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[[1930年]]に[[上海]]へ渡り、[[リヒャルト・ゾルゲ]]の助手として活動した。[[1933年]]、ゾルゲの推薦で[[モスクワ]]の諜報学校に送られて訓練を受け、その後[[満州]]で活動した。[[第二次世界大戦]]中[[イギリス]]で暮らし、[[核物理学]]者でのちに渡米し[[マンハッタン計画]]の中枢に入ることになる[[クラウス・フックス]]をスパイとして引き入れた<ref name=shinmikikai>[[山本武利]]、[[加藤哲郎 (政治学者)|加藤哲郎]]{{PDFlink|[http://jfn.josuikai.net/circle/shinsanmokukai/20140116yamamotokatoh.pdf 「ソ連の対日情報戦―ゾルゲ事件、その後―」(講演の抄録、第42回新三木会講演会)]}} [[如水会]]、2014年1月16日、pp.16-17</ref>。 |
[[1930年]]に[[上海]]へ渡り、[[リヒャルト・ゾルゲ]]の助手として活動した。[[1933年]]、ゾルゲの推薦で[[モスクワ]]の諜報学校に送られて訓練を受け、その後[[満州]]で活動した。[[第二次世界大戦]]中[[イギリス]]で暮らし、[[核物理学]]者でのちに渡米し[[マンハッタン計画]]の中枢に入ることになる[[クラウス・フックス]]をスパイとして引き入れた<ref name=shinmikikai>[[山本武利]]、[[加藤哲郎 (政治学者)|加藤哲郎]]{{PDFlink|[http://jfn.josuikai.net/circle/shinsanmokukai/20140116yamamotokatoh.pdf 「ソ連の対日情報戦―ゾルゲ事件、その後―」(講演の抄録、第42回新三木会講演会)]}} [[如水会]]、2014年1月16日、pp.16-17</ref>。 |
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一度も逮捕されることなく、戦後[[ドイツ民主共和国]](東ドイツ)で作家として過ごした。[[1950年]]に[[ドイツ社会主義統一党]]に入党している。フックスを情報提供者として組織し、[[プルトニウム爆弾]]の設計図をソ連にもたらすのに寄与した功績により、ソ連から[[英雄勲章]]を2回受章した。[[1989年]]の[[ベルリンの壁崩壊]]後、手記が公開され、[[1991年]]の[[ソ連崩壊]]後にスパイであったことが明らかになった<ref name=shinmikikai/>。 |
一度も逮捕されることなく、戦後[[ドイツ民主共和国]](東ドイツ)で作家として過ごした。[[1950年]]に[[ドイツ社会主義統一党]]に入党している。フックスを情報提供者として組織し、[[プルトニウム爆弾]]の設計図をソ連にもたらすのに寄与した功績により、ソ連から[[英雄勲章]]を2回受章した。[[1989年]]の[[ベルリンの壁崩壊]]後、手記が公開され、[[1991年]]の[[ソビエト連邦の崩壊]]後にスパイであったことが明らかになった<ref name=shinmikikai/>。 |
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== 脚注 == |
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2020年12月26日 (土) 00:52時点における版
ウルスラ・マリア・クチンスキー(ドイツ語: Ursula Maria Kuczynski、1907年5月15日 - 2000年7月7日)は、ドイツの作家、ソビエト連邦のスパイ。筆名ルート・ヴェルナー(ドイツ語: Ruth Werner)。ウルスラ・ブールトン(Ursula Beurton)、ウルスラ・ハンブルガー(Ursula Hamburger)の別名があり、暗号名はソーニャ(Sonja)。
生涯
ベルリン生まれ。1926年ドイツ共産党に入党する。1929年、建築家でソビエト連邦赤軍参謀本部情報局スパイのルドルフ・ハンブルガーと結婚した。
1930年に上海へ渡り、リヒャルト・ゾルゲの助手として活動した。1933年、ゾルゲの推薦でモスクワの諜報学校に送られて訓練を受け、その後満州で活動した。第二次世界大戦中イギリスで暮らし、核物理学者でのちに渡米しマンハッタン計画の中枢に入ることになるクラウス・フックスをスパイとして引き入れた[1]。
一度も逮捕されることなく、戦後ドイツ民主共和国(東ドイツ)で作家として過ごした。1950年にドイツ社会主義統一党に入党している。フックスを情報提供者として組織し、プルトニウム爆弾の設計図をソ連にもたらすのに寄与した功績により、ソ連から英雄勲章を2回受章した。1989年のベルリンの壁崩壊後、手記が公開され、1991年のソビエト連邦の崩壊後にスパイであったことが明らかになった[1]。