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「武公 (斉)」の版間の差分

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献公9年([[紀元前851年|前851年]])、献公が[[薨去]]したため、子の姜寿が立って斉君(以降は武公と表記)となる。
献公9年([[紀元前851年|前851年]])、献公が[[薨去]]したため、子の姜寿が立って斉君(以降は武公と表記)となる。


武公9年([[紀元前842年|前842年]])、[[周]]で内乱が起き、[[レイ王 (周)|厲王]]が[[鎬京]]を脱出して[[黄河]]を越え、彘(てい:現在の[[山西省]][[霍州市]])に逃れた。翌年([[紀元前841年|前841年]])、周は[[共和 (周)|共和政]]に入る(~[[紀元前828年|前828年]])。
武公9年([[紀元前842年|前842年]])、[[周]]で内乱が起き、[[厲王]]が[[鎬京]]を脱出して[[黄河]]を越え、彘(てい:現在の[[山西省]][[霍州市]])に逃れた。翌年([[紀元前841年|前841年]])、周は[[共和 (周)|共和政]]に入る(~[[紀元前828年|前828年]])。


武公26年([[紀元前825年|前825年]])、武公が薨去し、子の無忌が立って斉君([[厲公 (斉)|厲公]])となった。
武公26年([[紀元前825年|前825年]])、武公が薨去し、子の無忌が立って斉君([[厲公 (斉)|厲公]])となった。

2021年3月18日 (木) 10:36時点における版

武公 姜寿
第8代公
王朝
在位期間 前850年 - 前825年
都城 臨淄
姓・諱 姜寿
諡号 武公
生年 不詳
没年 前825年
献公

武公(ぶこう、? - 前825年)は、(姜斉)の第8代君主。献公の子。

生涯

献公9年(前851年)、献公が薨去したため、子の姜寿が立って斉君(以降は武公と表記)となる。

武公9年(前842年)、で内乱が起き、厲王鎬京を脱出して黄河を越え、彘(てい:現在の山西省霍州市)に逃れた。翌年(前841年)、周は共和政に入る(~前828年)。

武公26年(前825年)、武公が薨去し、子の無忌が立って斉君(厲公)となった。

参考資料

  • 史記(繁体字中国語)(斉太公世家第二)