コンテンツにスキップ

「孫丹林」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 「高凌イ」→「高凌霨」他、人物記事の改名に伴うリンク修正依頼 (高凌霨) - log
 
37行目: 37行目:
! {{CHN1912}}([[北京政府]])
! {{CHN1912}}([[北京政府]])
{{先代次代|内務総長(代理)|<small>[[1922年]]7月 - 8月</small>|[[譚延闓]]|[[田文烈]]}}
{{先代次代|内務総長(代理)|<small>[[1922年]]7月 - 8月</small>|[[譚延闓]]|[[田文烈]]}}
{{先代次代|内務総長(署理)|<small>[[1922年]]9月 - 11月</small>|[[田文烈]]|[[高凌イ|高凌&#x9728;]]}}
{{先代次代|内務総長(署理)|<small>[[1922年]]9月 - 11月</small>|[[田文烈]]|[[高凌]]}}
|}
|}



2020年8月14日 (金) 11:26時点における最新版

孫丹林
『改訂 現代支那人名鑑』(1928年)
プロフィール
出生: 1872年同治11年)
死去: 不詳
出身地: 清の旗 山東省登州府蓬莱県
職業: 政治家
各種表記
繁体字 孫丹林
簡体字 孙丹林
拼音 Sūn Dānlín
ラテン字 Sun Tan-lin
和名表記: そん たんりん
発音転記: スン ダンリン
テンプレートを表示

孫 丹林(そん たんりん)は中華民国の政治家。北京政府の要人。翰丞

事跡[編集]

山東大学を卒業。1911年宣統3年)、辛亥革命の際に登州で軍政府が樹立されると、その秘書長兼総参謀として推戴された。その後、高苑知県、直魯巡閲使署秘書長を歴任する。

1922年民国11年)6月、北京政府の内務部次長となる。同年7月に内務総長を代理、9月に同職を署理した。そのほかに、督弁鄭州商埠事宜をつとめている。

1927年(民国16年)、上海で中国興業銀行総経理となった。1937年(民国26年)に日中戦争(抗日戦争)が勃発すると、国民政府外交部特派員として日本との交渉にあたった。

その後、孫丹林の行方は不明である。

参考文献[編集]

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
 中華民国の旗 中華民国北京政府
先代
譚延闓
内務総長(代理)
1922年7月 - 8月
次代
田文烈
先代
田文烈
内務総長(署理)
1922年9月 - 11月
次代
高凌霨