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'''司馬 興男'''(しば こうだん、生没年不詳)は、[[東晋]]の[[明帝 (東晋)|明帝]]の長女。母は皇后[[庾文君]]。[[桓温]]の妻。南康公主。 |
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2020年7月23日 (木) 03:35時点における版
司馬興男 | |
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続柄 | 明帝第一皇女 |
全名 | 司馬興男 |
称号 | 南康公主(追贈:宣皇后) |
身位 | 県主→公主 |
配偶者 | 桓温 |
父親 | 明帝 |
母親 | 庾皇后 |
司馬 興男(しば こうだん、生没年不詳)は、東晋の明帝の長女。母は皇后庾文君。桓温の妻。南康公主。
生涯
明帝の長女として生まれた。初めは遂安県主に封じられ、後に南康公主に昇進した。桓温に降嫁した。桓温の庶子の桓玄が桓楚を建てた際、興男は既に亡くなっていて、宣皇后を追贈された。
嫉妬深い人物と伝えられる。桓温は成漢を攻略した後、李勢の妹(一説には娘)を自分の側室とした。そのことを聞いた興男は刀を持って彼女を殺そうとした。その時李勢の妹は髪を結っていて長い髪が地面までひきずっていたという。李勢の妹は興男を見ても表情を変えずに「私は嫌でここに来ました。今日死ぬことができるなら満足です」と言った。興男は「あなたを見て心を動かされた。この老いぼれめは言うまでもない」と言い刀を捨てた。