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南剣州剣浦県(現在の[[福建省]][[南平市]][[延平区]])の出身。初めは仕官して[[恵州]][[博羅県]]の主簿となったが、その地の学者・[[楊時]]が二程([[程顥]]・[[程頤]])の学に通じていることを聞き、その門下となった。しばらくして同門千人中第一と称せられるようになった。後に程頤の学風を慕い、財産を売り払いその下で学問を続けることにした。学業が成就して故郷に帰ると、仕官をやめ羅浮山中に一室を築いて学問に精進した。紹興年間に没する。学者たちは羅従彦を豫章先生と称し、さらに淳祐年間に文質と諡された。潛思力行、其学一世に冠たりといわれる。かつて祖宗の故事を編纂して『遵堯録』を著し、靖康年間中に朝廷に献呈しようとしていたが、[[金 (王朝)|金国]]が来襲してきたために果たせなかったという。その他の著として『豫章文集』『春秋毛詩語解』『中庸説』『春秋指揮』がある。 |
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== 参考文献 == |
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2020年8月10日 (月) 06:33時点における版
羅 従彦(ら じゅうげん、1072年 - 1135年)は、中国北宋末から南宋初の儒学者。字は仲素。豫章先生と号する。
略伝
南剣州剣浦県(現在の福建省南平市延平区)の出身。初めは仕官して恵州博羅県の主簿となったが、その地の学者・楊時が二程(程顥・程頤)の学に通じていることを聞き、その門下となった。しばらくして同門千人中第一と称せられるようになった。後に程頤の学風を慕い、財産を売り払いその下で学問を続けることにした。学業が成就して故郷に帰ると、仕官をやめ羅浮山中に一室を築いて学問に精進した。紹興年間に没する。学者たちは羅従彦を豫章先生と称し、さらに淳祐年間に文質と諡された。潛思力行、其学一世に冠たりといわれる。かつて祖宗の故事を編纂して『遵堯録』を著し、靖康年間中に朝廷に献呈しようとしていたが、金国が来襲してきたために果たせなかったという。その他の著として『豫章文集』『春秋毛詩語解』『中庸説』『春秋指揮』がある。
参考文献
- 『宋史』列伝第187・道学2