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1906年(明治39年)、[[東京市]][[浅草区]]諏訪町(現、[[台東区]][[駒形]])に生まれる。
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[[1924年]](大正13年)、[[東京都立白高等学校・附属中学校|第一高等女学校]]卒業を前にして、病気の姉の代役で舞台協会の『その妹』に出演<ref name="映画1" />。卒業後「松井きよみ」として[[芸術座 (劇団)|芸術座]]の舞台に立った後、[[国際活映]]に「松井清美」の芸名で入社するが間もなく解散したため姉の千枝子と共に[[松竹蒲田撮影所]]に入社<ref name="映画1" />、芸名を「松井潤子」に変更した。松竹での初出演作は『大地は微笑む』<ref name="映画1" />。
[[1924年]](大正13年)、[[東京都立白高等学校・附属中学校|第一高等女学校]]卒業を前にして、病気の姉の代役で舞台協会の『その妹』に出演<ref name="映画1" />。卒業後「松井きよみ」として[[芸術座 (劇団)|芸術座]]の舞台に立った後、[[国際活映]]に「松井清美」の芸名で入社するが間もなく解散したため姉の千枝子と共に[[松竹蒲田撮影所]]に入社<ref name="映画1" />、芸名を「松井潤子」に変更した。松竹での初出演作は『大地は微笑む』<ref name="映画1" />。


[[1926年]](大正15年)、4社競作の『悲恋心中ヶ丘』のヒロインに抜擢される<ref name="映画1" />。[[1927年]](昭和2年)7月に準幹部女優に昇進<ref name="映画1" />。この年、千枝子が脚本、主演した『哀愁の湖』に、千枝子演じる星野小春の同級生役で共演している<ref>[[升本喜年]] 『人物・松竹映画史 蒲田の時代』 [[平凡社]]、1987年、140頁。</ref>。役柄は現代劇の[[モボ・モガ|モダンガール]]が多かった。
[[1926年]](大正15年)、4社競作の『悲恋心中ヶ丘』のヒロインに抜擢される<ref name="映画1" />。[[1927年]](昭和2年)7月に準幹部女優に昇進<ref name="映画1" />。この年、千枝子が脚本、主演した『哀愁の湖』に、千枝子演じる星野小春の同級生役で共演している<ref>[[升本喜年]] 『人物・松竹映画史 蒲田の時代』 [[平凡社]]、1987年、140頁。</ref>。役柄は現代劇の[[モボ・モガ|モダンガール]]が多かった。

2020年7月24日 (金) 06:48時点における版

まつい じゅんこ
松井 潤子
本名 水原 潤子 みずはら じゅんこ
旧姓:蔵数
別名義 松井 きよみ
松井 清美
生年月日 (1906-12-07) 1906年12月7日
没年月日 (1989-08-01) 1989年8月1日(82歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京市浅草区諏訪町(現:台東区駒形
職業 女優
ジャンル 映画
活動期間 1925年 - 1940年
配偶者 水原茂
著名な家族 松井千枝子(姉)
松井満(弟)
主な作品
学生ロマンス 若き日
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松井 潤子(まつい じゅんこ、1906年明治39年)12月7日 - 1989年平成元年)8月1日[1])は、日本の女優。本名、水原 潤子(みずはら じゅんこ、旧姓:蔵数)。初期の芸名は「松井 きよみ」、「松井 清美[2]

姉は女優の松井千枝子。夫はプロ野球選手、監督の水原茂

来歴・人物

1906年(明治39年)、東京市浅草区諏訪町(現、台東区駒形)に生まれる。

1924年(大正13年)、第一高等女学校卒業を前にして、病気の姉の代役で舞台協会の『その妹』に出演[2]。卒業後「松井きよみ」として芸術座の舞台に立った後、国際活映に「松井清美」の芸名で入社するが間もなく解散したため姉の千枝子と共に松竹蒲田撮影所に入社[2]、芸名を「松井潤子」に変更した。松竹での初出演作は『大地は微笑む』[2]

1926年(大正15年)、4社競作の『悲恋心中ヶ丘』のヒロインに抜擢される[2]1927年(昭和2年)7月に準幹部女優に昇進[2]。この年、千枝子が脚本、主演した『哀愁の湖』に、千枝子演じる星野小春の同級生役で共演している[3]。役柄は現代劇のモダンガールが多かった。

1929年(昭和4年)、姉の千枝子が29歳の若さで他界した。その後1931年(昭和6年)から脇役に回る[4]

1934年(昭和9年)3月17日に賭け麻雀を行ったとして飯田蝶子らと共に検挙されている[5]

1935年(昭和10年)[4]慶応大学野球部のスター選手だった水原茂と結婚。1940年に引退、家庭に入った。その後は水原を陰から支えた。

水原が1982年(昭和57年)に没してから7年後の1989年(平成元年)8月1日心不全のため[1]亡くなった。82歳没。

出演

『学生ロマンス 若き日』(1929年)のスチル(中)。左は結城一朗、右は飯田蝶子

脚注

  1. ^ a b 『現代物故者事典 1988〜1990』 日外アソシエーツ、1993年、604頁。
  2. ^ a b c d e f 『日本映画人名事典』、553頁。
  3. ^ 升本喜年 『人物・松竹映画史 蒲田の時代』 平凡社、1987年、140頁。
  4. ^ a b 『日本映画人名事典』、554頁。
  5. ^ 誰か昭和を想わざる 昭和ラプソディ(昭和9年1〜3月)[リンク切れ]の記述を参照。2011年8月29日閲覧。

参考文献

  • 『日本映画人名事典・女優篇 下巻』 キネマ旬報社、1995年、553 - 554頁の「松井潤子」の項参照。執筆者は盛内政志。

関連項目

外部リンク