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2020年7月9日 (木) 12:59時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | アッヴォカート(弁護士) | |||||
ラテン文字 | Fabio Pecchia | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1973年8月24日(51歳) | |||||
出身地 | フォルミア | |||||
身長 | 171cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1991-1993 | アヴェッリーノ | 33 | (1) | |||
1993-1997 | ナポリ | 125 | (15) | |||
1997-1998 | ユヴェントス | 21 | (1) | |||
1998-1999 | サンプドリア | 26 | (1) | |||
1999-2001 | トリノ | 22 | (1) | |||
2000-2001 | → (loan) ナポリ | 27 | (6) | |||
2001-2006 | ボローニャ | 92 | (12) | |||
2002-2003 | →(loan) コモ | 27 | (6) | |||
2004-2005 | →(loan) シエーナ | 23 | (2) | |||
2006-2007 | アスコリ | 6 | (0) | |||
2007 | グッビオ | 18 | (4) | |||
2007-2008 | フロジノーネ | 26 | (1) | |||
2008-2009 | グッビオ | 24 | (1) | |||
代表歴2 | ||||||
1993-1996 | イタリア U-21 | 11 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2011 | グッビオ | |||||
2012-2013 | ラティーナ | |||||
2013-2015 | ナポリ(アシスタント) | |||||
2015-2016 | レアル・マドリード(アシスタント) | |||||
2016 | ニューカッスル・ユナイテッド(アシスタント) | |||||
2016-2018 | エラス・ヴェローナ | |||||
2019 | アビスパ福岡 | |||||
2019- | U-23ユヴェントスFC | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2018年12月14日現在。 2. 2018年12月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ファビオ・ペッキア(Fabio Pecchia, 1973年8月24日 - )は、イタリア・ラツィオ州フォルミア出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。U-23ユヴェントスFC監督。ナポリ大学で法学の学位を取得したばかりでなく、「l'avvocato(アッヴォカート)」(イタリア語の弁護士)としても知られていた。
経歴
選手時代
キャリアで実に11のクラブを渡り歩いた流浪人。 1991年アヴェッリーノで選手生活をスタートした。93年に当時マルチェロ・リッピ率いるSSCナポリへ移籍しセリエAデビュー。多才な能力を兼ね備えナポリの攻撃の要となり、96年からはキャプテンを務めた。
97年にユヴェントスへ移籍し再びリッピの下でプレー。スーペルコッパ・イタリアーナとセリエA制覇やUEFAチャンピオンズリーグ準優勝に貢献した。しかし当時ユヴェントスの中盤にはジネディーヌ・ジダンやエドガー・ダーヴィッツという絶対的な存在がいたため、1年でUCサンプドリアにレンタル移籍した。 99年にはライバルのトリノFCに移籍した。
2001年にボローニャFCに移籍し、2004年に加入した中田英寿とは同僚であった。その後はイタリア国内の様々なクラブを経て、2009年に現役を引退した。セリエA通算337試合41得点。
A代表の出場経験は無かったものの、年代別代表でアトランタ・オリンピックには出場している。
指導者時代
引退後はすぐにフォッジャ・カルチョのアシスタントコーチに就任。
2011年6月にセリエBグッビオの監督に就任したが、同年中に解任された。
翌年セリエC1ラティーナの監督に就任し、1年でのセリエB昇格を果たした。
2013年6月からはラファエル・ベニテスの下、SSCナポリのアシスタントコーチに就任。 2015年にはベニテスと共にレアル・マドリード、翌年にはニューカッスル・ユナイテッドのアシスタントコーチを歴任。
2016年6月からはセリエBエラス・ヴェローナの監督に就任し、1年目にも関わらずリーグ2位の成績でチームを自動昇格圏内に導いた。2年目のセリエAでは19位に終わり、同シーズン限りで退任した。
2018年12月14日、アビスパ福岡の監督に就任すると発表された[1]。 福岡からイタリアに帰国時の際はルフトハンザ航空のビジネスクラスの席に横たわって帰国した。
2019年6月29日、選手時代に所属していたユヴェントスFCのユースチーム監督に就任したことが発表された[2]。 アビスパ福岡時代に公私ともに信頼関係があった三國ケネディを練習生として日本から呼び出した。
タイトル
選手時代
- セリエA : 1997-98
- スーペルコッパ・イタリアーナ:1997
脚注
- ^ "ファビオ ペッキア氏 監督就任のお知らせ" (Press release). アビスパ福岡. 14 December 2018. 2018年12月15日閲覧。
- ^ "Under 23, Fabio Pecchia è il nuovo allenatore!" (Press release). 29 June 2019.
外部リンク
- ファビオ・ペッキア – FIFA主催大会成績
- ファビオ・ペッキア - TheFinalBall.com
- ファビオ・ペッキア - Soccerway
- ファビオ・ペッキア - J. League Data Siteによる監督データ