「第36回衆議院議員総選挙」の版間の差分
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2020年7月25日 (土) 04:14時点における版
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第36回衆議院議員総選挙(だい36かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1980年(昭和55年)6月22日に日本で行われた国会(衆議院)議員の総選挙である。
自民党が過半数を占める中で提出された内閣不信任案が事前の予測に反して可決され、解散に至ったことから、この解散は、「ハプニング解散」という俗称で知られている[1]。
概要
内閣不信任案が可決するという不測の事態で突如行われた解散総選挙であり(ハプニング解散)、前回の第35回衆議院議員総選挙からわずか8か月後に実施された。結果として第12回参議院議員通常選挙と同日に実施されたが、これは史上初の衆参同日選挙であった。
この選挙期間中の6月12日に現職の大平正芳首相が急死するという事態が起こった。日本国憲法は一般に衆議院議員総選挙が行われる場合においては、総選挙によって新たに衆議院が構成されることになることから、たとえ同一の者が内閣総理大臣に指名されるとしても内閣は新たにその信任の基礎を得るべきであるとの趣旨から[2]、衆議院議員総選挙後に初めて国会の召集があった時に内閣は総辞職するものと定めている(日本国憲法第70条)。一方で日本国憲法は内閣総理大臣が欠けたときには内閣はその中核的存在を欠くことになるため当然に総辞職しなければならないとしている(日本国憲法第70条)[3][4]。そこで、憲法解釈上、衆議院解散から国会召集時までに「内閣総理大臣が欠けたとき」となった場合(総辞職すべき事由が重なる場合)については、このような場合には内閣総理大臣が欠けたときではあるが国会召集時までは総辞職すべきでないと解する学説と直ちに総辞職すべきで国会召集時に重ねて総辞職する必要はないと解する学説が対立している[5]。この6月12日の大平正芳首相の急逝においては同日中に内閣は総辞職し国会召集時には総辞職を行わなかった[6]。これは衆議院解散後から総選挙後初めての国会の召集時までに死亡等により内閣総理大臣が欠けることとなった場合には直ちに総辞職すべきで、内閣は内閣総理大臣が欠けた時点で既に総辞職しており国会召集時に重ねて総辞職することは不可能との解釈をとったものである[7]。なお大平の選挙地盤からは、大平の女婿で第一秘書をつとめていた森田一が補充立候補して当選している。
選挙データ
内閣
解散日
解散名
公示日
投票日
改選数
- 511議席
選挙制度
- 投票方法
-
- 秘密投票、単記投票、1票制
- 選挙権
-
- 満20歳以上の日本国民
- 被選挙権
-
- 満25歳以上の日本国民
- 有権者数
-
- 80,925,034(男性:39,171,128 女性:41,753,906)
同日実施の選挙等
- 国民投票
選挙活動
党派別立候補者数
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党派 | 候補者数 | 男性 | 女性 | 公示前 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
計 | 新 | 前 | 元 | ||||
自由民主党 | 310 | 258 | |||||
日本社会党 | 149 | 107 | |||||
公明党 | 64 | 58 | |||||
日本共産党 | 129 | 41 | |||||
民社党 | 50 | 36 | |||||
新自由クラブ | 25 | 4 | |||||
社会民主連合 | 5 | 2 | |||||
諸派 | 42 | 0 | |||||
無所属 | 61 | 4 | |||||
計 | 835 | 510 | |||||
出典:『朝日選挙大観』 |
選挙結果
党派別獲得議席
自民党執行部は不信任案に反対した田中・大平両主流派や旧中間派の議員と反主流派のうち本会議に出席して不信任案に反対した中曽根派議員を第1次公認とし、欠席した反主流派の議員は第2次公認という形を取った。当初は分裂選挙の様相を呈していたが、選挙中であった6月12日に大平正芳首相が急死するという緊急事態が起こり、それを受けて自民党主流・反主流両派は一転して融和・団結し弔い選挙の様相を見せて選挙戦を進めた。22日の投票で自民党は単独過半数を超える284議席を獲得し大勝した。また同時に実施された参院選でも自民党は追加公認を含めて過半数を10議席以上上回る69議席を獲得し勝利した。不信任案を提出した野党、特に公明党は大敗を喫した。これで6年間続いた衆参両院における与野党伯仲状態は完全に解消した。大平の死と引き換えに得た大勝利であった。
党派 | 獲得 議席 |
増減 | 得票数 | 得票率 | 公示前 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
与党計 | 284 | 26 | 28,262,442 | 47.88% | 258 | ||
自由民主党 | 284 | 26 | 28,262,442 | 47.88% | 258 | ||
野党・無所属計 | 227 | 25 | 30,766,395 | 52.12% | 252 | ||
日本社会党 | 107 | 11,400,748 | 19.31% | 107 | |||
公明党 | 33 | 25 | 5,329,942 | 9.03% | 58 | ||
民社党 | 32 | 4 | 3,896,728 | 6.60% | 36 | ||
日本共産党 | 29 | 12 | 5,803,613 | 9.83% | 41 | ||
新自由クラブ | 12 | 8 | 1,766,396 | 2.99% | 4 | ||
社会民主連合 | 3 | 1 | 402,832 | 0.68% | 2 | ||
諸派 | 0 | 109,168 | 0.18% | 0 | |||
無所属 | 11 | 7 | 2,056,967 | 3.48% | 4 | ||
欠員 | 0 | 1 | - | - | 1 | ||
総計 | 511 | 59,028,837 | 100.0% | 511 | |||
有効投票数(有効率) | - | - | 59,028,837 | 97.82% | - | ||
無効票・白票数(無効率) | - | - | 1,313,492 | 2.18% | - | ||
投票者数(投票率) | - | - | 60,342,329 | 74.57% | - | ||
棄権者数(棄権率) | - | - | 20,582,705 | 25.43% | - | ||
有権者数 | - | - | 80,925,034 | 100.0% | - | ||
出典:総務省統計局 戦後主要政党の変遷と国会内勢力の推移 |
- 投票率:74.57%(前回比: 6.56%)
- 【男性:73.72%(前回比: 6.30%) 女性:75.36%(前回比: 6.80%)】
党派別女性獲得議席
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党派 | 候補者 | 当選者 | 当選率 | 議席率 |
---|---|---|---|---|
計 | 28 | 9 | 32.14% | 1.76% |
出典:『朝日選挙大観』 |
政党
| ||
議員
当選者
自民党 社会党 公明党 民社党 共産党 新自由クラブ 社民連 無所属
補欠当選
年 | 月日 | 選挙区 | 当選者 | 所属党派 | 欠員 | 所属党派 | 欠員事由 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1983 | 8.7 | 京都2区 | 谷垣禎一 | 自民党 | 前尾繁三郎 | 自民党 | 1981.7.23死去 |
野中広務 | 自民党 | 谷垣専一 | 自民党 | 1983.6.27死去 | |||
出典:戦後の補欠選挙 |
初当選
- 35名
- ※:参議院議員経験者
- 自由民主党
-
- 18名
- 日本社会党
-
- 7名
- 日本共産党
-
- 2名
- 新自由クラブ
-
- 4名
- 社会民主連合
-
- 1名
- 無所属
-
- 3名
返り咲き・復帰
- 計44名
- 自由民主党
-
- 24名
- 日本社会党
-
- 13名
- 公明党
-
- 1名
- 新自由クラブ
-
- 4名
- 無所属
-
- 2名
引退・不出馬
- 計6名
- 自由民主党
-
- 5名
- 日本社会党
-
- 1名
落選
- 計74名
- 自由民主党
-
- 12名
- 日本社会党
-
- 19名
- 公明党
-
- 25名
- 日本共産党
-
- 12名
- 民社党
-
- 3名
- 無所属
-
- 3名
選挙後
国会
この節の加筆が望まれています。 |
政党
この節の加筆が望まれています。 |
脚注
注釈
出典
- ^ 1980年衆参同日選 異例の「ハプニング解散」毎日新聞 2016年8月4日
- ^ 伊藤正己著 『憲法 第三版』 弘文堂、1995年、518頁
- ^ 伊藤正己著 『憲法 第三版』 弘文堂、1995年、517頁
- ^ 行政制度研究会編 『現代行政全集1政府』 ぎょうせい、1983年、126頁
- ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、226-227頁
- ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、227頁
- ^ 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、826頁
関連項目
参考文献
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年
- 石川真澄・山口二郎著『戦後政治史』岩波新書、2010年
- 神田広樹 (2014年6月). “戦後主要政党の変遷と国会内勢力の推移” (PDF). 国立国会図書館. 2019年10月閲覧。
- 佐藤令 (2005年12月). “戦後の補欠選挙” (PDF). 国立国会図書館. 2016年5月26日閲覧。
外部リンク
- 総務省統計局
- 衆参同日選挙 自民が圧勝 - NHKアーカイブス