コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「コロフィン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
Cewbot (会話 | 投稿記録)
88行目: 88行目:


{{デフォルトソート:ころふいん}}
{{デフォルトソート:ころふいん}}
[[Category:クレア]]
[[Category:クレア]]
[[Category:アイルランドのタウン]]
[[Category:アイルランドのタウン]]

2020年9月2日 (水) 12:59時点における版

コロフィン

Cora Finne
Corofin
町(タウン)
メイン通り
メイン通り
コロフィンの位置(アイルランド内)
コロフィン
コロフィン
座標:北緯52度56分43秒 西経9度03分43秒 / 北緯52.945225度 西経9.062004度 / 52.945225; -9.062004座標: 北緯52度56分43秒 西経9度03分43秒 / 北緯52.945225度 西経9.062004度 / 52.945225; -9.062004
アイルランド
地方 マンスター
クレア県
標高
30 m
人口
(2016年)[1]
 • 合計 776人
等時帯 UTC+0 (WET)
 • 夏時間 UTC-1 (IST)
ウェブサイト 公式ウェブサイト

コロフィン: Corofin: Cora Finne[2])は、アイルランドクレア県の北にあるファーガス川沿いの風光明媚な村である。

地名

コロフィンは「バレンへの入口」や「釣り人の天国」と呼ばれている。また、アイルランドの画家フレドリック・ウィリアム・バートンの誕生の地である[3]

この町のアイルランド語の名前は本来「Coradh Finne」で、これは「フィンの」の意味である[4]。この名前の歴史的な由来はフィン・マックールである。言い伝えでは、フィンがこの地でファーガス川を渡ったことから名前が付いている。

地理

エニスから北に12km(7.5マイル)、地方道R460号とR476号の交差点にある。バレン石灰岩台地の南端にある。コロフィンは、インチキンの男爵領のキルナボーイの教区にある[5]

キラローのローマカトリック教区のキルナボーイ教区にあり、教区には、コロフィンの聖ブリジット教会、キルナボーイの聖ジョセフ教会、ラスの聖マリア教会の3つの教会が存在する[6]

コロフィンは画家のフレデリック・ウィリアム・バートンの幼年期の地でもある[4]

2016年中央統計局によると、人口は776人で、2011年の689人から増加した[1][7]

観光

聖カタリナ教会

クロス・インニーンボーイ

チャーチ通りには、かつてのアイルランド聖公会の聖キャサリン教会がある。1715年から1720年の間にキャサリン・ナイトレイによって建設された。1820年頃に改装され、1829年には尖塔が追加された[8]。教会は現在、クレア州伝統・系図研究センターによって使用されている。

アイルランド国定記念物のラフアン・ヒル・T形十字(Roughan Hill Tau Cross)としても知られるクロス・インニーンボーイ(Cross Inneenboy)は、石のT形十字であり、現在は安全に保管目的のために中心に移動された。

インチキン城

インチキン城の外側
インチキン城の内側

インチキン城は、インチナ湖の北側(キルナボーイ教区)にあり、タイゲ・マクマロー・オブライエン(1466年)によって建設された。1542年に、インチキン城はマロー・オブライエンの息子、ターローが有し、最初のインチキン男爵だった。4番目の男爵であるマロー・オブライエンは、1580年に城の持ち主となった。子孫であるトーモンドの侯爵夫人は、この地所からインキン伯爵の称号を得た。アイルランドの九年戦争の間、ヒュー・ロー・オドネルはクレアを襲撃し、インチキン城は彼の副官の一人、ファーマナのマグワイアに襲われた。十一年戦争中、マロー・バーナーの兄弟であるクリストファ・ーオブライエンがここに住んでいた。マローの息子であるジョン・オブライエン大佐は、17世紀の終わり頃にインチキンを放棄した。それまでには荒廃へと悪化していた。今日、城は牧草地に囲まれた廃墟のままである。古い城の塔の一部は現在も残っており、17世紀後半の宴会場の大部分も残っている[8]

姉妹都市

コロフィンは、以下の都市との姉妹提携を結んでいる[9]

出身者

  • シャルトル・ブリュー(ブリティッシュコロンビア植民地の巡査長と裁判版)
  • フレデリック・ウィリアム・バートン(画家
  • トニー・キリーン(フィアナ・フォイル党政治家、元クレア選挙区国会議員と国防大臣)
  • ベンジャミン・ルーカス(17世紀のイギリス兵士)
  • ジェリー・クイン(1980年生まれのスポーツ選手)

脚注

出典

  1. ^ a b Census 2016 Sapmap Area: Settlements Corrofin”. 中央統計局 (アイルランド). 21 February 2018閲覧。
  2. ^ Corrofin, County Clare アイルランドの地名データベース. 2011年11月22日閲覧
  3. ^ John O'Donovan (1862). Topographical Poem. p. 15 
  4. ^ a b Roche, D.. The Clare Guide - Official Irish Tourist Board Guide. Bord Failte. p. 15 
  5. ^ “Corofin, Corrofin or Curofin”. Parliamentary Gazetteer of Ireland. (1845). http://www.clarelibrary.ie/eolas/coclare/places/corofin1845.htm 2014年4月2日閲覧。 
  6. ^ Corofin”. Diocese of Killaloe. 2014年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月31日閲覧。
  7. ^ Census 2011 - Table 5 Population of towns ordered by county and size, 2006 and 2011”. CSO. 4 March 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。7 January 2014閲覧。
  8. ^ a b Corofin, Places of Interest”. Clare County Library. 2 January 2017閲覧。
  9. ^ Associations culturelles de Tonquédec”. www.tonquedec.fr. 2020年6月13日閲覧。

外部リンク