「桂文枝 (6代目)」の版間の差分
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落語の弟子の芸名には、自らの前名である「三枝」にちなみ、「三○」という風に「三」がついている。また、落語以外での弟子(通称「維新塾」)としては、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の『[[タモリのボキャブラ天国]]』に出演していた漫談の[[幹てつや]]、[[吉本新喜劇]]に所属している[[中條健一]]、漫才師[[かつみ |
落語の弟子の芸名には、自らの前名である「三枝」にちなみ、「三○」という風に「三」がついている。また、落語以外での弟子(通称「維新塾」)としては、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の『[[タモリのボキャブラ天国]]』に出演していた漫談の[[幹てつや]]、[[吉本新喜劇]]に所属している[[中條健一]]、漫才師[[かつみ♥さゆり]]のさゆり、ラジオDJのDJ JIRO([[高杉'Jay'二郎]])らがいる。中條は、大学も所属サークルも三枝の後輩であり(関西大学[[落語研究会 (サークル活動)|落語研究会]]『落語大学』)、大学時代の芸名は「浪漫亭呂澪(ロミオ:「[[ロミオとジュリエット]]」より)」であった。1974年頃、[[快楽亭ブラック_(2代目)|2代目快楽亭ブラック]]が[[立川談志]]に最初の破門を出された際(その後、談志一門に復帰したが、2006年現在は2度目の破門中)、一時だが三枝門下となっている(ジョニー三ノ介・桂三ノ介・桂サンQ(サンキュー))。談志はこの件で三枝に感謝していたとされる。 |
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2020年7月11日 (土) 10:35時点における版
六代 | |
第25回彦八まつりの開幕で挨拶(2015年9月5日) | |
本名 | |
---|---|
生年月日 | 1943年7月16日(81歳) |
出身地 | 日本・大阪府大阪市大正区 |
師匠 | 3代目桂小文枝 (後の5代目桂文枝) |
名跡 | 1. 桂三枝(1966年 - 2011年) 2. 6代目桂文枝(2011年 - ) |
活動期間 | 1966年 - |
活動内容 | 上方落語、創作落語 |
配偶者 | あり |
所属 | 吉本興業 |
公式サイト | 三枝改メ 六代 桂文枝 |
受賞歴 | |
紫綬褒章(2006年) 旭日小綬章(2015年) | |
備考 | |
上方落語協会6代目会長(2003年 - 2018年5月) | |
六代 桂 文枝 | |
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結三柏は、桂文枝一門の定紋である。 | |
本名 | 河村 静也 |
ニックネーム | サニー |
生年月日 | 1943年7月16日(81歳) |
出身地 | 日本・大阪府大阪市大正区 |
血液型 | O型 |
言語 | 日本語 |
方言 | 大阪弁 |
最終学歴 | 関西大学商学部中途退学 |
師匠 |
3代目桂小文枝 (後の5代目桂文枝) |
事務所 | 吉本興業 |
活動時期 | 1966年 - |
同期 |
笑福亭鶴光 4代目桂春団治 |
現在の代表番組 | 新婚さんいらっしゃい! |
過去の代表番組 |
MBSヤングタウン ヤングおー!おー! パンチDEデート 三枝の爆笑美女対談 三枝やすし(きよし)興奮テレビ クイズ!年の差なんて 他 |
配偶者 | 既婚 |
公式サイト | 三枝改メ 六代 桂文枝 |
受賞歴 | |
紫綬褒章(2006年) 旭日小綬章(2015年) |
6代目 桂 文枝(かつら ぶんし、1943年(昭和18年)7月16日 - )は、日本の落語家、タレント、テレビ番組司会者。上方落語の名跡『桂文枝』の当代である。本名∶
師匠は桂小文枝(後の5代目桂文枝)。一般的に上方落語の世界では、単に「六代目」と言えば専ら6代目笑福亭松鶴を指すため「六代 桂 文枝」としている。
現在、同一司会者によるトーク番組の最長放送世界記録保持者(「新婚さんいらっしゃい!」について認定)として、記録更新中である。
来歴
大阪市大正区で生まれ育ち、現在は大阪府池田市在住。出囃子は三枝時代『おそ付け』『喜撰くずし』から『軒すだれ』(師匠である先代文枝が小文枝時代に使用したのを継承)を使用。6代文枝襲名に際して『本調子・中の舞』(5代目柳家小さんが使用していた曲)に替えた。定番ギャグは「いらっしゃーい!」。
大阪市立北恩加島小学校、大阪市立市岡中学校、大阪市立市岡商業高等学校卒業、中学では西川きよしの姉と同級生で、高校ではレツゴー正児と2代目桂春蝶の下級生で、当時から付き合いがあった。同高卒業後、関西大学商学部第二部商学科に進学したが中退している。
吉本興業のほか、個人事務所として三友事務所(自らの個人事務所)に籍を置いている。上記の肩書きのほか、財団法人いけだ市民文化振興財団名誉理事、一般社団法人OSAKAあかるクラブキャプテン。函館大学商学部・関西大学文学部で客員教授を務める。また堺市[1]、淡路島の名誉大使も務める。
2012年に桂文枝を襲名するまで45年[2]に渡り「桂三枝」名義で活動し、弟子や吉本の後輩芸人からは「三枝師匠」と呼ばれ、愛称は「サニー」「さんちゃん」であった(「さんちゃん」については、後輩である明石家さんまの愛称となり、そちらの方が一般的な認識となった)。
2015年7月2日、『新婚さんいらっしゃい!』で「同一司会者によるトーク番組の最長放送」としてギネス世界記録に認定された[3]。
創作落語を自作自演する作家活動も長く続けており、作品数は200本以上。他の落語家によって演じられるようになったネタも多い。
人物
「いらっしゃーい!」「オヨヨ」「しっかりと!」などのギャグが有名である。「オヨヨ」については、小林信彦から自著『オヨヨ』シリーズからの盗用であると抗議され、使用をやめた上で謝罪することとなった(オヨヨ騒動)。しかし、三枝の「オヨヨ」は、俳優大河内傳次郎の物まねから派生したものであり、小林の主張は誤解であった。
関西大学では一時期、卓球部に在籍した。その後、商学部2年時に関西大学落語研究会「落語大学」が創設。直後に、勧誘を受けて加入した。
タレントとして早くから頭角を現す一方で、本業の落語の評価は高くなかったが、三遊亭圓丈の新作落語にヒントを得て、古典ではなく新作にウェイトを置くようになると、落語での評価は急上昇していった。これは古典をほとんどやっていない早い時期に、司会者やタレントで人気が出始めたため、師匠にしっかり稽古を付けてもらえなかったこと、本来の上方落語の世界に出てくる大阪言葉に馴染めなかったことなどが理由とされている。
なお、この自作については、後進落語家に語り継がれることを前提としているため、「新作落語」(古典落語と対の言葉)とは呼ばせず、敢えて「創作落語」と呼ぶ(また、新作落語はおおむね、時期が過ぎたらそのネタを「捨て」ざるを得なくなる習わしがあり、それに反発したことにもよる)。立川談志は「ただの若手の人気者だと思っていたが、新作落語で奥義を極めた」と評している。
テレビ番組でおなじみの「あっち向いてホイ!」「さわってさわってナンでしょう(箱の中身はなんだろな)」や「たたいて・かぶって・ジャンケンポン」などを考案した。子供の頃から、オリジナルのゲームや遊びを考案するのが好きで、それが三枝の関係するクイズ番組などに活かされている。また、この持ち前の発想力が、創作落語を作る際の原動力となっている。
大平サブロー、明石家さんま、松本人志など、後輩芸人からものまねされることがある。また、関根勤のかつての芸名「ラビット関根」や、池乃めだか、セーラーズの名付け親でもある。ほかにも『ヤングおー!おー!』に出ていたころ共演していた後輩に名前を付けている(オール阪神・巨人は「マネマネゴンスケ・マンスケ」、萩原芳樹には「ダッシュとんぺー」)。
思い出の好きな食べ物はうなぎを使った料理の半助鍋(『よ〜いドン!』での紹介)、嫌いな食べ物は茄子の浅漬け(「食わず嫌い王決定戦」で判明)。
多趣味で、かつては芸能人仲間でボウリング部を立ち上げたこともあった。文枝襲名後はブログをほぼ毎日更新している。趣味はウクレレ、絵を描く事である。また、加山雄三のファンであり、影響で船舶の免許を取得している。ただし、自動車の運転免許は持っていない。
2010年8月頃、リカンベント自転車を購入、淀川の河川敷などをよく走っている。吉本興業のプロフィールにもリカンベントを趣味として記載している[4]。また坂本龍馬のファンであり、自身のブログで話題にすることが多い。また福原愛との共演がきっかけで卓球もする。
略歴
河村家の先祖は武家の出で菩提寺は岐阜県本巣市文殊(旧: 本巣郡文殊村文殊)の善永寺にある[5]。祖父・靜衛は日露戦争の奉天会戦に兵卒として参加し、除隊後にその功績で得た金鵄勲章の年金を元手に大阪で薬問屋を開業[5]。
生後11か月で、野村銀行(現: りそな銀行)の銀行マンであった父・清三は戦地に赴く前に陸軍病院(現在の大手前病院)にて肺結核で死去(遺骨は長らく旧真田山陸軍墓地に保管されていた)[5]。母はその後、息子を引き渡して離縁するようにという河村家の話を拒否して出奔し、大正区に隠れ住む。1950年のジェーン台風と、翌1951年の火事で、大正区・港区在住時代の自宅が全損したため、幼い頃の写真は数えるほどしか残っていない。
市岡商業高校では演劇部に入部。先輩の直井正三(のちのレツゴー正児)に触発され、同級生とともにABCラジオの『漫才教室』に出演して賞金を稼ぎ、早くも大阪では名の知れた存在になった[6]。関西大学夜間部時代には、3代目桂米朝落語を聴いたことで興味を持つ。1964年に創設間もない落研(通称落語大学)に一期生として入部(同期には浪漫亭呂蘭こと、元政治家の林省之介がいる)、ロマンチックをもじった「浪漫亭ちっく」の芸名で、アマチュア落語家として活動する[7]。関西大学夜間部在学中の1966年に、早稲田大学の落語研究会にいた都家西北が6代目三遊亭圓生に弟子入りする話を聞いて、自身も落語家になることを夢見る。
ある日、番組出演などで知り合った藤井康民(当時松竹芸能文芸部員。後のケーエープロダクション社長)に桂小文枝の弟子になりたいことを打ち明ける。たまたま同じ場所に居合わせた高校先輩の2代目桂春蝶に「これから小文枝師匠とこ稽古行くさかい、ついて来るか? どうや?」と言われて同道し、弟子入り志願をする。「大学出は嫌や」と小文枝から断られたが、藤井がすべて責任を持つという形で弟子入りが許される。その時、母には「建設会社の人事課長」と偽って紹介するなど、入門までには紆余曲折があった。2代目桂春蝶は高校の2年先輩で2代目桂春蝶の妹が文枝と同じクラスであった。[8]正式な入門は同年12月1日で、道頓堀角座で初舞台を踏み、吉本では同月に京都花月で初舞台を踏む。
1967年秋、MBSラジオの深夜放送のオーディションに参加。マカロニ・ウェスタン映画を題材にした新作落語を披露し、ディレクターの渡邊一雄の目に止まり、出演が決定する。その番組とは、『歌え! MBSヤングタウン』であった。この番組で三枝は、自ら考えた「ひとりぼっちでいる時のあなたに、ロマンチックな明かりを灯す、 便所場の電球みたいな桂三枝です」のキャッチフレーズや、「オヨヨ」「いらっしゃーい」「アリーッ!」などのギャグで一躍大人気となる[6]。三枝は放送タレントの世界に入るにあたって、「西条凡児のセンスと花菱アチャコの雰囲気、そして藤山寛美の“間”」を目標とし、とりわけ凡児の話芸に傾倒した[6]。そしてギャグは、伴淳三郎の「アジャパー」や初代内海突破の「ギョッ!」など、ブレイクしたギャグの多くが「驚き語」であったことをヒントに、「一番最初に出る言葉にインパクトを出そう」と取り組んだ結果であった[6]。
その後は、テレビのバラエティ番組『ヤングおー!おー!』『パンチDEデート』『新婚さんいらっしゃい!』などの司会を務め、全国区の人気者となり超売れっ子となった。また、小文枝一門の中でもテレビ露出が最も多かった弟子でもある。
ラジオ大阪の深夜放送『ヒットでヒット バチョンといこう!』(日曜日)で舌足らずの甘えた声で三枝の担当日のアシスタントを務めて共演したタレントの高橋真由美と、番組終了後に結婚し1男1女を儲ける。テレビ番組で、挙式した時の写真を披露したことがある。長男は三友事務所の社員である。
1990年代前半までは、長者番付関西芸能人ランキング首位を保ちつづけた。21世紀になってからはダウンタウンなど後進の台頭に加え、上沼恵美子ややしきたかじんがテレビ司会者として活躍するなど、お笑い界や上方芸能界の変化もあって、テレビタレントとしての勢いはやや落ち着いたものとなり、その後は落語家としての活動を中心に据えるようになった。
1995年の参議院議員選挙に出馬を決意。記者会見まで開いたが、告示直前に事務所と家族が反対。断念したことがある。
2009年1月1日、『産経新聞』が12月31日の関係者情報として“時期は未定だが桂派の由緒ある名跡で師匠の名「6代目桂文枝」の襲名が予定されている”と報じた[9]が、その時点では否定していた[10][11]。
2011年7月11日、師匠の名を継いで桂文枝を6代目として襲名することを正式に発表[12][13]。なお、タレントや落語作家としては今後も「桂三枝」名義を使用する意向を打ち出していた[14]が、後に考えを改め、「桂三枝」名義では活動しないことにした。このため、「新婚さん」も、2012年7月15日の放送で、三枝の名前では最後の出演となった。2012年7月16日、自らの69歳の誕生日に桂文枝を正式に襲名し、当日のなんばグランド花月(大阪府大阪市中央区)にて「六代 桂文枝」襲名披露公演を行った[15]。同年7月22日放送分より、「新婚さん」の出演名義も「桂文枝」に改名した。
2012年5月に『日本経済新聞』に「私の履歴書」を執筆する。2016年12月4日、堺市名誉大使に就任[1]。
21世紀になってからはテレビ出演を抑え、本業の寄席(NGKの出番など)、独演会(2000年3月からは「桂三枝の創作落語125撰」)や上方落語協会会長としての業務に注力している。2006年元旦に、『笑点』の新春特番『大笑点』に、『ヤングおー!おー!』時代の共演者である月亭八方らを引き連れて出演。その際、笑点メンバーからは「会長」と呼ばれていた。
2018年4月、上方落語協会会長を退任する意向を表明。後任に笑福亭仁智が選出され、5月31日の理事会をもって会長職を退任した[16]。。
2020年6月16日、「大阪の人・関西の人 いらっしゃい!」キャンペーン大使に就任。キャンペーンの目的は新型コロナウイルスの影響により厳しい経営状況が続く府内観光事業者への支援。大阪府庁の大阪府公館で行われた概要説明会に吉村洋文大阪府知事、松井一郎大阪市長とともに出席し、「コロナと一緒に過ごしたいとは思わないけど、ワクチンや治療薬ができるまでは仕方ない。志村けんさんもコロナで亡くなって葬式もできない。つらい寂しい思いした。コロナの中で大阪人らしくたくましく落ち込まずに頑張っていきたい」と語った。[17]
エピソード
- 早くから吉本興業のタレントとして売れっ子になったため、吉本興業内で大きな立ち位置を占めていた。一方で、相当に気難しい性格で有名であり、この両面から吉本の後輩芸人とのトラブルが絶えず、シリアス、ネタともどもこの手の話題に事欠いたことがない。
- 大の阪神タイガースファンである。かつては巨人ファンであったが、1987年11月に『七人のHOTめだま』(フジテレビ系)にレギュラー出演した時、江川卓が引退を決意した時の映像が流れたのを見て「今日限りで巨人ファンを辞めて阪神ファンになります!」と鞍替えを宣言し、司会の近藤正臣らの度肝を抜いた。1992年に「阪神が優勝しなければ坊主にする」と公約し、阪神が本当に優勝を逃したため、公約通り坊主頭にした。しかし、芸能活動の中心が関西であるため、阪神ファンを偽っているという話もある。2002年頃、生放送のバラエティ番組で「この番組は関西ではO.A.されてないよな?」と断った上で「私、実は巨人ファンなんです」と言ったことがある。藤田まこと(旧近鉄ファン)も三枝が「巨人ファン」であることを話題にしたことがある。
- 実はまったくの野球オンチという説もある。『ヤングおー!おー!』時代「なんか、おもろい話ないか?」と後輩芸人に聞くのが常だったが、里見まさとが甲子園に行って、おもろいオバハンに会った話をしだすと、何も言わずにいなくなってしまい、まさとが「自分で聞き出してあれは何や、ああいうヤツ嫌いやわ」と怒りだした。いつも温厚で静かなまさとの変貌に楽屋は凍りついたという(『さんまのまんま』より)。
- 小さい頃は大村崑の大ファンで 後にも先にもファンレターを送ったのはその大村だけである。今でも憧れの人と言う。
- 『ドカンと一発!60分』の“三枝のお作法教室”というドッキリコーナーの中で、お吸い物のお椀の中にトカゲのおもちゃを入れキャンディーズをビックリさせようとしたが、お椀の蓋を開けた田中好子が本当に気絶。伊藤蘭、藤村美樹が心配、スタジオも騒然となり、三枝の表情も不安になるが、結局これがドッキリと分かり(田中の気絶は演技で、伊藤と藤村も仕掛け人、つまり三枝が逆ドッキリにかけられた)、怒った三枝が介抱に使ったタライの水をセットにぶちまけた。
- 芸人仲間での飛行機の移動中、大声で騒ぐ後輩に「お前ら!もうちょっと社会人らしゅうせえー!!」と言ったことが、明石家さんまらにしばらくネタにされる(しかし三枝に言わせると、実際は穏やかな口調で「お前らももう社会人なんやからもうちょっと静かにしたらどうや?」と諭すように語ったのだが、さんまらに誇張され、「いらっしゃーい」の髪を掻き揚げるポーズも組み合わされてしまった)。さんまは若手時代、「さんま!ちょっとこーい!」「どーゆーこっちゃ!」などと三枝から叱られたことを膨張させ、現在でも持ちネタにしている。また、西川のりおが楽屋で「アイツ、いつかぶっころしたんねん」と呟くのを複数の芸人が聞いているという。
- ダウンタウンが大阪で売れ出した時代に舞台で三枝と共演し、稽古で松本人志が台本に書いてあった三枝あてのツッコミ「出来るか!」という言葉を発したのだが、その言葉のあと三枝は控え室に引きこもってしまった。いつまでも控え室から戻ってこないことを心配していた松本に三枝の女性マネージャーから「松本君、謝って」と諭される。何を謝るのか解らない松本に「師匠は何も言わないけど、私は師匠とは長いから解るの。あの『出来るか!』はちょっと失礼じゃないのかな?」と事情を説明された。台本に書いてある言葉、しかもツッコミで怒る人がいるのかと半信半疑になりながらも三枝の元に行き、「師匠、何かすんません」と謝罪。すると三枝は「もう、ええねや」と松本をなだめ、松本は「やっぱり怒ってたんかい!」と思ったそうである。その後三枝が戻って舞台に参加し、松本が台本の台詞を「出来ますかいなー」と柔らかく表現を変えたというエピソードがある。これは後に松本がダウンタウンのごっつええ感じでコント(サニーさん)として再現したり、人志松本のすべらない話でも語られた。
- 趣味が将棋(棋力はアマ名誉五段)で、「関西将棋横好きの会」を立ち上げ、神吉宏充プロの指導のもと、自身は会長として将棋界を盛り上げている。
- 1996年に吉本女子プロレスJd'を立ち上げた際に、「覆面コミッショナー」として参画している。また、大阪プロレス所属のプロレスラー・くいしんぼう仮面の入場テーマでは、オープニングで「くいしんぼう仮面、いらっしゃーい!」の掛け声で出演するなど、プロレスとの縁もある。
- 三枝時代に始めた、京都・南禅寺『順正[1]』で行われる、湯豆腐食べ比べ大会の司会は、日本有数の落語家になった現在でも、ずっと続けている(毎年2月に開催され、2012年に第38回を迎えた)。
- 6代目文枝が45年間名乗った三枝から師匠の名を継承することを決意した背景には「桂派の源流で由緒ある(文枝の)名跡を直系の弟子が代々引き継いだことを考え、他の一門の誰かが(文枝を)襲名するようなことがあれば先代を始め代々の文枝に申し訳ない」と考えたからであることを襲名発表の記者会見にて語っている[12]。
- 芸能生活50周年を記念して、よしもとクリエイティブ・エージェンシーと三井住友カードとの提携によるクレジットカード『オヨヨVISAカード』が発行された[18]。券面には、桂文枝一門の定紋である結三柏と、文枝紋(漢字の「文」を4つ、丸くつなげたもの)があしらわれている。会員には、入会の際にオリジナルグッズが贈呈される他、文枝自身の公演やなんばグランド花月・神保町花月のチケット購入時に割引が適用されるなどの特典が用意されている。
受賞歴など
- 1981年 - 第1回 花王名人大賞・落語部門名人賞を受賞。第10回上方お笑い大賞大賞を受賞。
- 1982年 - 第2回 花王名人大賞大賞および落語部門名人賞を受賞。第19回ギャラクシー賞・選奨を受賞。
- 1983年 - 「創作落語の会」代表として大阪府民劇場奨励賞を受賞。創作落語「落語現在派宣言III」の口演で、第38回文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞を受賞。
- 1984年 - 第4回 花王名人大賞特別功労賞を受賞。文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞受賞(創作落語「ゴルフ夜明け前」)。
- 1985年 - 第13回 日本放送演芸大賞特別功労賞を受賞。
- 2003年 - 「桂三枝の創作落語125撰ファイナル」の成果で文化庁芸術祭演芸部門(関西公演の部)大賞を受賞。夏、上方落語協会の第6代会長に就任。
- 2005年 - 関西大学客員教授就任。お笑いをテーマにした講義を担当することに。
- 2006年 - 紫綬褒章受章。芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
- 2007年 - 菊池寛賞受賞。
- 2011年 - 第62回NHK放送文化賞受賞。
- 2013年 - ゆうもあ大賞受賞[19]。
- 2015年 - 旭日小綬章受章。
弟子
落語の弟子の芸名には、自らの前名である「三枝」にちなみ、「三○」という風に「三」がついている。また、落語以外での弟子(通称「維新塾」)としては、フジテレビの『タモリのボキャブラ天国』に出演していた漫談の幹てつや、吉本新喜劇に所属している中條健一、漫才師かつみ♥さゆりのさゆり、ラジオDJのDJ JIRO(高杉'Jay'二郎)らがいる。中條は、大学も所属サークルも三枝の後輩であり(関西大学落語研究会『落語大学』)、大学時代の芸名は「浪漫亭呂澪(ロミオ:「ロミオとジュリエット」より)」であった。1974年頃、2代目快楽亭ブラックが立川談志に最初の破門を出された際(その後、談志一門に復帰したが、2006年現在は2度目の破門中)、一時だが三枝門下となっている(ジョニー三ノ介・桂三ノ介・桂サンQ(サンキュー))。談志はこの件で三枝に感謝していたとされる。
- 落語家としての弟子一覧
- 桂サンQ(現快楽亭ブラック)
- 桂三馬枝(現在奈良県で活動中だが、一門や協会などほかの噺家との付き合いはない。東京では太田プロに所属していた)
- 3代目桂枝三郎
- 桂三歩(和歌山県田辺市出身。)
- 桂三発(三重県津市市議会議員、三重県在住)
- 桂三風(司会業にも定評がある、客席参加型落語を商標登録)
- 桂三象(元・吉本新喜劇)
- 桂三扇(女性落語家。福知山市在住)
- 桂三若(桂ざこばの娘と結婚し一男をもうけるが離婚、吉本すみます芸人で秋田県在住だったが卒業して、現在東京在住)
- 桂三金(元・信用金庫職員、2019年死去。)
- 桂三ノ助(身長182cmの長身)
- 桂三弥(中堅実力派、2019年死去。)
- 桂三幸
- 桂三四郎(イケメン噺家・東京在住。MBSヤングタウン(日曜(笑福亭鶴瓶司会))に出演。)
- 桂三段(吉本すみます芸人で島根県に在住した後卒業し、出身地の北海道に帰郷)
- 桂三輝(2008年9月入門のカナダ人。吉本すみます芸人で三重県在住だったが卒業し、現在はカナダに戻った。本名はグレッグ・ロービック)
- 桂三河(現在吉本すみます芸人で兄弟子三若の後を受けて秋田県在住)
- 桂三語
- 桂三度(2011年入門。放送作家、ピン芸人・世界のナベアツ)
- 桂三実
- 桂文路郎
詳しくは文枝一門。
- タレントとしての弟子一覧
- 幹てつや
- DJ JIRO(高杉'Jay'二郎、2011年より三枝亭二郎として落語も行う)
- 尾崎小百合(かつみ♥さゆり)
- 中條健一
- 立花あさり(あさり・かつお)
- 中田真理亜(中田ダイマルの長女、元シェイプアップ)
- 西川亭三度豆(西川まさと・吉田かおり)
- こんばらさん【マジックパフォーマー】
- TASUKU
演じた俳優
- 森田展義(舞台「吉本新喜劇 桂文枝襲名記念公演 オヨヨ!!三枝誕生物語」2012年)
- 文枝も座長・なんば花月の当時の支配人役で出演。
- 間慎太郎(舞台「吉本百年物語 深夜のキラ星〜スター誕生〜」2012年)
- なだぎ武(舞台「吉本百年物語 日本全国、テレビで遊ぼ」2012年)
出演番組
テレビ番組司会
- ヤングおー!おー!(1969年 - 1979年、MBS)
- ファミリースタジオ230→奥さん!2時です(1970年 - 1975年、MBS・東京12ch(現・テレビ東京)共同制作)※MBS発の月曜担当
- さかさまショー(1970年 - 1971年春、よみうりテレビ)
- 新婚さんいらっしゃい!(1971年 - 、ABC)
- パンチDEデート(1973年 - 1985年、KTV)
- ドカンと一発60分!(1975年、NET ※現・テレビ朝日)
- 歌謡ヒットプラザ(1975年 - 1976年、フジテレビ)
- あなたが選ぶ今週のベストワン(1976年、フジテレビ)
- いたずらカメラだ!大成功(1976年 - 1977年、NET)
- オールスター春の東西対抗歌合戦!!(1977年4月1日、テレビ朝日 西軍司会)
- 桂三枝のアァ結婚大地震(1979年 - 1981年、東京12ch)
- THE恋ピューター(後に「三枝の恋ピューター」に改題 1980年 - 1982年、よみうりテレビ)
- 三枝の爆笑美女対談(1980年 - 1987年、KTV)
- 三枝の愛ラブ!爆笑クリニック(1981年 - 1995年、KTV)
- 三枝の激闘スタジアム(1990年 - 1991年、KTV)
- 浪花なんでも 三枝と枝雀(1982年4月 - 1985年12月、ABC)
- 三枝のドバーッとファイト!!(1983年、MBS)
- 桂三枝のファイト&ファイト(MBS)
- モーニングアップル(1985年 - 1986年、KTV)
- 三枝やすし(きよし)興奮テレビ(1986年 - 1997年、MBS)
- ナイトinナイト(1986年5月 - 2000年3月、ABC 月・火曜担当)
- 桂三枝のスポーツマガジン(1989年 - ?、MBS)
- 桂三枝のTXNニュース THIS EVENING(1989年 - 1990年、テレビ東京 日曜日担当)
- 桂三枝のにゅーすコロンブス(1990年 - 1991年、ABC)
- 自然がいちばん!地球塾(1993年、TBS)
- レインボー(MBS)
- 三枝の恋人ラブマッチ(よみうりテレビ)
- 桂三枝のひょうご寄席(サンテレビ)
- 三枝の笑タイム(1978年 - 1980年、NHK)
- 大阪発ユーモア列車(1980年 - 1981年、NHK)
- FNSスーパースペシャル 1億2000万人のテレビ夢列島'91(1991年7月20日‐21日、フジテレビ)
- 今夜は見せまっせ(2002年 - 2005年、NHK)
- 三枝とナニワ三姉妹!(2005年度 - 不定期、NHK)
- 三枝一座がやってきた!(2006年度 - 2007年度・隔月土曜、2008年度・毎月最終木曜、NHK・BS2)
- 知る楽 私のこだわり人物伝・花菱アチャコ“笑いの神様”はお人好し(2009年6月、NHK教育テレビ)
- 西方笑土(2011年 - 、NHK)
- 桂三枝の演芸図鑑(2011年、NHK)
- 三枝の落語創世記→文枝の落語創世記(2012年 - 、NHK大阪放送局)不定期放送
- しあわせニュース(2012年 - 、NHK)
クイズ番組司会
- 三枝・アンヌの愛あいゲーム(後に、司会者交代・関西ローカル降格で『夫婦でドンピシャ!』に改題 1975年 - 1976年、ABC)
- 三枝の大マジメ!?結婚ゲーム(後に芸能人参加で「三枝の結婚ゲーム」に改題 1976年 - 1977年、ABC)
- クイズDEデート(1977年 - 1984年、KTV)
- 三枝の国盗りゲーム(1977年 - 1986年、ABC)
- ジョギングクイズ(1980年、東京12チャンネル ※現・テレビ東京)
- 三枝の爆笑夫婦(1980年 - 1985年、日本テレビ)
- クイズ世界に挑戦!(2代目司会・1981年、MBS)
- 三枝のホントにホント(1981年、テレビ東京)
- 桂三枝の連続クイズ(1981年、TBS)
- SHARPワールドクイズ・カンカンガク学(1984年 - 1985年、日本テレビ)
- クイズ地球どんぶり!(後に形式を変更して『ザ!地球どんぶり』に改題 1984年 - 1985年、フジテレビ)
- ナイトinナイト おっちゃんVSギャルクイズ合戦(1986年 - 2000年、ABC)
- クイズ!年の差なんて(1988年 - 1994年、フジテレビ)
- ザ・ラスベガス(1991年 - 1992年、よみうりテレビ)
- クイズ!いち2の三枝(1992年 - 1993年、テレビ朝日)
- まっ昼ま王!!(濡れてにアワー!!1994年、1994年 - 1995年、テレビ朝日)
- 日本ど真ん中!三枝のグルメご当地料理自慢(メ〜テレ他)
クイズ番組の解答者として
- アップダウンクイズ(1979年、毎日放送) - 「クイズ番組司会者特集」
- シャープ・新スターアクション(1979年 - 1980年、日本テレビ) - 2代目男性軍キャプテンとして出演。
- パネルクイズ_アタック25(2015年、朝日放送)2000回記念芸能人大会、新婚さんいらっしゃいチームとして山瀬まみとともに出演。
テレビドラマ
- 連続テレビ小説(NHK)
- 水戸黄門(TBS) - 近松門左衛門
- 大久保彦左衛門(KTV)
- けんか安兵衛(KTV) - 第20話・ゲスト
- 風鈴捕物帳(ANB) - 第6話・ゲスト
- 柳生一族の陰謀(KTV) - 三条兼枝(第29話・ゲスト)
- ナニワ金融道1(フジテレビ) - 大手一郎
- 満開!ハッスル家族 (MBS) - 主演・お父さん
- 木曜ゴールデンドラマ 夫婦善哉(YTV)
- 上流階級〜富久丸百貨店外商部〜(フジテレビ) - 紅蔵栄一
- 真田丸(2016年1月 - 、NHK大河ドラマ) - 千利休[21]
- 小さな巨人(2017年4月 - 、TBS) - 中田和正
- 関西テレビ開局60周年特別ドラマ「BRIDGE はじまりは1995.1.17神戸」(2019年1月15日、関西テレビ)‐ 江戸川正央
映画
- 監督・脚本・原作
- ゴルフ夜明け前(1987年、東宝、松林宗恵監督) - 近藤勇
- チンピラの遠吠え おぼえとけ! 極道***行編(1995年、シネマパラダイス)
- 爆笑! 吉本ミクロ大作戦(1996年)
- 出演
- 透明剣士(1970年、大映京都)
- 仁鶴・可朝・三枝の男三匹やったるでえ!(1970年)
- ヤングオー!オー! 日本のジョウシキでーす(1973年)
- テキヤの石松(1976年、東映京都)
- 愉快な極道(1976年、東映京都)
- 帝都物語(1988年、エクゼ)
- 二十世紀少年読本(1989年) ※特別出演
- 明日があるさ THE MOVIE(2002年、東宝)
- のみとり侍(2018年、東宝) - 老中・田沼意次
劇場アニメ
ラジオ
- MBSヤングタウン(MBS、初期の『歌え!ヤングタウン』時代から出演)
- ヒットでヒット バチョンといこう!〔日曜日〕(ラジオ大阪)
- ヤングタウンTOKYO(TBS)
- 三枝です・ラジオでおはようABC(ABC)
- 桂三枝のズバリ!!大番組(ラジオ関西 1973年 - 1974年ごろ)
- 金曜スペシャル・桂三枝のぶっつけ本番(ABC)
- 桂文枝の茶屋町ホテル(MBS、文枝襲名に伴い2012年8月より「桂三枝の茶屋町ホテル」から改題)
- 桂三枝のチキチキ王国(TBS)
- 桂三枝のサンデーチキチキミュージック(TBS)
- かんさい土曜ほっとタイム(NHKラジオ第1放送、2011年6月25日放送の14時台「ほっと人物ファイル」でゲスト出演)
- 復活!桂三枝の歌え!ヤングタウン(MBS、2012年7月14日)毎日放送において「桂三枝」名義で出演した最後の番組
ドキュメンタリー
- 情熱大陸(2012年7月22日、MBS)
- 桂三枝のすべて〜六代桂文枝襲名〜(2012年7月29日、BSプレミアム)
- ファミリーヒストリー(2013年11月15日、NHK)
- 私の履歴書(2014年6月26日-7月17日、BSジャパン) - 2012年に日本経済新聞朝刊に掲載した同名連載自伝を原作としたもの(上記)
- NHKスペシャル「シリーズ認知症革命」(2015年11月14日、11月15日、NHK)
ナレーション
- ザ・ノンフィクション たこ焼き シルブプレ(s'il vous plait)~パリ・細腕繁盛記~(フジテレビ、2012年2月26日)
審査員
- R-1ぐらんぷり 第5回、第7回-第13回、第15回-(関西テレビ、2007年、2009年-2015年、2017年-)
CM
- 日清食品「出前一丁」(1970年代前半)、「日清焼そばUFO」(1977年、関西地区限定)
- 橘高 リッタースポーツ(チョコレート)(1970年代前半)- 文枝がアドルフ・ヒトラーに扮したこのCMはナチス・ドイツを想起するとのクレームにより放送後すぐお蔵入りになった。
- 象印マホービン「エアーポット・押すだけ」『パンチDEデート』のパロディで話題に。
- 東芝 - 1975年にカラーテレビ「ブラックストライプ」シリーズに出演。「1234ごくろうさん 67はっきりくっきり東芝さん」[23][24]のギャグで有名。このCMへの三枝の出演はクライアントの東芝からの指名であり、当時話題になっていた松下電器「クイントリックス」CMの坊屋三郎に対抗できるものをという注文を受けてのものだった[24]。
- トーラク
- 伊藤ハム
- イズミヤ
- 日本盛
- 美津濃 - 提供番組である『クイズDEデート』『パンチDEデート』絡み。
- セーラー万年筆
- ブラザー工業 - 電子ミシン「コンパル」のCMを担当(1982 - 1983年)。
- トヨタ自動車 - 「オールトヨタスーパーチャンスレーザー&ターボ」(1982年、宍戸錠と共演)
- 丸八真綿 - 羊毛パッド(1984年、羊の格好で主演。)
- 資生堂「uno」 - 生まれて初めて金髪に染めて話題に。
- 森井食品 - 関西ローカル。「もり井の葛切りぽっかぽか~」というフレーズが広まった。
- 中外製薬「バルサン[25]」
- ミツカン「味ぽん」
- ローソン
- 小林住宅
- 順正 - 三枝時代よりスポットCMに出演し続けている(別項参照)。
- キリンビール「タルチョ」
- ほっともっと「新・幕の内弁当」(2011年・スリムクラブと共演、2012年ではハリセンボンと共演、2014年は石井一久と共演)、「新・平日昼割」
- 2017年11月時点で淡路島PRのラジオCMに出演中。
レコード
- 夕陽のアンジェロ/たったひとつの愛(1969年8月)※桂三枝、ダボーズ名義‐MBS「歌えヤングタウン8月のうた」より
- 「夕陽のアンジェロ」の歌詞について「桂三枝の笑宇宙05」収録の「親父の演歌」のマクラで、良く分からないと語っている。
- ぐりぐりソング/最後に泣くのはおんなです(1971年3月)
- 三枝のムラムラ日記/僕の思い出さん(1975年12月)
- ひと目逢ったその日から/パンチ体操(1976年2月)※共演西川きよし‐フジテレビ「パンチDEデート」より
- 桂三枝の電線音頭/同カラオケ(1976年7月)‐NET「ドカンと一発60分」より
- 「桂三枝の笑宇宙05」収録の「親父の演歌」のマクラで、私のレコードの中で一番売れたと語っている。
- 面積ア・ゴーゴー/年令算と仕事算(1976年7月)
- 幸せにキッスしたら/あいあい愛Love You(1984年10月5日)※共演片平なぎさ‐テレビ朝日系列「新婚さんいらっしゃい!」より
- 四季の恋人/あなたに(1986年5月)‐関西テレビ「三枝の美女対談」より
- 熱海あたりで/はっけよい(1991年10月)※共演八代亜紀
- 好きだから/愛は季節の中で(1992年7月)※共演岡本夏生‐テレビ朝日系列「新婚さんいらっしゃい!」より
主な持ちネタ
- 『ゴルフ夜明け前』
- 『読書の時間』
- 『鯛』(鯛は絵本にもなって出版されている)
- 『ぼやき酒屋』
- 『妻の旅行』
- 『宿題』
- 『作文』
- 『お忘れ物承り所』
- 『美しく青き道頓堀川』
- 『大相撲夢甚句』
- 『くもんもんしき学習塾』
- 『真心サービスおじんタクシー』
- 『ヘラクレスの心』
- 『ワニ』
- 『大阪レジスタンス』
- 『父よあなたは辛かった』
- 『赤とんぼ』
- 『仁義なき校争』
- 『新世界ヘ』
- 『竹やんあれがパリの灯だ』
- 『またも華々しき華燭の典』
- 『ご対面は涙々のポタージュスープ』
- 『アメリカ人が家にやって来た』
- 『仲直り』
- 『涙をこらえてカラオケを』
他、2012年7月現在で220以上の創作を残す。また前座時代に高座にかけた古典落語は
- 『天神山』
- 『稽古屋』
- 『桃太郎』
- 『地獄八景亡者戯』
- 『宿屋仇』
- 『羽織』
- 『大安売り』
- 『元犬』
- 『饅頭怖い』
- 『善哉公社』
- 『七度狐』
- 『喧嘩長屋』
- 『けんげしゃ茶屋』
- 『時うどん』
- 『野ざらし』
- 『世帯念仏』
- 『崇徳院』
- 『半分垢』
- 『宿替え』
など多数あり。 ほかに桂文紅の作った新作落語に「テレビ葬式」がある。
著書
- 『桂三枝のオヨヨ巷談』ブロンズ社 1973
- 『新婚さんいらっしゃい!』オリエント書房 1975
- 『愛情ゆきのバス』八曜社 1976
- 『おもろ文学館』講談社 1976
- 『桂三枝のオヨヨ・テスト』広済堂ブックス 1976
- 『桂三枝爆笑落語大全集』全8巻 レオ企画
- 1 (仁義なき校争)1982
- 2 (真心サービスおじんタクシー)1983
- 3 (恐怖の怪談社)1984
- 4 (父さんがビデオカメラを買った日)1985
- 5 (君よモーツァルトを聴け)1988
- 6 (涙をこらえてカラオケを)1997
- 7 (湯けむりが目にしみる)1998
- 『三枝の爆笑夫婦』日本テレビ放送網 1983
- 『浪花なくとも桂三枝です』講談社 1983
- 『三枝の熱闘ひとり会 落語と笑いと人生と』PHP研究所 1984
- 『ゴルフ夜明け前 大河レキシ小説』サンケイ出版 1987
- 『あなたは3日間で巨人軍と別れられる 自分をダメにしないために』青春出版社 プレイブックス 1988
- 『桂三枝の傑作落語大全集』角川文庫
- 1 (仁義なき校争)1988
- 2 (ゴルフ夜明け前)1989
- 『巨人ファンをとてもやめられない人へ いまの自分を抜け出して見よう』青春出版社 プレイブックス 1988
- 『吉本興業殺人事件』扶桑社 1988
- 『三枝のホンマでっか 桂三枝対談集』読売新聞社 1989
- 『三枝のホンマでっか 桂三枝対談集 part 2-3』読売新聞社 1990-92
- 『おぼえとけ!』扶桑社文庫 1995
- 『ナニワの太閤 ゆめの又ゆめ』ベストセラーズ 1996
- 『桂三枝の落語絵本シリーズ』黒田征太郎絵 アートン
- 1 美しく青き道頓堀川 2005
- 2 鯛 2005
- 3 悲しい犬やねん 2005
- 4 考える豚 2006
- 5 ワニ 2006
- 6 カラス 2006
- 7 さよなら動物園 2006
- 8 峠の狸レストラン 2006
- 『桂三枝という生き方』ぴあ 2005
- 『桂三枝の笑ウインドウ傑作選』編著 朝日新聞社 2006
- 『桂三枝のああ夫婦 『新婚さんいらっしゃい!』でわかった幸せの法則』大和書房 2007
- 『桂三枝の川柳激情 世の中を575で考えよう』たる出版 2011
- 『師匠、五代目文枝へ』ヨシモトブックス 2012
共著
- 翻訳
- レスリー・ニールセン,ヘンリー・ベアード『ゴルフでいらっしゃーい アメリカ名物ゴルフ漬け』訳・監修 TOKYO FM出版 1997
脚注
- ^ a b “文枝さん「堺へいらっしゃ~い」…名誉大使就任”. 読売新聞. (2016年12月4日) 2016年12月5日閲覧。
- ^ ご挨拶 - 三枝改め 六代 桂文枝
- ^ 桂文枝ギネス認定「新婚さん」44年127日司会 - 日刊スポーツ、2015年7月3日閲覧
- ^ 桂文枝 吉本興業株式会社
- ^ a b c ドキュメンタリー番組『ファミリーヒストリー』 NHK、「桂文枝」 2013年11月15日放送回。[信頼性要検証]
- ^ a b c d 読売新聞大阪本社文化部(編)『上方放送お笑い史』 読売新聞社、1999年 pp.110-113、pp.273-280
- ^ PROFILE - 関西大学文化会落語大学(2020年5月10日閲覧)
- ^ ABCで2016年3月4日放送の芸能生活50周年を迎えた落語家の桂文枝の記念特番『桂文枝の鶴瓶もさんまもいらっしゃい!』
- ^ “桂三枝さん、師匠の名跡「桂文枝」襲名へ きん枝さんも「小文枝」に”. 産経新聞. (2009年1月1日). オリジナルの2009年1月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ ビックリ 席亭 桂三枝の落語的日常 2009年1月1日
- ^ “産経新聞の大誤報! 桂三枝の「文枝」襲名は事実無根だった”. サイゾー. (2009年1月7日) 2011年7月17日閲覧。
- ^ a b “桂三枝「桂文枝」を襲名!「三枝」の名前への愛着、上方落語の大看板襲名への葛藤語る涙の会見!!”. シネマトゥデイ. 株式会社シネマトゥデイ. (2011年7月16日) 2019年5月16日閲覧。
- ^ “桂三枝、上方落語の大名跡「桂文枝」襲名へ”. ORICON STYLE. (2011年7月12日) 2011年7月17日閲覧。
- ^ “桂三枝、異例の二刀流プラン!「文枝」襲名後も「三枝」使う”. スポーツ報知. (2011年7月17日) 2011年7月17日閲覧。
- ^ 桂三枝さん、六代目「文枝」襲名 大阪で披露公演 日本経済新聞 2012年7月16日閲覧
- ^ 上方落語新会長に笑福亭仁智「真面目で熱心」桂文枝 - 日刊スポーツ 2018年5月31日
- ^ “桂文枝が大阪府の「大阪の人・関西の人 いらっしゃい!」キャンペーン大使に就任”. スポーツ報知. (2020年6月16日)
- ^ 六代 桂文枝、芸能生活50周年を記念し『オヨヨVISAカード』を発行いたします! 三井住友カード 2017年7月5日閲覧。
- ^ ゆうもあくらぶ ゆうもあ大賞 受賞者一覧(年別)
- ^ “桂 文枝さん1月30日の放送にご出演”. NHK大阪放送局ブログ. (2018年1月27日). オリジナルの2018年2月1日時点におけるアーカイブ。 2020年5月12日閲覧。
- ^ “桂文枝、大河初出演で“噺家枠”狙う 『真田丸』で千利休役「歴史変える」”. ORICON STYLE. (2015年9月24日) 2015年9月24日閲覧。
- ^ “紅の豚”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月2日閲覧。
- ^ フレーズの作者は作詞家の伊藤アキラ。別件のCMソング用に作られていたものを流用した。
- ^ a b 小田嶋 伸幸 (2016年11月6日). “日本のテレビCM史の流れを変えた異才 ― 今村昭物語(10)”. イキですてきな仲間たち―電通を創った男たちⅡ―No.28. 電通報. 2020年5月30日閲覧。
- ^ 現在はライオンにブランドを承継。
外部リンク
- 桂文枝 - 日本映画データベース
- 桂文枝 - allcinema
- 桂文枝 - KINENOTE
- Bunshi Katsura - IMDb
- 桂文枝 - MOVIE WALKER PRESS
- 桂文枝 (6代目) - テレビドラマデータベース
- 桂文枝オフィシャルブログ「トビウオの夢」 - Ameba Blog
- 三枝改メ 六代 桂文枝
- 席亭桂三枝のいらっしゃーい亭 - 公式ホームページ
- 桂 文枝 (@katurabunsi34) - Instagram
- 桂文枝 - NHK人物録