コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「望春風」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
12行目: 12行目:
| Length =
| Length =
| Label = [[日本コロムビア|台湾コロムビアレコード]]
| Label = [[日本コロムビア|台湾コロムビアレコード]]
| Writer = [[李臨秋]]、[[トウ雨賢|鄧雨賢]]
| Writer = [[李臨秋]]、[[鄧雨賢]]
| Producer =
| Producer =
}}
}}
22行目: 22行目:
[[ファイル:Bang Chhun Hong.ogg|thumb|望春風]]
[[ファイル:Bang Chhun Hong.ogg|thumb|望春風]]
[[ファイル:Bang Chhun Hong Patriotic.ogg|thumb|大地は招く]]
[[ファイル:Bang Chhun Hong Patriotic.ogg|thumb|大地は招く]]
『'''望春風'''』(ぼうしゅんぷう、バンチュンホン、[[台湾語]][[白話字]]:{{unicode|Bāng Chhun-hong}})は、[[1933年]]に発表された[[台湾]]の[[民謡]]。作詞者は[[李臨秋]]、作曲者は[[トウ雨賢|鄧雨賢]]で、[[日本統治時代の台湾|日本統治時代]]の歌手・[[純々]]([[劉清香]])の[[ヒット]]曲である。現在は[[台湾語]]歌謡のうち、『[[雨夜花]]』と並んで最も代表性のある名曲であると言われる<ref>{{Cite web|url=http://www.gec.ttu.edu.tw/lilinqiu/images/article/09.pdf|title=幾度望春風?李臨秋創作濫觴及〈望春風〉版本研究|accessdate=2018-03-12|author=黄信彰|date=|publisher=[[大同大学]]}}</ref><ref name ="taiwan-song-1930">{{cite web|url = http://www.gec.ttu.edu.tw/lilinqiu/images/article/07.pdf | format = pdf | title = 共調不共款--日治時期「外來曲台語詞」歌曲現象研究 | author = 魏緗慈 | publisher = [[大同大学]]|accessdate=2018-03-12}}</ref>。
『'''望春風'''』(ぼうしゅんぷう、バンチュンホン、[[台湾語]][[白話字]]:{{unicode|Bāng Chhun-hong}})は、[[1933年]]に発表された[[台湾]]の[[民謡]]。作詞者は[[李臨秋]]、作曲者は[[鄧雨賢]]で、[[日本統治時代の台湾|日本統治時代]]の歌手・[[純々]]([[劉清香]])の[[ヒット]]曲である。現在は[[台湾語]]歌謡のうち、『[[雨夜花]]』と並んで最も代表性のある名曲であると言われる<ref>{{Cite web|url=http://www.gec.ttu.edu.tw/lilinqiu/images/article/09.pdf|title=幾度望春風?李臨秋創作濫觴及〈望春風〉版本研究|accessdate=2018-03-12|author=黄信彰|date=|publisher=[[大同大学]]}}</ref><ref name ="taiwan-song-1930">{{cite web|url = http://www.gec.ttu.edu.tw/lilinqiu/images/article/07.pdf | format = pdf | title = 共調不共款--日治時期「外來曲台語詞」歌曲現象研究 | author = 魏緗慈 | publisher = [[大同大学]]|accessdate=2018-03-12}}</ref>。


==解説==
==解説==

2020年7月12日 (日) 21:49時点における版

「望春風」
純々シングル
初出アルバム『望春風』
リリース
ジャンル 歌謡曲
レーベル 台湾コロムビアレコード
作詞・作曲 李臨秋鄧雨賢
テンプレートを表示
望春風
繁体字 望春風
発音記号
閩南語
閩南語白話字Bāng Chhun-hong
望春風
大地は招く

望春風』(ぼうしゅんぷう、バンチュンホン、台湾語白話字Bāng Chhun-hong)は、1933年に発表された台湾民謡。作詞者は李臨秋、作曲者は鄧雨賢で、日本統治時代の歌手・純々劉清香)のヒット曲である。現在は台湾語歌謡のうち、『雨夜花』と並んで最も代表性のある名曲であると言われる[1][2]

解説

桃園市龍潭区龍潭大池付近にある望春風の歌碑

1933年、『桃花泣血記』の大成功を受け、台湾語歌謡への意欲を示した台湾コロムビアの社長である柏野政次郎の手によって制作された。歌詞は少女が一目惚れした男性との恋愛に憧れる様子を描く。

1941年台湾総督府の下で、志願制度の実施予定により、越路詩郎が作詞する軍歌・『大地は招く』(霧島昇歌唱)にも改編された[2]

戦後にはテレサ・テン鳳飛々張清芳一青窈などの歌手によりカバーされた。

脚注

関連項目