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1962年度後期[[新進棋士奨励会#過去の三段リーグ|奨励会A組]]に入り、5期目となる1964年度後期奨励会A組で、11勝1敗の抜群の成績で関東優勝。関西優勝者の[[桜井昇]]の優勝が2度目(1度目は東西決戦でA組に陥落していた[[橋本三治]]に敗北)であったため、東西決戦は行われず、1965年4月1日付けで田辺と桜井が同時に四段昇段(プロ入り)をした。 |
1962年度後期[[新進棋士奨励会#過去の三段リーグ|奨励会A組]]に入り、5期目となる1964年度後期奨励会A組で、11勝1敗の抜群の成績で関東優勝。関西優勝者の[[桜井昇]]の優勝が2度目(1度目は東西決戦でA組に陥落していた[[橋本三治]]に敗北)であったため、東西決戦は行われず、1965年4月1日付けで田辺と桜井が同時に四段昇段(プロ入り)をした。 |
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初参加から4期目の第23期(1968年度)C級2組[[順位戦]]において、8勝4敗の成績で次点。これが田辺にとって、順位戦における最高成績である。このときのC級2組は総勢16名で、その中には後にA級八段となる[[桐山清澄]]、[[勝浦修]]、[[森安秀光]]、[[ |
初参加から4期目の第23期(1968年度)C級2組[[順位戦]]において、8勝4敗の成績で次点。これが田辺にとって、順位戦における最高成績である。このときのC級2組は総勢16名で、その中には後にA級八段となる[[桐山清澄]]、[[勝浦修]]、[[森安秀光]]、[[森雞二]]がいた。田辺は森安と森に勝ち、桐山に負けた。昇級者は桐山と勝浦であった。 |
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1973年度、第1回[[名将戦]]で予選を突破。1974年度に行われた本戦では、1回戦で[[加藤一二三]]九段を破るが、2回戦で[[中原誠]][[名人 (将棋)|名人]](三冠)に敗れる。なお、同棋戦では第3回、第4回、第7回、第13回でも本戦出場している。 |
1973年度、第1回[[名将戦]]で予選を突破。1974年度に行われた本戦では、1回戦で[[加藤一二三]]九段を破るが、2回戦で[[中原誠]][[名人 (将棋)|名人]](三冠)に敗れる。なお、同棋戦では第3回、第4回、第7回、第13回でも本戦出場している。 |
2020年7月16日 (木) 23:08時点における版
田辺一郎 七段 | |
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名前 | 田辺一郎 |
生年月日 | 1938年8月1日(86歳) |
プロ入り年月日 | 1965年4月1日(26歳) |
棋士番号 | 91 |
出身地 | 東京都江東区 |
師匠 | 松下力九段 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 田辺一郎 |
2017年8月25日現在 |
田辺 一郎(たなべ いちろう、1938年8月1日 - )は、将棋棋士。1999年、引退。松下力九段門下。棋士番号は91。東京都江東区出身。
棋歴
1962年度後期奨励会A組に入り、5期目となる1964年度後期奨励会A組で、11勝1敗の抜群の成績で関東優勝。関西優勝者の桜井昇の優勝が2度目(1度目は東西決戦でA組に陥落していた橋本三治に敗北)であったため、東西決戦は行われず、1965年4月1日付けで田辺と桜井が同時に四段昇段(プロ入り)をした。
初参加から4期目の第23期(1968年度)C級2組順位戦において、8勝4敗の成績で次点。これが田辺にとって、順位戦における最高成績である。このときのC級2組は総勢16名で、その中には後にA級八段となる桐山清澄、勝浦修、森安秀光、森雞二がいた。田辺は森安と森に勝ち、桐山に負けた。昇級者は桐山と勝浦であった。
1973年度、第1回名将戦で予選を突破。1974年度に行われた本戦では、1回戦で加藤一二三九段を破るが、2回戦で中原誠名人(三冠)に敗れる。なお、同棋戦では第3回、第4回、第7回、第13回でも本戦出場している。
1976年度、第9回日本将棋連盟杯争奪戦で4回戦に進出。米長邦雄八段に敗れる。
第32回(1982年度)NHK杯戦で本戦出場。1回戦で有吉道夫九段を破る。
第48期(1989年度)C級2組順位戦で、初参加から24期目にして1勝9敗で初の降級点を喫し、49期は全敗、50期は1勝9敗と3期連続降級点となり順位戦から陥落。フリークラス在籍中の1998年度に満60歳となり、現役を引退。
棋風
居飛車、振り飛車のどちらも指し、主に矢倉、中飛車、四間飛車を採用した。
若手時代は、いったん戦いになると止まらない斬り合いの将棋が多かった。
昇段履歴
- 1954年 4級 = 奨励会入会
- 1965年4月1日 四段(関東奨励会A組優勝、東西決戦なし) = プロ入り
- 1973年11月3日 五段(贈五段 = 「表彰感謝の日」表彰)
- 1984年4月1日 六段(勝数規定)
- 1999年 引退
- 1999年4月1日 七段
主な成績
通算成績 296勝516敗
在籍クラス
- 竜王戦 自己最高5組
- 順位戦 自己最高C級2組
表彰
- 現役勤続25年表彰(1990年)
脚注
- ^ 平成10年版「将棋年鑑」