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「リチャード・アンズリー (第2代アンズリー伯爵)」の版間の差分

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1802年12月19日に兄にあたる[[フランシス・アンズリー (初代アンズリー伯爵)|初代アンズリー伯爵フランシス・チャールズ・アンズリー]]が死去すると、[[アンズリー伯爵]]位を継承した<ref name="Cokayne" />。
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== 家族 ==
== 家族 ==

2020年8月31日 (月) 00:12時点における版

チャールズ・ターナー英語版によるメゾチント、1806年出版。

第2代アンズリー伯爵リチャード・アンズリー英語: Richard Annesley, 2nd Earl Annesley PC (Ire)1745年4月14日1802年12月29日)は、アイルランド王国出身の政治家、貴族。

生涯

初代グレローリー子爵ウィリアム・アンズリーとアン・ベレスフォード(Anne Beresford、1770年5月12日没、初代ティロン伯爵マーカス・ベレスフォードの娘)の息子として、1745年4月14日に生まれた[1]。1770年にダブリン法廷弁護士の資格を取得した[1]

1776年から1783年までコルレイン選挙区英語版の、1783年から1790年までセント・カニス選挙区英語版の、1790年から1797年までニュータウナーズ選挙区英語版の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた[2]。1797年の選挙ではブレッシントン選挙区英語版フォア選挙区英語版の両方で当選し、ブレッシントン選挙区の代表として議員を務めることを選択した[2]。1800年にクロハー選挙区英語版ミドルトン選挙区英語版の両方で当選したが、後にミドルトン選挙区での当選無効が宣言された[2]。さらに同年にアルスター復帰不動産管理官英語版Escheator of Ulster)に任命される形で議員を辞任した[2]

議員を務める傍ら、1783年にダウン州長官英語版を、1786年から1795年までアイルランド関税長官(Commissioner of the Customs)を、1795年から1810年までアイルランド物品税長官(Commissioner of the Excise)を務め、1802年から1806年までアイルランド関税長官を再任した[1]。また、1798年にアイルランド枢密院英語版の枢密顧問官に任命された[1]

1802年12月19日に兄にあたる初代アンズリー伯爵フランシス・チャールズ・アンズリーが死去すると、アンズリー伯爵位を継承した[1]

1824年11月9日にクロンターフ英語版で死去、16日にダウン県キルメガン英語版で埋葬された[1]。息子ウィリアム・リチャード英語版が爵位を継承した[1]

家族

1771年9月25日、アン・ランバート(Anne Lambert、1752年 – 1822年6月30日、ロバート・ランバートの娘)と結婚[1]、4男をもうけた[3]

  • ウィリアム・リチャード英語版(1772年 – 1838年) - 第3代アンズリー伯爵
  • ロバート(1773年6月1日 – 1825年4月21日) - メアリー・アン・ガンドン(Mary Anne Gandon、1845年3月31日没、建築家ジェームズ・ガンドン英語版の娘)と結婚、子供あり。第9代アンズリー伯爵ロバート・アンズリーの先祖にあたる
  • アーサー(1774年11月9日 – 1849年11月7日) - 1814年12月28日、エリザベス・マオン(Elizabeth Mahon、ジョン・マオンの娘)と結婚、子供あり
  • フランシス・チャールズ(1775年11月21日 – 1832年8月5日) - 1813年7月31日、メアリー・ラドクリフ(Mary Radcliffe、1854年12月没、ウィリアム・ラドクリフの娘)と結婚、子供あり

出典

  1. ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 169–171.
  2. ^ a b c d "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800". Ulster Historical Foundation (英語). 2020年4月7日閲覧
  3. ^ "Annesley, Earl (I, 1789)". Cracroft's Peerage (英語). 12 May 2005. 2020年4月7日閲覧
アイルランド議会
先代
セオフィラス・ジョーンズ英語版
リチャード・ジャクソン英語版
庶民院議員(コルレイン選挙区英語版選出)
1776年 – 1783年
同職:リチャード・ジャクソン英語版
次代
ジョン・ベレスフォード英語版
リチャード・ジャクソン英語版
先代
ジョン・マンク・メイソン英語版
ドミニク・トラント
庶民院議員(セント・カニス選挙区英語版選出)
1783年 – 1790年
同職:ジョン・マンク・メイソン英語版
次代
ジョン・マンク・メイソン英語版
マーカス・ベレスフォード英語版
先代
ヘンリー・アレクサンダー英語版
サー・ウィリアム・モレス準男爵
庶民院議員(ニュータウナーズ選挙区英語版選出)
1790年 – 1797年
同職:ジョン・ラ・トゥッシュ(父)英語版 1790年 – 1796年
ジョン・ラ・トゥッシュ(子)英語版 1796年 – 1798年
次代
サー・ジョン・ブラキエール準男爵英語版
ロバート・アレクサンダー
先代
デイヴィッド・カー
ジョン・ライリー
庶民院議員(ブレッシントン選挙区英語版選出)
1798年 – 1800年
同職:ジョン・ライリー
次代
ウィリアム・サウリン英語版
ジョン・ライリー
先代
リチャード・マジェニス英語版
ジョン・マカートニー英語版
庶民院議員(フォア選挙区英語版選出)
1798年
同職:ロバート・ロス
次代
クロムウェル・プリース
サー・ジョン・タイド準男爵
先代
ジョナー・バリントン英語版
トマス・バーグ
庶民院議員(クロハー選挙区英語版選出)
1800年
同職:ウィリアム・ガーディナー英語版
次代
ジョン・キング
チャールズ・ボール
先代
ベンジャミン・ブレイク・ウッドワード
ジョン・フランシス・クラドック
庶民院議員(ミドルトン選挙区英語版選出)
1800年
同職:ベンジャミン・ブレイク・ウッドワード
選挙区廃止
アイルランドの爵位
先代
フランシス・チャールズ・アンズリー
アンズリー伯爵
1802年 – 1824年
次代
ウィリアム・リチャード・アンズリー英語版