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2020年7月22日 (水) 04:51時点における版
高橋 是賢(たかはし これかた、1877年(明治10年)3月14日 - 1949年(昭和24年)3月17日[1])は、日本の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。
経歴
東京府出身。政治家・高橋是清の長男として生まれる[1][2]。学習院高等科を修了。ベルギーに留学しブリュッセル大学政経科を卒業する[2][3]。父・是清が衆議院議員選挙への出馬のため(有爵者には被選挙権がないので)戸主を隠居する形をとったのに伴い、1924年2月15日、家督を相続し子爵を襲爵した[1][4]。
1932年7月、貴族院子爵議員に選出され、研究会に属して1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した[3]。
また、横浜正金銀行ロンドン支店詰行員、農商務大臣官房事務嘱託及び日本大博覧会事務嘱託、 日本理化工業社長、日本精工社長、大和醸造社長、東京火災保険監査役、中央賃金委員会委員、復興金融金庫設立委員などを務めた[2][3]。
親族
脚注
参考文献
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
日本の爵位 | ||
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先代 高橋是清 |
子爵 高橋(是清)家第2代 1924年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |