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1824年11月9日に{{仮リンク|クロンターフ (ダブリン)|en|Clontarf, Dublin|label=クロンターフ}}で死去、16日に[[ダウン県]]{{仮リンク|キルメガン|en|Kilmegan}}で埋葬された<ref name="Cokayne" />。息子{{仮リンク|ウィリアム・アンズリー (第3代アンズリー伯爵)|en|William Annesley, 3rd Earl Annesley|label=ウィリアム・リチャード}}が爵位を継承した<ref name="Cokayne" />。 |
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== 家族 == |
== 家族 == |
2020年8月31日 (月) 00:12時点における版
第2代アンズリー伯爵リチャード・アンズリー(英語: Richard Annesley, 2nd Earl Annesley PC (Ire)、1745年4月14日 – 1802年12月29日)は、アイルランド王国出身の政治家、貴族。
生涯
初代グレローリー子爵ウィリアム・アンズリーとアン・ベレスフォード(Anne Beresford、1770年5月12日没、初代ティロン伯爵マーカス・ベレスフォードの娘)の息子として、1745年4月14日に生まれた[1]。1770年にダブリンで法廷弁護士の資格を取得した[1]。
1776年から1783年までコルレイン選挙区の、1783年から1790年までセント・カニス選挙区の、1790年から1797年までニュータウナーズ選挙区の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた[2]。1797年の選挙ではブレッシントン選挙区とフォア選挙区の両方で当選し、ブレッシントン選挙区の代表として議員を務めることを選択した[2]。1800年にクロハー選挙区とミドルトン選挙区の両方で当選したが、後にミドルトン選挙区での当選無効が宣言された[2]。さらに同年にアルスター復帰不動産管理官(Escheator of Ulster)に任命される形で議員を辞任した[2]。
議員を務める傍ら、1783年にダウン州長官を、1786年から1795年までアイルランド関税長官(Commissioner of the Customs)を、1795年から1810年までアイルランド物品税長官(Commissioner of the Excise)を務め、1802年から1806年までアイルランド関税長官を再任した[1]。また、1798年にアイルランド枢密院の枢密顧問官に任命された[1]。
1802年12月19日に兄にあたる初代アンズリー伯爵フランシス・チャールズ・アンズリーが死去すると、アンズリー伯爵位を継承した[1]。
1824年11月9日にクロンターフで死去、16日にダウン県キルメガンで埋葬された[1]。息子ウィリアム・リチャードが爵位を継承した[1]。
家族
1771年9月25日、アン・ランバート(Anne Lambert、1752年 – 1822年6月30日、ロバート・ランバートの娘)と結婚[1]、4男をもうけた[3]。
- ウィリアム・リチャード(1772年 – 1838年) - 第3代アンズリー伯爵
- ロバート(1773年6月1日 – 1825年4月21日) - メアリー・アン・ガンドン(Mary Anne Gandon、1845年3月31日没、建築家ジェームズ・ガンドンの娘)と結婚、子供あり。第9代アンズリー伯爵ロバート・アンズリーの先祖にあたる
- アーサー(1774年11月9日 – 1849年11月7日) - 1814年12月28日、エリザベス・マオン(Elizabeth Mahon、ジョン・マオンの娘)と結婚、子供あり
- フランシス・チャールズ(1775年11月21日 – 1832年8月5日) - 1813年7月31日、メアリー・ラドクリフ(Mary Radcliffe、1854年12月没、ウィリアム・ラドクリフの娘)と結婚、子供あり
出典
- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 169–171.
- ^ a b c d "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800". Ulster Historical Foundation (英語). 2020年4月7日閲覧。
- ^ "Annesley, Earl (I, 1789)". Cracroft's Peerage (英語). 12 May 2005. 2020年4月7日閲覧。
アイルランド議会 | ||
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先代 セオフィラス・ジョーンズ リチャード・ジャクソン |
庶民院議員(コルレイン選挙区選出) 1776年 – 1783年 同職:リチャード・ジャクソン |
次代 ジョン・ベレスフォード リチャード・ジャクソン |
先代 ジョン・マンク・メイソン ドミニク・トラント |
庶民院議員(セント・カニス選挙区選出) 1783年 – 1790年 同職:ジョン・マンク・メイソン |
次代 ジョン・マンク・メイソン マーカス・ベレスフォード |
先代 ヘンリー・アレクサンダー サー・ウィリアム・モレス準男爵 |
庶民院議員(ニュータウナーズ選挙区選出) 1790年 – 1797年 同職:ジョン・ラ・トゥッシュ(父) 1790年 – 1796年 ジョン・ラ・トゥッシュ(子) 1796年 – 1798年 |
次代 サー・ジョン・ブラキエール準男爵 ロバート・アレクサンダー |
先代 デイヴィッド・カー ジョン・ライリー |
庶民院議員(ブレッシントン選挙区選出) 1798年 – 1800年 同職:ジョン・ライリー |
次代 ウィリアム・サウリン ジョン・ライリー |
先代 リチャード・マジェニス ジョン・マカートニー |
庶民院議員(フォア選挙区選出) 1798年 同職:ロバート・ロス |
次代 クロムウェル・プリース サー・ジョン・タイド準男爵 |
先代 ジョナー・バリントン トマス・バーグ |
庶民院議員(クロハー選挙区選出) 1800年 同職:ウィリアム・ガーディナー |
次代 ジョン・キング チャールズ・ボール |
先代 ベンジャミン・ブレイク・ウッドワード ジョン・フランシス・クラドック |
庶民院議員(ミドルトン選挙区選出) 1800年 同職:ベンジャミン・ブレイク・ウッドワード |
選挙区廃止 |
アイルランドの爵位 | ||
先代 フランシス・チャールズ・アンズリー |
アンズリー伯爵 1802年 – 1824年 |
次代 ウィリアム・リチャード・アンズリー |