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「大山白山神社」の版間の差分

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==歴史==
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伝承によれば、[[養老]]2年([[718年]])、[[泰澄]]が[[加賀国]][[白山比め神社|白山比咩神社]]より勧請し創建したとされる。勧請した際、水晶山(白川町、[[七宗町]]、[[下呂市]]の境界付近の標高687mの山)を経て鎮座したという。一説によれば、泰澄が養老2年に開いた「北陸七白山」の一つという。(北陸七白山の他の神社の一つは[[能郷白山神社]]という)
伝承によれば、[[養老]]2年([[718年]])、[[泰澄]]が[[加賀国]][[白山比咩神社]]より勧請し創建したとされる。勧請した際、水晶山(白川町、[[七宗町]]、[[下呂市]]の境界付近の標高687mの山)を経て鎮座したという。一説によれば、泰澄が養老2年に開いた「北陸七白山」の一つという。(北陸七白山の他の神社の一つは[[能郷白山神社]]という)


[[文明 (日本)|文明]]12年([[1480年]])、[[野原城]]城主[[安江基政]]によって再興された。野原城は[[天正]]10年([[1582年]])落城し、城主安江氏は武士をやめて農民となった。以降安江氏は代々白山神社の修復を担った。[[寛延]]元年([[1748年]])、朝廷より「正一位大山白山権現」の名を受けている。
[[文明 (日本)|文明]]12年([[1480年]])、[[野原城]]城主[[安江基政]]によって再興された。野原城は[[天正]]10年([[1582年]])落城し、城主安江氏は武士をやめて農民となった。以降安江氏は代々白山神社の修復を担った。[[寛延]]元年([[1748年]])、朝廷より「正一位大山白山権現」の名を受けている。

2020年7月13日 (月) 20:20時点における版

大山白山神社
大山白山神社
社殿
所在地 岐阜県加茂郡白川町水戸野1096
位置 北緯35度37分10.41秒 東経137度13分40.00秒 / 北緯35.6195583度 東経137.2277778度 / 35.6195583; 137.2277778
主祭神 菊理媛神 伊弉諾尊 伊弉冉尊
社格 旧県社 金幣社
創建 (伝)養老2年(718年)
例祭 春分の日(春の大祭) 11月23日(秋の大祭)
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大山白山神社(おおやまはくさんじんじゃ)は、岐阜県加茂郡白川町にある神社。白山(標高862m)の山頂にある。

社格は県社。延喜式神名帳美濃国賀茂郡大山神社という説がある。

現在の社殿は寛政年間以降の再建である。

祭神

歴史

伝承によれば、養老2年(718年)、泰澄加賀国白山比咩神社より勧請し創建したとされる。勧請した際、水晶山(白川町、七宗町下呂市の境界付近の標高687mの山)を経て鎮座したという。一説によれば、泰澄が養老2年に開いた「北陸七白山」の一つという。(北陸七白山の他の神社の一つは能郷白山神社という)

文明12年(1480年)、野原城城主安江基政によって再興された。野原城は天正10年(1582年)落城し、城主安江氏は武士をやめて農民となった。以降安江氏は代々白山神社の修復を担った。寛延元年(1748年)、朝廷より「正一位大山白山権現」の名を受けている。

明治3年(1870年)、白山神社に改名した。明治6年(1873年)に郷社、大正7年(1918年)に県社となる。この間、明治15年(1882年)には境内社として、安江基政を祀った光庵神社が建立された。

文化財

所在地

  • 岐阜県加茂郡白川町水戸野1096

交通

公共交通機関

脚注

  1. ^ 大山の大スギ”. 岐阜県. 2017年9月17日閲覧。

関連項目