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「共王 (周)」の版間の差分

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金文では「十五年趞曹鼎」によって共王の実在が確認できる<ref>佐藤(2016)p.107</ref>。
金文では「十五年趞曹鼎」によって共王の実在が確認できる<ref>佐藤(2016)p.107</ref>。


共王が死去すると、子の[[懿王 (周)|懿王]]が周王として即位した<ref name="shiki"/>。
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== 脚注 ==
== 脚注 ==

2021年3月29日 (月) 12:01時点における版

共王
西周
第6代王
王朝 西周
在位期間 前922年 - 前900年
都城 鎬京
姓・諱 姫繄扈
姫伊扈
諡号 共王
生年 不詳
没年 前900年
穆王
后妃 王媯

共王[1](きょうおう)は、西周時代のの王。姓は姫、諱は繄扈[2]

周の穆王の子として生まれた。穆王が死去すると、共王が周王として即位した[3]

共王が涇水のほとりを遊行したとき、密の康公が王に従った。康公は土地の者に3人の娘を献上された。康公の母は娘たちを王に献上するよう康公に言ったが、康公は献上しなかった。1年後、共王は密を滅ぼした[3]

金文では「十五年趞曹鼎」によって共王の実在が確認できる[4]

共王が死去すると、子の懿王が周王として即位した[3]

脚注

  1. ^ 史記』周本紀による。同書三代世表は恭王とする。
  2. ^ 史記』周本紀による。同書三代世表によると、諱は伊扈。『史記索隠』周本紀所引『世本』も諱を伊扈とする。
  3. ^ a b c 『史記』周本紀
  4. ^ 佐藤(2016)p.107

参考文献