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* [[CSK杯囲碁アジア対抗戦]]
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** 2002年 2-0(○[[淡路修三]]、○[[周俊勲]])
** 2002年 2-0(○[[淡路修三]]、○[[周俊勲]])
** 2003年 1-2(○[[董彦]]、×[[山下敬吾]]、×[[王銘エン]])
** 2003年 1-2(○[[董彦]]、×[[山下敬吾]]、×[[王銘]])
** 2004年 1-2(○[[王立誠]]、×依田紀基、×[[王檄]])
** 2004年 1-2(○[[王立誠]]、×依田紀基、×[[王檄]])
*[[韓国囲碁リーグ]]
*[[韓国囲碁リーグ]]

2020年8月8日 (土) 07:39時点における版

 劉昌赫 九段
名前 劉昌赫
生年月日 (1966-04-25) 1966年4月25日(58歳)
プロ入り年 1984
出身地 ソウル
段位 九段
概要
テンプレートを表示
ユ・チャンヒョク
各種表記
ハングル 유창혁
漢字 劉昌赫
発音: ユ・チャンヒョク
ローマ字 Yoo Changhyuk
テンプレートを表示

劉 昌赫(ユ・チャンヒョク、유창혁、りゅう しょうかく、1966年4月25日 - )は、韓国囲碁棋士ソウル出身、韓国棋院所属、九段。王位戦4連覇など国内タイトル多数、世界囲碁選手権富士通杯など世界棋戦優勝6回。1990年代には曺薫鉉徐奉洙李昌鎬と並び四強と呼ばれた。攻めの強い棋風で「攻撃手」のニックネームを持つ。

経歴

7歳の時に父から碁を教わり、小学3年生の時に少年国手戦に優勝し3連覇。1979年小学6年で全国アマチュア囲碁選手権で優勝。中学3年で日中韓学生大会の代表。1983年最年少でアマチュア国手戦優勝。1984年18歳で世界アマチュア囲碁選手権戦に準優勝。同年、韓国棋院初段となる。沖岩高校卒業。1987年に兵役。

1986年に新王戦優勝。1989年、二段で大王戦で曺薫鉉に挑戦し、3勝1敗で初タイトル。1989年、第1期棋聖戦リーグ5勝2敗で、6勝1敗の曺薫鉉に次いで2位となり、曺薫鉉との決勝七番勝負に進むが2-4で敗退。1990年第2期は李昌鎬とのプレーオフを制して挑戦者となり、四段で曺薫鉉に挑戦し、4勝1敗1ジゴで奪取、曺、徐の二強に迫る若手として李昌鎬と並んで注目される。1991年に李昌鎬を4-3で破り王位戦優勝、以後4連覇。1993年、世界囲碁選手権富士通杯に優勝して世界棋戦初優勝、囲碁文化賞最優秀棋士賞受賞。1995年七段。1996年に推薦により九段昇段。その後、応昌期杯、三星火災杯、春蘭杯、LG杯などの世界選手権で優勝する。

2010年の「21世紀の朝鮮通信使-囲碁で信を通わせあう」に参加し来日、鞆の浦福禅寺 (福山市)山田規三生、彦根市で山城宏と対局[1]。2010年三星火災杯、2011年BCカード杯、2012年三星火災杯出場。2014年珠鋼杯世界囲碁団体選手権に韓国ワイルドカードチームで出場。

韓国囲碁リーグでは2009年に嶺南日報チームで優勝。中国甲級リーグ戦には2001、02、04年に出場。韓国囲碁棋士ランキングでは2005年9位。

韓国棋院常務理事として、上位選手にのみ賞金を与える賞金制トーナメントの実施を提案し、2009年開始のBCカード杯世界囲碁選手権でこれを実現させた。門下に崔精

タイトル歴

国際棋戦

囲碁世界タイトル優勝記録
順位 優勝回数 棋士名
1位 21 大韓民国の旗李昌鎬*
2位 18 大韓民国の旗李世乭
3位 11 大韓民国の旗曺薫鉉*
4位タイ 8 中華人民共和国の旗古力* | 大韓民国の旗朴廷桓* | 中華人民共和国の旗柯潔*
7位タイ 6 日本の旗武宮正樹* | 大韓民国の旗劉昌赫* | 中華人民共和国の旗孔傑*
10位タイ 4 日本の旗依田紀基* | 中華人民共和国の旗陳耀燁* |
12位タイ 3 中華人民共和国の旗兪斌* | 大韓民国の旗朴永訓* | 中華人民共和国の旗常昊*  
*は現役棋士

国内棋戦

その他の棋歴

代表局

「四強時代突入」第2期棋聖戦挑戦手合第6局 1990年12月6日 曺薫鉉棋聖(先番)-劉昌赫

白番の劉は右辺22手目(☆)から中央志向で局面を進め、白1(60手目)から17まで、中央黒を脅かしながら白模様を盛り上げて優勢となった。この後黒は左辺に突入して、コウ争いから黒は左辺を生きて、白は中央黒を切り取る分かれとなり、最後は白がヨセで差をつけて4目半勝ち。4勝1敗1ジゴで棋聖位獲得、賞金2700万ウォンを手にした。この2回目のタイトル以後多数のタイトルを獲得し、韓国碁界は曺徐二強時代から、李昌鎬を加えた四強時代へ突入した。

脚注

  1. ^ 碁ワールド』2010年12月号

外部リンク