「唐姫 (後漢少帝)」の版間の差分
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[[189年]]、劉弁が即位した。しかし同年、[[董卓]]によって廃位され、弘農王に落とされた。翌年、山東で[[陽人の戦い#反董卓連合軍|反董卓の連合]]が起こり董卓を討とうとしたので、恐れた董卓は劉弁を殺した。劉弁は、死の前に妻妾らと酒宴をし「天道易兮我何艱、棄万乗兮退守蕃。逆臣見迫兮命不延、逝将去汝兮適幽玄。」と歌った。唐姫も「皇天崩兮后土穨、身為帝兮命夭摧。死生路異兮従此乖、奈我煢独兮心中哀。」と歌った。一同は皆これを偲び泣いた。最後に、劉弁は唐姫に対し「君は帝王の妻である。吏民と再婚することのないようにな。自愛せよ。これにておさらばだ」と言い残した。 |
[[189年]]、劉弁が即位した。しかし同年、[[董卓]]によって廃位され、弘農王に落とされた。翌年、山東で[[陽人の戦い#反董卓連合軍|反董卓の連合]]が起こり董卓を討とうとしたので、恐れた董卓は劉弁を殺した。劉弁は、死の前に妻妾らと酒宴をし「天道易兮我何艱、棄万乗兮退守蕃。逆臣見迫兮命不延、逝将去汝兮適幽玄。」と歌った。唐姫も「皇天崩兮后土穨、身為帝兮命夭摧。死生路異兮従此乖、奈我煢独兮心中哀。」と歌った。一同は皆これを偲び泣いた。最後に、劉弁は唐姫に対し「君は帝王の妻である。吏民と再婚することのないようにな。自愛せよ。これにておさらばだ」と言い残した。 |
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劉弁の死後、唐姫は故郷に帰った。父が再婚させたがったが、唐姫は頑として拒んだという。[[李カク (後漢)|李傕]]が[[長安]]を陥とすと、唐姫を奪い妻になるよう求めたが、唐姫は断った。[[ |
劉弁の死後、唐姫は故郷に帰った。父が再婚させたがったが、唐姫は頑として拒んだという。[[李カク (後漢)|李傕]]が[[長安]]を陥とすと、唐姫を奪い妻になるよう求めたが、唐姫は断った。[[賈詡]]が[[献帝 (漢)|献帝]]にこのことを伝えると、献帝は哀れに感じたため唐姫を迎えて園中に置き、弘農王妃に封じた。 |
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== 参考資料 == |
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2020年7月12日 (日) 08:56時点における版
唐姫(とうき、生没年不詳)は、後漢の少帝弁の妻(正室ではあるが正式な皇后になっていない)。豫州潁川郡の人。父は唐瑁(会稽太守)。
生涯
189年、劉弁が即位した。しかし同年、董卓によって廃位され、弘農王に落とされた。翌年、山東で反董卓の連合が起こり董卓を討とうとしたので、恐れた董卓は劉弁を殺した。劉弁は、死の前に妻妾らと酒宴をし「天道易兮我何艱、棄万乗兮退守蕃。逆臣見迫兮命不延、逝将去汝兮適幽玄。」と歌った。唐姫も「皇天崩兮后土穨、身為帝兮命夭摧。死生路異兮従此乖、奈我煢独兮心中哀。」と歌った。一同は皆これを偲び泣いた。最後に、劉弁は唐姫に対し「君は帝王の妻である。吏民と再婚することのないようにな。自愛せよ。これにておさらばだ」と言い残した。
劉弁の死後、唐姫は故郷に帰った。父が再婚させたがったが、唐姫は頑として拒んだという。李傕が長安を陥とすと、唐姫を奪い妻になるよう求めたが、唐姫は断った。賈詡が献帝にこのことを伝えると、献帝は哀れに感じたため唐姫を迎えて園中に置き、弘農王妃に封じた。
参考資料
- 『後漢書』皇后紀下
- 『後漢書』本紀