「マルエツ」の版間の差分
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しかし、経営難に陥ったため<ref name="nakano-japanese-management-1981-12">中野忠良 『日本的経営の秘密』 [[紀尾井書房]]、1981年12月。ISBN 978-4765610056</ref>、1970年(昭和45年)2月に[[ダイエー]]と提携して再建を図ることになり<ref name="sano-nakauchi-daiei-2006-6" /><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1978" />、ショッピングセンターの管理・運営はダイエー・ショッビングセンター運営部が継承すると共に<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1978" />、同年7月にダイエーと共同仕入会社の「エマック」を設立した<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1978" />。 |
しかし、経営難に陥ったため<ref name="nakano-japanese-management-1981-12">中野忠良 『日本的経営の秘密』 [[紀尾井書房]]、1981年12月。ISBN 978-4765610056</ref>、1970年(昭和45年)2月に[[ダイエー]]と提携して再建を図ることになり<ref name="sano-nakauchi-daiei-2006-6" /><ref name="nikkei-commerce-yearbook-1978" />、ショッピングセンターの管理・運営はダイエー・ショッビングセンター運営部が継承すると共に<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1978" />、同年7月にダイエーと共同仕入会社の「エマック」を設立した<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1978" />。 |
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なお、この提携以前にはダイエーの創業者・[[中内㓛]]は「血を流して一体化すべきである」などと発言して業務提携に批判的であったが、当社との提携を皮切りに同年4月18日に[[高知市]]の大橋通にフランチャイズ1号店を開店し、同年7月24日に「さとう」や「宝屋」「福屋」「丸作」とフランチャイズ契約や業務提携をすると発表するなど提携戦略の展開をするようになった<ref name="japan-comerce-yearbook-1971">『日本商業年鑑 1971年版』 [[商業界]]、1971年。</ref>。 |
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この提携直後の1970年(昭和45年)には、3月21日に川崎市の[[向ヶ丘遊園駅]]前に専門店約60店が入居する向ヶ丘ショッビングワールドを開業し、同月26日に横浜市長津田に専門店約40店が入居する長津田ショッピングワールドを開業、11月20日に横浜市上大岡に上大岡ショッピングワールドを開業、同月28日に横浜市井土ヶ谷に井土ヶ谷ショッピングワールドを開業するなど大型店を相次いで出店した<ref name="japan-comerce-yearbook-1971" />。 |
この提携直後の1970年(昭和45年)には、3月21日に川崎市の[[向ヶ丘遊園駅]]前に専門店約60店が入居する向ヶ丘ショッビングワールドを開業し、同月26日に横浜市長津田に専門店約40店が入居する長津田ショッピングワールドを開業、11月20日に横浜市上大岡に上大岡ショッピングワールドを開業、同月28日に横浜市井土ヶ谷に井土ヶ谷ショッピングワールドを開業するなど大型店を相次いで出店した<ref name="japan-comerce-yearbook-1971" />。 |
2020年7月11日 (土) 10:06時点における版
本社(マルエツプチ新大塚店) | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 |
非上場(以下は過去のデータ) [注釈 1] |
本社所在地 |
日本 〒170-8401[3] 東京都豊島区東池袋五丁目51番12号[3][注釈 2] |
設立 | 1943年(昭和18年)3月8日[9][注釈 3] |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 8013301012770 |
事業内容 | スーパーマーケット |
代表者 |
代表取締役会長 上田 真 代表取締役社長 古瀬 良多 |
資本金 |
375億4951万4941円 (2010年2月末現在) |
売上高 |
連結3,369億円 単独3,359億円 (2010年2月期) |
純資産 |
連結589億円 単独637億円 (2010年2月末日現在) |
総資産 |
連結1,262億円 単独1,294億円 (2010年2月末日現在) |
従業員数 |
単独3,901名 (2010年2月末日現在) |
決算期 | 2月末日[注釈 4] |
主要株主 | ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス株式会社[注釈 1] |
外部リンク | https://www.maruetsu.co.jp/ |
株式会社マルエツ(英: The Maruetsu,Inc.)は、関東地方に展開するスーパーマーケットチェーンである。 食品スーパーマーケットとしては国内最大規模の店舗数、売上高、利益を誇る。 また、海外店舗として中国にも出店している。 2015年(平成27年)3月2日に、カスミやマックスバリュ関東と共にユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス株式会社を設立し、その傘下に入った[6][7][注釈 1]。
本稿では、かつて神奈川県と東京都において展開していたスーパーマーケットである「サンコー」についても記述する。
歴史・概要
創業から100店舗を超えるスーパーマーケットチェーンへ
1945年(昭和20年)10月に埼玉県浦和市(現さいたま市)北浦和で[11]高橋悦造が「魚悦商店」として魚の販売を行ったのが始まりである[9]。
1952年(昭和27年)6月16日 に[3]鮮魚・乾物・食料品の販売を目的として「有限会社魚悦商店」を設立して法人化し[9]、1959年(昭和34年)9月に「有限会社丸悦ストアー」に商号を変更した[9]。
1965年(昭和40年)4月には[9]2号店で[12]当社のセルフサービスの食品スーパー1号店となる「大宮店」を開設して現在の主力事業に進出し[9]、同年8月には日用品・雑貨・洋品雑貨の販売等を事業目的に追加した[9]。
1970年(昭和45年)4月に東京都足立区に「新井店」を開設して東京都に進出し[9]、同年12月には資本金4800万円で株式会社化して[13]、「株式会社丸悦ストアー」に商号を変更した[9]。
1974年(昭和49年)2月には「(旧)株式会社マルエツ」に商号変更して本社を埼玉県蕨市に移転し[3][9]、同年11月には[14]田島店2階に衣料品売り場を開設して衣料品販売を開始した[15]。
1975年(昭和50年)2月には不動産業の「高橋興業」を吸収合併するなど会社組織を整備した[9]。
また、同年2月には事業目的に衣料品・医薬品の販売等を追加すると共に、同年12月には埼玉県大宮市に「大宮物流センター」を開設して流通体制を整備した[9]。
1976年(昭和51年)4月には株式額面変更目的の合併として「マルエツ商事株式会社」が(旧)株式会社マルエツ」を吸収合併し「(新)株式会社マルエツ」に商号変更し[9]、1977年(昭和52年)2月に東京証券取引所市場第2部へ上場した[3][11]。食品スーパーマーケットで初めての上場となった。
1978年(昭和53年)1月には「株式会社プリマート」を吸収合併し[11][16][注釈 5]、首都圏で100店舗を超えるスーパーマーケットチェーンとなった[11]。
ダイエーグループとの提携へ
当社は首都圏における有力食品スーパーとなっていたことから、当社と提携することが大手スーパーの首都圏攻略のカギを握るとされていた[22]。
そうした中で、1980年(昭和55年)3月に西武ストアとの全面提携が報道されたが[22]、創業家の高橋家の中での意見の相違があったことを利用してダイエー側が逆転し[23]、1981年(昭和56年)2月4日にはダイエーグループの「株式会社サンコー」を吸収合併する契約に調印した[24]。
そして、1981年(昭和56年)7月31日にダイエーグループの「株式会社サンコー」を吸収合併したことで、当社はダイエーグループに入った[25]。
この合併時点で、1都3県をカバーする首都圏最大の145店舗を展開するスーパーマーケットチェーンとなると共に、本社を東京都新宿区に移転した[11]。
なお、合併を発表した直後の1981年(昭和56年)2月末で「株式会社サンコー」は31店舗と110店舗の当社を大きく下回っており、社名も当社のものが引き続き使用されることになった[11]。
また、「株式会社サンコー」へのダイエーの出資比率は約29%であったため[11]、合併後の当社へのダイエーの出資比率も大きくなかった。
そのため、高橋一族による支配が続き[26]、物流も当社の従来からのものを引き続き使用して、サンコー側の店舗と2本立てでの配送を続けた[27]。
この合併と同年の1981年(昭和56年)には同業の「サンデーマート」を傘下に入れ、グループ化している[28]。
株式の買い占めを受け、ダイエー色が強化
しかし、その後に当社が不動産業の秀和に株式を買い占められたことを受けて[26]、 ダイエーが株式公開買付け(TOB)を実施して1991年(平成3年)4月10日に成功したことを発表した[29]。
この株式公開買付けでダイエーが発行済み株数の約26.67%に当たる2879.4万株を取得し、持株比率が約38.1%になった[26]。
その結果、ダイエー取締役の小浜裕正が代表権を持つ副社長となり[26][注釈 6]、ダイエーの支配力が強まって高橋一族による支配は終焉した[26]。
そして、1992年(平成4年)2月7日にはダイエーと共同で忠実屋株式の公開買付けを行うことを発表する[31]などダイエーグループとしての経営が行われるようになった。
さらに、高橋八太郎は1994年(平成6年)まで会長兼社長であったものの[32]、同年にはダイエーから派遣された藤井次郎が社長に就任し[33]、以後2006年(平成18年)3月1日までダイエー出身の社長が続いた[注釈 7]。
また、1995年(平成7年)1月に旧マルエツ店舗と旧サンコー店舗で異なっていた物流システムをダイエーの物流システムに一本化することになった[27]。 同年4月にはダイエーと共同仕入れを開始し[39]、同年10月3日には当時のダイエーグループの共通カードであった「OMCカード」でのサインレス決済を全店舗の食品売り場に導入[40]ダイエーの他のスーパーと共に1998年(平成10年)9月23日から毎月23日を「ダイエーOMCカードご優待デー」とした[41]。 このダイエーグループとしての共同事業は営業面のみならず、1999年(平成11年)7月19日に開始した障害者の介助犬の店舗への受入れ[42]などの社会貢献活動もあった。
こうしたダイエーグループとの協業化をすすめる一方で、1996年(平成8年)3月1日に40店舗の精肉売場をダイエーミートへの委託を止めて直営化し[43]、2001年(平成13年)12月に独自の高品質型プライベートブランド「フーデックス」「ホーメックス」の販売を開始してダイエーの価格訴求型PB「セービング」と使い分けながら他店との差別化を図った[44]。
ダイエーの経営再建と丸紅との提携
その後、ダイエーが経営再建に取り組むことになった際には、ダイエー出身の社長であった川一男が2000年(平成12年)3月1日付でダイエーの再建のため同社代表取締役副社長に就任したほか[45]、2003年(平成15年)5月22日には同じくダイエー出身の社長であった吉野平八郎が副会長としての復帰をすると共に[37]、当社の店舗運営のノウハウなどを活用して再建を図ることになった[37]。
その一環として、同年5月15日から当社のPB商品であるのフーデックスを関東・甲信越のダイエー店舗でも発売し[46]、GMS「ダイエー高尾店」(東京都八王子市)をSSMに業態転換して同年7月11日に「グルメシティ高尾店」として新装開店した際には品揃えや顧客サービスを含めた運営管理などを当社が全面的に受託して店長も派遣した[47]。
また、2001年(平成13年)2月22日にダイエーが再建策の一環として当社株式の5%を丸紅グループに譲渡したことから同社グループの持ち株比率は5.16%となって筆頭株主であった福岡ドームを上回り[48]、同年3月15日にダイエーグループが丸紅フーズインベストメントに発行済み株式10%を売却して同社の持ち株比率が19.7%となり[49]、その他と合わせて丸紅グループがの持ち株比率は20%を超えたことから丸紅の連結対象会社となることになった[50]。
しかし、ダイエーが2001年(平成13年)2月27日に子会社の朝日ファイナンスサービスから12.03%を取得して本体での持ち株比率を26.61%に引き上げて筆頭株主の地位を保つと共に[51]、グループ全体では約35%を保有していた[49]。
そのため、この時点では、ダイエーグループにも留まり、両グループと資本・業務提携する形となった[49]。
生え抜き社長の復活と独自路線
2006年(平成18年)3月1日付で生え抜きの高橋惠三が代表取締役社長に就任[38]。 同月からダイエーからの商品供給を自社独自の仕入れ体制に切り替えた[52]。
2006年(平成18年)7月7日に丸紅フーズインベストメントに東武ストアの株式を譲渡[53]
また、小型店事業合理化の一環として、2005年(平成17年)6月10日に「ポロロッカ」の近畿地区17店舗の営業を音通に譲渡し[54][注釈 8]、2007年(平成19年)2月にポロロッカの物流センターにフーデックスプレスのセンターを統合して3月に稼働した[55]。
イオングループとの提携へ
イオンは2006年(平成18年)10月からのダイエー再生を支援する業務提携検討委員会でダイエーの持つマルエツ株20%程度の譲渡を求めるなど当社との関係強化を求めた[56]。 しかし、当社は「自主経営が前提」との独自路線を堅持しながらメリットのある点に限定した形での提携を主張していた[57]。 そのため、独自の商品調達を堅持することを主張しており[58]、 2007年(平成19年)7月10日に発表されたイオングループや丸紅との業務提携では[59]、 共同での商品調達などについて数値目標を入れなかった[58]。
なお、2007年(平成19年)9月13日付でダイエーがイオンとの間で当社株をイオンに譲渡することで合意したことを受けて、 同日付で高橋義昭ダイエー常務取締役を辞任し、同月20日イオンが当社株1500万株を取得して当社の議決権比率33.2%を持つ筆頭株主となった [60]。
その後、2008年(平成20年)3月6日開店の[61]「マルエツ勝どき6丁目店」でダイエーのPBセービングの代わりにイオングループのPBトップバリュの導入を試験的に行ったり[62]、 物流センター運営委託先にイオンの事業会社イオングローバルSCMを選定するなど提携の具体化に取り組み始めたものの[63]、 商品の選択については当社が主体となって独自で決定する路線を堅持した[63]。
その結果、イオンのPBトップバリュの取扱いは約150品目に絞り込む一方で、自社のPB商品である食品のフーデックスと日用雑貨のホーメックスを付加価値型として位置付けたのみならず、 「おいしい」シリーズの自社のPB商品を約80品目から160品目に倍増する方針を採った[64]。
こうした商品戦略を採用したことから、イオングループのプライベートブランド「トップバリュ」の売上高比率は2013年(平成25年)2月期でも約0.3%に留まることになった[65]。
イオンがマルナカの株式を議決権割合で94.96%を取得と山陽マルナカを完全子会社化を[66]、 2011年(平成23年)11月25日に行った[67]。 このマルナカは純投資の目的で当社の2.24%の株式を保有しており[68]、 イオンのマルナカ株取得に伴ってみなし共同保有者に加わったことでイオンの議決権は34.21%と3分の1を超えることになった[67]。
ただし、イオンは議決権3分の1を超えることになった後も独自路線の維持を認めており[67]。 そのため、2013年(平成25年)4月1日付で生え抜きの上田真が社長に就任した[69]。
不況・震災・海外事業への対応
同年から2011年(平成23年)2月期末までに広告宣伝などの合理化を目的として屋号の集約化を図り、売り場面積650m2以上の通常店舗を「マルエツ」に、売り場面積165m2から500m2以上の小型店舗を「マルエツ プチ」に統合することになった[28]。
このため、「サンデーマート」を「マルエツ」に、小型店の「ポロロッカ」と「フーデックスプレス」を「マルエツ プチ」に、各々統合することになった[28]。 ただし、高級店の「リンコス」は価格帯が大きく異なることなどを考慮して存続することになった[28]。
その後、2011年(平成23年)3月11日に東日本大震災が発生した際には新店舗の開業を延期する企業も多かったが、当社は「地域の生活インフラを担っている」として計画通り同月16日に板橋駅前店を開店した[70]。 ただし、震災に伴う計画停電や商品供給などのある段階での開業となったため、消費者が買いだめを行ったことから、開業初日に入場制限を行うと共に、品切れが多数出ることになった[71]。
また、いわゆるリーマンショック後の不況に伴う消費者の低価格志向への対応として、2010年(平成22年)12月18日に千葉県野田市に「スーパーマーケット魚悦」の1号店を開店し、ディスカウント店業態に進出した[72]
その後、2012年(平成24年)9月に中国の家電量販店大手企業である蘇寧電器との合弁会社・「丸悦(香港)」を設立し[73]、2013年(平成25年)9月30日に中国の江蘇省無錫市に中国1号店「リンコス無錫蘇寧プラザ店」を開店して海外に初出店した[74]
ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングスへの参画
先述の通り、イオングループは当社との提携強化を目指し、当社も「自主経営が前提」との独自路線を堅持しながらメリットのある点に限定した形での提携に取り組む方針であった[57]。
そのため、イオングループとの営業面での関係はPB商品の供給など限定され[75]、かつ、その売上高比率も2013年(平成25年)2月期で約0.3%に留まるなど提携はあまり深まらなかった[65]。
しかし、当社の大株主であるイオングループと丸紅が2013年(平成25年)3月に業界の再編をして「首都圏の食品スーパー連合」を形成する方針を表明[65]。 2014年(平成26年)5月19日に当社とカスミに加えてイオンの完全子会社であったマックスバリュ関東の3社が、共同持ち株会社を設立して、その傘下に入る形で経営統合することで合意したと発表した[76][77]。 同年10月31日にこの再編で設立される新会社の社名を「ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス」とすることを発表すると共に、3社で売上高が最も多い当社の上田真が同社の社長に就任することになった[78]。
経営統合に伴って2015年(平成27年)2月25日に当社は上場を廃止し[5][注釈 1]、3月2日にはマルエツやマックスバリュ関東と共にユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス株式会社を設立、その傘下に入った[6][7][注釈 1]。 なお、「ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス」は同日付で東京証券取引所1部に上場した[6][7][注釈 1]。
「ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス」の発足に向けた協議の中で、イオングループはプライベートブランド商品を「トップバリュ」に一本化するように提案したものの、当社など統合に参加する企業側が独自のプライベートブランド商品を中心とすることを強く主張したため、傘下の各社のプライベートブランド商品の取扱方針を保つ独自の戦略を採ることになった[79]。2017年10月には「ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス」でのプライベートブランド商品である「eatime(イータイム)」を立ち上げ、取扱が開始された[注釈 9]。
また、この再編で当社の持ち株会社の経営に参画することになったカスミ会長の小浜裕正は、ダイエー取締役で当社の元・代表取締役副社長であった[26][注釈 6]。
ダイエー恒例「一の市」開催のほか、ダイエーで終了したOMCカードの優待デーや店頭に配布している申込書でOMCカードを申し込むと特典があるなど、再編が続くなかで独立経営時代のダイエー色を強く残していた。しかし、イオンカードと提携したマルエツカードの発行開始を受けて、OMCカードによる優待は2020年2月で終了する事になった。また、U.S.M.H傘下3社で最後まで対応していなかった電子マネー・WAONについても、2019年9月までに全店で利用可能となっている。
沿革
- 1945年(昭和20年)10月 - 埼玉県浦和市(現さいたま市)北浦和で[11]高橋悦造が「魚悦商店」として魚の販売を開始[9]。
- 1952年(昭和27年)6月16日 - 「有限会社魚悦商店」設立[3]。資本金25万円[13]。
- 1959年(昭和34年)9月 - 「有限会社丸悦ストアー」に商号変更[9]。
- 1961年(昭和36年)11月[80] - 岡田屋(川崎市地場資本の呉服店・現在の横浜岡田屋)のスーパーマーケットとして[81]、「株式会社サンコー」設立[80]。資本金100万円[80]。サンコーの1号店として「小田店」を開設[80]。
- 1965年(昭和40年)
- 1970年(昭和45年)
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)
- 1976年(昭和51年)4月 - 「マルエツ商事株式会社」が「(旧)株式会社マルエツ」を吸収合併し「(新)株式会社マルエツ」に商号変更(いわゆる株式額面変更目的の合併)[9]。
- 1977年(昭和52年)2月 - 東京証券取引所市場第2部に上場[3][11]。食品スーパーマーケットで初めての上場となった。
- 1978年(昭和53年)
- 1981年(昭和56年)
- 1983年(昭和58年)
- 10月 - 白岡加工センター開設。
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)8月 - 浦和加工センター開設。
- 1986年(昭和61年)10月 - POSシステム実験導入スタート。
- 1989年(平成元年)7月 - 本社を東京都豊島区東池袋に移転[3]。
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)
- 6月 - 関東マルエツを設立[84]。
- 1995年(平成7年)
- 1996年(平成8年)
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)
- 2月27日 - ダイエーが子会社から12.03%を取得して本体での持ち株比率を26.61%に引き上げる(筆頭株主)[51]。
- 2月末 - フィットネスクラブ3店舗の運営を「ダイエーオリンピックスポーツクラブ」に移管して「アニーモ」を解散[93]。
- 3月1日 - 大人用紙おむつの全国無料宅配を開始[94]。
- 3月15日 - ダイエーグループが「丸紅フーズインベストメント」に発行済み株式10%を売却[49]。丸紅グループの持株比率が約20%を超えて連結対象会社となる[50]。
- 7月4日 - 「フーデックス」Foodexpress(フーデックスプレス)の1号店「東日暮里店」開店[95]。
- 7月31日 - 「フーデックス」株式会社すえひろと業務・資本提携[96]。
- 12月 - 独自のプライベートブランド「フーデックス」「ホーメックス」の販売を開始[44]。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)
- 3月 - ダイエーからの商品調達を停止し、自社仕入れに切り替え[52]。
- ISO14001認証取得(本社および5店舗)。
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)
- 2014年(平成26年)5月19日 - マックスバリュ関東株式会社および株式会社カスミとの経営統合を発表[76][77][注釈 13]。
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年)11月15日 - U.S.M.Holdingsグループ内での商品券の利用拡大に伴い、マルエツ商品券が「フードマーケットカスミ」・「フードスクエアカスミ」・「FOOD OF ストッカー」及びマックスバリュ関東が運営する「マックスバリュ」・「マックスバリュエクスプレス(一部店舗を除く)」でも利用可能となり、一方で「マルエツ」・「マルエツ プチ」・「リンコス」・「魚悦(鮮魚専門業態の糀屋店を除く)」でカスミ商品券の利用が可能となった[114]。
- 2017年(平成29年)10月6日 - 3社共同開発によるプライベートブランド「eatime(イータイム)」の販売を開始[115]。
- 2019年(令和元年)
独自ブランド
- 土壌自慢
- 減農薬栽培野菜のPB[118]。
- 楽々食彩
- 1998年(平成10年)8月1日に販売を開始した独自の簡便商品で、肉や魚と野菜やオリジナルソースの食材を詰め合わせた商品や、レンジ温めるだけで食べられる食品などがある[119]。
- フーデックス
- 2001年(平成13年)12月に販売を開始した独自の高品質型プライベートブランド食品[44]。
- ホーメックス
- 2001年(平成13年)12月に販売を開始した独自の高品質型プライベートブランド雑貨[44]。
- マルエツ365
- 付加価値型プライベートブランド[120]。
理念やキャッチフレーズ
経営理念
- 存在意義 私たちは、安全でおいしい商品の提供を通じて、健康で豊かな食生活に貢献します。
- 経営姿勢 私たちは、常に革新と挑戦を続け、公正で誠実な企業であり続けます。
- 行動規範 私たちは、地域のお客様に愛される、笑顔と活気あふれる店づくりを推進します。
キャッチフレーズ
ダイエーグループは、創業以来「よい品をどんどん安く」をモットーにして営業していた[121]。
その後、企業スローガンとして「For The Customers」を掲げていたが、1998年(平成10年)に「地縁ストア」を用いた[122]。
この当時、ダイエー創業者・中内功がダイエーグループ内で「チェーンストアではなく、地縁ストア」と語っており[123]、当社では地域生活に密着した店造りを目指すものとしていた[124]。
2007年(平成19年)5月にコーポレート・アイデンティティを刷新する一環としてシンボルマークと共に改訂され、ブランドメッセージとして「しあわせいかつ。」を用いることになった[105]。
社章・シンボルマーク
- 親会社だったダイエーは、2005年12月1日にコーポレートアイデンティティ(CI)導入で新しい社章・シンボルマークに変更したが、マルエツではその後もダイエーの旧社章の上弦の月をモチーフにした「D」マークを社章として引き続き使用していた。
その後、2006年末からDマークを使わず「Maruetsu」をロゴ化したもの(筆字のような感じで、現在のものとは別)を一時的に使用する時期を経て、2007年5月18日から正式に新しいマーク(「M」の字を図案化したマーク。英字ロゴは「maruetsu」に変更)とCIが導入され、既存店舗も順次切替が進められている。
- さらにそれ以前は、丸の中に「a」が入った、『@』に近い意匠の社章であった。マルエツの「マ」にも見えた。
マスコットキャラクター
2000年(平成12年)上期に「ドクター元気」が導入され[118]、同年11月30日に健康関連商品を集めた「ドクター元気」コーナーが開設された[92]。 ドクター元気は、2001年9月1日にCD『オー!マイ Dr.元気』を発売している。
事業所
- 横浜常温物流センター
- 八潮常温物流センター
- 川崎複合センター
- 三郷複合センター
- 2012年(平成24年)5月に開設した小型店向けの生鮮食料品のプロセスセンターを兼ねた全温度帯対応の加工・配送センター[112]。
かつて運営していた事業所
- 白岡生鮮加工センター(埼玉県南埼玉郡白岡町大字下大崎字下端747-2[1])
- 浦和加工センター(埼玉県浦和市桜田3-3-2[1])
- 佐倉加工センター(千葉県佐倉市太田2056[1])
- 習志野物流センター(千葉県船橋市[126])
- 敷地面積12,898.38m2[126]。
- 東習志野店の隣接地にあったが[126]、1996年(平成8年)10月1日にダイエーロジスティックスシステムズに業務委託して[86]休止状態となり[126]、2000年(平成12年)1月17日に解体して跡地を民間都市開発推進機構に売却することになった[126]。
運営店舗
2013年10月現在、マルエツは1都5県(東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県・茨城県・栃木県)に合計260店舗以上を展開しているほか、海外店舗として中華人民共和国に1店舗出店している。
現在運営している店舗業態
マルエツ
当社の主力店舗業態で、2011年(平成23年)2月期末までに屋号の集約化を図った際には、売り場面積650m2以上の店舗がこの屋号となった[28]。
食料品が中心の品揃えであるが、薬や衣料品なども取り扱っている店舗もある。営業時間は各店舗によって異なっており、朝10時〜夜9時まで、深夜1時まで、24時間営業など様々である。
前述した1都5県全てに出店しているが、このうち茨城県は岩井店[注釈 14]、栃木県は小山店[注釈 15]それぞれ1店舗のみである。また、関東でも群馬県には唯一出店していない。
店舗によっては店内で食事をすることができるテーブル席(いわゆるイートインコーナー)やフードコートなどを備えている。
マルエツプチ
売り場面積100坪型の小型店「ポロロッカ」よりも小規模な店舗を目指して開発され[129]、売り場面積50坪型の小型店として2009年(平成21年)6月11日に1号店の「日本橋金座通り店」開店した[108]都心立地の小型食品スーパー業態[130]。
当社の小型店舗業態で、2011年(平成23年)2月期末までに屋号の集約化を図った際には、売り場面積165m2から500m2以上の店舗がこの屋号となった[28]。
このため、2010年(平成22年)4月時点で5店であったが、「ポロロッカ」の26店と「フーデックスプレス」の15店が加わり、店舗数が大幅に増えることになった[28]。
さらに、2010年(平成22年)10月28日開店の「神田司町店」では加工センターを活用して作業場と在庫場のバックヤードのない店舗とし[131]、売場面積約130m2〜165m2というコンビニエンスストア並みの小面積での出店も可能な業態としている[132]。
青果・鮮魚・精肉の生鮮3品に加えて惣菜を強化した食料品主体の小型スーパーマーケットである[133]。
経費削減のため、2013年(平成25年)2月14日開店の「日本橋本町店」では鮮魚や精肉から日配品まで自動発注の対象を広げ、以降各店舗でも同様の自動発注を導入していくことになった[134]。
コピー機やATMなどが設置されているなど、コンビニエンスストアを意識した都市型店舗である。24時間営業している店舗もある。
東京都内に集中的に出店しており[135]、2010年(平成22年)12月1日時点で当社の都内103店のうち当業態は45店を占めるなどその大半は東京都23区内に存在している。
東京都内のうち23区以外でも武蔵野市の吉祥寺店の1店舗、そして神奈川県内は横浜市中区に関内店と山下公園店、西区に花咲町6丁目店の計3店舗、千葉県内は千葉市中央区に千葉みなと駅店[注釈 16]の1店舗など、1都2県(東京都・神奈川県・千葉県)に出店している。
今後、さらに都市部やその駅近くに出店を拡大する予定である。
リンコス
高級スーパー[100]。
ユニリビングは「リバーシティ21」内[138][注釈 17]と海浜幕張駅近くの「ベイタウン店」を運営しており[139]、この2店舗を買収して継承し[100]、2002年(平成14年)10月17日に当社の店舗として新装開店した[100]。
継承に際して、買収前の品揃えなども引き継いだため、切り替えに伴う閉店日数はわずか1日であった[100]。
2006年(平成18年)3月15日に東京都立川市に立川若葉町店を開業し[140]、同月23日に東京都港区に高輪店を開店した[141]。
その後しばらくは当業態での出店は行わなかったが、2011年(平成23年)12月7日に六本木ヒルズヒルズゲートタワーに六本木ヒルズ店を約5年ぶりに出店[111][注釈 12]、2016年(平成28年)1月21日に九段店を出店[注釈 18]、2020年(令和2年)4月23日には横浜市に横浜馬車道店を出店。現在は国内で6店舗を展開している。
また、2013年(平成25年)9月30日に中国江蘇省無錫市にある複合施設内に「無錫蘇寧プラザ店」を開店しており、海外にも展開されるようになった[74]。
なお、立川若葉町店は2011年(平成23年)6月10日に「マルエツ」に業態変更して新装開店した[142]。
マルエツプチ同様、売り場の大半を食料品を占めているが、リンコスでは輸入食品であるワインや菓子類なども取り扱っている。店内BGMはクラシック音楽が流れている。
営業時間はリバーシティー店とベイタウン店が朝10時から夜10時まで、横浜馬車道店が朝9時から夜10時まで、九段店が朝7時から夜1時まで、高輪店と六本木ヒルズ店は24時間営業である。
魚悦
2010年(平成22年)12月18日に千葉県野田市に1号店を開店したディスカウント店[72]。
標準店の約60%の約6300品目へ商品数を絞り込み、価格を標準店より約30%安くすることを目指した業態である[72]。
なお、マルエツは東京都大田区にも「魚悦」の屋号で鮮魚専門店を展開しているが、上記のディスカウント形態の店舗との関連性はない。
また、単独店舗ではないが2008年10月2日にオープンした越谷レイクタウン店の鮮魚部門も「魚悦」を名乗っている[106]。
かつて運営していた店舗業態
2011年までに、面積が500平米以下の店舗を「マルエツプチ」とし、650平米以上の面積を持つ店舗は「マルエツ」に全て統一した。なお、リンコスについては価格帯が大きく異なるなどの理由により、存続となった。
フーデックスプレス(Food Express)
24時間営業で売場面積が約150坪から約200坪で生鮮食料品と惣菜が充実した店舗とすることで、都市部でコンビニエンスストアに対抗出来る店舗を目指した業態[95]。
2001年(平成13年)7月4日に1号店として「東日暮里店」を開店した[95]。
売り場面積165m2から500m2以上の小型店舗を「マルエツ プチ」に統合することになったため、2010年(平成22年)4月時点で15店が営業していた「フーデックスプレス」の店舗は「マルエツ プチ」へ屋号を変更することになった[28]。 かつては国際新赤坂ビル西館に入居していた。
ポロロッカ
売り場面積70坪〜170坪の小型店で[143]、 1995年(平成7年)に神戸市に1号店を開店し[144]、 同年8月16日に東京都足立区に一ツ家店を開店して関東地方に進出した[145]。
2002年(平成14年)1月17日に マイカルから株式会社ポロロッカを買収して傘下に入れた[97]。
当社の傘下に入った後は「フーデックス」との差別化のために山手線内のオフィス街を中心とした地区に特化して出店することになり[146]、2002年(平成14年)2月末までに郊外の不採算店10店を閉鎖した[143]。
2005年(平成17年)6月10日に近畿地区17店舗の営業を[147]音通に譲渡すると共に[54]、同年3月31日から7月15日に3店舗を閉店するなど20店舗の営業を終了した[147]。
2007年(平成19年)12月1日にマルエツに吸収合併した[2]。
合併時点で小型スーパーマーケット22店を運営しており[148]、店舗の名称としては吸収合併後も継続した[109]。
売り場面積165m2から500m2以上の小型店舗を「マルエツ プチ」に統合することになったため、2010年(平成22年)4月時点で26店が営業していた「ポロロッカ」の店舗は「マルエツ プチ」へ屋号を変更することになった[28]。
サンデーマート
2007年(平成19年)12月1日にマルエツに吸収合併し、テナント運営部門は吸収分割でマルエツ開発が引き継いだ[2]。 合併時点で小型スーパーマーケット26店を運営しており[148]、店舗の名称としては吸収合併後も継続した[109]。
2011年(平成23年)2月期末までに屋号の集約化を図った際には、売り場面積650m2以上の店舗が「マルエツ」に統合することになったため、2010年(平成22年)4月時点で20店が営業していた「サンデーマート」の店舗は「マルエツ」へ屋号を変更することになった[28]。
海外展開
2009年(平成21年)8月にラオックスを買収した中国の家電量販店大手企業である[149]蘇寧電器と2012年(平成24年)9月に合弁会社・「丸悦(香港)」を設立し[73]、 同社が全額出資する中国現地法人が食品スーパーを[73]20店出店していくことになった[74]。
中国現地法人は開業に際して大学卒を中心に約80人を正社員として採用し、日本国内の店舗よりさらに丁寧な日本流の接客を目指した[150]。
その1号店として、2013年(平成25年)9月30日に江蘇省無錫市にある複合施設「蘇寧プラザ」内に「リンコス無錫蘇寧プラザ店」を開店した[74]。
かつて運営していた店舗
- ×は現在建物が解体された店舗。
埼玉県
さいたま市
旧・浦和市
- 北浦和駅ビル店[151] → 北浦和HOPビル店[152](浦和市北浦和3-1-3・ホップビル[151]、1978年(昭和53年)11月開店[153] - 2005年(平成17年)3月6日閉店[147])
- 店舗面積2,148m2[154]。
- 1990年代後半、火災を起こして閉店[要出典]。
- 後にこの建物はサミットを経てドン・キホーテ浦和花月店となったが、2004年12月、ドン・キホーテ放火事件により全焼[要出典]。
- 現在はサンドラッグ(旧ドンキホーテ浦和花月店跡地に建物を完全に建替したもの。)[要出典]
- 店舗面積2,056m2[14]、延べ床面積約2,930m2[14]。直営店舗面積1,840m2[14]。
- 1階が食品売り場と日用品売り場、マルエツ初の衣料品売り場として開店した店舗で、当店から衣料品販売事業が開始された[15]。
- 店舗跡には、イイズカ薬品とセリアが入居している[156]。
- 店舗面積632m2[153]。
- 店舗面積993m2[147]。
- ポロロッカ浦和西堀店(?開店 - 2006年(平成18年)10月31日閉店[158])
- 店舗面積496m2[158]。
- ポロロッカ浦和大間木店(?開店 - 2010年(平成22年)9月1日閉店[159])
旧・大宮市
- 店舗面積1,016m2[154] → 店舗面積1,032m2[153]。
- 2号店で[12]当社のセルフサービスの食品スーパー1号店として開設[9]。
- 建て替えて、2015年(平成27年)3月19日に(2代目)大宮店(店舗面積972m2)が開店した[12]。
- 店舗面積774m2[154] → 店舗面積1,197m2[153][147]。
- 2002年(平成14年)2月27日に土地・建物を丸紅総合リースに売却し、リースバックして営業を継続した[155]。
- 現在はマンションになっている[要出典]。
- ポロロッカ大宮櫛引店(?開店 - 2005年(平成17年)6月30日閉店[147])
- 店舗面積495m2[147]。
岩槻区(旧・岩槻市)
- 店舗面積497m2[154]。
川口市
- 東本郷店(?開店 - 2010年(平成22年)3月1日閉店[159])
戸田市
蕨市
- 店舗面積1,494m2[153]。
東武東上線沿線
東武伊勢崎線沿線
- 店舗面積2,800m2[158]。
- 東武伊勢崎線越谷駅から約2.5km、北越谷駅から約2kmの住宅地に出店していた1層型の食品スーパーであった[166]。
- →マミーバリュー[167]→スーパーマルサン[168]
- 店舗面積725m2[153]。
- 団地内の小型店。現在は同規模でビッグ・エーが営業している。近隣にはマルエツ幸手上高野店がオープンしている。
- ポロロッカ草加清門町店(?開店 - 2010年(平成22年)9月6日閉店[159])
高崎線沿線
- 店舗面積765m2[154] → 店舗面積1,494m2[153]。
- イーズ[要出典]
- 2000年(平成12年)11月23日に(2代目)桶川店(桶川市西2-9-36、店舗面積1,910m2)が開店した[171]。
西武線沿線
- 店舗面積2,043m2[147]。
武蔵野線沿線
- 店舗面積800m2[153]。
茨城県
- 店舗面積1,495m2[172]。
- イトーヨーカドーが2001年(平成13年)1月31日に[173]閉店した[174][175]商業施設「カタクラショッピングプラザ」の地階に開店[176]。
- 売上不振のためマルエツもに撤退。その後、2007年(平成19年)に「カタクラショッピングセンター」も閉店した。
- 現空地[要出典]
- 店舗面積1,300坪[84]。
- 関東マルエツが運営する形で開業したが[84]、同社が1996年(平成8年)2月28日で解散し[85]、同年3月以降は当社が運営することになった[84]。
- 2005年にタイヨー阿見店として開店。
栃木県
- 店舗面積1,266m2[158]。
- 1層型の大型食品スーパーで当社の同業態店舗では初となるイートインコーナーを併設していた[177]。ハートビル法の認定を受けた[178]。
- マルエツでは最北端の店舗だった[要出典]。
千葉県
市川市
- 店舗面積1,103m2[153]。
- フーデックスプレス行徳駅前店(?開店 - 2008年(平成20年)1月31日閉店[179])
船橋市
- 店舗面積1,207m2[154] → 店舗面積1,224m2[153]。
- (B棟) → 衣料品、雑貨、家庭用品、医薬品部門売場を閉鎖。(A棟)食品売場側の営業は継続中。これに伴い一部の雑貨、家庭用品を食品売場と同一の売場に移動し、販売している。
- 店舗面積1,638m2[20]。
- 撤退後はイーズ→トマト→マルフジ→ナカムラヤダイニングの順に入居。しかし、ナカムラヤダイニングが2016年9月30日に閉店して以降は入居が無く、現在は建物だけが残っている。[要出典]
習志野市
- 店舗面積1,423m2[154] → 店舗面積1,492m2[153]。
- 2007年9月7日の台風9号の影響で、建物屋根の一部が破損、2007年9月8日より修復工事の為、2007年9月21日迄一時休業し、9月22日より店内販売が無事再開された。店内販売休業期間中は飲料、雑貨等一部の品物は屋外テントで販売していた。
- 隣接地には習志野物流センターがあったが[126]、1996年(平成8年)10月1日にダイエーロジスティックスシステムズに業務委託して[86]休止状態となり[126]、2000年(平成12年)1月17日に解体して跡地を民間都市開発推進機構に売却することになった[126]。
- 店舗面積1,490m2[154]。
- 店舗面積377m2[153]。
- 京葉マート秋津店×(?開店 - 2001年(平成13年)3月閉店[181])
- VIVA50の中にあった。競合激化で売上げが落ち込んで閉店し、運営会社の京葉マートも2002年(平成14年)2月期決算で約1.97億円の債務超過に陥ったことから、2002年(平成14年)7月に解散することになった[181]。
- 現在セブン-イレブン新習志野店とマンションに[要出典]
千葉市
- 店舗面積890m2[20]。
浦安市
松戸市
- 店舗面積620m2[154] → 店舗面積676m2[153]。
- 約1km南の北総開発鉄道矢切駅前に[182]2000年(平成12年)3月2日に「矢切駅前店」(松戸市栗山19-1)を出店した[183]。
柏市
鎌ヶ谷市
- 店舗面積1,780m2[154]。
- 2層式の店舗で駐車場にも入り難いなどの問題があり、競合店が増えた影響で売上が約7億円に落ち込んだことから、建て替えのために閉店[185]。
- 旧店舗跡地で建て替えを行い[185]、2003年(平成15年)7月4日に(2代目)馬込沢店が開店した[186]。
流山市
- 店舗面積1,204m2[154] → 店舗面積1,314m2[153][147]。
- 近隣にある東武ストアや主婦の店いずみなどのスーパーと競合していた[187]。
- 2006年頃サントマト江戸川台店へ。現在はビッグ・エー流山江戸川台西店][要出典]
野田市
- 店舗面積2,963m2[188]、延べ床面積約3,570m2[188]。
- 東武野田線川間駅の約100m北側に出店した鉄筋コンクリート2階建ての店舗であった[188]。
- スーパーマルゴ→スーパーマーケット「魚悦」として再出店した[要出典]。
- ディスカウント店「スーパーマーケット魚悦」の1号店として開店した[72]。
佐倉市
- 店舗面積678m2[154] → 店舗面積749m2[153]。
- プリマート佐倉店として開店した[189]
- 二階に衣料品のみを扱う扇屋ジャスコ佐倉店とともに営業していた。
- 閉店後はスーパーマーケット乃ぐちや佐倉店が営業していた[190]が後に閉店。
- 建物は解体され跡地にローソン佐倉新町店が開店している。
- 上志津店
- 店舗面積1,383m2[192]。
八千代市
- ゆりのき店
四街道市
成田市
- 店舗面積1,254m2[154]。
香取市
- 店舗面積1,294m2[154]。
- マルエツに転換して1〜2年ほどで閉店し、その後店舗跡にはディスカウント店を経て銚子に本社を置くミヤスズが出店したがそれも1990年代初頭に閉店した。
- 小見川店(出店当時は小見川町)
- 店舗跡には生鮮ディスカウント店のトップマートが出店した[194]が、5年ほどで閉店し独立系のスーパーを経て2017年現在はトライアルが出店している。
上総
- 店舗面積1,698m2[20]。
東京都
23区
城北
- 店舗面積1,975m2[158]。
- 開店時に当社で初めて惣菜のバイキングコーナーを常設した[197]。
- アットマート町屋店、ダイソー、スギ薬局[要出典]
- 2011年(平成23年)12月にドン・キホーテ町屋店が再び出店することになった[198]。
- ポロロッカ市ケ谷店 (?開店 - 2010年(平成22年)1月20日閉店[199])
- 店舗面積347m2[199]。
- 店舗面積238m2[147]。
- 店舗面積380m2[158]。
荒川以東
- 店舗面積2,305m2[14]。
- 関原ショッピングプラザに出店していた[14]。
- 1993年(平成5年)頃まで2階店舗として衣類・雑貨・ゲームセンターが存在した。しばらくは1階店舗食品のみの営業となり、近くにココスナカムラ関原店開業を受けて客足が離れて2002年(平成14年)閉店 → カズン関原店・セリア・ぱぱす関原店[要出典]
- 店舗面積492m2[158]。
- 店舗面積496m2[158]。
- 店舗面積496m2[158]。
- 店舗面積2,121m2[156]、延べ床面積約8,149m2[156]。直営店舗面積2,121m2[156]。
- 喜楽ビル[156]
- 1997年(平成9年)5月30日に全面改装して新装開店した[200]。
- 店舗面積492m2[147]。
- 店舗面積1,497m2[158]。
城南
- 店舗面積約2,993m2[80] → 店舗面積2,842m2[153]。
- 2000年(平成12年)11月30日に新糀谷店(大田区萩中2-12-5)が開店した[201]。
- 4階建ての大型店で、店内には4階にゲームセンターが設置され、1階にはマツモトキヨシが同居していた時期もある。[要出典]
- 閉店後は建物が存続し、ダイソーが建物をそのまま店舗として利用し、4階建の大型店「ダイソー 西糀谷店」として営業したが後に閉店。その後、建物は取り壊されて新しく新築され、現在は薬局併設の「ウエルシア 大田萩中店」になっている。[要出典]
- 店舗面積952m2[158]。
- 店舗面積783m2[158]。
- ポロロッカ日本橋本町店(?開店 - 2010年(平成22年)7月26日閉店[159])
三多摩
神奈川県
川崎市
- 旧・サンコーの1号店として開店した[80]。
1966年(昭和41年)3月開店[189] - 2008年(平成20年)までに閉店[206])
- 店舗面積約772m2[154]。
- 土地面積2,904.48m2[210]、延べ床面積約3,541.57m2[210]、店舗面積2,320m2[153]。
- 1997年(平成9年)2月28日付けで土地・建物をリクルートコスモスに譲渡[210]。
- 馬絹店 (1982年(昭和57年)開店-2002年(平成14年)閉店[要出典])
- フーデックスプレス川崎西口店 (?開店 - 2010年(平成22年)1月10日閉店[199])
- 店舗面積638m2[199]。
- 店舗面積約894m2[20]。
横浜市
- 星川町商店街は117店があったが、当店進出後に17店が廃業した[81]。
- 店舗面積908m2[153]、土地面積1,484.8m2[210]。
- 1997年(平成9年)2月28日付けで土地・建物をリクルートコスモスに譲渡[210]。
- 店舗面積7,154m2[156]、延べ床面積約11,102m2[156]。直営店舗面積5,701m2[156]。
- 創価学会緑文化会館[要出典]
- 2012年(平成24年)6月27日に[212]「ビッグボーイ」敷地内に[213]「マルエツ中山店」が開店した[212]。
- 長津田店
- 直営店舗面積約5,799m2[80] → 直営店舗面積約4,164m2[153] → 直営店舗面積4,168m2[156]。
- SC店舗面積8,306m2[156]、延べ床面積約12,804m2[156]、敷地面積約13,462m2[214]。
- サンコーが長津田ショッピングワールドとして開店した[189]。
- 店舗跡は住友不動産が取得して2013年(平成25年)9月に解体工事を開始した[214]。
- 長津田駅北口の再開発ビルに[215]2013年(平成25年)3月27日に「マルエツ長津田駅前店」が開店した[216]。(長津田駅北口再開発による複合施設「長津田マークタウン」の1階)
- 店舗面積1,552m2[147]。
- マルエツ・プチ翁町二丁目店 (?開店 - 2011年(平成23年)6月20日閉店[142])
- 店舗面積149m2[142]。
横浜市・川崎市以外
- 中央林間店(大和市[218])
- 店舗面積5,179m2[156]、延べ床面積約10,870m2[156]、直営店舗面積約4,370m2[156]。
- 東逗子地区唯一のスーパーで大型駐車場を併設した店舗であった[220]。
- 店舗は入三商事が所有しており[156]、同社との間で賃貸契約を巡るトラブルが長年続いたことから閉店することになった[220]。
- 田名店(旧・すえひろ→サンデーマート、?開店 - 2018年(平成30年)1月14日閉店)
- アルズフーズマーケット田名店
吸収合併したスーパーマーケット
プリマート
市川市下貝塚1[17] → 習志野市
千葉県地盤のスーパーマーケット[16]。
八千代デパートを吸収合併し、1971年(昭和46年)に売上高約48億円で13店になった[17]
1977年(昭和52年)9月に合併で合意し[221]、 1978年(昭和53年)1月に吸収合併された[11]。合併時点で34店であった[16]。
サンコー
サンコーは、岡田屋(川崎市地場の呉服商店・現在の横浜岡田屋)資本の量販業態として[81]、1961年(昭和36年)11月に資本金100万円で設立された[80]。
同月に1号店として「小田店」を開設下のを皮切りに[80]、武蔵小杉や鹿島田、登戸、武蔵新城、溝の口などの南武線沿いや川崎大師前や川崎駅前、元住吉など地盤である川崎市内に加えて、隣接する横浜市内の綱島や星川等へ出店を進め[81]、1970年(昭和45年)には売上高約150億円の中堅スーパーへ成長した[222]。
しかし、経営難に陥ったため[223]、1970年(昭和45年)2月にダイエーと提携して再建を図ることになり[82][80]、ショッピングセンターの管理・運営はダイエー・ショッビングセンター運営部が継承すると共に[80]、同年7月にダイエーと共同仕入会社の「エマック」を設立した[80]。 なお、この提携以前にはダイエーの創業者・中内㓛は「血を流して一体化すべきである」などと発言して業務提携に批判的であったが、当社との提携を皮切りに同年4月18日に高知市の大橋通にフランチャイズ1号店を開店し、同年7月24日に「さとう」や「宝屋」「福屋」「丸作」とフランチャイズ契約や業務提携をすると発表するなど提携戦略の展開をするようになった[189]。
この提携直後の1970年(昭和45年)には、3月21日に川崎市の向ヶ丘遊園駅前に専門店約60店が入居する向ヶ丘ショッビングワールドを開業し、同月26日に横浜市長津田に専門店約40店が入居する長津田ショッピングワールドを開業、11月20日に横浜市上大岡に上大岡ショッピングワールドを開業、同月28日に横浜市井土ヶ谷に井土ヶ谷ショッピングワールドを開業するなど大型店を相次いで出店した[189]。
その後、業務体制の確立のために約7年間にわたって出店を凍結し、食品スーパーとして総合スーパー・ダイエーと異なるチェーンストアとして展開した[80]。
1981年(昭和56年)2月4日に「株式会社マルエツ」に吸収合併される契約に調印し[24]、同年7月31日に吸収合併された[25]。
ポロロッカ
合併時点の資本金4.8億円[148] 2002年(平成14年)1月17日にマイカルからを全株式を4.8億円で買収して傘下に入れ[97]、2002年(平成14年)5月24日に代表取締役副社長を派遣し[224]、2007年(平成19年)12月1日にマルエツに吸収合併した[2]。
合併時点で小型スーパーマーケット22店を運営しており[148]、店舗の名称としては吸収合併後も継続した[109]。
しかし、売り場面積165m2から500m2以上の小型店舗を「マルエツ プチ」に統合することになったため、2010年(平成22年)4月時点で26店が営業していた「ポロロッカ」の店舗は「マルエツ プチ」へ屋号を変更され、店名としても消滅することになった[28]。
サンデーマート
- 合併時点の資本金4.9億円[148]。
2007年(平成19年)12月1日にマルエツに吸収合併し、テナント運営部門は吸収分割でマルエツ開発が引き継いだ[2]。
合併時点で小型スーパーマーケット26店を運営しており[148]、店舗の名称としては吸収合併後も継続した[109]。
2011年(平成23年)2月期末までに屋号の集約化を図った際には、売り場面積650m2以上の店舗が「マルエツ」に統合することになったため、2010年(平成22年)4月時点で20店が営業していた「サンデーマート」の店舗は「マルエツ」へ屋号を変更され、店名としても消滅ことになった[28]。
その他
- 首都圏外周の地方都市での大型スーパーマーケットをチェーン展開することを目的に設立され、阿見店と君津杢師店を運営していた[84]。
- 解散に伴い、1996年(平成8年)3月以降は当社が阿見店を運営することになった[84]。
- (株)京葉マート - スーパーマーケット1店を運営していたが、競合激化で売上げが落ち込んで2001年(平成13年)3月に閉店し、2002年(平成14年)2月期決算で約1.97億円の債務超過に陥ったことから、2002年(平成14年)7月に解散することになった[181]。
関連会社
- (株)日本流通未来教育センター
- 蕨市[225]
- ライフコーポレーションとの合弁によるスーパーマーケット関連の教育企業で、実習中心の研修を実施している[102]。また、法規学習などの法令遵守(コンプライアンス)に関する研修も実施している[226]。
- 当社とライフコーポレーションの社員教育業務受託以外に、他社の社員の研修も行う[225]。
- 2003年(平成15年)4月から本格的に業務を開始した[102]。
- (株)マーノ
- (株)マルエツ開発
過去に存在した関係会社
加工・配送
- マルエツ水産(株)
- 蕨市[153]、1983年(昭和58年)7月設立[153]、資本金1000万円(持株比率100%)[153]、鮮魚などの加工[153]。
- 鮮魚などのプロセスセンターを兼ねた「白岡生鮮加工センター」は、1996年(平成8年)10月1日にダイエーロジスティックスシステムズに所有権などを移管すると共に、従業員も同社に移籍して業務委託された[86]。
- マルエツミート(株)
- 蕨市[153]、1985年(昭和60年)6月設立[153]、資本金1000万円(持株比率100%)[153]、精肉などの加工[153]。
- 精肉などのプロセスセンターを兼ねた「浦和加工センター」は、1996年(平成8年)10月1日にダイエーロジスティックスシステムズに所有権などを移管すると共に、従業員も同社に移籍して業務委託された[86]。
- 協同配送(株)
販売
- (株)マリッシュ
- 衣料品販売事業の運営を行っていたが、1997年(平成9年)2月期に清算されることになった[89]。
- (株)デンキワールド[要出典]
飲食
- (株)アイディッシュ
- レストランとピザの宅配という飲食店の運営を行っていたが、1997年(平成9年)10月30日に運営していたピザ宅配店全12店を閉店して同事業から撤退[90]。レストラン3店は1998年(平成10年)1月1日付で当社が出資していた関係会社のデュオに営業譲渡して同事業からも撤退[90]。
- 1998年(平成10年)2月20日で解散し、当社が特別損失約7億円を出す形となった[90]。
- サークルジョイ
- (株)アニーモ(解散時点の資本金3000万円[93])
- 大森町店の3階〜5階に1994年(平成6年)4月1日に開設した「アニーモ大森」[230]など、フィットネスクラブ3店舗の運営を行っていたが、2001年(平成13年)2月末にダイエーオリンピックスポーツクラブに移管して解散することになった[93]。
- (株)ピクニック
- 蕨市[153]、1985年(昭和60年)11月設立[153]、資本金1000万円(持株比率100%)[153]、軽食などの[153]外食事業[90]。
- 外食事業の運営を行っていたが、1997年(平成9年)2月期にダイエーグループに移管して清算されることになった[89]。
その他
- クローバ商事
- リテイル情報システム(株)
- エステート開発(株)
- (株)トマトスタンプ
- 2006年(平成18年)1月26日にパンダスタンプ販売(株)から社名を変更した[147]。
インターネット食品販売
現在、インターネット『食卓.jp』を利用した、生鮮食品販売『マルエツネットスーパー』を行っている。自宅まで宅配してもらえ、各種カードや代金引換が利用できる(※利用には食卓.jpの会員にならなければならない)。
- 利用可能エリア
また、楽天市場内でも『maruetsuふれあいショッピング』を行っている(こちらは、ギフトもの中心)。配送は、日本郵便・ヤマト運輸・日本通運などの業者が行っており、全国配送可能(離島などは配送不可能の場合あり)。
閉店時間の曲
- Somewhere Out There(アメリカ物語のテーマ曲) 歌:Linda Ronstadt and James Ingram[要出典]
現在マルエツの各店舗をはじめ、マルエツグループの各店舗には、閉店時間10分前から閉店時間まで「まもなく閉店します。」とアナウンスされるとともに、上記の曲が流れる(24時間営業の店舗では上記の曲は流れない)。[要出典]
脚注
注釈
- ^ a b c d e f g h 大阪証券取引所は、2003年(平成15年)12月1日に上場廃止[4]。東京証券取引所は2015年(平成27年)2月25日に上場廃止し[5]、同年3月2日にマルエツやマックスバリュ関東と共にユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス株式会社を設立して傘下に入り[6][7]、同社が同日に上場した[6][7]。
- ^ 当初は店舗を併設していなかったが、2000年(平成12年)10月5日に本社ビル1階に24時間営業の「マルエツ新大塚店」を開店したが[8]、その後都市型小型店舗形態の「マルエツプチ新大塚店」に業態転換された。このため、本社社屋にはマルエツとマルエツプチの看板が両方設置されている。
- ^ 1976年4月1日に当社(当時の商号はマルエツ商事株式会社)が(旧)株式会社マルエツ(有限会社魚悦商店にて設立)を合併し現商号に変更(いわゆる株式額面変更目的の合併)。設立時の商号は「株式会社内匠組」。
- ^ 1995年(平成7年)6月29日の定時株主総会で3月31日から2月末日に変更[10]。
- ^ a b 「株式会社プリマート」は1971年(昭和46年)時点で千葉県市川市下貝塚1に本社があり[17]、合併時点では習志野市に本社を置いて34店舗を展開していた[16]。「株式会社プリマート」が沖縄県で小型スーパーマーケットの集中出店をするため[18]、1975年(昭和50年)3月1日に設立した[19]「プリマート沖縄」が1978年(昭和54年)9月に「(2代目)プリマート」に社名変更した[20]。1999年(平成11年)8月21日に「(2代目)プリマート」は「沖縄ジャスコ」と付で合併して「琉球ジャスコ(株)」に社名変更し[21]、イオン琉球となった[19]。
- ^ a b 小浜裕正は1965年(昭和40年)にダイエーに入社し[30]、当社代表取締役副社長となった[26]。2000年(平成12年)に副社長としてカスミに入り、社長を経て会長に就任[30]。カスミ会長として2015年(平成27年)3月2日に当社やマックスバリュ関東と共にユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス株式会社を発足させた[6][7]。
- ^ 藤井次郎の後任として次の通りダイエー出身の社長が続いた。
川一男(ダイエー専務取締役[34]、1996年(平成8年)1月18日[34] - 2000年(平成12年)3月1日[35])
吉野平八郎(2000年(平成12年)3月1日[36] - 2003年(平成15年)5月22日[37])
太田清徳(2003年(平成15年)5月22日[37] - 2006年(平成18年)3月1日[38])
太田の後任の高橋惠三は生え抜きである[38]。 - ^ 音通グループが継承した店舗は食品スーパーの「FMART」となった[54]。
- ^ 「eatime」はカスミやマックスバリュ関東の店舗でも販売されている
- ^ 1992年(平成4年)3月19日に「ボンベルタ成田」の1階食料品ゾーンに「マルエツ成田ニュータウン店」が出店している[107]。
- ^ その後、ボンベルタ成田内の成田ニュータウン店でも導入され、2019年まではWAONはこの2店舗のみで利用可能だった。
- ^ a b 同年8月に閉店した西友の「フードマガジン六本木ヒルズ店」の跡地に出店した[111]。
- ^ 株式移転により共同持株会社を設立し、3社はその傘下となり、イオン株式会社と丸紅株式会社が特定目的会社を設立し、共同持株会社の発行済み株式総数の過半数を保有する計画と発表された[77]。
- ^ 2000年(平成12年)9月1日に茨城県内2店目として開店した[127]。
- ^ 1995年(平成7年)11月2日開店[128]
- ^ 千葉県1号店として[136]2011年(平成23年)10月14日開店[137]
- ^ 「リバーシティ21」内のユニリビングから継承した店舗の向かい側の2002年(平成14年)11月13日に「フーデックス佃店」を開店しており、フーデックスは定番品を多めにすることで品揃え面での差別化を図って併存を目指した[138]。
- ^ 2015年9月27日で閉店した富士シティオが運営していた「デリド 市ヶ谷店」の跡に出店。
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関連項目
- 高橋八太郎 - 元マルエツ社長兼会長
- プリマート
- イオン (企業)
- ダイエー
- 丸紅
- テレビ朝日(長年にわたり「マルエツ・テレビ朝日わくわくキャンペーン」を実施)
- 毒蝮三太夫のミュージックプレゼント(TBSラジオ、大沢悠里のゆうゆうワイド→ジェーン・スー 生活は踊る内で放送)。2007年4月から2012年3月まで番組スポンサー(エーザイと共同)。火曜日のみ「マルエツミュージックプレゼント」として10時半ごろからマルエツ店舗より生中継していた。