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『'''望春風'''』(ぼうしゅんぷう、バンチュンホン、[[台湾語]][[白話字]]:{{unicode|Bāng Chhun-hong}})は、[[1933年]]に発表された[[台湾]]の[[民謡]]。作詞者は[[李臨秋]]、作曲者は[[鄧雨賢]]で、[[日本統治時代の台湾|日本統治時代]]の歌手・[[純々]]([[劉清香]])の[[ヒット]]曲である。現在は[[台湾語]]歌謡のうち、『[[雨夜花]]』と並んで最も代表性のある名曲であると言われる<ref>{{Cite web|url=http://www.gec.ttu.edu.tw/lilinqiu/images/article/09.pdf|title=幾度望春風?李臨秋創作濫觴及〈望春風〉版本研究|accessdate=2018-03-12|author=黄信彰|date=|publisher=[[大同大学]]}}</ref><ref name ="taiwan-song-1930">{{cite web|url = http://www.gec.ttu.edu.tw/lilinqiu/images/article/07.pdf | format = pdf | title = 共調不共款--日治時期「外來曲台語詞」歌曲現象研究 | author = 魏緗慈 | publisher = [[大同大学]]|accessdate=2018-03-12}}</ref>。 |
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==解説== |
==解説== |
2020年7月12日 (日) 21:49時点における版
「望春風」 | |
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純々 の シングル | |
初出アルバム『望春風』 | |
リリース | |
ジャンル | 歌謡曲 |
レーベル | 台湾コロムビアレコード |
作詞・作曲 | 李臨秋、鄧雨賢 |
望春風 | |||||||
繁体字 | 望春風 | ||||||
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『望春風』(ぼうしゅんぷう、バンチュンホン、台湾語白話字:Bāng Chhun-hong)は、1933年に発表された台湾の民謡。作詞者は李臨秋、作曲者は鄧雨賢で、日本統治時代の歌手・純々(劉清香)のヒット曲である。現在は台湾語歌謡のうち、『雨夜花』と並んで最も代表性のある名曲であると言われる[1][2]。
解説
1933年、『桃花泣血記』の大成功を受け、台湾語歌謡への意欲を示した台湾コロムビアの社長である柏野政次郎の手によって制作された。歌詞は少女が一目惚れした男性との恋愛に憧れる様子を描く。
1941年に台湾総督府の下で、志願制度の実施予定により、越路詩郎が作詞する軍歌・『大地は招く』(霧島昇歌唱)にも改編された[2]。
戦後にはテレサ・テン、鳳飛々、張清芳、一青窈などの歌手によりカバーされた。
脚注
- ^ 黄信彰. “幾度望春風?李臨秋創作濫觴及〈望春風〉版本研究”. 大同大学. 2018年3月12日閲覧。
- ^ a b 魏緗慈. “共調不共款--日治時期「外來曲台語詞」歌曲現象研究” (pdf). 大同大学. 2018年3月12日閲覧。