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「南洋通商大臣」の版間の差分

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[[阿片戦争]]後の[[道光]]24年([[1844年]])に、[[南京条約]]で開港された5港([[広州市|広州]]・[[福州市|福州]]・[[廈門市|アモイ]]・[[寧波市|寧波]]・[[上海市|上海]])での対外通商と外交事務を担当する五口通商大臣が広州に設置され、[[両広総督]]が兼任した。[[アロー戦争]]後の[[咸豊]]11年([[1861年]])に五口通商大臣の役所は[[上海市|上海]]に移され、[[総理各国事務衙門]]の管轄下に置かれた。この時期の五口通商大臣は[[薛煥]]であった。
[[阿片戦争]]後の[[道光]]24年([[1844年]])に、[[南京条約]]で開港された5港([[広州市|広州]]・[[福州市|福州]]・[[廈門市|アモイ]]・[[寧波市|寧波]]・[[上海市|上海]])での対外通商と外交事務を担当する五口通商大臣が広州に設置され、[[両広総督]]が兼任した。[[アロー戦争]]後の[[咸豊]]11年([[1861年]])に五口通商大臣の役所は[[上海市|上海]]に移され、[[総理各国事務衙門]]の管轄下に置かれた。この時期の五口通商大臣は[[薛煥]]であった。


同治5年([[1866年]])に五口通商大臣は南洋通商大臣と改称され、[[両江総督]]が兼任することとなり、[[南京市|南京]]に移された。歴代の南洋大臣には[[曽国藩]]、[[李鴻章]]、[[左宗棠]]、[[沈葆テイ|沈葆楨]]、[[張之洞]]、[[劉坤一]]、[[端方]]らがいる。
同治5年([[1866年]])に五口通商大臣は南洋通商大臣と改称され、[[両江総督]]が兼任することとなり、[[南京市|南京]]に移された。歴代の南洋大臣には[[曽国藩]]、[[李鴻章]]、[[左宗棠]]、[[沈葆楨]]、[[張之洞]]、[[劉坤一]]、[[端方]]らがいる。


==関連項目==
==関連項目==

2020年7月26日 (日) 10:39時点における版

南洋通商大臣朝の欽差大臣。略して南洋大臣ともいう。

阿片戦争後の道光24年(1844年)に、南京条約で開港された5港(広州福州アモイ寧波上海)での対外通商と外交事務を担当する五口通商大臣が広州に設置され、両広総督が兼任した。アロー戦争後の咸豊11年(1861年)に五口通商大臣の役所は上海に移され、総理各国事務衙門の管轄下に置かれた。この時期の五口通商大臣は薛煥であった。

同治5年(1866年)に五口通商大臣は南洋通商大臣と改称され、両江総督が兼任することとなり、南京に移された。歴代の南洋大臣には曽国藩李鴻章左宗棠沈葆楨張之洞劉坤一端方らがいる。

関連項目