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一方で、[[イカ]]('''オ'''ジンオ)と豚[[ばら肉|バラ肉]]([[サムギョプサル|'''サム'''ギョプサル]])を唐辛子ベースの辛いヤンニョムに漬け込んでから炒める'''オサムプルコギ'''なる料理も登場して海鮮料理店などで提供されている。材料・味覚ともプルコギとは異なるものだが、焼く前に漬け込んでおくことと、テーブルで調理しながら食べるスタイルから命名されたと考えられる。
一方で、[[イカ]]('''オ'''ジンオ)と豚[[ばら肉|バラ肉]]([[サムギョプサル|'''サム'''ギョプサル]])を唐辛子ベースの辛いヤンニョムに漬け込んでから炒める'''オサムプルコギ'''なる料理も登場して海鮮料理店などで提供されている。材料・味覚ともプルコギとは異なるものだが、焼く前に漬け込んでおくことと、テーブルで調理しながら食べるスタイルから命名されたと考えられる。


[[カルビ]]グイなどと同じく、紀元前後のころ[[満州]]の付近に居住していた民族・[[ワイ貊|濊貊]]の肉料理である'''メッチョク'''(貊炙 / ばくせき)が起源とされている。『[[釈名]]』「釈飲食」によれば、貊炙は「胡貊より出ずる」料理であり、「全体もて之を炙り、各自刀をもって割く。」すなわち丸焼きないし大きな一枚肉として焼いて、各人が切り取って食べるものであると記述されている。[[高麗]]期は国王と宰相、貴族を除けば仏教の普及により肉食が禁じられたが、13世紀からの[[元 (王朝)|元]]の支配などによって肉食の習慣と技術が復活した。[[開城市|開城]](ケソン)では、肉を柔らかくするために焼く途中で冷水に浸して再び焼くという料理'''ソリャミョク'''(雪夜覓)が名物とされた。雪夜覓は'''雪夜覓炙'''とも呼ばれている。高麗後期の肉食文化は、中国(元朝)に「高麗肉」という名前でも伝播した。この名前は中国[[北宋]]の時代、雪の夜に[[趙普]]が[[趙匡胤|太祖]]らを炭火焼の肉でもてなした故事にちなむとされている。李氏朝鮮になると、宮中では味付け肉を[[厨房]]で焼いて供する'''ノビアニ'''が作られるようになり、これが食卓で調理するプルコギに発展した。ノビアニは、刻んだ肉や切込みを入れた肉で作る[[ハンバーグ]]様の料理となって現在も[[韓国料理]]店で出される「韓定食」と呼ばれるメニューのひとつに登場することがある。
[[カルビ]]グイなどと同じく、紀元前後のころ[[満州]]の付近に居住していた民族・[[濊貊]]の肉料理である'''メッチョク'''(貊炙 / ばくせき)が起源とされている。『[[釈名]]』「釈飲食」によれば、貊炙は「胡貊より出ずる」料理であり、「全体もて之を炙り、各自刀をもって割く。」すなわち丸焼きないし大きな一枚肉として焼いて、各人が切り取って食べるものであると記述されている。[[高麗]]期は国王と宰相、貴族を除けば仏教の普及により肉食が禁じられたが、13世紀からの[[元 (王朝)|元]]の支配などによって肉食の習慣と技術が復活した。[[開城市|開城]](ケソン)では、肉を柔らかくするために焼く途中で冷水に浸して再び焼くという料理'''ソリャミョク'''(雪夜覓)が名物とされた。雪夜覓は'''雪夜覓炙'''とも呼ばれている。高麗後期の肉食文化は、中国(元朝)に「高麗肉」という名前でも伝播した。この名前は中国[[北宋]]の時代、雪の夜に[[趙普]]が[[趙匡胤|太祖]]らを炭火焼の肉でもてなした故事にちなむとされている。李氏朝鮮になると、宮中では味付け肉を[[厨房]]で焼いて供する'''ノビアニ'''が作られるようになり、これが食卓で調理するプルコギに発展した。ノビアニは、刻んだ肉や切込みを入れた肉で作る[[ハンバーグ]]様の料理となって現在も[[韓国料理]]店で出される「韓定食」と呼ばれるメニューのひとつに登場することがある。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2020年8月10日 (月) 06:42時点における版

プルコギ
各種表記
ハングル 불고기
漢字 火肉
発音 プルコギ
ローマ字 bulgogi(2000年式
pulgogi(MR式
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プルコギは、朝鮮半島の代表的な料理の一つ。醤油ベースで甘口の下味をつけた薄切りの牛肉を、野菜春雨と共に焼く、あるいは煮る、朝鮮戦争最中に庶民の間で生まれた料理[1]である。

概要

「プル」()は「火」、「コギ」(고기)は「肉」の意味だが、日本でいう「焼肉」とはかなり異なり、むしろすき焼きに近い。李氏朝鮮時代に一部の貴族階級の冠婚葬祭用の高級宮中料理としてのみ肉食文化が発展した。しかし、醤油ベースのプルコギとは全く異なり、スタイルも焼いた肉を盛り付けてから食べるような高級料理だった。韓国農水産食品流通公社によるとプルコギの正確な始まりは朝鮮戦争北朝鮮の攻撃で家を失ったため、庶民が屋外でコンロを囲んで食事をするようになり、醤油ベースで味付けをしたあとに鉄板で焼いて食べたことからである[1]。醤油・砂糖蜂蜜清酒ごま油などの調味料と、おろしたニンニクショウガ、さらにナシリンゴなどもおろして加えてよく混ぜたヤンニョムに、薄切り肉(牛ロースヒレなど)を漬ける。漬ける時間は肉の質やレシピなどにより30分から一晩とさまざまである。漬けた肉は玉ねぎ長ねぎきのこ・春雨などと共に焼いて、あるいは煮て、好みによってはサンチュなどに包んで食べる。

飲食店などではテーブルで、プルコギパン(불고기판、プルコギ専用の)を使って調理される。一般にプルコギパンは中央が盛り上がっており、周辺に溜まった肉汁に漬けながら中央で肉や野菜を焼き、煮る。最初から鍋の縁にスープを張る店もある。他にも、網で焼いたり、また平たい普通の鍋で煮て作ることもあるなど、地域や店、家庭によって調理方法はさまざまである。プルコギパン自体も材質・形状など多種多様に開発されている。できあがりは日本のすき焼きに近いが、単に肉野菜炒めのようなものや、具だくさんのスープ料理になることもある。肉は主に牛ロースやヒレなど赤身が使われる。豚肉を使えばテジプルコギ돼지불고기)となる。

ヤンニョムにナシ・リンゴ、さらに近年はキウイなどの果物を用いるのは、甘味・風味を加えると共に、肉を柔らかくするためである。肉を柔らかくするために、繊維を断ち切るような切り方をしたり、ヤンニョムに漬ける前に砂糖・清酒・ナシの果汁などを直接揉み込むといった工夫が加えられる。

上述のように材料や調理方法は多彩である。炭火で網焼きするスタイルや、下味は調理する直前につけるスタイルなどが生まれつつある。また、キムパブにこの肉を入れた「プルコギキムパブ」なども登場し、日本ではそのままご飯に乗せた「プルコギ」を見かける。さらに、プルコギ味の肉を乗せて焼いた「プルコギピザ」や、ハンバーガーのミートパティにプルコギの味付けをした「プルコギバーガー」など、その味は韓国料理以外にも広がっている。

一方で、イカジンオ)と豚バラ肉サムギョプサル)を唐辛子ベースの辛いヤンニョムに漬け込んでから炒めるオサムプルコギなる料理も登場して海鮮料理店などで提供されている。材料・味覚ともプルコギとは異なるものだが、焼く前に漬け込んでおくことと、テーブルで調理しながら食べるスタイルから命名されたと考えられる。

カルビグイなどと同じく、紀元前後のころ満州の付近に居住していた民族・濊貊の肉料理であるメッチョク(貊炙 / ばくせき)が起源とされている。『釈名』「釈飲食」によれば、貊炙は「胡貊より出ずる」料理であり、「全体もて之を炙り、各自刀をもって割く。」すなわち丸焼きないし大きな一枚肉として焼いて、各人が切り取って食べるものであると記述されている。高麗期は国王と宰相、貴族を除けば仏教の普及により肉食が禁じられたが、13世紀からのの支配などによって肉食の習慣と技術が復活した。開城(ケソン)では、肉を柔らかくするために焼く途中で冷水に浸して再び焼くという料理ソリャミョク(雪夜覓)が名物とされた。雪夜覓は雪夜覓炙とも呼ばれている。高麗後期の肉食文化は、中国(元朝)に「高麗肉」という名前でも伝播した。この名前は中国北宋の時代、雪の夜に趙普太祖らを炭火焼の肉でもてなした故事にちなむとされている。李氏朝鮮になると、宮中では味付け肉を厨房で焼いて供するノビアニが作られるようになり、これが食卓で調理するプルコギに発展した。ノビアニは、刻んだ肉や切込みを入れた肉で作るハンバーグ様の料理となって現在も韓国料理店で出される「韓定食」と呼ばれるメニューのひとつに登場することがある。

脚注

  1. ^ a b 焼肉文化と韓国の肉食の歴史・焼肉の起源|韓国農水産食品流通公社”. 韓国農水産食品流通公社. 2018年10月4日閲覧。

関連項目