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「クロム・クルアハ」の版間の差分

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『{{仮リンク|三部作パトリック伝|en|Vita tripartita Sancti Patricii}}』もこの神について言及している<ref>ここではCenn Cruiachとされる。</ref>。マグ・シュレーフトに建てられたクロム・クルアハの像は金と銀で覆われており、その周囲には黄銅で覆われた12の像が配置されていた<ref>{{harvnb|Strokes|1887|pp=91-93}}[https://archive.org/stream/tripartitepatrick00stokuoft#page/91/mode/2up]</ref>。[[パトリキウス|聖パトリック]]はクロム・クルアハの偶像を破壊し、信仰を禁じたという。
『{{仮リンク|三部作パトリック伝|en|Vita tripartita Sancti Patricii}}』もこの神について言及している<ref>ここではCenn Cruiachとされる。</ref>。マグ・シュレーフトに建てられたクロム・クルアハの像は金と銀で覆われており、その周囲には黄銅で覆われた12の像が配置されていた<ref>{{harvnb|Strokes|1887|pp=91-93}}[https://archive.org/stream/tripartitepatrick00stokuoft#page/91/mode/2up]</ref>。[[パトリキウス|聖パトリック]]はクロム・クルアハの偶像を破壊し、信仰を禁じたという。


この神の名から付けられた地名に、[[北アイルランド]]・[[ファーマナ]]のクロム・クルーイック・ウェイ<ref>Crom Cruaich Way. {{coord|54.299159|-7.872187|name=クロム・クルーイック・ウェイ}}</ref>や、[[オーストラリア]]・{{仮リンク|ワールンバングル国立公園|en|Warrumbungle National Park}}のセン・クルーイック山<ref>Mount Cenn Cruaich. {{coord|-31.331667|149.017778|name=セン・クルーイック山}}</ref>がある。
この神の名から付けられた地名に、[[北アイルランド]]・[[ファーマナ]]のクロム・クルーイック・ウェイ<ref>Crom Cruaich Way. {{coord|54.299159|-7.872187|name=クロム・クルーイック・ウェイ}}</ref>や、[[オーストラリア]]・{{仮リンク|ワールンバングル国立公園|en|Warrumbungle National Park}}のセン・クルーイック山<ref>Mount Cenn Cruaich. {{coord|-31.331667|149.017778|name=セン・クルーイック山}}</ref>がある。


== 現代に残る痕跡 ==
== 現代に残る痕跡 ==

2020年8月31日 (月) 00:12時点における版

クロム・クルアハと周囲の12の像を破壊する聖パトリック。ジョン・インズによる挿絵

クロム・クルアハCrom Cruach)は、アイルランドで信仰されていたとされる戦いと死と太陽の。人身御供を捧げる儀式が行われていたとされる[1][2]。偽史書である『アイルランド来寇の書』はミレー族がこの神を信仰していたとする。息子はClonnach[3]クロム・ドー英語版はこの神を元にエウヘメリズムによって創りだされた架空の人物であり[4]、Clonnachはこのクロム・ドーの息子だともされる[3]

尾島 (1981, p. 34)は「忌わしい三日月」という和名を与えている。

概要

クロム・クルアハの位置(アイルランド内)
クロム・クルアハ
マグ・シュレーフトの位置。キャバン県のバンアーキー湖(Bunerky Lough)付近。

伝説上の王ティゲルンワス英語版は、アイルランドを統一したミレー族エーレウォーン英語版玄孫にあたる。『来寇の書』には彼が王として成した功績が並べ上げられているが、その治世の最後[5]、彼はサウイン英語版の夜に自ら開いた大集会において四分の三の同胞たちと共に死亡し、伝説から姿を消す[6]。稿本によってはこの集会はクロム・クルアハを崇めるための物であったとしている [7]。この事件が由来となって集会が開かれた場所はマグ・シュレーフト英語版(礼拝の平原)[8]と名付けられた[9]

三部作パトリック伝英語版』もこの神について言及している[10]。マグ・シュレーフトに建てられたクロム・クルアハの像は金と銀で覆われており、その周囲には黄銅で覆われた12の像が配置されていた[11]聖パトリックはクロム・クルアハの偶像を破壊し、信仰を禁じたという。

この神の名から付けられた地名に、北アイルランドファーマナ県のクロム・クルーイック・ウェイ[12]や、オーストラリアワールンバングル国立公園英語版のセン・クルーイック山[13]がある。

現代に残る痕跡

コーク県マーケットタウンマクルーム英語版の名の由来には諸説があるが、その中の一つにこの神に由来するとする物がある[14]

マカリスター英語版によれば、イギリスやアメリカのブギーマンの一種、ブラッディーボーンズ英語版(ローヘッドとも)はこのクロム・クロアハが形を変えて伝わった物である。クロム・クロアハという名には「骨」を意味する言葉は含まれていないが、これについてはcromをcnámh(骨)と取り違えて訳したものであると説明されている。[15]

  1. ^ マルカル 2001, p. 62.
  2. ^ 尾島 1981, p. 34.
  3. ^ a b MacKillop 2004"Clonnach"
  4. ^ Crom Dubh - Oxford Reference”. Oxford University Press. 2015年11月26日閲覧。
  5. ^ アイルランド王国年代記英語版』においては紀元前1544年、『アイルランド史英語版』では紀元前1159年。
  6. ^ デイヴィス (2006, p. 113)はティゲルンワスの死因を「熱狂的な騒ぎに巻き込まれた」ためとしている。
  7. ^ Macalister 1956, p. 203[1]
  8. ^ 別宮訳(デイヴィス 2006, p. 113)
  9. ^ Macalister 1956, pp. 203, 209[2][3]
  10. ^ ここではCenn Cruiachとされる。
  11. ^ Strokes 1887, pp. 91–93[4]
  12. ^ Crom Cruaich Way. 北緯54度17分57秒 西経7度52分20秒 / 北緯54.299159度 西経7.872187度 / 54.299159; -7.872187 (クロム・クルーイック・ウェイ)
  13. ^ Mount Cenn Cruaich. 南緯31度19分54秒 東経149度01分04秒 / 南緯31.331667度 東経149.017778度 / -31.331667; 149.017778 (セン・クルーイック山)
  14. ^ Historic Places around Macroom - マクルーム公式サイト
  15. ^ Macalister 1935, p. 69.

出典

  • Macalister, R.A.Stewart (1935), Ancient Ireland: A Study in the Lessons of Archaeology and History 
  • Macalister, R.A.Stewart (1956), Lebor Gabála Érenn THE BOOK OF THE TAKING OF THE IRELAND PART V, Dublin: The Educational Company of Ireland 
  • MacKillop, James (2004), A Dictionary of Celtic Mythology, Oxford University Press, ISBN 9780198609674 
  • Stokes, Whitley (1887), The Tripartite life of Patrick : with other documents relating to that saint 
  • マルカル, ジョン 著、金光仁三郎渡邉浩司 訳『ケルト文化事典』大修館書店、2001年。ISBN 4469012726 
  • デイヴィス, ノーマン 著、別宮貞徳 訳『アイルズ 西の島の歴史』共同通信社、2006年。ISBN 4764105802 
  • 尾島庄太郎; 鈴木弘『アイルランド文学史』(再)北星堂書店、1981年。