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*: 監督:[[フアン・アントニオ・バルデム]] / 共演:[[ジェームズ・メイソン]]、[[メリナ・メルクーリ]]、[[ハーディ・クリューガー]]、[[ルノー・ヴェルレー]]、[[ディディエ・オードパン]]
*: 監督:[[フアン・アントニオ・バルデム]] / 共演:[[ジェームズ・メイソン]]、[[メリナ・メルクーリ]]、[[ハーディ・クリューガー]]、[[ルノー・ヴェルレー]]、[[ディディエ・オードパン]]
* [[ザ・ヤクザ]] ''The Yakuza'' ([[アメリカ合衆国|アメリカ]]映画 / 1974年) - 英子 役
* [[ザ・ヤクザ]] ''The Yakuza'' ([[アメリカ合衆国|アメリカ]]映画 / 1974年) - 英子 役
*: 監督:[[シドニー・ポラック]] / 共演:[[ロバート・ミッチャム]]、[[高倉健]]、[[ブライアン・キース]]、[[ハーブ・エデルマン]]、[[リチャード・ジョーダン]]、[[岡田英次]]、[[ジェームズ・シゲタ|ジェームズ繁田]]、[[待田京介]]、[[郷えい治|郷鍈治]]
*: 監督:[[シドニー・ポラック]] / 共演:[[ロバート・ミッチャム]]、[[高倉健]]、[[ブライアン・キース]]、[[ハーブ・エデルマン]]、[[リチャード・ジョーダン]]、[[岡田英次]]、[[ジェームズ・シゲタ|ジェームズ繁田]]、[[待田京介]]、[[郷鍈治]]


=== テレビドラマ ===
=== テレビドラマ ===

2020年7月11日 (土) 12:10時点における版

きし けいこ
岸 惠子
岸 惠子
1957年
生年月日 (1932-08-11) 1932年8月11日(92歳)
出生地 日本の旗 日本神奈川県横浜市
職業 女優文筆家
ジャンル 映画・テレビドラマ・舞台
活動期間 1951年 -
配偶者 イヴ・シャンピ1957年 - 1975年
主な作品
テレビドラマ
赤い疑惑
赤い激流
赤い激突
沿線地図
映画
君の名は[1]
女の園[1]
『約束』
雨のアムステルダム
黒い十人の女
怪談
細雪[1]
受賞
日本アカデミー賞
最優秀主演女優賞
2002年かあちゃん
優秀助演女優賞
2003年たそがれ清兵衛
ブルーリボン賞
主演女優賞
1960年おとうと
その他の賞
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岸 惠子(きし けいこ、1932年8月11日 [1]- )は、女優文筆家岸恵子の表記もある。身長161cm。舞プロモーション所属。映画の代表作は『約束』『雨のアムステルダム』『君の名は』など。

来歴

神奈川県横浜市神奈川区生まれ。1945年5月の横浜大空襲で被災。横浜市南区庚台に、1955年頃まで家族と居住、その後、同市神奈川区妙蓮寺に転居。高校在学中に小牧バレエ団に通う。神奈川県立横浜平沼高等学校卒業[1] (48期[2])。

もともとは作家志望で川端康成を耽読した。高校時代に観た『美女と野獣』に魅せられ、映画に興味を持ち、田中敦子(小園蓉子)と松竹大船撮影所を見学するうちに、吉村公三郎にスカウトされ[3]、断ったが後に「本物の女学生が欲しい」と頼まれて1本だけの約束で、1951年に大学入学までという条件で松竹に入社し、映画『我が家は楽し』でデビューするがヒットしてそのまま女優になった。

1952年には『坊ちゃん重役』で鶴田浩二佐田啓二の相手役を務める。5月、松竹の看板スターであった鶴田が、戦後のスタープロ第1号となる新生プロを設立して独立。第1作として、新東宝配給『弥太郎笠』の制作にあたり、鶴田の相手役のヒロインとして岸にオファーを出すが、松竹は拒否したため岸は辞表を出す。結局松竹が折れて、岸は映画に出演。続いて、新生プロの『ハワイの夜』でも鶴田と共演しヒットとなる。この頃、鶴田との恋愛関係が報道されたが、松竹に強引に別れさせられた。

1953年から1954年にかけて映画『君の名は』3部作が大ヒット。主人公・氏家真知子のストールの巻き方を「真知子巻き」と呼んでマネる女性が出るほどだった(ちなみに北海道のあまりの寒さに、私物のストールを使用した岸のアドリブである)。岸恵子自身は、『君の名は』ばかりが長期間話題にされることを疎ましく感じ続けた。以降、松竹の看板女優となった。

1954年には有馬稲子久我美子とともに「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立。1956年フランス・日本合作映画『忘れえぬ慕情』に出演。

1957年、『忘れえぬ慕情』の撮影がきっかけで、フランス人の映画監督イヴ・シャンピと結婚[1][4]。挙式はフランスで、川端康成が立会人となった。以降、パリに居を構え、フランスと日本を往復しながら女優を続け、「空飛ぶマダム」と言われた[1]。この頃に、ジャン=ポール・サルトルシモーヌ・ド・ボーヴォワールアンドレ・マルロージャン・コクトーらと親交を持つ。また1963年には1人娘のデルフィーヌ=麻衣子・シャンピ (Delphine Ciampi) を出産した。

1972年には映画『約束』で萩原健一と共演[5]。『雨のアムステルダム』でも萩原と共演した。萩原健一との関係は、彼が「お姉さん」と呼んで慕っていた通り友人関係であり、一部メディアによる恋愛関係との記事は誤りである[6]。萩原は岸の母も慕っていた。80年代初頭までは萩原が岸の家に遊びに来ていたが、その後は90年前後にロビーで偶然再会したぐらいだという。ただし岸の母が亡くなった2000年前後に、萩原健一は葬儀に駆け付けてくれたとのことである。1975年、イヴ・シャンピと離婚[1][7]。娘の親権は岸が持った。市川崑映画への出演は40年に及び、40代後半から60代後半にかけても、市川映画に出演した。1983年には「ペントハウス」誌の創刊号で、後ろ姿のヌードを披露した。

1996年国連人口基金親善大使に任命された。

2000年、娘や2人の孫息子と暮らしたフランスを離れ日本に戻り、横浜の実家で一人暮らしを始めた。同年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の8位になった。2014年発表の『オールタイム・ベスト 日本映画男優・女優』では日本女優7位となっている[8]

2013年3月、自らの恋愛経験を基にオマージュした熟年男女の恋愛小説『わりなき恋』を発表。2014年、小説『わりなき恋』を原作とした一人舞台『わりなき恋』に主演。脚本も自ら書いた。

人物

  • 1957年、25歳のとき、フランス人の映画監督で医師でもある11歳年上のイヴ・シャンピと結婚し、パリへ移住した[9]。当時はまだ日本人が海外旅行をすることが出来ない時代であり、フランスへ移住する日本人は非常に珍しかった。夫・イヴの母が世界的なバイオリニストだった影響により、「女性は手を大事にしなければならない」という理由で夫から料理をするのを禁じられ、ノイローゼになってしまった。1973年、41歳のとき離婚、娘は11歳だった[10]。以後今日まで独身。自宅はパリの高級住宅街として有名なサン・ルイ島にある。築400年の家で一人暮らしをしている。男の子の孫が2人おり、娘や孫たちとときどき会っている。
  • 一人娘のデルフィーヌはパリ在住のオーストラリア人の作曲家ウォーレン・エリス英語版と結婚して[11]別居した。

主な出演

日本映画

外国映画

テレビドラマ

情報番組

CM

舞台

  • 濡れ衣の妻(1961年、ジャン・コクトー演出、アリアンス・フランセーズ劇場)
  • 情婦 -検察側の証人- (1980年、市川崑演出、PARCO劇場
  • 朗読劇『わりなき恋』(2015〜2016年、星田良子演出、明治座 他全国6ヶ所)
  • 岸惠子スペシャルトークショー 〜夢のあとさき〜(2017年、全国19ヶ所)
  • 岸惠子ひとり語り 輝ける夕暮れ(2019年、全国10ヶ所)

受章・受賞歴

著書

  • 巴里の空はあかね雲(新潮社 1983年 のち新潮文庫文芸大賞エッセイ賞
    • 自らが朗読したカセットブックも発売された。録音後、「さすがに、自分のことを読むのは恥ずかしかったわ」と語っている
  • 砂の界(くに)へ(文藝春秋 1986年 のち文春文庫・朝日文庫)イラン、アフリカ紀行
  • ベラルーシの林檎(朝日新聞社 1993年 のち朝日文芸文庫)日本エッセイストクラブ賞
    • 表紙のデザインは娘のデルフィーヌが担当した
  • 30年の物語(講談社 1999年 のち講談社文庫)自伝
  • 風が見ていた(新潮社 2003年 のち新潮文庫)小説
  • 私の人生ア・ラ・カルト(講談社 2005年)
  • 私のパリ 私のフランス(講談社 2005年)
  • わりなき恋(幻冬舎 2013年)小説
  • 女優 岸惠子(キネマ旬報社 2014年)監修
    • 書き下ろしエッセイ、ロング・インタビュー、自身が選んだ自薦映画16作品、代表作グラビアを収録
  • 愛のかたち(文藝春秋 2017年)小説
  • 孤独という道づれ(幻冬舎 2019年)

共著

翻訳

  • スージー・モルゲンステルヌ、セルジュ・ブロック「パリのおばあさんの物語」(千倉書房 2008年)

関連書籍

その他

  • 遠縁に前田美波里がいる(前田美波里の母のいとこが岸恵子の母方のいとこの妻の弟)[23]。また、冨士眞奈美も遠縁にあたる(冨士眞奈美の母方の叔母の夫が岸恵子の母方のいとこの妻の弟)[23]

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.14.
  2. ^ 岸惠子「かつて在りし我が師」神奈川県立横浜平沼高等学校創立百周年記念実行委員会・歴史編纂部会編『創立百周年記念誌 同窓会編 (真澄会編) 花たちばな―卒業生一世紀の証言』神奈川県立横浜平沼高等学校、2000年10月28日 発行、238~239頁。
  3. ^ 『週刊AERA1994年10月10日号 P.55
  4. ^ 『歩いて行く二人』によれば、『忘れえぬ慕情』のヒットでどこへ行っても「ノリコ!」と呼ばれるのが嫌だったし、シャンピとも英語で話していたので一日8時間くらいフランス語の勉強をしたという。下層の人々からも学んでいて首相官邸に招かれた時にそのまま使って夫を赤面させたという。
  5. ^ http://www.allcinema.net/cinema/143925
  6. ^ 「ショーケン」p.53。著者・萩原健一。講談社。2008年
  7. ^ 『歩いて行く二人』では仕事をしすぎて不在が多かったことが原因だという。
  8. ^ オールタイム・ベスト10 日本映画男優・女優”. KINENOTE. キネマ旬報社 (2014年12月). 2016年9月23日閲覧。
  9. ^ http://anincline.com/kishi-keiko/
  10. ^ http://anincline.com/kishi-keiko/
  11. ^ “映画「裸足の季節」6月公開 ウォーレン・エリス(DIRTY THREE)が音楽を担当”. CDJournal ニュース. (2016年5月20日). https://www.cdjournal.com/main/news/warren-ellis/71491 2019年9月2日閲覧。 
  12. ^ 『歩いて行く二人』の中で一番好きだった役は『おとうと』のげんだったと語っている。
  13. ^ スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜
  14. ^ 共演はマリオ・アドルフ
  15. ^ 共演はアラン・キュニーAlain Cuny
  16. ^ Du rififi à Tokyo
  17. ^ 太陽が目にしみる
  18. ^ 日仏合作ドラマ 真夜中の太陽 - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
  19. ^ 清原果耶とのリレー。
  20. ^ “NHK終戦の日関連ドラマに岸惠子、清原果耶、安藤サクラら出演”. ORICON NEWS (oricon ME). (2019年5月10日). https://www.oricon.co.jp/news/2135235/full/ 2019年7月22日閲覧。 
  21. ^ 日本のテレビCM史の流れを変えた異才 - 今村昭物語(12)”. 電通報 (2016年11月13日). 2016年11月13日閲覧。
  22. ^ a b c 岸恵子のCM出演情報”. ORICON STYLE. 2016年11月27日閲覧。
  23. ^ a b 『女性自身』1981年5月14日・21日合併号。

外部リンク