「営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故」の版間の差分
m編集の要約なし |
m →その他: 批評削除(wikipediaは評論する場所ではありません)。 |
||
12行目: | 12行目: | ||
:事故発生の主原因は輪重比の大きな狂い、副原因は営団のみ極端に緩いガードレール設置基準というのが事故調査報告書の実質の結論である。 |
:事故発生の主原因は輪重比の大きな狂い、副原因は営団のみ極端に緩いガードレール設置基準というのが事故調査報告書の実質の結論である。 |
||
: 営団地下鉄での輪重比管理は1992年に半蔵門線車庫で2度の脱線を経験して社内調査でその必要性が指摘され、職場からは輪重計設置要求が出されていたが却下・放置し、半蔵門線車両のみの輪重調整に留めたことで、日比谷線には輪重比30%を超える車両が走り、140R以下にガードレール設置という営団の極端に低い設置基準で現場の160.1Rにはガードレールが無く惨事を防げなかった |
: 営団地下鉄での輪重比管理は1992年に半蔵門線車庫で2度の脱線を経験して社内調査でその必要性が指摘され、職場からは輪重計設置要求が出されていたが却下・放置し、半蔵門線車両のみの輪重調整に留めたことで、日比谷線には輪重比30%を超える車両が走り、140R以下にガードレール設置という営団の極端に低い設置基準で現場の160.1Rにはガードレールが無く惨事を防げなかった。 |
||
なおこの事故の報道においては、一部で複数要因が重なって発生した脱線事故であるとされた、[[鶴見事故]]([[1963年]])と比較される事があったが、これも事故調査検討会最終報告書の実質内容の読み誤りである。 |
なおこの事故の報道においては、一部で複数要因が重なって発生した脱線事故であるとされた、[[鶴見事故]]([[1963年]])と比較される事があったが、これも事故調査検討会最終報告書の実質内容の読み誤りである。 |
||
22行目: | 22行目: | ||
この付近ではこれより前の[[1965年]]と[[1992年]]の2回、事故があった。前者はこの事故とほぼ同じ箇所で脱線した(台車の異状によるもの)。 |
この付近ではこれより前の[[1965年]]と[[1992年]]の2回、事故があった。前者はこの事故とほぼ同じ箇所で脱線した(台車の異状によるもの)。 |
||
後者は、1992年6月16日午前8時50分頃、中目黒駅構内の[[引き上げ線]]ポイント上で、出庫中の[[営団3000系電車|営団3000系]]の後ろから3輌目付近の側方に、入庫中の[[東武2000系電車|東武2000系]]が突っ込む形となったもの。引き上げ線での衝突事故のため乗客への被害は無かった。直接的な原因は東武2000系側に乗務の運転士の構内信号見落としであるが、ATCがそれをカバー出来なかった原因は一重に過走余裕距離の不足である。 |
後者は、1992年6月16日午前8時50分頃、中目黒駅構内の[[引き上げ線]]ポイント上で、出庫中の[[営団3000系電車|営団3000系]]の後ろから3輌目付近の側方に、入庫中の[[東武2000系電車|東武2000系]]が突っ込む形となったもの。引き上げ線での衝突事故のため乗客への被害は無かった。直接的な原因は東武2000系側に乗務の運転士の構内信号見落としであるが、ATCがそれをカバー出来なかった原因は一重に過走余裕距離の不足である。入替速度25km/h、空走時間1秒では29mほど必要だが、これが10mしかなかった。 |
||
が保証されなければ衝突に至りATCの意味を成さない。入替速度25km/h、空走時間1秒では29mほど必要だが、これが10mしかなかった。安全装置としては設計ミスであり、距離が採れないのならもっと低速の速度照査を行うか、それでもダメなら対向列車の同時進入を禁止することが必要だ。 |
|||
:その背景として「折り返しの余裕不足」と、<!--関連して実施された-->「信号システムの変更」が指摘されている。 |
:その背景として「折り返しの余裕不足」と、<!--関連して実施された-->「信号システムの変更」が指摘されている。 |
||
中目黒駅での午前8時台の折り返しは、 |
中目黒駅での午前8時台の折り返しは、 |
||
33行目: | 32行目: | ||
*出庫中の列車があっても、入庫する列車を引き上げ線付近まで入線させる(同一線上の相対する双方の列車を進行させる) |
*出庫中の列車があっても、入庫する列車を引き上げ線付近まで入線させる(同一線上の相対する双方の列車を進行させる) |
||
*信号冒進時の過走余裕がわずか10m |
*信号冒進時の過走余裕がわずか10m |
||
というものであった。 |
|||
というものであった。この<!--過度なまでの-->折り返し効率重視が事故の背景にあったと指摘されている。必要な安全装置の設計を間違えては話にならない。 |
|||
==関連項目== |
==関連項目== |
2006年10月15日 (日) 10:07時点における版
営団日比谷線脱線衝突事故(えいだんひびやせんだっせんしょうとつじこ)では、2000年(平成12年)3月8日の9時1分頃に、帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現東京地下鉄)日比谷線において発生した、列車脱線事故について記す。
事故概要
日比谷線を走っていた東急東横線直通菊名行き電車(営団03系8両編成)の最後尾車両が、中目黒駅手前の急曲線で車両の重量の不均衡など複数の要因で乗り上がり脱線。線路からはみ出した状態で対向の中目黒始発東武線直通竹ノ塚行き電車(東武20050系8両編成)と側面衝突、大破した。死者5名、負傷者64名を出した。
原因・対策その他
脱線の仕方としては競り上がり脱線であるが、原因因子として160Rの急カーブであるにもかかわらずガードレールが無かったことや、異常を察知した車掌による非常制動装置(非常ブレーキ)の作動、点検時に見落とされた空気バネの異常などがある事から、複合的原因により発生した事故(競合脱線)だと帰結した。このことにより、刑事責任としては一人に罪を負わせることを不可とし、管理限界を超える線路の狂いを放置したとして送検されていた保線関係者5名は検察段階で不起訴となった。
- しかし事故調査検討会はこの事故を契機に全国の鉄道事業者に2種3項の指示を出しており(刑事責任ではない)安全確保の観点での事故原因の見解は持っている。すなわち
- (1)輪重比管理値を10%以内(左右の平均値±10%)とする、
- (2-1)半径200m以下のカーブ出口のカント逓減部(=緩和曲線部)に脱線防止ガードの設置、
- (2-2)「推定脱線係数比」という管理値を導入して基準を超えるカーブへの脱線防止ガードレール設置を義務化した。すなわち
- 事故発生の主原因は輪重比の大きな狂い、副原因は営団のみ極端に緩いガードレール設置基準というのが事故調査報告書の実質の結論である。
- 営団地下鉄での輪重比管理は1992年に半蔵門線車庫で2度の脱線を経験して社内調査でその必要性が指摘され、職場からは輪重計設置要求が出されていたが却下・放置し、半蔵門線車両のみの輪重調整に留めたことで、日比谷線には輪重比30%を超える車両が走り、140R以下にガードレール設置という営団の極端に低い設置基準で現場の160.1Rにはガードレールが無く惨事を防げなかった。
なおこの事故の報道においては、一部で複数要因が重なって発生した脱線事故であるとされた、鶴見事故(1963年)と比較される事があったが、これも事故調査検討会最終報告書の実質内容の読み誤りである。
- 鶴見事故の結論も子細にみれば原因車両であるワラ1型の走行特性試験をワム60000類似車両として省略し、軽積載時の大変振動的な走行特性を見逃していたし、また当時バネ下荷重軽減云々と旅客車両開発の走行特性改良で定着していた振動解析が貨車設計には波及していない時期の事故で身内調査による「競合脱線」原因説で片付けて良いものかの疑問もある。
また、航空・鉄道事故調査委員会発足の契機にもなった。
その他
この付近ではこれより前の1965年と1992年の2回、事故があった。前者はこの事故とほぼ同じ箇所で脱線した(台車の異状によるもの)。
後者は、1992年6月16日午前8時50分頃、中目黒駅構内の引き上げ線ポイント上で、出庫中の営団3000系の後ろから3輌目付近の側方に、入庫中の東武2000系が突っ込む形となったもの。引き上げ線での衝突事故のため乗客への被害は無かった。直接的な原因は東武2000系側に乗務の運転士の構内信号見落としであるが、ATCがそれをカバー出来なかった原因は一重に過走余裕距離の不足である。入替速度25km/h、空走時間1秒では29mほど必要だが、これが10mしかなかった。
- その背景として「折り返しの余裕不足」と、「信号システムの変更」が指摘されている。
中目黒駅での午前8時台の折り返しは、
- 折り返し列車本数が多い
- 東武・日比谷線内のダイヤの乱れの影響で、折り返しの余裕時間が短い
- 東横線との直通列車も絡むため運行が複雑になる
等の理由により混乱することが多く、ダイヤ回復のボトルネックとなっていた。 これに関連し新信号システムが導入されたが、このシステムは
- 出庫中の列車があっても、入庫する列車を引き上げ線付近まで入線させる(同一線上の相対する双方の列車を進行させる)
- 信号冒進時の過走余裕がわずか10m
というものであった。