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ロシアの国章を形作る大きな二つの[[象徴]]([[双頭の鷲]]・[[ドラゴン]]を殺害する[[聖ゲオルギオス]])はピョートル1世以前に由来する。[[モスクワ大公国]]の[[ツァーリ]]であるイヴァン3世の紋章は、ドラゴンを殺す(もしくは争う)騎手を象徴としていた。騎手は1730年に法令で制定されるまでは公式には聖ゲオルギオスであるとはされていなかった。より古い形態が[[モスクワ大公国]]および現在の[[モスクワ]]市の紋章である。槍を持った騎手という象徴は、1390年にモスクワ公[[ヴァシーリー1世]]の紋章として最初に表れる。[[ヘビ|蛇]]もしくはドラゴンがイヴァン3世の元で加えられた。聖ゲオルギオスはモスクワおよびロシアの守護聖徒となった。今日、現代のロシアが[[世俗]]国家であるという特色を維持することを主な理由として、公式文書では中央の盾にいる騎手が聖ゲオルギオスであるとは言及されない。 |
ロシアの国章を形作る大きな二つの[[象徴]]([[双頭の鷲]]・[[ドラゴン]]を殺害する[[聖ゲオルギオス]])はピョートル1世以前に由来する。[[モスクワ大公国]]の[[ツァーリ]]であるイヴァン3世の紋章は、ドラゴンを殺す(もしくは争う)騎手を象徴としていた。騎手は1730年に法令で制定されるまでは公式には聖ゲオルギオスであるとはされていなかった。より古い形態が[[モスクワ大公国]]および現在の[[モスクワ]]市の紋章である。槍を持った騎手という象徴は、1390年にモスクワ公[[ヴァシーリー1世]]の紋章として最初に表れる。[[ヘビ|蛇]]もしくはドラゴンがイヴァン3世の元で加えられた。聖ゲオルギオスはモスクワおよびロシアの守護聖徒となった。今日、現代のロシアが[[世俗]]国家であるという特色を維持することを主な理由として、公式文書では中央の盾にいる騎手が聖ゲオルギオスであるとは言及されない。 |
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双頭の鷲は[[東ローマ帝国]]王女であり東ローマ最後の皇帝[[コンスタンティノス11世]]をおじに持つ[[ゾイ・パレオロギナ]]との結婚ののちに、[[イヴァン3世]]によって採用された。双頭の鷲は[[東洋]]と[[西洋]]の両方にかかる東ローマ帝国の公式の国章であった。それは、別の様相においては、教会と国との単一性を象徴していた。1453年の[[コンスタンティノープルの陥落]]ののち、イヴァン3世とその相続人は、モスクワが真理・正統・キリスト教の信仰・そして結果としてローマ帝国の最後の拠点であると考えた(その結果、[[第3のローマ]]という表現がモスクワ、あるいはロシア全体に対して用いられた)。1497年より、双頭の鷲をもって[[神聖ローマ帝国]]と同等のロシアの主権を宣言していた。双頭の鷲がロシアの国章として公式化されたことを示す残された最初の証拠は、1497年の、独立した王子たちに対する領土の割り当ての勅許に際して使用された王子の紋章である。同時に、赤い背景の上の[[金メッキ]]された双頭の鷲の象徴が、[[クレムリン]]の[[ファセッツ宮殿]]の壁に現れた。 |
双頭の鷲は[[東ローマ帝国]]王女であり東ローマ最後の皇帝[[コンスタンティノス11世パレオロゴス|コンスタンティノス11世]]をおじに持つ[[ゾイ・パレオロギナ]]との結婚ののちに、[[イヴァン3世]]によって採用された。双頭の鷲は[[東洋]]と[[西洋]]の両方にかかる東ローマ帝国の公式の国章であった。それは、別の様相においては、教会と国との単一性を象徴していた。1453年の[[コンスタンティノープルの陥落]]ののち、イヴァン3世とその相続人は、モスクワが真理・正統・キリスト教の信仰・そして結果としてローマ帝国の最後の拠点であると考えた(その結果、[[第3のローマ]]という表現がモスクワ、あるいはロシア全体に対して用いられた)。1497年より、双頭の鷲をもって[[神聖ローマ帝国]]と同等のロシアの主権を宣言していた。双頭の鷲がロシアの国章として公式化されたことを示す残された最初の証拠は、1497年の、独立した王子たちに対する領土の割り当ての勅許に際して使用された王子の紋章である。同時に、赤い背景の上の[[金メッキ]]された双頭の鷲の象徴が、[[クレムリン]]の[[ファセッツ宮殿]]の壁に現れた。 |
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[[ファイル:Lesser Coat of Arms of Russian Empire.svg|150px|thumb|1883年の[[ロシア帝国]]の小紋章]] |
[[ファイル:Lesser Coat of Arms of Russian Empire.svg|150px|thumb|1883年の[[ロシア帝国]]の小紋章]] |
2020年7月28日 (火) 09:32時点における版
ロシア連邦の国章 | |
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詳細 | |
使用者 | ロシア連邦 |
採用 | 1993年11月30日 |
盾 |
Gules, a double-headed Imperial Eagle displayed, twice imperially crowned, grasping in the dexter claw an imperial sceptre, and in the sinister claw an imperial orb, all Or. In chief another larger imperial crown with issuant and pendent therefrom a ribbon of the Order of St. Andrew the First-Called, also Or. The Imperial Eagle is charged on the breast with an escutcheon: Gules, an image of St. George Martyr the Victorious in complete armour Argent, wearing a flying cloak Azure, riding a horse in full gallop Argent; the latter treading upon a dragon crawling in base Or, whose head the rider is piercing through with a spear Argent. |
ロシア連邦の国章(ロシアのこくしょう)はロシア帝国の紋章に由来し、赤いフィールドに金色の鷲をあしらう。鷲の頭には三つの王冠があり、胸にはドラゴンを倒す聖ゲオルギオスを描いた赤い盾(インエスカッシャン)がある。
歴史
ソビエト連邦の崩壊の後に、ロシア帝国の紋章に由来する国章が使われるようになった。元々はイヴァン3世が定めた紋章に対して修正が繰り返されたものである。配色は15世紀に使われていたものに由来する。鷲の形はピョートル1世の時代に使われたものに由来する。
ロシアの国章を形作る大きな二つの象徴(双頭の鷲・ドラゴンを殺害する聖ゲオルギオス)はピョートル1世以前に由来する。モスクワ大公国のツァーリであるイヴァン3世の紋章は、ドラゴンを殺す(もしくは争う)騎手を象徴としていた。騎手は1730年に法令で制定されるまでは公式には聖ゲオルギオスであるとはされていなかった。より古い形態がモスクワ大公国および現在のモスクワ市の紋章である。槍を持った騎手という象徴は、1390年にモスクワ公ヴァシーリー1世の紋章として最初に表れる。蛇もしくはドラゴンがイヴァン3世の元で加えられた。聖ゲオルギオスはモスクワおよびロシアの守護聖徒となった。今日、現代のロシアが世俗国家であるという特色を維持することを主な理由として、公式文書では中央の盾にいる騎手が聖ゲオルギオスであるとは言及されない。
双頭の鷲は東ローマ帝国王女であり東ローマ最後の皇帝コンスタンティノス11世をおじに持つゾイ・パレオロギナとの結婚ののちに、イヴァン3世によって採用された。双頭の鷲は東洋と西洋の両方にかかる東ローマ帝国の公式の国章であった。それは、別の様相においては、教会と国との単一性を象徴していた。1453年のコンスタンティノープルの陥落ののち、イヴァン3世とその相続人は、モスクワが真理・正統・キリスト教の信仰・そして結果としてローマ帝国の最後の拠点であると考えた(その結果、第3のローマという表現がモスクワ、あるいはロシア全体に対して用いられた)。1497年より、双頭の鷲をもって神聖ローマ帝国と同等のロシアの主権を宣言していた。双頭の鷲がロシアの国章として公式化されたことを示す残された最初の証拠は、1497年の、独立した王子たちに対する領土の割り当ての勅許に際して使用された王子の紋章である。同時に、赤い背景の上の金メッキされた双頭の鷲の象徴が、クレムリンのファセッツ宮殿の壁に現れた。
ロマノフ朝の最初のツァーリであるミハイル・ロマノフの下で国章が変更された。1625年、双頭の鷲が三つの王冠で装飾された。この王冠は、カザン・アストラハン・シベリアの征服された王国、あるいは大ロシア(ロシア)・小ロシア(現在のウクライナ)・白ロシア(ベラルーシ)の一体性を示すものとして説明された。今日、この王冠は全体として、あるいは下位区分(共和国・地方)としてのロシアの主権と一体性を象徴している。宝珠(Держава)と王笏(Скипетр)は主権と専制を意味する伝統的な象徴である。現在のロシアが君主制国家ではないにも関わらず、ロシアの現代の国章にも保持されると決定された。三つの冠を支える聖アンドレイ勲章の綬と、それに対応するモスクワの紋章を囲む聖アンドレイ勲章の頸飾を除去した意匠が、1993年に採用された。また、プーチン大統領が2000年12月20日に国章に関連する法案に署名した。
歴代の国章
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モスクワ大公国の紋章
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ロシア・ツァーリ国の紋章(1577年)
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ロシア・ツァーリ国の紋章(1589年)
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ロシア・ツァーリ国の紋章(1667年)
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ロシア帝国の紋章
(1730年) -
ロシア帝国の紋章
(1796年) -
ロシア帝国の紋章
(1800年) -
ロシア帝国の紋章
(1825年) -
ロシア帝国の紋章
(1855年) -
ロシア帝国の大紋章(1882年)
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ロシア帝国の大紋章(1882年)
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ロシア帝国の小紋章(1882年)
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モスクワの紋章
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ロシア臨時政府の国章
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ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国章(1918年〜1920年)
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ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国章(1920年〜1956年)
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ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国章(1956年〜1978年)
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ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国章(1978年〜1992年)
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ソ連崩壊直後、暫定的に用いられた国章
関連項目
外部リンク
- ロシアの紋章の歴史
- 国章「双頭の鷲」の由来 ロシアNOW