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「テュルクメナバート」の版間の差分

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[[1886年]]、南下政策をとる[[ロシア帝国]]によって、[[カスピ海横断鉄道]]建設でつくられた町である。鉄道とアムダリヤ川が結ばれる箇所のため、水運・陸運の交差点として重要な役割を果たした。しかし上流における乱開発のためアムダリヤ川の水位が低下、現在はその役割が果たされているとは言い難い。
[[1886年]]、南下政策をとる[[ロシア帝国]]によって、[[カスピ海横断鉄道]]建設でつくられた町である。鉄道とアムダリヤ川が結ばれる箇所のため、水運・陸運の交差点として重要な役割を果たした。しかし上流における乱開発のためアムダリヤ川の水位が低下、現在はその役割が果たされているとは言い難い。


[[ソ連]]時代はアムダリヤ地方の肥沃な土地が生む農作物やその加工業、[[綿花]]栽培や[[絹]]などの[[織物]]業で栄えた。しかし[[ソ連崩壊]]後は、それらの[[アシガバート]]への移転が進んでいる。独立後にチャルジョウからテュルクメナバートに改称された。
[[ソ連]]時代はアムダリヤ地方の肥沃な土地が生む農作物やその加工業、[[綿花]]栽培や[[絹]]などの[[織物]]業で栄えた。しかし[[ソビエト邦の崩壊]]後は、それらの[[アシガバート]]への移転が進んでいる。独立後にチャルジョウからテュルクメナバートに改称された。
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2020年12月25日 (金) 23:38時点における版

テュルクメナバート

Türkmenabat
テュルクメナバート空港
テュルクメナバートの位置(トルクメニスタン内)
テュルクメナバート
テュルクメナバート
北緯39度5分 東経63度34分 / 北緯39.083度 東経63.567度 / 39.083; 63.567座標: 北緯39度5分 東経63度34分 / 北緯39.083度 東経63.567度 / 39.083; 63.567
トルクメニスタンの旗 トルクメニスタン
レバプ州
標高 191 m
人口
(1989年)[2]
 • 合計 160,799人
等時帯 UTC+5 (トルクメニスタン時間)

テュルクメナバート(Türkmenabat)(キリル文字表記:Түркменабат)はトルクメニスタン第2の都市である。レバプ州の州都。

名前の由来

ソ連時代にはチャルジョウ(ChardzhouChardjui)(ロシア語:Чарджоу)の名で知られた。チャルジョウとはペルシア語で「4つの小川」の意味であった。

地勢・産業

アムダリヤ川の土手に位置する都市。約225キロ南西にマル、200キロ南東にケルキウズベキスタン共和国の国境に近く、100キロ北東にブハラが位置している。西にはカラクム砂漠が広がる。鉄道がウズベキスタンのヌクスウルゲンチに通じている。綿織物絹織物産業が盛ん。

歴史

1886年、南下政策をとるロシア帝国によって、カスピ海横断鉄道建設でつくられた町である。鉄道とアムダリヤ川が結ばれる箇所のため、水運・陸運の交差点として重要な役割を果たした。しかし上流における乱開発のためアムダリヤ川の水位が低下、現在はその役割が果たされているとは言い難い。

ソ連時代はアムダリヤ地方の肥沃な土地が生む農作物やその加工業、綿花栽培やなどの織物業で栄えた。しかしソビエト連邦の崩壊後は、それらのアシガバートへの移転が進んでいる。独立後にチャルジョウからテュルクメナバートに改称された。

脚注

  1. ^ Topological Information About Places On The Earth”. topocoding.com. 2014年3月9日閲覧。
  2. ^ Population census 1989, Demoscope Weekly, No. 359-360, 1–18 January 2009 (search for Туркменская ССР) (ロシア語)