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2020年7月9日 (木) 12:55時点における版
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Franco BRIENZA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1979年3月19日(45歳) | |||||
出身地 | カントゥ | |||||
身長 | 172cm | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | FCバーリ1908 | |||||
ポジション | MF, FW (WG, OMF, CF) | |||||
背番号 | 10 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1985-1994 | カンパニャーノ | |||||
1994-1995 | イゾロット | |||||
1995-1997 | イモレーゼ | |||||
1997-1999 | フォッジャ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995-1996 | イモレーゼ | 2 | (0) | |||
1997-2000 | フォッジャ | 59 | (8) | |||
2000-2008 | パレルモ | 168 | (17) | |||
2002-2003 | → アスコリ (loan) | 30 | (7) | |||
2004 | → ペルージャ (loan) | 12 | (2) | |||
2008-2010 | レッジーナ | 81 | (23) | |||
2010-2012 | シエーナ | 65 | (11) | |||
2012-2013 | パレルモ | 14 | (1) | |||
2013-2014 | アタランタ | 23 | (1) | |||
2014-2015 | チェゼーナ | 30 | (8) | |||
2015-2016 | ボローニャ | 29 | (3) | |||
2016- | バーリ | 0 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
2005 | イタリア | 2 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年10月25日現在。 2. 2008年7月30日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
フランコ・ブリエンツァ(Franco Brienza, 1979年3月19日 - )は、イタリア・カントゥ出身のサッカー選手。FCバーリ1908に所属している。左右ウィングを得意とするが、トップ下やセンターフォワードなど攻撃的ポジションを複数こなす。
経歴
いくつかのクラブでユース時代を過ごした後、1997年にセリエBに所属していたフォッジャ・カルチョでプロデビューし、3年間プレーした。素質を評価され21歳の時にASローマと契約したが、すぐさまセリエC1のUSチッタ・ディ・パレルモに貸し出された。この移籍は、当時のローマ会長であったフランコ・センシがパレルモも所有していたために実現したものであり、若手に経験を積ませるためにブリエンツァら数名の選手が送り込まれた。
パレルモでは主力として活躍し、セリエC1優勝を経験。2002年に完全移籍する。マウリツィオ・ザンパリーニがパレルモを買い取った2002-03シーズンは開幕後にアスコリ・カルチョにレンタル移籍し、7ゴールを挙げた。翌シーズンはパレルモに戻り、主力として活躍したが、1月にペルージャ・カルチョに期限付き移籍。ここで初めてセリエAでプレーする機会を与えられた。ブリエンツァはペルージャでもレギュラーを勝ち取ったがチームは降格した。
シーズン終了後にセリエBで優勝したパレルモに戻る。パレルモにとって32年ぶりのセリエA挑戦となった2004-05シーズンは、ペルージャでチームメイトだったファビオ・グロッソや、エースのルカ・トーニなどと共に不可欠な存在となり、10ゴールを挙げた。この活躍によりマルチェロ・リッピ監督率いるイタリア代表にも選ばれ、2005年6月8日のセルビア・モンテネグロ戦でA代表初キャップを記録した。
2005-06シーズンは、新監督ルイジ・デルネーリの採用した4-4-2フォーメーションに適応できず出場機会は減少した。その後もパレルモで活躍ができずにいたが、2007-08シーズン後半戦から期限付き移籍したレッジーナ・カルチョでは半年で7ゴールをマークし復活した。その後完全移籍し主力としてさらに2シーズンプレー。セリエBでプレーすることになった2009-10シーズンは11得点を挙げたがこのシーズン限りでレッジーナを退団し、ACシエーナと契約した。
シエーナでは一年目にセリエA昇格を成し遂げる。2年目はジュゼッペ・サンニーノ監督のもとトップ下として新境地を開拓し、プレーメーカーとして活躍を見せた。この活躍からシーズン終了後、サンニーノ監督が就任した古巣パレルモに34歳にして復帰することになった[1]。しかし、わずか開幕3試合でサンニーノ監督が解任。ブリエンツァ自身はその後も出場機会を得ていたが、冬の移籍市場最終日の2013年1月31日、アタランタBCへの完全移籍が決まった[2]。
2014年8月13日、セリエAに復帰したACチェゼーナに加入した[3]。
2015-16シーズンはボローニャFCでプレー[4]。翌年8月30日、セリエBのFCバーリ1908へ2年契約で移籍することが発表された[5]。
タイトル
- パレルモ
- セリエC1 : 2000-01
脚注
- ^ “MOVIMENTI DI MERCATO” (Italian). palermocalcio.it. (2012年6月22日)
- ^ “BRIENZA SI TRASFERISCE ALL'ATALANTA LORES E SOSA CEDUTI IN PRESTITO” (Italian). palermocalcio.it. (2013年1月31日)
- ^ Franco Brienza è bianconero ACチェゼーナ公式ウェブサイト 2014年8月13日付
- ^ “UFFICIALE: Bologna, arriva il trequartista Brienza”. TuttoMercatoWeb.com (2015年7月24日). 2015年12月24日閲覧。
- ^ “UFFICIALE: Bari, colpo Brienza per il centrocampo”. TuttoMercatoWeb.com (2016年8月30日). 2016年10月25日閲覧。
外部リンク
- Franco Brienza | Football Stats Soccerbase
- Franco Brienza - player profile Transfermarkt