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'''夏 鑾'''(か らん、''Xia Luan''、[[1802年]] - [[1854年]])。字は'''鳴之'''。[[清]]の官僚、[[湘軍]]の指揮官。
'''夏 鑾'''(か らん、''Xia Luan''、[[1802年]] - [[1854年]])。字は'''鳴之'''。[[清]]の官僚、[[湘軍]]の指揮官。


[[江蘇省]]上元出身。[[貢生]]であったが、[[広西省]]に赴いて[[陳亜貴]]の蜂起の鎮圧に参加した。その後、湘軍を創設した[[曽国藩]]に招かれ、[[チョ汝航|褚汝航]]とともに水軍の創設にあたって、軍船の建造や軍制の制定を手掛けた。[[1854年]]、太平天国の[[西征 (太平天国)|西征軍]]と戦って、[[岳陽市|岳州]]・[[湘潭市|湘潭]]を奪回し、同知に昇進した。その後、城陵機の戦いでは褚汝航が水路を、夏鑾が陸路をとることになったが、伏兵に襲われて戦死した。
[[江蘇省]]上元出身。[[貢生]]であったが、[[広西省]]に赴いて[[陳亜貴]]の蜂起の鎮圧に参加した。その後、湘軍を創設した[[曽国藩]]に招かれ、[[褚汝航]]とともに水軍の創設にあたって、軍船の建造や軍制の制定を手掛けた。[[1854年]]、太平天国の[[西征 (太平天国)|西征軍]]と戦って、[[岳陽市|岳州]]・[[湘潭市|湘潭]]を奪回し、同知に昇進した。その後、城陵機の戦いでは褚汝航が水路を、夏鑾が陸路をとることになったが、伏兵に襲われて戦死した。


==出典==
==出典==

2020年8月15日 (土) 00:37時点における最新版

夏 鑾(か らん、Xia Luan1802年 - 1854年)。字は鳴之の官僚、湘軍の指揮官。

江蘇省上元出身。貢生であったが、広西省に赴いて陳亜貴の蜂起の鎮圧に参加した。その後、湘軍を創設した曽国藩に招かれ、褚汝航とともに水軍の創設にあたって、軍船の建造や軍制の制定を手掛けた。1854年、太平天国の西征軍と戦って、岳州湘潭を奪回し、同知に昇進した。その後、城陵機の戦いでは褚汝航が水路を、夏鑾が陸路をとることになったが、伏兵に襲われて戦死した。

出典[編集]

  • 清史稿』巻490・列伝277 忠義四