査』(1895.4)。『外科室』(1895.6)。『化銀杏』(1896.2)。『一の巻』(1896.5)。『誓之巻』1897.1。『風流蝶花形』(1897.6)。『髯題目』(1897.12)。『笈摺草紙』(1898.4)。『白羽箭』(1903.11)。『外国軍人通信員』(1904.7)。『柳小島』(1904.9)。『深沙大王』(1904.10)。『悪獣篇』(1905.12)。
  • 前田曙山:『蝗うり』(1895.4)。
  • 広津柳浪:『黒蜥蜴』(1895.5)。『今戸心中』(1896.7)。『浅瀬の波』(1896.11)。『変目伝』1896.12。『非国民』(1897.1)。『七騎落』(1897.9)。『骨ぬすみ』(1899.1)。『二人やもめ』(1899.1)。『紫被布』(1899.3)。『縁不縁』(1902.1)。『八幡の狂女』(1902.3)。『松原饅頭』(1904.1)。『都の夢』(1904.7)。
  • 田山花袋:『水車小屋』(1895.7)。『断流』(1896.2)。『無名草』(1896.2)。『柿の実』(1899.4)。『悲痛の調』(1902.12)。『悲劇?』(1904.4)。『名張乙女』(1905.6)。
  • 樋口一葉:にごりえ(1895.9)。『十三夜』(1895.12)。『たけくらべ』(1896.4)(初出は『文学界』(1895.1 - 3、8、11 - 1896.1))。『われから』(1896.5)。
  • 江見水蔭:『女房殺し』(1895.10)。『泥水清水』(1896.4)。『旅役者』(1900.1)。『悲劇オセロ』(1903.2)。
  • 小杉天外:『奇病』(1895.11)。『改良若殿』(1896.2)。『つとめ人』(1902.3)。
  • 三宅花圃:『萩桔梗』(1895.12)。
  • 依田学海:『弁内侍』(1896.1)。
  • 三宅青軒:『可憐児』(1896.2)。
  • 後藤宙外:『ありのすさび』(1896.2)。『白日夢』(1898.12)。
  • 小栗風葉:『看護婦』(1896.2)。『寝白粉』(1896.9)。『ストライキ』(1903.9)。『予備兵』(1904.3)。『うしろ姿』(1904.4)。
  • 太田玉茗:『菫の花束』(1896.2)。
  • 桐生悠々:『仲尼』(1896.2)。
  • 北田薄氷:『乳母』(1896.6)。
  • 柳川春葉:『神の裁判』(1896.7)。『秋袷』(1902.12)。『妥協』(1907.6)。
  • 徳田秋声:『薮柑子』(1896.8)。『みだれ心』(1902.7)。『お静』(1902.9)。『みち芝』(1904.3)。
  • 中島湘煙:『一沈一浮』(1897.1)。
  • 内田魯庵訳:『戦塵(ゾラ)』(1897.2)。『かた鶉』(1899.4)『破垣』(1902.1)(当局の誤解による発禁[2]
  • 尾崎紅葉:『恋のぬけがら』(1897.4)。
  • 国木田独歩:『源叔父』(1897.8)。『窮死』(1907.6)。
  • 幸田露伴:『二日物語』(1898.2)。『椀久物語』(1899.1)。『二日物語』(1902.1)。
  • 清水紫琴:『したゆく水』(1898.2)。『移民学園』(1899.8)。
  • 二葉亭四迷訳:『くされ縁』、(ツルゲーネフの『ペトウシコフ』)、(1898.11)。
  • 斎藤緑雨:『おぼろ夜』(1899.1)。
  • 堺利彦:『黒暗々』(1899.9)。
  • 生田葵山:『春一夜』(1899.10)。『都会』(1908.2)。
  • 永井荷風:『薄衣』(1899.10)。『小夜千鳥』(1902.3)。『市俄古の休日』(シカゴの……)(1905.12)(のち『あめりか物語』に収録)。
  • 松居松葉:『悪源太』(1899.11)。『壺中の玉章』(1928.2、3)。
  • 渡辺霞亭:『紫娘』(1902.1)。『神鹿』(1902.4)。『浪花潟』(1907.6)。住吉の陣営(1922.7)。
  • 田村俊子:『露分衣』(1903.2)。『やきもち』(1910.12)。
  • 田口掬汀:『虚無党』(1903.12)。
  • 饗庭篁村:『火雨洞』(1904.7)。
  • 瀬沼夏葉訳:『貧しき少女』(ドストエフスキー貧しき人々の部分訳)(1904)。
  • 榎本破笠:『平重衡』(1906.6)。
  • 島崎藤村:『並木』(1907.6)。
  • 長谷川時雨:『雲』(1908.9)。
  • 岡本綺堂:『修禅寺物語』(1911.1)。『半七捕物帳』(7篇)(1917.1 - 7)、(6篇)(1918.1 - 6 )、(1920.5 - 1926.12 )32篇。(以降の掲載は講談倶楽部)。
  • 正宗白鳥:『親心』(1911.1)。『堕落』(1918.2)。
  • 久米正雄:『白い手』(1927.8)。
  • 片岡鉄兵:『獻立表の手柄』(1928.9)。
  • 川口松太郎:『啜泣く黒髪』(1928.9)、『愛慾袁彦道』(1929.1)。『安政侠艶録』(1929.5)。『妖し妻』(1930.6)。『未婚の未亡人』(1932.6)。『新椿姫』(1932.7)。『女優と暴力団』(1932.9)。『巴里哀史』(1932.11)。『道頓堀小夜時雨』(1932.12)。『女給哀史』(1933.1)。
  • 大佛次郎:『剣俠閃光陣』(1928)。
  • 佐々木味津三:『旗本退屈男』、(1929.4)。
  • 野村胡堂:『百唇の譜』、(1931.9)。

脚注

  1. ^ 永井荷風『書かでもの記 三』(1918)
  2. ^ 木村毅:『文芸東西南北』、平凡社 東洋文庫625(1997)P.35)

出典

  • 坪谷善四郎:『博文館五十年史』、博文館(1937)
  • 柳田泉:『明治大正期文芸雑誌の変遷』(『随筆 明治文学 1』、平凡社 東洋文庫741(2005)所収)
  • 石丸久:『文芸倶楽部』(「新潮日本文学辞典 増補改訂版」p.1097)

参考図書

外部リンク