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「ローズ・フレンチ (初代フレンチ女男爵)」の版間の差分

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*ジェーン(1837年9月2日没) - 1787年7月18日、[[ゴンヴィル・ブロムヘッド (初代準男爵)|初代準男爵サー・ゴンヴィル・ブロムヘッド]]と結婚、子供あり
*ジェーン(1837年9月2日没) - 1787年7月18日、[[ゴンヴィル・ブロムヘッド (初代準男爵)|初代準男爵サー・ゴンヴィル・ブロムヘッド]]と結婚、子供あり


1798年3月12日、[[アイルランド貴族]]である[[ゴールウェイ]]における'''キャッスル・フレンチのフレンチ女男爵'''に叙された<ref name="Cokayne" />(継承権者は夫である初代準男爵サー・チャールズ・フレンチの男系男子に限定され、叙爵時点ではチャールズと次男マーティンがすでに死去していたため実質的には長男トマス・ハミルトンおよびその男系男子に限定されている)。本来ならば息子[[トマス・フレンチ (第2代フレンチ男爵)|トマス・ハミルトン]]が叙爵されるはずだったが、国王[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]がカトリック信者への叙爵を拒否したため、厳格なカトリック教徒であるトマス・ハミルトンと違い名目上だけでもプロテスタント信者であるローズが叙爵された<ref name="Cokayne" /><ref name="Cracroft" />。トマス・ハミルトンが叙爵される理由については『{{仮リンク|完全貴族名鑑|en|The Complete Peerage}}』では「ローズの夫も息子も親族も議会入りしたことがなく、政治などで貢献したわけでもない。息子が政府を代表して{{仮リンク|カトリック連盟 (アイルランド)|en|Catholic Convention|label=ローマ・カトリック委員会}}の成員数名を誘導しただけだった」とし<ref name="Cokayne" />、『クラクロフト貴族名鑑』はトマス・ハミルトンが[[ジョン・フェイン (第10代ウェストモーランド伯爵)|第10代ウェストモーランド伯爵ジョン・フェイン]]の[[アイルランド総督 (ロード・レフテナント)|アイルランド総督]]在任期(1790年 – 1794年)にカトリック連盟の指導者の1人として政府に貢献したとした<ref name="Cracroft" />。
1798年3月12日、[[アイルランド貴族]]である[[ゴールウェイ]]における'''キャッスル・フレンチのフレンチ女男爵'''に叙された<ref name="Cokayne" />(継承権者は夫である初代準男爵サー・チャールズ・フレンチの男系男子に限定され、叙爵時点ではチャールズと次男マーティンがすでに死去していたため実質的には長男トマス・ハミルトンおよびその男系男子に限定されている)。本来ならば息子[[トマス・フレンチ (第2代フレンチ男爵)|トマス・ハミルトン]]が叙爵されるはずだったが、国王[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]がカトリック信者への叙爵を拒否したため、厳格なカトリック教徒であるトマス・ハミルトンと違い名目上だけでもプロテスタント信者であるローズが叙爵された<ref name="Cokayne" /><ref name="Cracroft" />。トマス・ハミルトンが叙爵される理由については『{{仮リンク|完全貴族名鑑|en|The Complete Peerage}}』では「ローズの夫も息子も親族も議会入りしたことがなく、政治などで貢献したわけでもない。息子が政府を代表して{{仮リンク|カトリック連盟 (アイルランド)|en|Catholic Convention|label=ローマ・カトリック委員会}}の成員数名を誘導しただけだった」とし<ref name="Cokayne" />、『クラクロフト貴族名鑑』はトマス・ハミルトンが[[ジョン・フェイン (第10代ウェストモーランド伯爵)|第10代ウェストモーランド伯爵ジョン・フェイン]]の[[アイルランド総督 (ロード・レフテナント)|アイルランド総督]]在任期(1790年 – 1794年)にカトリック連盟の指導者の1人として政府に貢献したとした<ref name="Cracroft" />。


1805年12月8日に[[ダブリン]]で死去、息子[[トマス・フレンチ (第2代フレンチ男爵)|トマス・ハミルトン]]が爵位を継承した<ref name="Cokayne" />。
1805年12月8日に[[ダブリン]]で死去、息子[[トマス・フレンチ (第2代フレンチ男爵)|トマス・ハミルトン]]が爵位を継承した<ref name="Cokayne" />。

2020年8月30日 (日) 23:23時点における版

初代フレンチ女男爵ローズ・フレンチ英語: Rose ffrench, 1st Baroness ffrench、旧姓ディロンDillon)、1805年12月8日没)は、アイルランド貴族。夫の姓フレンチは一般的な姓と違い、頭文字が小文字でffrenchのように書かれる。

生涯

パトリック・ディロン(Patrick Dillon)とメアリー・ブラバゾン(Mary Brabazon、アンソニー・ブラバゾンの娘)の娘として生まれた[1]

1761年6月25日、チャールズ・フレンチ(1784年7月没、1779年に準男爵に叙爵)と結婚[1]、2男5女をもうけた[2]

  • トマス・ハミルトン(1765年頃 – 1814年) - 第2代フレンチ男爵
  • マーティン(1793年12月18日没)
  • クレア - エドマンド・ケリー(Edmund Kelly)と結婚
  • メアリー(1784年没)
  • キャサリン(1833年1月10日没) - 1787年12月3日、アンソニー・ブラバゾン(Anthony Brabazon)と結婚、子供あり。1804年、エドマンド・ホワイトヘッド(Edmund Whitehead)と再婚、子供あり
  • マーセラ(Marcella) - 早世
  • ジェーン(1837年9月2日没) - 1787年7月18日、初代準男爵サー・ゴンヴィル・ブロムヘッドと結婚、子供あり

1798年3月12日、アイルランド貴族であるゴールウェイ県におけるキャッスル・フレンチのフレンチ女男爵に叙された[1](継承権者は夫である初代準男爵サー・チャールズ・フレンチの男系男子に限定され、叙爵時点ではチャールズと次男マーティンがすでに死去していたため実質的には長男トマス・ハミルトンおよびその男系男子に限定されている)。本来ならば息子トマス・ハミルトンが叙爵されるはずだったが、国王ジョージ3世がカトリック信者への叙爵を拒否したため、厳格なカトリック教徒であるトマス・ハミルトンと違い名目上だけでもプロテスタント信者であるローズが叙爵された[1][2]。トマス・ハミルトンが叙爵される理由については『完全貴族名鑑』では「ローズの夫も息子も親族も議会入りしたことがなく、政治などで貢献したわけでもない。息子が政府を代表してローマ・カトリック委員会英語版の成員数名を誘導しただけだった」とし[1]、『クラクロフト貴族名鑑』はトマス・ハミルトンが第10代ウェストモーランド伯爵ジョン・フェインアイルランド総督在任期(1790年 – 1794年)にカトリック連盟の指導者の1人として政府に貢献したとした[2]

1805年12月8日にダブリンで死去、息子トマス・ハミルトンが爵位を継承した[1]

出典

  1. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 369.
  2. ^ a b c "ffrench, Baron (I, 1798)". Cracroft's Peerage (英語). 30 January 2012. 2019年12月14日閲覧
アイルランドの爵位
爵位創設 フレンチ女男爵
1798年 – 1805年
次代
トマス・ハミルトン・フレンチ