コンテンツにスキップ

「南洋」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
曖昧さ回避を解除。脚注および参考文献節を追加。
Mittysleep (会話 | 投稿記録)
ページ「Nanyang (region)」の翻訳により作成
1行目: 1行目:

'''南洋'''(なんよう)。南の広い海の意。転じて、地理区分として用いられるようになった。
{{Expand English||date=}}{{Chinese|title=Nanyang <br /> 南洋|float=<!-- left|right|none (Default float position is right) -->|collapse=<!-- yes|no -->|pic=File:Relief Map of South China Sea.png|piccap=The states to the south of China around the South China Sea are regarded as part of Nanyang|picsize=<!-- 200px (Default is 260px) -->|pictooltip=<!-- image tooltip (use for [[WP:ALT|alt text]]) -->|pic2=<!-- additional image -->|piccap2=<!-- additional image caption -->|picsize2=<!-- 200px (Default is 260px) -->}}'''南陽'''(Chinese: 南洋;拼音: nányáng、なんよう)。南の広い海の意。転じて、地理区分として用いられるようになった。


== 中国史における南洋概念 ==
== 中国史における南洋概念 ==
[[宮崎市定]]によれば、当初、南方の海を指す語として用いられた「南海」は単に海そのものを指すに過ぎなかったが、やがて「南海の浜」、つまり(中原から見た大陸南端に相当する)南シナ海に面した海岸部を指す語となった{{Sfn|宮崎|1942|p=199}}。秦が設置した[[南海郡 (中国)|南海郡]]はこの語法の典型である{{Sfn|宮崎|1942|p=200}}。
[[宮崎市定]]によれば、当初、南方の海を指す語として用いられた「南海」は単に海そのものを指すに過ぎなかったが、やがて「南海の浜」、つまり(中原から見た大陸南端に相当する)南シナ海に面した海岸部を指す語となった{{Sfn|宮崎|1942|p=199}}。秦が設置した[[南海郡 (中国)|南海郡]]はこの語法の典型である{{Sfn|宮崎|1942|p=200}}。


その後、宋代の[[嶺外代答]]の記述などによれば、海洋進出によって「広大無辺なる大海を発見して之に大洋海なる名称を附」すようになり、「之と共に航海可能なる大海を呼ぶに洋を以てすることが流行し」ていく{{Sfn|宮崎|1942|p=204|ps= 原文の旧字は改めた。}}。元代の[[島夷誌略]]では南海を(フィリピンなどを指す)「東洋」と(インドなどを指す)「西洋」に区分している{{Sfn|宮崎|1942|p=205}}。
その後、宋代の[[嶺外代答]]の記述などによれば、海洋進出によって「広大無辺なる大海を発見して之に大洋海なる名称を附」すようになり、「之と共に航海可能なる大海を呼ぶに洋を以てすることが流行し」ていく{{Sfn|宮崎|1942|p=204|ps=原文の旧字は改めた。}}。元代の[[島夷誌略]]では南海を(フィリピンなどを指す)「東洋」と(インドなどを指す)「西洋」に区分している{{Sfn|宮崎|1942|p=205}}。


明代に入ると、ヨーロッパ人の来航によって地理知識は更新され、[[マテオ・リッチ]]の[[坤輿万国全図]]では、「大西洋」「小西洋(西インド洋)」「小東洋(北西太平洋)」「大東洋(東太平洋)」「西南海(南インド洋)」「東南海(南太平洋)」「南海(アラフラ海?)」などが記載されている。
明代に入ると、ヨーロッパ人の来航によって地理知識は更新され、[[マテオ・リッチ]]の[[坤輿万国全図]]では、「大西洋」「小西洋(西インド洋)」「小東洋(北西太平洋)」「大東洋(東太平洋)」「西南海(南インド洋)」「東南海(南太平洋)」「南海(アラフラ海?)」などが記載されている。
12行目: 13行目:
== 一覧 ==
== 一覧 ==
{{出典の明記| date = 2020年11月| section = 1}}
{{出典の明記| date = 2020年11月| section = 1}}

*[[東南アジア]]。「[[中国]]より南方の異国」の意味。
*[[南洋群島]]。日本の旧[[委任統治領]]。[[ミクロネシア]]のうち現在の[[パラオ共和国]]・[[ミクロネシア連邦]]・[[北マリアナ連邦]]・[[マーシャル諸島]]。
* [[東南アジア]]。「[[中国]]より南方の異国」の意味。
* [[南洋群島]]。日本の旧[[委任統治領]]。[[ミクロネシア]]のうち現在の[[パラオ共和国]]・[[ミクロネシア連邦]]・[[北マリアナ連邦]]・[[マーシャル諸島]]。
*[[清代]]の南部沿岸諸省。[[江蘇省]](現[[上海直轄市|上海]]を含む)・[[浙江省]]・[[福建省]]・[[広東省]](現[[広西自治区]]沿岸部・[[海南省]]を含む)。
* [[清代]]の南部沿岸諸省。[[江蘇省]](現[[上海直轄市|上海]]を含む)・[[浙江省]]・[[福建省]]・[[広東省]](現[[広西自治区]]沿岸部・[[海南省]]を含む)。
*「南洋」は、日本南方の島々をロマンチックな場所あるいはフロンティアとして見る概念に深く結びついた単語でもある。→[[南洋幻想]]
* 「南洋」は、日本南方の島々をロマンチックな場所あるいはフロンティアとして見る概念に深く結びついた単語でもある。→[[南洋幻想]]

== 歴史的意義 ==
[[ファイル:介绍板_二、海陆开拓.JPG|右|サムネイル|[[海のシルクロード]]の地図]]

== 経済発展 ==

== 貿易ルート ==
[[ファイル:CIA_World_Factbook_map_of_Singapore_(English).png|右|サムネイル|シンガポール-南陽における中国貿易の拠点]]

== 社会的影響 ==

== も参照してください ==

* ゴールデンケルソネス([[:en:Golden_Chersonese|Golden Chersonese]])、[[古代ギリシア|古代ギリシャ人]]からこの地域の別の金関連の名前ですが、より具体的には[[マレー半島]]を指します
* [[南洋共産党]]
* [[ヌサンタラ]]
* [[南シナ海]]
* [[東南アジア]]


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{Reflist|30em}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
{{Cite journal|journal=東洋史研究|year=1942|title=南洋を東西洋に分つ根據に就いて|volume=7|last=宮崎|first=市定|author-link=宮崎市定|issue=4|pages=197-218|language=ja|DOI=10.14989/145771|ref=harv}}
{{Cite journal|last=宮崎|first=市定|author-link=宮崎市定|year=1942|title=南洋を東西洋に分つ根據に就いて|journal=東洋史研究|volume=7|issue=4|pages=197-218|language=ja|ref=harv|DOI=10.14989/145771}}

== 外部リンク ==


* [http://www.lewismicropublishing.com/Publications/AnthropologicalEssays/UrbanDimensionsNanyangPoliticalEconomy.htm 南陽民族の政治経済学の都市的側面]
{{デフォルトソート:なんよう}}
* [http://libmma.contentdm.oclc.org/cdm/compoundobject/collection/p15324coll10/id/42850/rec/1 アート・オブ・アイランド東南アジア]、メトロポリタン美術館の全文展覧会カタログ
[[Category:歴史的地域]]
[[Category:中国の国際関係]]
[[Category:東南アジア史]]
[[Category:東南アジアの地理]]

2020年11月25日 (水) 00:25時点における版

Nanyang
南洋
The states to the south of China around the South China Sea are regarded as part of Nanyang

南陽(Chinese: 南洋;拼音: nányáng、なんよう)。南の広い海の意。転じて、地理区分として用いられるようになった。

中国史における南洋概念

宮崎市定によれば、当初、南方の海を指す語として用いられた「南海」は単に海そのものを指すに過ぎなかったが、やがて「南海の浜」、つまり(中原から見た大陸南端に相当する)南シナ海に面した海岸部を指す語となった[1]。秦が設置した南海郡はこの語法の典型である[2]

その後、宋代の嶺外代答の記述などによれば、海洋進出によって「広大無辺なる大海を発見して之に大洋海なる名称を附」すようになり、「之と共に航海可能なる大海を呼ぶに洋を以てすることが流行し」ていく[3]。元代の島夷誌略では南海を(フィリピンなどを指す)「東洋」と(インドなどを指す)「西洋」に区分している[4]

明代に入ると、ヨーロッパ人の来航によって地理知識は更新され、マテオ・リッチ坤輿万国全図では、「大西洋」「小西洋(西インド洋)」「小東洋(北西太平洋)」「大東洋(東太平洋)」「西南海(南インド洋)」「東南海(南太平洋)」「南海(アラフラ海?)」などが記載されている。

さらに時代が下り、清代の陳倫炯海国見聞録では先述の「小東洋」は「東洋」と改称され、新たに設けられた「東南洋」で台湾・フィリピン・ボルネオ方面を、同じく新設された「南洋」でインドシナ・ジャワ・スマトラ方面を指すようになった[5]

一覧

歴史的意義

海のシルクロードの地図

経済発展

貿易ルート

シンガポール-南陽における中国貿易の拠点

社会的影響

も参照してください

脚注

  1. ^ 宮崎 1942, p. 199.
  2. ^ 宮崎 1942, p. 200.
  3. ^ 宮崎 1942, p. 204原文の旧字は改めた。
  4. ^ 宮崎 1942, p. 205.
  5. ^ 宮崎 1942, p. 216.

参考文献

宮崎, 市定「南洋を東西洋に分つ根據に就いて」『東洋史研究』第7巻第4号、1942年、197-218頁、doi:10.14989/145771 

外部リンク