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2020年7月12日 (日) 08:57時点における版
千年紀: | 1千年紀 |
---|---|
世紀: | 2世紀 - 3世紀 - 4世紀 |
十年紀: |
200年代 210年代 220年代 230年代 240年代 250年代 260年代 270年代 280年代 290年代 |
3世紀(さんせいき)は、西暦201年から西暦300年までの100年間を指す世紀。
できごと
200年代
→詳細は「200年代」を参照
- 203年
- セプティミウス・セウェルス帝がガラマンテス族を破り属州アフリカの「リメス・トリポリタヌス」を拡大する。
- カルタゴにてペルペトゥアとフェリキタスが殉教する。
- フォロ・ロマーノのセプティミウス・セウェルスの凱旋門が建設される。
- 204年
- 207年
- 208年
210年代
→詳細は「210年代」を参照
- 211年 - カラカラ帝が共同皇帝であった弟のゲタを粛清する。
- 212年 - カラカラ帝がローマ帝国の全自由民にローマ市民権を与える(アントニヌス勅令)。
- 215年
- 216年 - ローマ市内のカラカラ浴場が完成する。
- 217年 - パルティア遠征中のカラカラ帝が暗殺され、マクリヌスがローマ皇帝になる。
- 218年 - アンティオキアの戦いでマクリヌス帝が敗北。
- 219年 - 樊城の戦いで、曹操・孫権連合軍が勝利し、敗北した劉備軍の関羽が処刑される。
220年代
→詳細は「220年代」を参照
- 220年 - 丞相で魏王の曹操が死去。河南省安陽市の西高穴2号墓がその墓とされる。
- 220年頃
- 221年 - 劉備が蜀(蜀漢)を建てる(- 263年)。劉備による孫権への東征の途上で張飛が横死する。
- 222年
- 孫権が夷陵の戦いで蜀に勝利し、自立して呉を建てる(- 280年)。三国時代が始まる。
- ローマ皇帝ヘリオガバルスが暗殺され、従兄弟のアレクサンデル・セウェルスが皇帝となる。
- 224年 - ホルミズド平原の戦いでペルシアのアルダシール1世がパルティアのアルタバノスに勝利。
- 226年 - ペルシアのアルダシール1世が「エーラーンの諸王の王(シャーハーン・シャー)」の称号を名乗る(サーサーン朝ペルシアの成立)。
- 227年 - 蜀の諸葛亮が「出師の表」を奉り、北伐に出陣。
- 228年 - アレクサンデル帝の近衛長官で法学者でもあったドミティウス・ウルピアヌスが近衛軍団の反乱で暗殺される。
- 229年頃 - 呉の孫権のもと交州刺史呂岱により朱応が扶南に派遣される(『扶南異物志』)。
230年代
→詳細は「230年代」を参照
- 230年 - ゾロアスター教がサーサーン朝の国教となる。
- 234年 - 五丈原の戦いで蜀の諸葛亮と魏の司馬懿が交戦。途上で諸葛亮が陣没し司馬懿は軍を退却させる。
- 235年 - アレクサンデル・セウェルスがマインツで暗殺されセウェルス朝が断絶。
- マクシミヌス・トラクスがローマ皇帝となり、軍人皇帝時代始まる( - 284年)。
- またこの時代をローマ帝国内外の社会的・経済的変動を含めて「3世紀の危機」とも呼ぶ。
- 238年
- 239年 - 倭の女王卑弥呼が帯方郡に使者を送り、魏の明帝への奉献を願う。帯方郡の太守である劉夏は使者を魏の洛陽へ送る。明帝は詔して、卑弥呼を「親魏倭王」とし、金印紫綬・銅鏡100枚を授ける(魏の景初三年『三国志』魏書・東夷伝)。
240年代
→詳細は「240年代」を参照
- 243年 - 倭王が魏に使者を送り、生ロ・倭錦などを献じる(魏の正始4年、『三国志』魏書・小帝紀、同東夷伝)。
- 244年
- 245年 - 魏の少帝、倭の大夫に黄幢を授け、帯方郡を通じて伝授させることとする(魏の正始六年、『三国志』魏書・東夷伝)。
- 247年 - 倭の女王卑弥呼、倭の使者を帯方郡に遣わし、狗奴国との交戦を告げる。魏は、使者を倭に派遣し、詔書・黄幢を倭の大夫に与え、檄をつくって告喩する(魏の正始八年、『三国志』魏書・東夷伝)。
- 248年
- ローマ皇帝ピリップス・アラブスによるローマ建国一千年祭が行われる。
- 呉の支配に対しベトナムで趙氏貞(趙嫗)の反乱が起こるが鎮圧される。
- 248年頃 - この頃、女王卑弥呼死す。その後、卑弥呼の宗女・壱与(または台与)が女王となる。
- 249年 - 魏の司馬懿がクーデターを起こし、曹爽らを誅殺(高平陵の変または正始の政変)。
250年代
→詳細は「250年代」を参照
- 250年 - ローマ皇帝デキウスのキリスト教徒迫害。
- 250年頃 - サーサーン朝のシャープール1世がインドのクシャーナ朝を破る。
- 251年
- アブリットゥスの戦いで、ローマ皇帝デキウスがゴート軍に殺害される。
- 王凌の乱(寿春三叛の一つ)。
- 255年 - 毌丘倹と文欽の乱(寿春三叛の一つ)。
- 257年
- 258年 - 諸葛誕の乱(寿春三叛の一つ)。
260年代
→詳細は「260年代」を参照
- 260年
- 261年
- 262年 - アナトリア半島西南部の大地震で、エフェソスが大破する。
- 263年 - 魏が蜀を滅ぼす(蜀漢の滅亡)。魏の司馬昭が晋公となる。
- 264年 - 鍾会の乱。魏の司馬昭が晋王となる。
- 265年 - 魏の元帝の禅譲を受け、司馬炎が西晋の初代皇帝(武帝)となる( - 316年)。
- 266年 - 倭の女王が晋に使節を派遣する(『日本書紀』の神功紀66条に引く晋起居注。『晋書』武帝紀、西晋の泰始二年)。
- 267年 - パルミラ王国の実権をゼノビアが掌握する。
- 268年 - 西晋が泰始律令を公布する。これは体系的な統一法典としての最初の律令。
- 268年/269年 - ナイススの戦いでクラウディウス・ゴティクス帝がゴート人に勝利しバルカン半島を制圧。
- 269年 - ウァレンティアヌス(聖ヴァレンタイン)がクラウディウス・ゴティクス帝の迫害を受けて刑死。
270年代
→詳細は「270年代」を参照
- 271年
- サーサーン朝のシャープール1世がジュンディーシャープールに医学教育のための学院を設置。
- ローマ皇帝アウレリアヌスが「アウレリアヌスの城壁」を建設( - 275年)。
- 273年頃 - マニが刑死。
- 274年 - アウレリアヌス帝が凱旋式で元老院から「帝国の再建者」の称号を授与される。
- この年までにアウレリアヌス帝はパルミラ王国(273年)、ガリア帝国(274年)を平定しローマ帝国の再統一を達成。
- 同年アウレリアヌス帝はローマに「不敗太陽神(ソル・インウィクトゥス)」の神殿を建立する。
- 275年 - サーサーン朝遠征途上のアウレリアヌス帝が暗殺される。
280年代
→詳細は「280年代」を参照
- 280年 - 西晋が呉を滅ぼし中国を統一する。晋の武帝が「戸調之式」を発布し占田・課田制を開始する。
- 284年
- ディオクレティアヌスがローマ皇帝に即位( - 305年)。専制君主制(ドミナートゥス)を導入する。
- ローマ帝国の属州ガリアでバガウダエの反乱が起こる。
290年代
→詳細は「290年代」を参照
- 291年 - 晋で八王の乱が起こる(- 306年)。
- 292年 - グアテマラのティカルの記念碑29号に暦日が記録される。この時期よりマヤ古典期が始まる。
- 293年 - ディオクレティアヌスがローマ帝国のテトラルキア(四分割統治)を始める。
- 297年
300年代
→詳細は「300年代」を参照
- 300年頃 - ローマ皇帝ディオクレティアヌスにより「カピタティオ(土地税)」「ユガティオ(人頭税)」の再編がなされる。
- この頃、日本では銅鐸・武器系祭器による祭祀が終わる。北部九州の甕棺墓も衰退する。西日本各地に、特殊な壺形土器、器台形土器を供献した墳丘墓(首長墓)が現れる。
出土品の記録
- 238年 - 呉の「赤烏元年(238)」の紀年銘を持つ画面帯神獣鏡出土する(山梨県西八木郡鳥居原きつね塚古墳)。
- 239年 - 「景初三年」の紀年銘を持つ神獣鏡が、大阪府和泉市の和泉黄金塚古墳と島根県大原郡の神原古墳から出土している。
- 240年 - 「□始元年」の紀年銘を持つ三角縁神獣鏡が、出土する(群馬県高崎市の芝崎古墳と兵庫県豊岡市森尾古墳)。
- 244年 - 「□烏七年」の紀年銘を持つ画文帯神獣鏡が、兵庫県宝塚市の安倉古墳から出土している(呉の赤烏七年)。
- イラン西北部サンジャーン地方のチェル・アーバード塩山で発見された「ソルトマン(イラン国立考古学博物館蔵)」は3世紀頃に死亡した人間の遺体である。
文化
人物
地中海世界
- セプティミウス・セウェルス(146年 - 211年) - ローマ皇帝(在位193年 - 211年)・セウェルス朝の創始者
- カラカラ(188年 - 217年) - ローマ皇帝(在位209年 - 217年)・アントニヌス勅令を発布・カラカラ浴場を建設
- ヘリオガバルス(203年 - 222年) - ローマ皇帝(在位218年 - 222年)・シリアの太陽神信仰をローマに導入・虐殺される
- アレクサンデル・セウェルス(208年 - 235年) - ローマ皇帝(在位222年 - 235年)・セウェルス朝の最後・以後は軍人皇帝時代に
- マクシミヌス・トラクス(173年頃 - 238年) - ローマ皇帝(最初の軍人皇帝)(在位235年 - 238年)・238年のローマ内戦を招来
- ピリップス・アラブス(204年頃 - 249年) - ローマ皇帝(軍人皇帝)(在位244年 - 249年)・ローマ建国一千年祭を挙行
- デキウス(201年 - 251年) - ローマ皇帝(軍人皇帝)(在位249年 - 251年)・キリスト教を迫害・アブリットゥスの戦いで戦死
- ウァレリアヌス(200年頃 - 260年以降) - ローマ皇帝(軍人皇帝)(在位253年 - 259年)・エデッサの戦いで捕虜となる
- ガッリエヌス(218年頃 - 268年) - ローマ皇帝(軍人皇帝)(在位253年 - 268年)・ガッリエヌス勅令で騎士身分を登用
- クラウディウス・ゴティクス(213年/214年 - 270年) - ローマ皇帝(軍人皇帝)(在位268年 - 270年)・ゴート人を制圧
- アウレリアヌス(214年 - 275年) - ローマ皇帝(軍人皇帝)(在位270年 - 275年)・ガリア帝国とパルミラ王国を滅ぼしローマを統一
- ポストゥムス(? - 268年) - ガリア帝国の初代皇帝(在位260年 - 268年)・皇帝を僭称しローマ帝国からの独立を図る
- ゼノビア(240年頃 - 275年以降) - シリアのパルミラ王国の女王・ローマ帝国の東部属州に勢力拡大するが鎮圧される
- ディオクレティアヌス(244年 - 311年) - ローマ皇帝(在位284年 - 305年)・ドミナートゥスとテトラルキアを導入し帝国を再建する
- アフロディシアスのアレクサンドロス(200年頃活動) - アテナイで活躍した逍遥学派の哲学者・アリストテレス註解者・『運命について』他がある
- アレクサンドリアのクレメンス(150年? - 215年?) - キリスト教神学者・アレクサンドリア学派のギリシア教父・オリゲネスの師
- ディオ・カッシウス(155年/163年/164年 - 229年以降) - ローマ帝国の政治家・元老院議員・歴史家・『ローマ史』を執筆
- テルトゥリアヌス(160年? - 220年?) - キリスト教神学者・最初期のラテン教父の一人・著作に『護教論』がある
- ヘロディアヌス(170年 - 240年) - ローマ帝国の官僚・歴史家としてセウェルス朝の記録である『ローマ人の歴史』を残す
- ドミティウス・ウルピアヌス(170年頃? - 228年) - ローマ帝国の法学者・近衛長官・アレクサンデル・セウェルス帝の側近だが暗殺される
- ヒッポリュトス(170年頃? - 235年) - 対立教皇(在位217年 - 235年)・神学者・教皇カリストゥス1世と対立・殉教し聖人とされる
- アンモニオス・サッカス(174年頃 - 242年頃) - 哲学者・「テオディダクトス」・エジプトで活躍し弟子にオリゲネスやプロティノスがいる
- アイリアノス(175年頃 - 235年頃) - 著述家・ギリシア語で書かれた逸話集『動物の特性について』や『ギリシア奇談集』が有名
- オリゲネス(182年? - 251年) - キリスト教神学者・アレクサンドリア学派の代表・『ヘクサプラ』の著者・没後の公会議で異端とされる
- アレクサンドリアのディオファントス(生没年不詳) - 数学者・ディオファントス方程式を含む『算術』を残し「代数学の父」と呼ばれる
- ディオゲネス・ラエルティオス(生没年不詳) - 哲学史家・『ギリシャ哲学者列伝』は古代ギリシア・ローマ哲学についての貴重な資料
- エメサのヘリオドロス(生没年不詳) - シリア出身のギリシア語著作家・恋愛小説『エチオピア物語』を執筆する
- キプリアヌス (3世紀初頭 - 258年) - キリスト教神学者・カルタゴ司教・ウァレリアヌス帝時代に殉教・主著に『カトリック教会統一論』がある
- ウァレンティヌス(? - 269年) - ローマの司祭か?クラウディウス・ゴティクス帝時代に殉教・「バレンタインデー」の起源となる
- プロティノス(205年? - 270年) - ネオプラトニズム(新プラトン主義)の創始者とされる哲学者・主著は『エンネアデス』
- テュロスのポルピュリオス(234年 - 305年) - ネオプラトニズムの哲学者・プロティノスの弟子・主著は『エイサゴーゲー』
- パノポリスのゾシモス(3世紀 - 4世紀) - エジプトの 錬金術師・『真正なる覚え書き』などの著作の作者に帰せられている
ペルシア
- アルダシール1世(? - 241年?) - サーサーン朝ペルシア帝国の初代皇帝(在位226年 - 240年)・パルティアを滅ぼす
- シャープール1世(? - 272年?) - サーサーン朝ペルシア帝国の皇帝(在位241年 - 272年)・エデッサの戦いでローマ軍を破る
- マニ(210年 - 276年) - サーサーン朝時代の宗教家・シャープール1世に重用されるが後に殉教死・著作『シャーブフラガーン』がある
- カルティール(3世紀) - サーサーン朝のゾロアスター教大神官長・歴代皇帝に仕え異教や異端を迫害・マニを刑死させる
インド
- ナーガールジュナ(龍樹)(150年頃 - 250年頃) - インドの大乗仏教の僧侶・中観派の祖で『中論』を執筆
- ヴィシュヌ・シャルマー(3世紀前半) - インドの文人・サンスクリット語による児童向け説話集『パンチャタントラ』を編纂する
- ヴァースデーヴァ1世(3世紀前半) - クシャーナ朝の王・中国の魏に使節を送り「親魏大月氏王」の称号を得る
東アジア
後漢
- 孔融(153年 - 208年) - 後漢末の文人・孔子の子孫・「建安の七子」の一人
- 曹操(155年 - 220年) - 後漢末の豪族・三国時代の魏の基礎を固める・赤壁の戦いでは敗北する
- 荀彧(163年 - 212年) - 後漢末の政治家・「王佐の才」を評価され曹操に献策を行うが後に対立する
- 蔡琰(177年? - 249年?) - 後漢末から魏の女流詩人・父は蔡邕・数奇な運命を辿り「胡笳十八拍」「悲憤詩」を残す
- 献帝(181年 - 234年) - 後漢最後の皇帝(在位189年 - 223年)・魏の曹丕に禅譲する
魏
- 曹丕(187年 - 226年) - 三国時代の魏の初代皇帝(文帝)(在位220年 - 226年)・文芸評論『典論』の著者
- 鍾繇(151年 - 230年) - 後漢末から魏の政治家(太傅)・政権の重鎮となる・書家として鍾繇体を用い「急就章」などを残す
- 左慈 (156年頃 - 289年頃) - 後漢末から魏の方士・『後漢書』『神仙伝』では曹操・曹丕に不思議な術で翻弄したとされる
- 陳羣(? - 236年) - 三国時代の魏の政治家・郷挙里選に替わる官吏登用法として九品中正法を建議
- 曹爽(? - 249年) - 三国時代の魏の曹一族の一人・大将軍・政敵であった司馬懿の正始の政変で殺害される
- 何晏(? - 249年) - 後漢末から三国時代の魏の政治家・学者・王弼とともに清談の先駆者(正始の音)
- 公孫淵(? - 238年) - 三国時代の遼東太守・遼東の地で自立し燕王と称したが魏の司馬懿によって追討され滅ぶ
- 司馬懿(179年 - 251年) - 後漢末から三国時代の魏の武将・政治家・司馬一族を統率し西晋の礎を築く
- 曹植(192年 - 232年) - 後漢末から三国時代の魏の文人・曹操の子で曹丕の弟・文才に恵まれ「洛神賦」などが有名
- 山濤(205年 - 283年) - 三国時代の魏から西晋の官僚・竹林の七賢の一人
- 司馬師(208年 - 255年) - 三国時代の魏の武将・政治家・司馬懿の長子で司馬昭らの兄・正始の政変で曹芳を退位させる
- 阮籍(210年 - 263年) - 三国時代の魏から西晋の官僚・竹林の七賢の一人
- 司馬昭(211年 - 265年) - 三国時代の魏の武将・政治家・司馬師の弟・皇帝曹髦を殺害し元帝を擁立・西晋の武帝の父
- 嵆康(224年 - 262年/263年) - 三国時代の魏から西晋の官僚・竹林の七賢の一人
- 鍾会(225年 - 264年) - 三国時代の魏の武将・政治家・蜀を滅ぼした功労者・後に反乱を起こし戦死する
- 王弼(226年 - 249年) - 三国時代の魏の学者・政治家・何晏とともに清談の先駆者(正始の音)
- 王戎(234年 - 305年) - 三国時代の魏から西晋の官僚・竹林の七賢の一人
蜀
- 劉備(161年 - 223年) - 三国時代の蜀の初代皇帝(昭烈帝)(在位221年 - 223年)
- 関羽(? - 219年) - 後漢末の劉備に仕えた武将・死後「関帝」と称され神とされる
- 張飛(? - 221年) - 後漢末から三国時代の武将・劉備と蜀に仕え長坂の戦いなどで活躍
- 諸葛亮(181年 - 234年) - 三国時代の蜀の政治家・劉備に仕え軍師として「天下三分の計」を起こす
- 姜維(202年 - 264年) - 三国時代の蜀の武将・諸葛亮亡き後の蜀を支え北伐を繰り返す・しかし蜀の滅亡は防げず
- 陳寿(233年 - 297年) - 三国時代の蜀から西晋の官僚・『三国志』の著者
呉
- 孫権(182年 - 252年) - 三国時代の呉の初代皇帝(大帝)(在位229年 - 252年)
- 周瑜(175年 - 210年) - 後漢末の武将・孫権に仕える・劉備と結び赤壁の戦いで曹操軍に勝利する
- 陸機(261年 - 303年) - 三国時代の呉から西晋の政治家・武将・文学者として「文賦」がある
西晋
- 賈充(217年 - 282年) - 魏から西晋の政治家・武将・曹髦の政変を鎮圧し西晋の建国の功臣となる・賈南風は娘
- 杜預(222年 - 284年) - 魏から西晋の政治家・武将・呉を亡ぼし三国統一した時の功労者・「破竹の勢い」の故事でも有名
- 張華(232年 - 300年) - 西晋の政治家・武帝から恵帝に仕え西晋を支えるが八王の乱に巻き込まれる・主著に『博物誌』がある
- 司馬炎(236年 - 297年) - 西晋の初代皇帝(武帝)(在位265年 - 290年)・司馬懿は祖父で司馬昭は父
- 左思(252年 - 307年頃) - 西晋の文学者・代表作「三都賦」は「洛陽の紙価を高からしむ」と高い評価を受けた
- 恵帝(259年 - 306年) - 西晋の第2代皇帝(在位290年 - 306年)・賈后らの容喙により八王の乱が起きる
- 賈南風(257年 - 300年) - 西晋の恵帝の皇后(賈后)・汝南王司馬亮らと楊駿を殺害し八王の乱の始まりをなす
- 江統(? - 310年) - 西晋の官人(太子洗馬)・斉万年の反乱の後に『徒戎論』で異民族をその故郷に帰す政策を奏上する
日本
- 卑弥呼(170年頃 - 248年頃) - 邪馬台国の女王(在位188年頃 - 248年頃)・魏と通交し「親魏倭王」の称を得る
- 壱与(235年頃 - ?) - 邪馬台国の女王。卑弥呼の親族でその跡を継ぐ。西晋に遣使したと推定される。
フィクションのできごと
- 222年 - 魏の曹操の息子である曹植は都から帰る途中、華北を流れる洛水のほとりで、川の女神(洛神)に出会い恋に落ちる。女神の美しさは比類なく、二人の間に愛が育まれるも、人と神は結ばれない定め、永遠の愛を誓いつつ女神は天上に去っていった(曹植『洛神賦』、この詩をもとにした顧愷之の絵画「洛神賦図」も有名)。
- 284年 - 305年 - ローマ皇帝ディオクレティアヌスの治世に、帝国の軍事行政官であったマルコ・フラミニウス・ルーフスはテーバイの庭園で出会った謎の男から「不死の人の街」と「不死の川」の話を聞き、それらを探すべく旅立つ(ホルヘ・ルイス・ボルヘス『不死の人』)。
関連項目
外部リンク
- ウィキメディア・コモンズには、3世紀に関するカテゴリがあります。