「ヘンリー・カニンガム (初代カニンガム侯爵)」の版間の差分
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[[1787年]]5月に父の死により第3代[[カニンガム男爵]]位を継承した。[[1789年]]5月には[[ロンドン考古学協会|考古学協会]]の[[フェロー]]となる<ref name="thepeerage.com"/>。同年12月にはアイルランド貴族爵位「カウンティ・オブ・マースにおけるスレーンの'''カニンガム子爵'''(Viscount Conyngham, of Slane in the County of Meath)」に叙せられた<ref>{{London Gazette |issue=13156 |date=8 December 1789 |startpage=773 }}</ref>。[[1797年]]にはアイルランド貴族爵位「カウンティ・オブ・ドニゴールにおけるマウント・チャールズの'''マウント・チャールズ子爵'''(Viscount Mount Charles, of Mount Charles in the County of Donegal)」と「カウンティ・オブ・ドニゴールにおけるマウント・チャールズの'''カニンガム伯爵'''」に叙せられた<ref>{{London Gazette |issue=14064 |date=11 November 1797 |startpage=1081 }}</ref>。 |
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アイルランド併合後の[[1801年]]にアイルランド貴族の[[貴族代表議員]]に選出され、[[貴族院 (イギリス)|イギリス貴族院]]に議席を保有した。同年[[聖パトリック勲章]]ナイトに叙せられた。[[1803年]]から[[1831年]]にかけてはカウンティ・ドニゴール総督(Governor of County Donegal)、1808年から死去まで[[クレア |
アイルランド併合後の[[1801年]]にアイルランド貴族の[[貴族代表議員]]に選出され、[[貴族院 (イギリス)|イギリス貴族院]]に議席を保有した。同年[[聖パトリック勲章]]ナイトに叙せられた。[[1803年]]から[[1831年]]にかけてはカウンティ・ドニゴール総督(Governor of County Donegal)、1808年から死去まで[[クレア県|カウンティ・クレア]]{{仮リンク|主席治安判事|en|Custos Rotulorum}}を務めた<ref name="thepeerage.com"/>。 |
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1816年1月にはアイルランド貴族爵位「カウンティ・オブ・マースにおける'''スレーン子爵'''(Viscount Slane, in the County of Meath)」と「カウンティ・オブ・ドニゴールの'''カニンガム侯爵'''と'''マウント・チャールズ伯爵'''(Earl of Mount Charles and Marquess Conyngham, of the County of Donegal)」に叙せられた<ref>{{London Gazette |issue=17104 |date=30 January 1816 |startpage=173 }}</ref>。[[1821年]]7月には[[連合王国貴族]]カウンティ・オブ・ケントにおけるミンスター・アビーの'''ミンスター男爵'''(Baron Minster, of Minster Abbey in the County of Kent)」に叙された<ref>{{London Gazette |issue=17724 |date=14 July 1821 |startpage=1461 }}</ref>(これにより彼以降の当主は自動的に貴族院議員となる)。 |
1816年1月にはアイルランド貴族爵位「カウンティ・オブ・マースにおける'''スレーン子爵'''(Viscount Slane, in the County of Meath)」と「カウンティ・オブ・ドニゴールの'''カニンガム侯爵'''と'''マウント・チャールズ伯爵'''(Earl of Mount Charles and Marquess Conyngham, of the County of Donegal)」に叙せられた<ref>{{London Gazette |issue=17104 |date=30 January 1816 |startpage=173 }}</ref>。[[1821年]]7月には[[連合王国貴族]]カウンティ・オブ・ケントにおけるミンスター・アビーの'''ミンスター男爵'''(Baron Minster, of Minster Abbey in the County of Kent)」に叙された<ref>{{London Gazette |issue=17724 |date=14 July 1821 |startpage=1461 }}</ref>(これにより彼以降の当主は自動的に貴族院議員となる)。 |
2020年8月30日 (日) 22:38時点における版
初代カニンガム侯爵ヘンリー・バートン・カニンガム(英: Henry Burton Conyngham, 1st Marquess Conyngham, KP,GCH,PC, FRS、1766年12月26日-1832年12月28日)は、イギリスの政治家・貴族。
経歴
1766年12月26日、アイルランド貴族の第2代カニンガム男爵フランシス・カニンガムとその妻エリザベス(旧姓クレメンツ)の間の長男としてロンドンに生まれる[1]
1787年5月に父の死により第3代カニンガム男爵位を継承した。1789年5月には考古学協会のフェローとなる[1]。同年12月にはアイルランド貴族爵位「カウンティ・オブ・マースにおけるスレーンのカニンガム子爵(Viscount Conyngham, of Slane in the County of Meath)」に叙せられた[2]。1797年にはアイルランド貴族爵位「カウンティ・オブ・ドニゴールにおけるマウント・チャールズのマウント・チャールズ子爵(Viscount Mount Charles, of Mount Charles in the County of Donegal)」と「カウンティ・オブ・ドニゴールにおけるマウント・チャールズのカニンガム伯爵」に叙せられた[3]。
アイルランド併合後の1801年にアイルランド貴族の貴族代表議員に選出され、イギリス貴族院に議席を保有した。同年聖パトリック勲章ナイトに叙せられた。1803年から1831年にかけてはカウンティ・ドニゴール総督(Governor of County Donegal)、1808年から死去までカウンティ・クレア主席治安判事を務めた[1]。
1816年1月にはアイルランド貴族爵位「カウンティ・オブ・マースにおけるスレーン子爵(Viscount Slane, in the County of Meath)」と「カウンティ・オブ・ドニゴールのカニンガム侯爵とマウント・チャールズ伯爵(Earl of Mount Charles and Marquess Conyngham, of the County of Donegal)」に叙せられた[4]。1821年7月には連合王国貴族カウンティ・オブ・ケントにおけるミンスター・アビーのミンスター男爵(Baron Minster, of Minster Abbey in the County of Kent)」に叙された[5](これにより彼以降の当主は自動的に貴族院議員となる)。
同年12月に枢密顧問官に列するとともに家政長官に就任し[6] 、1830年まで在職した[1]。
また1829年から死去までウィンザー城管理長官を務めた[1]。
1832年12月28日、ロンドンのハミルトン・ハウスで死去[1]。
栄典
爵位
- 1787年5月22日、第3代カニンガム男爵(1781年創設アイルランド貴族爵位)
- 1789年12月6日、初代カニンガム子爵(アイルランド貴族爵位)
- 1797年12月27日、初代カニンガム伯爵(アイルランド貴族爵位)
- 1797年12月27日、初代マウント・チャールズ子爵(アイルランド貴族爵位)
- 1816年1月15日、初代カニンガム侯爵(アイルランド貴族)
- 1816年1月15日、初代マウント・チャールズ伯爵(アイルランド貴族)
- 1816年1月15日、初代スレーン子爵(アイルランド貴族)
- 1821年7月17日、初代ミンスター男爵(連合王国貴族爵位)[1]
勲章
家族
銀行家ジョゼフ・デニソンの娘エリザベスと結婚し、彼女との間に以下の5子を儲けた[1]。
- 第1子(長女)エリザベス・ヘンリエッタ・カニンガム (?-1839) : 第10代ハントリー侯爵チャールズ・ゴードンと結婚
- 第2子(次女)マリア・ハリエット・カニンガム (?-1843) : 初代アスラムニー男爵ウィリアム・サマーヴィルと結婚
- 第3子(長男)ヘンリー・フランシス・カニンガム (1797-1824) : 政治家。儀礼称号でマウント・チャールズ伯爵。父に先立つ
- 第4子(次男)フランシス・ナサニエル・カニンガム (1797-1876) : 政治家。第2代カニンガム侯爵
- 第5子(三男)アルバート・デニソン・カニンガム (1805-1860) : 政治家。初代ロンデスボロー男爵に叙される。デニソンに改姓
脚注
出典
- ^ a b c d e f g h i Lundy, Darryl. “General Sir Henry Conyngham, 1st Marquess Conyngham” (英語). thepeerage.com. 2015年8月27日閲覧。
- ^ "No. 13156". The London Gazette (英語). 8 December 1789.
- ^ "No. 14064". The London Gazette (英語). 11 November 1797.
- ^ "No. 17104". The London Gazette (英語). 30 January 1816.
- ^ "No. 17724". The London Gazette (英語). 14 July 1821.
- ^ "No. 17772". The London Gazette (英語). 11 December 1821.
議会 | ||
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先代 新設 |
アイルランド貴族代表議員 1800年-1832年 |
次代 第2代ダウンズ男爵 |
公職 | ||
先代 初代チャムリー侯爵 |
家政長官 1821年-1830年 |
次代 初代バッキンガム=シャンドス公爵 |
名誉職 | ||
先代 第3代ハリントン伯爵 |
ウィンザー城管理長官 1829年–1832年 |
次代 初代ミュンスター伯爵 |
アイルランドの爵位 | ||
爵位創設 | 初代カニンガム侯爵 1816年-1832年 |
次代 フランシス・カニンガム |
初代カニンガム伯爵 1797年-1832年 | ||
初代カニンガム子爵 1789年–1832年 | ||
先代 フランシス・カニンガム |
第3代カニンガム男爵 1787年-1832年 | |
イギリスの爵位 | ||
爵位創設 | 初代ミンスター男爵 1821年-1832年 |
次代 フランシス・カニンガム |