「ブルンジ王国」の版間の差分
File renamed. (GlobalReplace v0.6.5) |
m Bot作業依頼: かつて存在した国家カテゴリ関連の改名に伴う修正 (Category:かつて存在したアフリカの君主国) - log |
||
113行目: | 113行目: | ||
[[Category:ブルンジの歴史]] |
[[Category:ブルンジの歴史]] |
||
[[Category:ドイツ領東アフリカ]] |
[[Category:ドイツ領東アフリカ]] |
||
[[Category: |
[[Category:かつて存在したアフリカの君主国]] |
||
[[Category:1966年に廃止された国家・領域]] |
[[Category:1966年に廃止された国家・領域]] |
2020年7月18日 (土) 09:34時点における版
- ブルンジ王国
- Ubwami bw'i Burundi
Royaume du Burundi -
←
←不明 - 1966年 →
→(国旗) (国章) -
公用語 ルンディ語
フランス語首都 ブジュンブラ 通貨 ルワンダ・ブルンジ・フラン
ブルンジ・フラン
ブルンジ王国(ブルンジおうこく、ルンディ語:Ubwami bw'i Burundi、フランス語:Royaume du Burundi)は、16世紀頃(1680年という説もある)から1966年まで存続した中部アフリカの国家。現在のブルンジに相当する領域に成立していた。王朝がいつ頃から始まっていたかは定かでないが、16世紀に成立したとの伝承も存在する。
歴史
現在のブルンジに相当する地域には、古くから先住民族の部族長による支配体制が確立していた。しかし、1884年にドイツ帝国の侵攻を受け、その植民地(ドイツ領東アフリカおよびドイツ植民地帝国を参照)となり、白人の支配を受けるようになる。ただし、伝統としての王朝の系譜が途切れることはなかった。
1918年、ドイツの第一次世界大戦における敗戦の結果、隣国のルワンダとともにルアンダ=ウルンディとして再編され、ベルギー領になる。長く苦しい植民地支配の末、第二次世界大戦後に民族自決の機運が高まり、1962年にムワミ(国王)を元首とする伝統的な国家体制のもと独立した。
しかし、クーデターが頻発するなど国情は安定せず、1966年に最後のムワミが廃位され、ミシェル・ミコンベロを指導者とする共和国として再出発する。だが、少数派のツチ族による支配に不満を持つ多数派のフツ族が1972年に大規模な反乱を起こし、約1万人のツチ族を殺害する事件が発生した。その後もクーデターによってジャン=バティスト・バガザが政権を奪取し、軍事独裁を開始するなど政情不安が続いた。
歴代国王
ブルンジの国王はムワミと呼ばれる伝統的な君主号を持つ。同時期には、ルワンダにも同様の国王が存在した。なお、国王の系譜には、伝承に基くものと現代的な系譜学に基くものが存在するため、ここではその2通りを示す。
伝承に基く系譜
- ンタレ1世(1530年 - 1550年)
- ムウェジ1世(1550年 - 1580年)
- ムタガ1世(1580年 - 1600年)
- ムワンブツァ1世(1600年 - 1620年)
- ンタレ2世(1620年 - 1650年)
- ムウェジ2世(1650年 - 1680年)
- ムタガ2世(1680年 - 1700年)
- ムワンブツァ2世(1700年 - 1720年)
- ンタレ3世(1720年 - 1750年)
- ムウェジ3世(1750年 - 1780年)
- ムタガ3世(1780年 - 1800年)
- ムワンブツァ3世(1800年 - 1830年)
- ンタレ4世(1830年 - 1850年)
- ムウェジ4世(1850年 - 1908年)
- ムタガ4世(1908年 - 1915年)
- ムワンブツァ4世(1915年 - 1966年)
- ンタレ5世(1966年 - 1966年)