コンテンツにスキップ

「藤田明宏」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 髙橋純平の改名に伴うリンク修正依頼 - log
11行目: 11行目:
* [[丹羽将弥]]([[オリックス・バファローズ]])
* [[丹羽将弥]]([[オリックス・バファローズ]])
* [[伊藤準規]]([[中日ドラゴンズ]])
* [[伊藤準規]]([[中日ドラゴンズ]])
* [[橋純平]]([[福岡ソフトバンクホークス]])2年時まで。
* [[橋純平]]([[福岡ソフトバンクホークス]])2年時まで。


== 監督として甲子園での戦績 ==
== 監督として甲子園での戦績 ==

2020年12月31日 (木) 05:01時点における版

藤田明宏(ふじた あきひろ、1968年2月5日 - )は岐阜県岐阜市出身の元高校野球指導者。血液型はO型。元朝日大学野球部監督。

経歴

県岐阜商時代の3年時に前原博之(のち中日選手)と共に第67回全国高等学校野球選手権大会へ捕手、主将として出場。滋賀県の甲西高校に初戦で敗れたが自身は本塁打を放っている。卒業後は専修大学へ進学。ポジションは捕手。1993年に東濃実業が甲子園に出場した時は野球部の顧問だった。1995年に岐阜三田高校(現:岐阜城北高校)へ転任し、1999年(平成11年)から同校の野球部監督に就任した。2001年(平成13年)の夏に監督として初の甲子園に出場。続く2006年(平成18年)には尾藤竜一投手を擁して第78回選抜高等学校野球大会に出場し、県勢として47年ぶりのベスト4に進出した。2009年4月に出身校である県岐阜商へ転任すると当時成績が低迷していた野球部の監督に春季県大会より就任。同年の夏の岐阜大会で優勝して第91回全国高等学校野球選手権大会に出場し、ベスト4に進出。続く秋の国体では優勝を果たした。そして、2012年夏の甲子園大会(第94回全国高等学校野球選手権大会)及び2013年春の選抜大会(第85回記念選抜高等学校野球大会)にエースである息子藤田凌司と共に甲子園出場を果たし、2013年の選抜大会ではベスト8まで勝ち進んだ。

2014年7月28日付で県岐阜商の監督を退任した。退任後は副部長。2015年3月を以って教職員を退職。同年5月朝日大学野球部の監督に就任した[1]部員の不祥事により2020年4月24日にて監督を退任している[2][3][4]。2015年から2019年まで夏の岐阜大会のテレビ中継にて解説を担当していた。

主な教え子

監督として甲子園での戦績

通算5回8勝5敗0分(春2回5勝2敗 夏3回3勝3敗)ベスト4が2回

関連書籍

報知高校野球 2010年5月号第82回選抜高校野球大会特集号内掲載記事「私の高校野球」

脚注