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ソールズベリー伯の爵位には複雑な歴史がある。この称号は12世紀の半ばに{{仮リンク|パトリック・オブ・ソールズベリー (初代ソールズベリー伯)|label=パトリック・オブ・ソールズベリー|en|Patrick of Salisbury, 1st Earl of Salisbury}}のために創設されたのが最初の創設である。この称号は女系相続を経て代々継承され、5代目の{{仮リンク|アリス・ド・レィシー (第5代ソールズベリー女伯)|label=アリス・ド・レィシー|en|Alice de Lacy, 5th Countess of Salisbury}}まで続くが、[[1322年]]にアリスの夫である[[ランカスター伯爵|ランカスター伯]][[トマス (第2代ランカスター伯)|トマス]]が従弟の[[イングランド王国|イングランド]]王[[エドワード2世 (イングランド王)|エドワード2世]]に対する反逆罪で処刑されると、彼女もソールズベリー伯の爵位を返上することになった。
ソールズベリー伯の爵位には複雑な歴史がある。この称号は12世紀の半ばに{{仮リンク|パトリック・オブ・ソールズベリー (初代ソールズベリー伯)|label=パトリック・オブ・ソールズベリー|en|Patrick of Salisbury, 1st Earl of Salisbury}}のために創設されたのが最初の創設である。この称号は女系相続を経て代々継承され、5代目の{{仮リンク|アリス・ド・レィシー (第5代ソールズベリー女伯)|label=アリス・ド・レィシー|en|Alice de Lacy, 5th Countess of Salisbury}}まで続くが、[[1322年]]にアリスの夫である[[ランカスター伯爵|ランカスター伯]][[トマス (第2代ランカスター伯)|トマス]]が従弟の[[イングランド王国|イングランド]]王[[エドワード2世 (イングランド王)|エドワード2世]]に対する反逆罪で処刑されると、彼女もソールズベリー伯の爵位を返上することになった。


[[1337年]][[3月16日]]、ソールズベリー伯は国王[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]の寵臣で[[スコットランド王国|スコットランド]]との戦闘で功のあった[[ウィリアム・モンタキュート (初代ソールズベリー伯)|ウィリアム・モンタキュート]]のために再創設された<ref name="CP ES">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/salisbury1337.htm|title=Salisbury, Earl of (E, 1337 - 1471)|accessdate= 2016-08-14 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。
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[[1428年]]に第4代ソールズベリー伯[[トマス・モンタキュート (第4代ソールズベリー伯)|トマス・モンタキュート]]が[[百年戦争]]における[[オルレアン包囲戦]]で戦死するとその娘である{{仮リンク|アリス・モンタキュート (第5代ソールズベリー女伯爵)|label=アリス・モンタキュート|en|Alice Montacute, 5th Countess of Salisbury}}が5代ソールズベリー伯爵位を継承した。彼女は初代[[ウェストモーランド伯爵]][[ラルフ・ネヴィル (初代ウェストモーランド伯)|ラルフ・ネヴィル]]の息子[[リチャード・ネヴィル (第5代ソールズベリー伯)|リチャード・ネヴィル]]と結婚していたため、リチャード・ネヴィルも{{仮リンク|妻の権利|en|jure uxoris}}で第5代ソールズベリー伯爵を継いだ<ref name="CP ES"/>{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=510}}。
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クラレンス公の後ソールズベリー伯を継いだのは、グロスター公とアン夫妻の息子でクラレンス公の甥に当たる[[エドワード・オブ・ミドルハム]]である。彼は父が[[1483年]]に国王リチャード3世に即位したので[[プリンス・オブ・ウェールズ]]になるが翌[[1484年]]に急死、爵位も消滅する。この爵位は[[1485年]]、エドワードの同名の従兄でクラレンス公の息子の[[エドワード・プランタジネット (第17代ウォリック伯爵)|エドワード・プランタジネット]]が継承する。しかし同年に即位した[[テューダー朝]]の[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]に[[ロンドン塔]]へ投獄・監視されたエドワードは[[1499年]]に反逆罪で処刑される(爵位が正式に消滅したのは[[1504年]])。ソールズベリー伯は[[1513年]]にエドワードの姉[[マーガレット・ポール]]が復活させたが、彼女も[[1539年]]に反逆罪にかけられ剥奪されてしまう(マーガレット本人は2年後の[[1541年]]に処刑)。
クラレンス公の後ソールズベリー伯を継いだのは、グロスター公とアン夫妻の息子でクラレンス公の甥に当たる[[エドワード・オブ・ミドルハム]]である。彼は父が[[1483年]]に国王リチャード3世に即位したので[[プリンス・オブ・ウェールズ]]になるが翌[[1484年]]に急死、爵位も消滅する。この爵位は[[1485年]]、エドワードの同名の従兄でクラレンス公の息子の[[エドワード・プランタジネット (第17代ウォリック伯爵)|エドワード・プランタジネット]]が継承する。しかし同年に即位した[[テューダー朝]]の[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]に[[ロンドン塔]]へ投獄・監視されたエドワードは[[1499年]]に反逆罪で処刑される(爵位が正式に消滅したのは[[1504年]])。ソールズベリー伯は[[1513年]]にエドワードの姉[[マーガレット・ポール]]が復活させたが、彼女も[[1539年]]に反逆罪にかけられ剥奪されてしまう(マーガレット本人は2年後の[[1541年]]に処刑)。


その後、[[エリザベス朝]]後期から[[ステュアート朝]]初期にかけて宰相を務めた[[ロバート・セシル (初代ソールズベリー伯)|ロバート・セシル]]がステュアート朝初代国王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]により[[1605年]][[5月4日]]に第5期のソールズベリー伯爵に叙されている。この第5期のソールズベリー伯爵位が2019年まで現存しているソールズベリー伯爵位である。7代ソールズベリー伯爵[[ジェイムズ・セシル (初代ソールズベリー侯爵)|ジェイムズ・セシル]]が1789年に[[グレートブリテン貴族]][[ソールズベリー侯|ソールズベリー侯爵]]に叙されて以降はその従属爵位となっている<ref name="CP ES5">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/salisbury1605.htm#SALISBURY_1605_6|title=Salisbury, Earl of (E, 1605)|accessdate= 2019-09-23 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。第5期のソールズベリー伯爵位とソールズベリー侯爵位についての詳細は[[ソールズベリー侯]]の項目を参照のこと。
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== 一覧 ==
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2020年12月4日 (金) 05:45時点における版

ソールズベリー伯爵(英:Earl of Salisbury)は、イングランド貴族伯爵位の一つ。過去に5回創設されており、エリザベス朝からステュアート朝初期の宰相ロバート・セシルが1605年に叙された5期目のものがソールズベリー侯爵位の従属爵位として現存している。

歴史

ソールズベリー伯の爵位には複雑な歴史がある。この称号は12世紀の半ばにパトリック・オブ・ソールズベリー英語版のために創設されたのが最初の創設である。この称号は女系相続を経て代々継承され、5代目のアリス・ド・レィシー英語版まで続くが、1322年にアリスの夫であるランカスター伯トマスが従弟のイングランドエドワード2世に対する反逆罪で処刑されると、彼女もソールズベリー伯の爵位を返上することになった。

1337年3月16日、ソールズベリー伯は国王エドワード3世の寵臣でスコットランドとの戦闘で功のあったウィリアム・モンタキュートのために再創設された[1]

1428年に第4代ソールズベリー伯トマス・モンタキュート百年戦争におけるオルレアン包囲戦で戦死するとその娘であるアリス・モンタキュート英語版が5代ソールズベリー伯爵位を継承した。彼女は初代ウェストモーランド伯爵ラルフ・ネヴィルの息子リチャード・ネヴィルと結婚していたため、リチャード・ネヴィルも妻の権利英語版で第5代ソールズベリー伯爵を継いだ[1][2]

二人の長男リチャード・ネヴィルは第16代ウォリック女伯爵アン・ビーチャム英語版と結婚。1450年3月2日に妻の権利で彼も16代ウォリック伯を継承するとともに一代限りでウォリック伯に叙された。さらに1462年の母の死で第6代ソールズベリー伯爵位も継承した[1]。リチャードははじめ、ヨーク家、後にランカスター家に付いてエドワード4世の即位やエドワード6世の復位を左右するほどの権力をふるったため、「キングメーカー」の異名を取ったことで知られる[2]。しかし1471年バーネットの戦いで戦死し、その爵位と所領は敵方であるヨーク家に没収される。

1472年、ソールズベリー伯は国王エドワード4世の弟クラレンス公ジョージに与えられた。クラレンス公がリチャード・ネヴィルの長女イザベル・ネヴィルの夫であることを法的根拠としたのである。しかしイザベルの妹アン・ネヴィルがクラレンス公の弟グロスター公リチャード(後のリチャード3世)と結婚すると、この広大なリチャード・ネヴィルの遺産をめぐって兄弟の対立が激化する。1476年にイザベルが死ぬと形勢はクラレンス公にとって不利になり、結局1478年にクラレンス公は反逆罪で処刑される。

クラレンス公の後ソールズベリー伯を継いだのは、グロスター公とアン夫妻の息子でクラレンス公の甥に当たるエドワード・オブ・ミドルハムである。彼は父が1483年に国王リチャード3世に即位したのでプリンス・オブ・ウェールズになるが翌1484年に急死、爵位も消滅する。この爵位は1485年、エドワードの同名の従兄でクラレンス公の息子のエドワード・プランタジネットが継承する。しかし同年に即位したテューダー朝ヘンリー7世ロンドン塔へ投獄・監視されたエドワードは1499年に反逆罪で処刑される(爵位が正式に消滅したのは1504年)。ソールズベリー伯は1513年にエドワードの姉マーガレット・ポールが復活させたが、彼女も1539年に反逆罪にかけられ剥奪されてしまう(マーガレット本人は2年後の1541年に処刑)。

その後、エリザベス朝後期からステュアート朝初期にかけて宰相を務めたロバート・セシルがステュアート朝初代国王ジェームズ1世により1605年5月4日に第5期のソールズベリー伯爵に叙されている。この第5期のソールズベリー伯爵位が2019年まで現存しているソールズベリー伯爵位である。7代ソールズベリー伯爵ジェイムズ・セシルが1789年にグレートブリテン貴族ソールズベリー侯爵に叙されて以降はその従属爵位となっている[3]。第5期のソールズベリー伯爵位とソールズベリー侯爵位についての詳細はソールズベリー侯の項目を参照のこと。

一覧

ソールズベリー伯 第1期(1145年頃創設)

ソールズベリー伯 第2期(1337年創設)

第6代ソールズベリー伯リチャード・ネヴィル

ソールズベリー伯 第3期(1472年創設)

ソールズベリー伯 第4期(1478年創設)

ソールズベリー伯 第2期(1485年復帰)

ソールズベリー伯 第5期(1605年創設)

初代ソールズベリー伯ロバート・セシル

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 松村赳富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478