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[[寛政]]年間に問屋役を務めていた斉藤次右衛門が始めたと伝わる。[[1852年]]([[嘉永]]5年)の大火後に再建。宿場で一番西にあった旅籠で、江戸時代の面影を遺す数少ない建物のひとつ。精巧な木組みと細かな格子が特徴的で、当時建築にあたっては江戸より棟梁を招いたとのこと。日坂宿の旅籠である萬屋は庶民が宿泊したのに対して、川坂屋は武士や公家が宿泊する格の高い旅籠であった。[[1862年]]([[文久]]2年)の「宿内軒並取調書上帳」によると、「間口六間、畳五拾八畳半、板鋪六畳、奥行拾三間」と記録されている。明治初頭に一旦廃業後も要人に宿を提供したことから、[[山岡鉄舟]]、[[巖谷一六]]、[[西郷従道]]などの書が残されている。[[1993年]]([[平成]]5年)まで住居として使用。[[2000年]](平成12年)に修理工事が完了して、翌年、市の有形文化財建造物に指定された。 |
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== 利用案内 == |
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2020年7月3日 (金) 06:26時点における最新版
川坂屋(かわざかや)は旧東海道の日坂宿にある旧旅籠の建物で、掛川市指定の有形文化財建造物。
歴史 ・概要
[編集]寛政年間に問屋役を務めていた斉藤次右衛門が始めたと伝わる。1852年(嘉永5年)の大火後に再建。宿場で一番西にあった旅籠で、江戸時代の面影を遺す数少ない建物のひとつ。精巧な木組みと細かな格子が特徴的で、当時建築にあたっては江戸より棟梁を招いたとのこと。日坂宿の旅籠である萬屋は庶民が宿泊したのに対して、川坂屋は武士や公家が宿泊する格の高い旅籠であった。1862年(文久2年)の「宿内軒並取調書上帳」によると、「間口六間、畳五拾八畳半、板鋪六畳、奥行拾三間」と記録されている。明治初頭に一旦廃業後も要人に宿を提供したことから、山岡鉄舟、巖谷一六、西郷従道などの書が残されている。1993年(平成5年)まで住居として使用。2000年(平成12年)に修理工事が完了して、翌年、市の有形文化財建造物に指定された。
利用案内
[編集]- 開館時間 - 10:00~16:00
- 開館日 - 土日祝日のみ開館
- 入館料 - 無料
外部リンク
[編集]座標: 北緯34度48分9.5秒 東経138度4分34.2秒 / 北緯34.802639度 東経138.076167度