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'''幽王'''(ゆうおう)は、[[周|周朝]]の第12代の王。[[宣王 (周)|宣王]]の子。[[携王]]の兄。[[平王 (周)|平王]]、[[太子]][[姫伯服|伯服]](伯盤)らの父。[[西周 (王朝)|西周]]最後の王である。[[褒姒]]という女性を愛し、彼女の笑顔を見たさに王国を滅亡させ、自らも反乱に遇い命を失った。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
2021年3月29日 (月) 12:02時点における版
幽王 | |
---|---|
西周 | |
第12代王 | |
王朝 | 西周 |
在位期間 | 前781年 - 前771年 |
都城 | 鎬京 |
姓・諱 | 姫宮涅 |
生年 | 前795年 |
没年 | 前771年 |
父 | 宣王 |
后妃 |
申后 褒姒 |
※『史記』は諱を宮湦としている |
幽王(ゆうおう)は、周朝の第12代の王。宣王の子。携王の兄。平王、太子伯服(伯盤)らの父。西周最後の王である。褒姒という女性を愛し、彼女の笑顔を見たさに王国を滅亡させ、自らも反乱に遇い命を失った。
概要
即位の三年後、幽王は褒の地より後宮に入った褒姒を見て寵愛するようになった。褒姒は笑うことがなく、幽王はなんとか彼女を笑わせようとした。絹を裂く音を聞き、彼女が微かに微笑んだことで、国中の絹を集めては引き裂かせたともいう。やがて褒姒は子の伯服を儲けるが、この年は関中で大地震が発生し、記録官の伯陽甫は、亡国の凶兆であると書き残した。
ある日、幽王は兵乱の合図の烽火を上げさせ、太鼓を打ち、軍勢を集結させた[1]。駆けつけたが何ごともないのに困惑する将兵を見て、褒姒ははじめて笑った。喜んだ王は以後しばしば無意味に烽火を上げさせ、何度も無駄足を踏まされた諸将は、いつか烽火で集まることがなくなった。また幽王は佞臣の虢石父を登用し、悪政を行わせたため、人民の怨嗟を買った。
幽王はついに正室であった申后及び太子宜臼を廃し、褒姒を后に、伯服を太子に立てた。申后の父である申侯は怒り、蛮族の犬戎軍と連合して反乱を起こす。都に迫る反乱軍に、幽王は軍を集めようとして烽火をあげたが、すでに集まる兵はなかった。幽王と伯服は驪山の麓で殺され、褒姒は犬戎に連れ去られた。反乱軍は都を略奪して財宝をことごとく奪い去った。
→詳細は「申侯の乱」を参照
幽王の死後、申侯は廃太子となっていた宜臼を平王として立てた。しかし兵乱により王都の鎬京は破壊されていたため、平王は東の洛邑へと遷都し、ここに西周は消滅して東周が始まった。