「丹陽鎮 (淅川県)」の版間の差分
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2020年7月12日 (日) 22:07時点における版
中華人民共和国 河南省 丹陽鎮 | |
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陶岔渠 | |
旧称:九重鎮
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中心座標 北緯32度41分49.84秒 東経111度47分33.92秒 / 北緯32.6971778度 東経111.7927556度 | |
簡体字 | 丹阳 |
繁体字 | 丹陽 |
拼音 | Dānyáng |
カタカナ転写 | ダンヤン |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 河南 |
地級市 | 南陽市 (河南省) |
県 | 淅川県 |
行政級別 | 鎮 |
面積 | |
総面積 | 134 km² |
人口 | |
総人口(2008) | 5.4 万人 |
経済 | |
電話番号 | 0377 |
郵便番号 | 474450 |
行政区画代碼 | 411326105 |
丹陽鎮(たんよう-ちん)は中華人民共和国河南省南陽市淅川県東南部に位置する鎮。2007年までの旧名は九重鎮。
地理
九重鎮は淅川県南東部、河南省鄧州市、淅川県、湖北省丹江口市、老河口市の市境に位置する。
歴史
九重の地名は元末明初の混乱期に由来する。1368年(洪武元年)、朱元璋が大都を攻め元順帝をモンゴル高原に駆逐した際、四陀王も逃亡の準備をした。明軍により雁門関が封鎖されたことから南方に逃亡した。途中濮陽で明軍と再度交戦し四佗王は行方不明となった。その際、四佗王の孫は戦場を脱出、黄河を渡り鎮平県晁陂鎮一帯に逃れたが、明軍より隠れるには不適当として現在の九重鎮に移動した。そして祖父が四佗王であったことから,孫は王成と称しこの地に9つの小院を有す九重院を建築したことが鎮名の由来である
清代になると鄧県の下に九重里が設置され、その後1958年に九重人民公社と改称、1972年には淅川県に移管された。1984年に九重郷、1996年に九重鎮と改称された。
2007年の「豫民行批[2007]13号」公文によって丹陽鎮に改称され現在に至る。
下位行政区画
下部に28村を管轄する
- 九重村、解放村、更生村、夏荘村、下孔村、孔北村、王家村、劉溝村、張楼村、水閘村、薛崗村、王楼村、太平村、張河村、程営村、劉家営村、周崗村、武店村、陶岔村、張家村、張衝冲村、花櫟扒村、鄒楼村、王崗村、曽崗村、范崗村、高家村、孫営村
観光地
- 唐王橋遺跡
- 南水北調中線渠首風景区
- 張河遺跡